
僕の叔父(父の弟)は「スリランカ 時空の旅 遺跡を旅して知った歴史と仏教」(東洋出版)という本を出版している。
年末の日本帰国時、約7年ぶりに叔父の家にお邪魔し、お話しを伺ってきた。
叔父は公立中学校の理科の教師であった。在職中にインドネシアとスリランカにはまったらしく、長期休みなどに自費で出かけて行っては現地調査を行い、帰国してから様々な文献を調べあげるなどして、今までに3冊も著書を出版している。
叔父自身が出版社に本の出版の売り込みに行って実現したそうで、行動力のない僕は「すごいなあ」と頭が下がる思いである。
現在は退職されて、自宅で平穏な年金生活を送っていらっしゃる。しかし、4冊目のスリランカに関する著書の出版に向けて、毎日いろいろな文献を読み漁っては、その資料をもとに少しずつ本を書いているそうで、充実した退職後の生活を送っているとのことであった。
叔父は仏教や寺院にお寺があるそうで、それについて調べるのが好きなそうで、将来的には大学などでスリランカに関する講義などもしてみたいとの夢を語っていただいた。
叔父との話で感じたのは、自分の好きな趣味・夢を持つというのは素晴らしいことだなあということだ。
大抵の人は60歳または65歳で定年を迎えて退職し、社会との関係から突然切り離されてしまう。定年までに趣味を見つけ、仕事以外の交友関係を築いてきた人は、退職後も仕事からは離れるが、社会との接点を持ち続けられる。でも、仕事人間で何もしてこなかった人は、急に暇な日常に放り込まれ、下手をすると意気消沈してボケてしてしまう。
運よく65歳まで働けたとしても、日本人男性の平均寿命は80歳近い訳だから、最低15年は何の拘束もない暇な日常生活を過ごさなければならないのである。
人間は十分な年金さえもらえば、楽しく余生を過ごせる訳ではない。多少のお金や時間があっても、友達や趣味(やること)がなければ、仕事を通じて社会に役立てなくなったその自らの存在に罪悪感すら感じるのではないかと想像する。
少なくとも僕は、誰かと関係を保ち、社会の中で何かしらの形で貢献し続けていかないと、神が許す最後の瞬間まで生きていけない気がする。出来れば自分が役に立てることで貢献したいが、社会において役に立てれば、体力的に出来る事なら何でもいい。
もう目的はお金ではないのである。ボランティアでも構わない。必要なのは物質的な豊かさではなく、精神的な豊かさ、人とのつながりだから。
僕のような団塊ジュニアの世代の老後はどうなるかは想像もつかないが、団塊の世代に当たる両親・叔父がいい老後を僕らにお手本として示してくれれば、将来に対して希望が持てるし、もちろん彼らにとっても幸せである。
僭越ではあるが、叔父にはスリランカに関するブログを開設して、なるべく記事を更新し、スリランカ好きな人達と楽しい交流したらどうかというアドバイスしておいた。
もしスリランカやインドネシアがお好きな方がいらっしゃいましたら、叔父の著書を立ち読みするなり、買っていただけたらと思う。
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