アトムの子のスピリチュアリズム日記/埼玉シルバーバーチ読書会感想

     
      この地上人生を生きる目的は、『霊界』という本来の世界へ帰るための準備期間です。

『迷える霊との対話』(5月の読書会より)

2017年06月13日 19時14分57秒 | 日記

続き…

 今回の学習で、特に大きな罪を犯している人間でなくとも、簡単に「地縛霊」なってしまうことが分かりました。地上への思いが強い人、盲信的に宗教にしがみついて生きてきた人や、物質中心に生きてきた人ほどそうなってしまいます。地上人生を真面目に一生懸命生きることは、立派なことかもしれません。真面目に生きてきたことで、亡くなってから「死の自覚」が多少なりとも早まるかもしれません。しかし、死後の世界の知識がないということは、それだけで多くの無駄な時間を霊界で費やすことになってしまいます。

 「死」は決して悲しみではありません。本来の場所に帰るだけです。寂しく感じるのは、残された(地上人)こちら側の気持ちです。私たちスピリチュアリストであっても、すべての「死」に対して素直に喜べるかと言われれば、どうしても個人差があります。ただ「霊的知識」を手にしているので、一般の人たちよりは遥かに早く立ち直れるはずです(それだけでも大きなこと)。ただ問題なのは、亡くなった大切な人が道に迷わないかということです。少しでも早く「幽界」にたどり着けるのか、それとも地上に一番近い下層界で「地縛霊」になってしまうのか…。
 どうか、、、少しでも早く「幽界」に行けるよう、死んだあとは「自分を守護してきた人」、または先に亡くなった「自分のお母さんや家族」の言葉を信じてついていって欲しいと思います。守護霊や先に亡くなった愛する人は、決してあなたを不幸にはしません。生前に正しい「死後の世界」の知識を持つことはもちろん大切ですが、(万が一)間に合わず霊界入りしたとしても、地上で作り上げたものに執着せず、また進むべき道を間違わないように、最初に出会った守護霊や愛する家族の言葉を信じてしっかり手をつないで、その先に向かって行って欲しいと思います。

 これから紹介する本『迷える霊との対話』は、1861年~1945年、米国の精神科医である「ウィックランド・カール・A」の30余年に渡る膨大な治療の記録を著したものです。異常行動で医学の手に負えなくなった精神病患者を、霊媒である自分の妻を使い、霊(スピリット)と交信しながら治療していきました。精神病を発症する原因のほとんどが、死後「地縛霊」となった低級霊による憑依だということが分かっています。死後の世界への知識がないことが、死んでなお地上人を苦しめることになろうとは誰も想像しなかったことです。

それでは、『迷える霊との対話』の一部を抜粋していきたいと思います。


★最初のスピリットは、トルコ領事を務めたこともある「ドクターピーブルズ」。彼は60年に渡ってスピリチュアリズム普及に尽くしてきた人物で、99歳で他界した。
「死ぬ時はうれしいくらいでした。霊界入りして、私は大変な栄光と幸せと美しさを見出して、本当にうれしく思いました。地上にいた時から、霊界についての一通りの理解はありましたが、実際に見た美しさはとても言葉では表現できません。霊的理解力が目覚めた人にとって、その美しさは筆舌に尽くしがたいものがあります。
 私は、地上時代はスピリチュアリズムをずっと信じていましたが、それでも、あるドグマにしがみついておりました。キリスト教から完全に脱け切っていなかったのです。
 どうか、この地上界が小学校に過ぎないことを知ってください大学ではありません。高等学校でもありません。生命についての基礎を学習するところに過ぎません。その小学校でロクに勉強しない者が、大勢いるのです」(13章 誤った再生思想に囚われているスピッリト)

輪廻転生の説で世界的に有名なマダム・ブラバツキー女史の話。彼女は霊能者で『神智学の教祖』で、多くの芸術家たちにインスピレーションを与えただけでなく、その後のニューエイジ思想やオカルティズムへの影響も大きかったと言われている。その誤った考えに気づいた彼女のメッセージです。
「私は、なぜもっとこうした霊界とのつながりについて説かなかったのか、なぜもっと深く勉強しなかったかと、残念に思われてなりません。その事実については知っていたのです。さまざまな霊現象を見ていたのです。今は、何もかも打ち明けますが、私はとにかく”リーダー”になりたかったのです」13章)

地球圏には、地上を去ったあとでも地上的波動から抜け切れずにいるスピリットが、地獄さながらの悲惨な境遇の中で、無益な生活を続けております。
 朝から晩まで讃美歌を歌い、神に祈ることばかりしている集団があります。一種の自己催眠にかかった状態で、はたから声をかけることすらできないほどです。
 別の集団へ行ってみると、そこには金の亡者が集まっています。朝から晩まで金を数えることばかりをしております。彼らにとっては金こそが神なのです。この者たちにも声はかけられません。
 さらには、地上で身を破滅させた者たちが集まっているところがあります。世を恨み、心が鬼と化して、仕返しをすることばかり考えております。愛と優しさはカケラもありません。その魂は、まるでドロ水に浸したスポンジのように、汚らわしい感情に満ち、愛も情も受けつけようとしません。うっかり近づいて神だの愛だの親切心だのを説こうものなら、唾を吐きかけられ、笑い飛ばされます」13章)

※地縛霊は、地上人に憑依して永遠と悪事を働くのです。

★ウィリアム・イェイツ霊(ウィックランド博士と一緒に活躍した人)
「今夜は、こうして皆さんと対座してお話ができることを、大変うれしく思います。それに何よりも、このサークルがずっと活動を続けておられることが有り難いです。招霊会(※)が開かれる時は必ず来ております。今夜も、勉強のために、大勢のスピッリトを連れてきております。そのにぎやかな情況をお見せしたいくらいです」14章 実在に目覚めたスピリットからの助言)

※読書会や、公開ヒーリングにも当てはまります。

「暗黒街の様相は、実際に見ていただくほかありません。(略)自殺者ばかりが集まってる境涯(きょうがい)、狂信者が通う協会ばかりが立ち並ぶ境涯、スラム街、拝金主義者ばかりの街などなど、それはそれは凄絶(せいぜつ)をきわめております。しかし、その事実自体も問題ですが、もっと問題なのは、そうした境涯のスピリットの出す波動が、地上の類似した人間の波動と合致(憑依)して、生活を破綻に追いやっている現実です。(略)どんなに善人であっても、どんなにまじめな人生を送っていても、ただこれだけでは十分ではありません。死後の世界についての知識がないと、目覚めたあとしばらくは暗闇の中にいます。そのあと、いつ霊的覚醒が訪れるかは、その人が地上で培った霊性の程度(霊格)いかんによります」14章)

※憑依のことであり、特に地縛霊と波動が合ってしまう霊媒体質の人たちは、自分が特殊な体質ではないことをまず自覚する必要があります。霊媒体質は、特別な体質でも他人に自慢できることでもありません。生きずらい体質であっても、それはあくまでも「カルマ」であり、なにより霊に関心を持たないことが重要です。

★Mr.ルートの出現(ウィックランド博士の除霊治療サークルの指導霊)
「この地上に生きているうちに、地上生活のことだけでなく、死後の世界について勉強しておくべきです。聖職者になりたいとか、医者になりたいとか、弁護士になりたいと思えば、誰しもその道の勉強をしなくてはなりません。それと同じで、こうして生きている自分とは何なのかについて勉強するのが当たり前ではないでしょうか。
 死後のことは、死んでからではなく、この地上にいるうちに学んでおくことが大切です。そうすれば、肉体から離れた時に迷うことなく、あらかじめ用意されている場所に落ち着き、いつまでも地上の我が家をうろつきまわるようなことがなくて済みます。死後のことを知らないまま死んだ人の中には、すでに肉体がなくなっていることにまったく気がつかない人が意外に多いものです。そういう人は相変わらず地上の家族と一緒に暮らしているつもりでいます。そのうち家族の中の感受性の強い者に憑りついてしまいます」14章)



※参考資料;スピリチュアリズム普及会発行「ニューズレター39号」
      カール・A.ウィックランド(著)「迷える霊との対話」

※なお、これらの引用にあたっては、スピリチュアリズム普及会の許可を得ています。


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5月の読書会に参加して…

2017年06月13日 19時12分39秒 | 日記

 5月とは思えないような暑い1日でした。職場(私の部署)では、魚を扱うため早朝からクーラーを入れていますが、それでも大きな魚をさばくときや売場と作業場の往復では汗が出ます。これから梅雨の時期が過ぎ暑い夏がやってきます。暑さが苦手な私にとっては新たな戦いの始まりです。本当にいつまでたっても本州の湿気と暑さに慣れずにいる私です。

 しかし、そんな暑い時でも「読書会」の日が近づくとテンションが上がり胸の高まりを感じます。新たな知識や霊界の思いを深く知ることに喜びがあるからです。もちろん「霊訓」を1人で読む時間はとても大切ですし、祈りにも繋がることだと思っています。しかし「読書会」で学ぶことは、同じ文章を読んでいるはずなのに重みが違うのです。子どもたち(私たち地上人)の幸せをどこまでも願う「大霊」の深き愛、霊界の熱い思い、高級霊の必死の働きかけが「読書会」では手に取るように伝わってくるのです。また、言葉の1つ1つが魂に染み込み、目をつむると私に関わりのある高級霊たちが常に応援してくれているのが分かります。この地上でなにがあっても愛情いっぱい自信いっぱいに生きている私です。その根拠のない自信がどこからきているかと言えば、やはり疑うことの無い「霊界」からの深い愛を心の底から感じているからなのだと思います。

 さて5月の「読書会」では、実際にあの世に旅立ったスピリットたちの「死の直後」の体験談から、それぞれの心境や背景を知ることができました。私たちは肉体が無くなった(死)からといって、直ぐにいろいろな過ちや間違った考えに気づくわけではありません。ドアを開けて隣の部屋に移動するだけで、地上時代の考えや執着が変わることはありません。当然、リアルな感情が「死の直後」の体験談から読み取ることができ、私の心に深く突き刺さりました。さらに「死後の世界」の知識がありませんから、死んだことすら分からない人もいます。今回ここで取り上げた体験談は、スピリチュアリズム普及会発行の『500に及ぶあの世からの現地報告』からの引用と、(最後の1つは)アラン・カルデックの『天国と地獄』からのものです。ここに掲載するのはほんの一例ですが、死の直後の体験談は誰ひとりとして同じではないことが分かります。一人ひとりの地上での生き方・考え方が大きく関係しているのです。


★イギリス人、テッド・バットラーは交通事故で死にました(即死)。その彼が1964年2月10日の交霊会に現れました。彼はリーズで、妻と買い物をしていました。その時……

(テッド・バットラー霊)
 私は道路を横切ろうとしていました。すると急に何かが私に当たりました。それはブレーキが効かなくて坂道を転がり落ちてきた車だと思います。私は壁に叩きつけられ気を失いました。苦しかったという記憶はありません。何かが私の方にやってきたのを覚えています。それが、すべてです。その出来事は本当に突然に起こったのです。
 グリーン女史(交霊会の司会者)は確認した。
「あなたは、どのようにしてご自分の状態に気がついたのですか?」
 分かりません。私が覚えているのは、大勢の人々が立って何かを見下ろしていたことだけです。私もその人たちと同じように覗き込みました。するとそこには、私と瓜ふたつの男性が倒れていました。最初、私はそれが自分だとは分かりませんでした。「これは全くの偶然の一致だ。彼は私にそっくりだ、まるで双子のようだ」と思いました。
 その時、私の妻が涙を流して泣いているのが見えました。彼女は私がすぐそばに立っていることに気がつかないようでした。それから死体は救急車に乗せられました。そして妻と数人の看護婦もその車に乗り込みました。私も一緒に乗り込み、妻の横に座りました。しかしそれでも彼女は、私がいることに気がつきませんでした。私は徐々に、「目の前に横たわっているのは自分の死体なのだ」ということが分かり始めました。
 私たちは病院に着きました。私の遺体は死体安置所に置かれました。私はそこが好きになれず、すぐ家に戻りました。妻はすでに家に帰っていて、隣のミッチェン婦人が彼女を一生懸命に慰めていました。それから葬式が行われました。もちろん私もその場にいました。私は、「葬式の騒ぎといい葬式の出費といい全く馬鹿げたことだ。私はちゃんとここにいるのに」と思いました。誰も私に気がつきませんでした。年老いた牧師が立って聖書を読み上げていました。
 私は、もし誰か今の私の状態を知ることができるとするなら彼以外にはないだろうと思ったので、彼のそばに立っていました。そして肘で彼の横腹をそっと押し続けましたが、彼は全く気がつきませんでした。彼は葬式をそのまま続けました。
 私は数週間、家のまわりをうろついていたに違いありません。500に及ぶあの世からの現地報告 4、死の自覚P75~P77)

★生前、バッキンガム地域に住んでいたビックスは、田舎の技能者か商人であったと思われます。そのビックス(病気で急死)が死後、地上からあの世への体験を述べています。(1966年の交霊会より)

(ビックス霊)
 そのとき私はイスに座って、届いたばかりの新聞を読んでいました。私は少し変な感じがして、メガネをはずしテーブルの上に置きました。それからしばらく静かに考えごとをしていました(実は、彼はこの直後に死んだのである)。
 
時間がたちました。そのとき不思議なことが起こりました。イスに座っている私の姿を私自身が見ているのです。私はイスのそばに立って、自分の姿を眺めていました。テーブルの上には新聞とメガネが見えました。「これは妙なことだ、変だ!」と思いました。私は何がなんだか分かりませんでした。

 それから私は、誰かがドアをノックしているのに気がつきました。私は相変わらずイスに座っている自分自身を眺めながらそこに立っていました。まるで私がドアを叩く音を聞いているようでした。私は部屋の中にいたにもかかわらず、誰がノックしているのかが見えました(※)。それは私の妹でした。名前はメイと言います。彼女は道路に沿って数軒先に住んでいました。
 私はドアを開けようとしましたが、どうしてもできませんでした。「どうしよう、ドアが開けられない!」私はひどく混乱してしまいました。ノックは続きました。私は焦りました。私は夢を見ているんだと思い、「早く目を覚まして妹にドアを開けてやらなければ……」と考えました。しかしどうしてもドアを開けることができませんでした。それから彼女が道を慌てて駆けていくのが見えました。彼女は明らかに動転していました。「いったい、これはどうなっているんだ!」と思いました。

※肉体が無いため、霊視能力が発達したと言えます。

 (略突然、暖炉と壁が私の目の前から消えました(※1)そのときの状況は、私にはこのようにしか説明できません。そして暖炉と壁があった所に美しい野原や木や川が現れました。そのうち何かが遠くの方から近づいてきました。最初、私はそれが何なのか分かりませんでしたが、やがて人間であることが分かりました。何と! それは母でした(※2)昔、部屋の壁に、母の最初の結婚のときの肖像画が掛けられていましたが、そのとき私の目の前に現れた母は、その肖像画のような若い姿をしていました。彼女は幸せそのもののように満面に笑みを浮かべて私の所へ近づいてきました。
「さあ、行きましょう」と母は言いました。
「あなたはここにとどまっていてはいけません。ここにいつまでも座っているのはよくありません。誰もあなたには気がつきませんよ。妹も気がつきません。さあ、私と一緒に行きましょう」
「私には何がなんだか分かりません」

※1)霊的視野が開けて、物質要素が消えたということです。
※2)霊格が高い母が、いろいろ教えようとしてくれているのです。

 (略)眠りから覚めたとき、私は田舎の共同墓地に立っていました。その場の状況が私の心を混乱させました。私は生前、保険に入ってお金を払い続けていました。死んだときには、そのお金でまともな墓地に葬られるとばかり思っていました。しかしそのとき、私の遺体は貧困者と同じ共同墓地に埋められようとしていました。もっといい墓に葬られるためにお金を残してきたのにと思うと、私は腹が立ってきました。私が自分の葬式に行ってみたいと思ったのは、実は自分がいい墓に葬られるのを見たかったからなのです(※3)
 墓地には妹の他に二人の人間がいました。そのうちの一人は私のよく知っている人間で、学校も一緒でした。もう一人は私の全く知らない人間でした。私の棺(ひつぎ)は墓穴に降ろされました。そのとき雨が激しく降ってきました。年老いた牧師は急いで儀式を進めました。その急ぎようといったら、列車に遅れまいとして駆け込む乗客のようでした。妹は私のためにいい墓地を買おうとしてくれなかったことが分かりました。
 そのこと自体は大したことではないかもしれませんが、私をもっといい墓地に葬ってくれるのが物の道理だと思いました。私はそうした考え方で地上人生を過ごしてきたのです。そのために、わずかばかりのお金を残してきたのです(※4)しかし彼女はそのお金を私の墓のために使いませんでした。私は腹が立ち、「この仕返しは必ずしてやる!」(※5)と思いました。

※3)お金や地位、名誉など(地上と)同じ考えを持ち続けたままでいるのです。
※4)ーーー線は、ビックスの人生観。
※5)地上の人間を必要以上に憎んだり、執着した場合(度を超えると)憑依や「たたり」と呼ばれるものになってしまいます。
 
 すると母が言いました。
「やがて彼女もここにやってきます。そのときには、あなたはすでにそんな考え方はしなくなっているでしょう。結局……
「あいつは何というお金のムダ遣いをしてるんだ!」
「あなたがどんな墓地に葬られようと大したことではありません。大切なことは、あなたが今どこにいるのかということです。あなたの残したわずかなお金は彼女の役に立っているでしょう。あなたはそんな考え方をすべきではありません」
「今、お母さんは私の考え方は間違っているとおっしゃいましたが、でも妹は、私が自分の墓地のためにお金を貯めていたということを知っていたのですよ」
「立派な墓であろうがみすぼらしい墓であろうが、それが何だというのですか? また牧師がそそくさと儀式を済ませたからといって、それがどうだというのですか?」
「じゃあ、いったい何が大切なんですか?」
「あなたは現にこちらの世界にいるのではないですかそれですべてじゃないですか」
「たしかに今、私はここにいます。そしてすべてがうまくいって何の問題もありません」
「ではこれ以上、地上のことについてあれこれ悩むのはやめにしましょう。いずれ牧師も妹もここにくれば、自分の人生を見せつけられるようになるのです(500に及ぶあの世からのい現地報告 6、地上の家族・知人への訪問P109~P129)


★サミュエル・フィリップは、生前から立派なスピリチュアリストとして奉仕と信仰と犠牲の人生を歩んできました。その人間性と生き方は、まさにスピリチュアリストの鏡というべきものでした。1862年12月、50歳で世を去りました。
 その彼が、交霊会で死後の世界について詳しく述べています。地上人生を優れたスピリチュアリストとして歩んだ霊性の優れた人間が、死後の直後、どのような体験をするのかを明らかにしてくれています。

(フィリップ霊)
 死は何の苦痛も動揺もなく、まるで眠りのように訪れました。私には、死後の世界への恐れは全くありませんでしたし、地上人生に何の未練もありませんでした。そのお蔭で私は、地上生活で抱えてきた問題に悩まされることはもうなかったのです。肉体と霊体との分離は、何の努力も必要とせず、痛みもなく、無意識のうちに行なわれました。

 私には、この眠りがどのくらい続いたのか分かりませんでしたが、それはほんのわずかな時間でした。私は、これまで味わったことのない喜びに満たされて、穏やかに目覚めました。もはや痛みを感じることもなく、喜びに満ちていました(※1)。私は起き上がって歩こうとしましたが、なぜか力が入らず、動くことができませんでした。どうして動けないのか分からないまま、心地よい状態の中で起き上がれずにいました(※2が、私が地上を離れたということは間違いのない事実でした。自分の身に起こった出来事のすべてが夢のようでした。

※1)穏やかな「死」の自覚。地上の役目を終えたという喜びが伝わってきます。
※2)死の自覚はできたが、霊体の調整ができていないために起こるようです。

 (略)自由になれたことが、本当に嬉しかったのです。私は、あたかも悪臭を放つひどい環境から抜け出した人のように、楽に呼吸をすることができました。筆舌(ひつぜつ=文章や言葉ではとても表現できないこと)に尽くしがたいほどの幸福感が私の心を占め、全身に広がっていきました。
 (略)こうしたことがあったにもかかわらず、私はまだ地上的な思いから完全に開放されたわけではありませんでした。地上で苦しんだあらゆる記憶が、ことあるごとに思い出されたからです。しかし私は自分が置かれている状況の中で、幸せをかみしめ心の底から感謝することができました。
 (略)もし人間が死後の世界の真実を理解できたなら、どれほど素晴らしいことでしょう。そうすれば逆境にあっても、死後の世界のへの確信から、強さと勇気を持つことができるのです。神が、摂理に従順であった子ども(人間)のために用意してくださった幸福を知れば、地上で生活する間はどんな苦しみでも我慢できるものです。死後の世界について何も知らなかった人も、そこでの喜びが分かれば、地上で心を動かされてきた楽しみなど、いかに価値のないものであったかを悟るようになるのです。(アラン・カルデックの霊との対話 天国と地獄Ⅱ 第1章 3、苦難の人生を終えて得た希望)



続く・・・


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4月の読書会に参加して…

2017年05月19日 13時49分06秒 | 日記

 かなり暑い1日でした。読書会の会場もクーラーの準備がまだ整っていないため、室温が高いままの勉強会となりました。ただ、この日は嬉しいことに「イースター」の日と重なりました。スピリチュアリズムの進展具合いが霊界のイエスのところに報告されているはずです。そして、読書会のことや私たちスピリチュアリストのことも伝えられているかもしれません。

 さて今回の読書会では、「死の直後」について学びました。誰もが必ず迎える「死」ではありますが、その本人の霊的目覚めの度合いによって、死後直後の様子(用意されてる背景)が違うことを知りました。「霊界」の存在を信じているかどうかでも大きく変化するというのです。「死の直後」について学べば学ぶほど、地上人生のあいだに「霊的真理」を知ることの重要性を感じるとても大きな時間でした。

 心の恩師である(漫画家)手塚治虫先生が、生前テレビの中で話していたことを思い出しました。「自分が医者をしていたころ、患者の臨終に立ちあうことが多かったです。その時に、あれほど苦しんでいた人が、亡くなる直前ウソのように穏やかな顔になっていきました。皆がみんなです。そのとき思ったのです。もしかしたら、次の世界があるのかもしれない。生まれ変わりがあるのかもしれない…」。私は、幼いころから「火の鳥」を繰り返し読んでいましたから、生まれ変わりがあることは普通のことと思っていました。詳しい内容が分からなくても手塚先生の世界観を純粋に受け入れていました。

 「死」や「死後の世界」を追い求めてきた(この世の)多くの宗教でさえ、結局のところ正しい答えや納得できる答えを見出すことはできませんでした。しかし、手塚先生の言葉を現実のこととして、唯一周りに伝えていける人間がいるとするなら、それは「スピリチュアリスト」だけだと思っています。なぜなら、スピリチュアリストは「死」や「死後の世界」についてのスペシャリスト(専門家)だからです。ネットで勝手に盛り上がっている自称「スピリチュアリスト」の人たちのことではありません。本物の「スピリチュアリスト」とは、シルバーバーチの霊訓(霊的真理)に出会い、その真理と真剣に向き合い、学び、実践しながら「霊的真理」を人生の指針として歩み出している人たちのことです。もちろん、私もその1人として日々努力しているところです。

 また、今すぐ誰かに伝えるチャンスがなかったとしても、ポイントをついて簡潔に語る準備さえできていれば、(いずれチャンスが訪れたときこそ)相手の魂に真実が伝わるときだと思っています。1人でも多くの人の心に正しい霊的知識が伝わっていくことは、本人の生き方が変わるだけではなく、霊界の人たちの負担を減らすことにも繋がります。同じ地上人として生まれた兄弟姉妹なのですから、共に歩んでいけたら最高の幸せだと思っています。


      スピリチュアリズムの思想体系【1】(時間軸)
          「死の直後」

(1)死の直後(死から幽界まで)の全体図
                    ↗ 混乱状態………………………… 〈1〉
死の瞬間→死の眠り→死の眠りからの目覚め→死を頑なに否定→地縛霊……〈2〉
                    ↘ 死に気が付く(死の自覚)…〈3〉

   〈1〉大半の地上人(霊的無知な一般人)……死の自覚(×)(※1)
   〈2〉唯物論者や間違った宗教の狂信者………死の自覚(××)(※2)
   〈3〉生前から霊的知識を知っている人(スピリチュアリスト)……死の自覚(〇)(※3)

※死の直後から「幽界(霊界のことですが、地上に一番近い場所)」に入るまでのプロセスは、どの人もほぼ同じですが、「幽界」にたどり着くまでの時間は個人差があります。

※死の瞬間(死ぬとき、またはシルバーコードが切れる瞬間のこと。半睡眠状態で苦しくはない。地上では残念ながら脳死=死であると医者が判定してしまう)→死の眠り→死の眠りからの目覚め(一人ひとり眠る期間が違う。霊的知識があると、人によっては直ぐに目覚める)→死を頑(かたく)なに否定(自分が死んでいないと思っている状態が長い)

※1)大半の地上人は(霊界から見て)、霊的なことをなにも知らないため「死」の自覚ができずにいます。
※2)死後、合図があるまで墓の前で待たなければならないなど、「魂」に染み込んでしまっている宗教の狂信者、または自分が死んだと自覚しているのに宗教の教えをひたすら守っている人。
※3)霊界の生活を直ぐにスタートできる。

〈1〉大半の地上人(霊的無知な一般人)

混乱状態→調整期間(休憩所での眠り)→死の自覚(霊的覚醒)→他界者の出迎え→再び調整期間→幽界へ

※ ↑ 個人差がありますが、大まかな流れです。混乱状態(自分の死体や家族の泣く姿を見て声をかける。肉体が無いことに気づかず、訳が分からず混乱している)→調整期間(霊体で生きていくための身体の調整が、病院内で行われる)→肉体が無いことに気づき、霊的覚醒によって霊視能力が開ける。そこでやっと、霊界の様子や出迎えの人たちの姿が見えるようになる。出迎えの人たちは、本当は調整期間から付き添っているのですが、肉体の目でいるため見えずにいた)→再び調整期間(ここでは意識の調整がなされる)

〈2〉唯物論者や間違った宗教の狂信者

死を頑(かたく)なに否定→地上生活の継続・地縛霊同士が集まって悪事を働く(※1)→心の痛み・苦しみ(摂理)と反省→調整期間(長い眠り)→死の自覚(霊的覚醒)→幽界

※1)地縛霊が集まる場所には、地上のような協会が存在し讃美歌も歌われている。「地獄」という特別な場所があるわけではないが、地縛霊が集まる=地獄のような場所になっている。

※地縛霊同士が集まり悪事(憑依)を働き続けたとしても、摂理に反している行いにはいずれ終わりがくるもの。摂理により、心の痛みと苦しみがやってきます。そして内省や反省の気持ちが起きます(地獄から脱出する一歩)。その後は再び調整期間として何十年~何百年もの長い眠りに入るのです。その長い調整期間を経ると少し生まれ変わり「死の自覚」が生まれます。悪事を働いてきたことへの償い(カルマ清算)をしてから、「幽界」へ向かうことになります。

〈3〉生前から霊的知識を知っている人(スピリチュアリスト)

死に気が付く(死の自覚)→他界者との再会→幽界へ行くか、短い調整期間を経て幽界へ

※「死」に対する知識を持っているので、理解が早く、霊視能力が直ぐに発揮できるため、亡くなった人や霊界の人たちの姿をハッキリ認識でき感動的な再会ができると言われています。


(2)死後の出来事

●一人一人の霊的内容によって、死後のプロセスはさまざま
〈大半の一般人の共通の体験〉
 ①死の瞬間…シルバーコードが切れる
       死の眠りに陥る
       本人には苦しみがない(全身麻酔をかけられたような状態)

※こちらから(私たち)見ると、最後まで苦しいのではないかと胸が痛みますが、実際はそうではありません。

シルバーコードの切断

 シルバーコードは、ハサミやナイフで切るように、スパッと切れるわけではありません。普通は伸びたり縮んだりしながら、徐々に細くなって切れていきます。シルバーコードが切れるときは、大半の人は意識を失い深い眠りの状態に入ります。全身麻酔をかけられたような状態と考えたらよいでしょう。

 シルバーコードが切れる際には、霊界の霊たちその多くが、地上時代に本人と深い関係にあった家族や知人など)がコードを切り離す手伝いをします。もし、そうした人々の手に負えないようなときには、霊界にいる専門の医師が立ち会って手助けをすることになります。

 実は死者の霊体を肉体から離れさせるには、かなりの技術が必要とされます。霊体と肉体との間には、クモの巣のようなネットワークが張りめぐらされています。2本の太いシルバーコードは、その中で特別なものです。それらを穏やかに切断してあげないといけないのです。病死の場合であれば、時間をかけて1本ずつ切り離していくことになります。急激に切断すると地上人の霊的意識にショックを与えるようになり、その後の幽界での生活に、わずかですが障害をもたらすことになるからです。

死の眠り

 霊体と肉体を結んでいたシルバーコードが切れる瞬間は、本人は半睡眠状態で、ほとんど意識を失っています。これが「死の眠り」です。死に際しての苦悶の表情や身もだえの様子を見るのは、死を看取る地上人にはとても辛く、いたたまれない気持になりますが、当の本人は何の苦しみも痛みも感じていないのが普通です。

 傍(はた)からは、死にかけている人の顔が苦痛に歪んでいるように見えても、もうこの時点では本人には全く苦痛はありません。苦しいのは意識を失う前であって、死ぬ時ではないのです。昔からよく“死に顔が悪いと地獄へ行く”といったようなことが言われてきましたが、これは単なる迷信であって事実ではありません。ニューズレター39号 P3~4)

一般的には、地上から霊界への移行に困難はともないません。大抵の人間は、死の瞬間を無意識状態で迎えるからです。シルバーバーチの教え 上・P189 6行目~8行目)

②死の眠りからの目覚め

  ・地上の人間や自分の遺体が見えたりする
  ・すでに他界した知人がぼんやり見えることもある(※)
  ・さまざまな変化に驚き混乱し、死んだことに気が付かない…〈1〉〈2〉の人
  ・霊的知識を知っていた人は、眼ざめとともに自分の死を自覚する…〈3〉の人

※霊視能力が全開ではないため、ぼんやりとしか見えません。

死の眠りからの目覚めと混乱

 シルバーコードが切れると、霊体だけになった人間は、いよいよ地上を離れ霊界(幽界)に入ることになります。その際、人の心がさまざまであるように、死んで霊界に入るまでのプロセスも一人一人異なります。ここでは、ごく普通の“善人”と言われる人の死の直後の様子を見ていきます。

 深い眠りに落ちた後、シルバーコードが完全に切れて霊体と肉体が分離すると、やがて本人は麻酔から醒めるように目を覚まします。目覚めるまでの時間は、人によって異なります。いつまでも目覚めることなく暗黒の境涯に堕ちていく者がいる一方で、反対にほとんど眠りのプロセスなくして霊界入りする人もいます)

自分の遺体と泣き悲しむ人々を見る

 
死の眠りから目覚めると、ある人はぼんやりした意識の中で、自分とそっくりの人間がベッドに横たわっているのが見えます。人によっては、あまりにも自分に似ている人間を見て驚きます。さらに不思議なことに、先程まで自分の病室に集まり、最後の別れをしたはずの家族や親戚の人たちの泣いている姿が見えます。

 そこで「私はここにいるよ!」と大きな声で叫ぶのですが、その声はいっこうに伝わりません。それでその人たちの肩を叩いたりするのですが、全く気がついてくれません。周りの人たちは皆、自分がそこにいることが分からないのです。

死の自覚の芽生え

 大半の人間はこうした状況に非常に戸惑い、不安に駆られ、混乱するようになります。自分を取り巻く様子に大きな不安を抱き、動揺するようになります。「自分の頭がおかしくなったのではないか?夢を見ているのではないか?」と混乱状態に陥るのが普通です。ニューズレター39号 P4)

死後のことで、ぜひとも知っておいていただきたいのは、肉体を捨ててこちらの世界――生命の別の側面、いわゆる霊の世界へ来てみると、初めのうちは戸惑いを感じます。思いも寄らないことばかりだからです。そこで、しばらくは地上世界のことに心が引き戻されます。愛情も、意識も、記憶も、連想も、すべてが地上生活とつながっているからです。そこで、懐かしい場所をうろつきますが、何に触っても感触がなく、誰に話しかけても――我が家でも会社でも事務所でも――みんな知らん顔をしているので、一体どうなったのだろうと困惑します。自分が“死んだ”ことに気づかないからです。しかし、いつまでもその状態が続くわけではありません。やがて霊的感覚が芽生えるにつれて、実在への自覚が目覚めてまいります。福音 P34 10行目~P35 2行目)

ーーー死後の生命を信じず、死ねば終わりだと思っている人はどうなりますか。

 死のうにも死ねないのですから、結局は目覚めてから死後の世界の事実に直面することになります。目覚めるまでにどのくらい時間がかかるかは、魂の進化の程度によって違います。すなわち霊性がどれだけ発達しているか、新しい環境にどこまで順応できるかにかかっています。シルバーバーチの教え 上・P188 後1行目~P189 4行目)

③調整期間

  ・死後の最初の調整は、休息所での眠りを通してなされる(※1)
  ・地上的雰囲気から隔離し、霊的雰囲気・霊的大気になじませていく(※2)
  ・霊体を霊的世界に適応させ、霊的意識を目覚めさせることが目的
  ・死を自覚したあとにも、人によっては再調整が必要となることもある(※3)
   その際も、休息所で眠りの時を過ごす
   この時、多くの人が地上人生を振り返ることになる(死後の審判)(※4)

※1)霊的知識が無い人に、まず肉体がないことを分からせることからスタート。
※2)少しでも早く、霊体で生きていくことを自覚させなければなりません。
※3)まだ(いろいろな意味で)自覚に至ってない人。
※4)自分の地上人生の内容を、すべて自分で見る→自ら裁く→それが死の自覚に繋がる。

幽界での休息所

(略)死んで間もない新参者は、いまだ地上の波動を持ち続け、すぐに霊界になじむことができません。そのため休息所で、自分の身体や精神を霊界に適応させるための調整が行われることになるのです。その間に、霊体にまとわり付くように残っていた「幽質接合体」の残滓(ざんし)は脱ぎ捨てられ、霊体(幽体)だけの存在になっていきます。

 もちろん自分の死をすぐに自覚できるような人、あるいは生前から死後の世界の存在を知り地上にいながら霊的な歩みをしてきた人の場合は死後、休息所での意識と身体の調整は必要ありません。

4、幽界での審判

地上時代のすべての体験・行為が、眼前に示される

 休息場所ではこうした適応プロセスが進行する一方、半醒半睡(はんせいはんすい)の状態(まどろむような状態)の中で、地上時代の自分の歩みを回顧することになります。自分の目の前に、地上時代のさまざまな出来事が、映画のスクリーンのように展開していきます。その中にはすでに忘れていた出来事も含まれています。地上でなした行為が洗いざらい示され、より高い指導霊のインスピレーションの影響を受けながら見つめ、地上時代のすべての行為を自ら査定することになるのです。

 これが「幽界での審判」と言われているものの実際です。ニューズレター39号 P6)

④死の自覚と霊的覚醒
  
  ・自分が死んだことを自覚(認識)
     ↓
地上を卒業して霊界に入ったこと、霊界の住人になったことを受け入れるようになる
     ↓
   霊的意識の目覚め(霊的意識の覚醒)が起こる

迎えの霊たちとの喜びの対面

感激的な対面

 死の自覚が芽生え始めると、すでに他界している親族や兄弟・知人が目の前に現れるようになります。実はこうした親族たちは、死に際してずっと付き添い、新しく霊界入りするための手伝いをしてくれていたのです。本人に死の自覚が生まれると「霊的視野」が開け、周りにいた人々の姿が見えるようになるのです。
 
死後、自分が死んだことに気がつくと、喜びの時が訪れます。すでに亡くなっている人たち、自分と親しかった人たちが大勢集まり、自分の霊界入りを心から歓迎してくれる「最も感激的な再会の体験」をすることになります。

霊界にいる霊たちは、地上人の死を正確にキャッチ

 霊界では地上の縁者・知人の死は、正確に知られるようになっています。死の時が近づくと、地上人を迎えに幽界まで降りることになります。

迎えの霊たちは、生前の姿をとって現われる

 霊たちは一時的に、どのような姿形(すがたかたち)をとることもできます。それによって新たに霊界入りした者に身元を知らせることができるようになります。地上で幼くして亡くなり、親よりも先に霊界に入った子どもは、その母親が霊界にきた時には、一時的にかつての子どもの姿で現れます。母親はそれによって間違いなく、我が子を認識することができるようになります。このため霊界での再会においては、何の問題も生じません。ニューズレター39号 P5)

⑤他界者との再会と喜び
  ・死を自覚→霊的意識が覚醒→霊的視野(霊能能力)が開ける(霊眼)→すでに他界している家族や知人が現われる(出迎えを受ける)→再会の喜びと感激→幽界へ(新しい生活の始まり)

魂に意識がある場合(霊性が発達している人の場合)は、霊的身体が徐々に肉体から抜け出るのが分かります。すると霊的な目が開き、自分を迎えに来てくれた人たちの姿が見えます。そしてすぐに新しい生活が始まります。教え 上・P195 2行目~4行目)

ーーー霊界では、幼くして他界した我が子がすぐに分かるものでしょうか。

 分かります。親が我が子だと分かるように、子どもの姿を装って見せてくれるからです。子どもの方はずっと両親の地上生活を見ていますから様子がよく分かっており、親が他界したときには真っ先に迎えに来てくれます。教え 上・P199 後1行目~P200 3行目)


(3)睡眠中に行われている他界後のリハーサル(神の配慮)

 ・すべての地上人が、睡眠中に幽体離脱をして、幽界でさまざまな体験をしている
 ・生前から死後の生活のリハーサルをすることで、死後のショックが和らげられるようになっている
 ・睡眠中の霊界探訪の体験は忘れてしまうが、死後、肉体がなくなると、睡眠中のすべての体験を思い出すようになる

※これらのことは、シルバーバーチが初めて地上に伝えてくれた内容。人間は「肉体を持った霊的存在」であり、肉体を持って地上を生きるということは、ある意味「特殊」なことです。

ある日の交霊会でシルバーバーチは、その日の出席者に睡眠中のことに言及して、人間は地上にいる時からしばしば霊界を訪れている話をして――

「そうでないと、いよいよこちらへ来て本当の意味での“生きる活動”を開始すべき霊にとって、霊界の環境がショックを与えることになりかねないのです」


「では、私たちが死んでそちらへ行くと、地上で睡眠中に訪れた時の体験をみな思い出すのでしょうか」

「もちろんです。なぜかと言えば、その時点であなたは肉体の制約から解放されて、睡眠中にほぐされていた霊的意識を発揮できるようになっているからです。その新たな自我の表現活動の中で睡眠中の全記憶、睡眠中の全体験の記憶が甦ってきます」道しるべ P19 7行目~P20 3行目)

続いて出された質問は、そうした睡眠中の体験はただ単に死後への準備なのか、それとも為すべき仕事があってそれに従事しに行く人もいるのか、というものだった。

シルバーバーチが答える――

「仕事をしに来る人もいます。睡眠状態において背後霊団の仕事にとって役立つ人がいるのです。(たとえば暗黒界へ降りて幽体で霊媒の役をすることがある)しかし、ふつうは死後への準備です。物質界での生活のあとから始まる仕事にとって役に立つような勉強をするために、あちらこちらへ連れて行かれているのです。そうしておかないと、いきなり次元の異なる生活形態の場へ来た時のショックが大きくて、その回復に相当な時間を要することになります。
道しるべ P22 8行目~P23 4行目)


(4)死後のケア

 ・他界者(新参者)の多くが混乱したり、地縛霊になって悪事を働いたりして、霊的進歩の道を歩めなくなっている
 ・霊界にいる先輩霊が新参者のケアをして(治療※1・休息を与える・指導や教育※2)、霊界人の一員としての道を歩ませるために働きかける
 ・本来は不要なこと(※3)だが、利他愛から出た救済活動として行っている

※1)肉体の傷が、霊体にまで及んでるときは「霊体の治療」が行われます。
※2)地上で生きているあいだにも、インスピレーションを送って指導や教育はなされますが、亡くなってからもいろいろ働きかけてくれます。
※3)本来は(自分で)自分の死を自覚していければいいのですが、霊的無知なためどうしても高級霊の手助けが必要となります。

★「もちろんです。大きな違いがあります。もしも地上の人間のすべてが正しい知識をもち、自然な生き方をすれば――もしもですよ――そうすれば、死に方があっさりとして、少しも苦痛を伴わなくなります。そして、死後の霊的身体を調節する必要もないでしょう。ところが残念なことに、実際はそんなにうまく行っておりません。

地上を去って霊界へ来る人のほとんどが、自分がこれからどうなるのか、自分というのは一体どのように出来あがっているのか、霊的な実在とはどんなものかについて、恐ろしいほど無知なのです。その上、地上で十分な成長をしないうちにこちらへ来る人が、それはそれは多いのです。

そういう人は、わたしがたびたび言っておりますように、熟さないうちにモギ取られた果物のようなものです。ルースちゃんも知っているとおり、そんな果物はおいしくありませんね? 果物は熟せばひとりでに落ちるものなのです。霊が十分に成熟すると、自然に肉体から離れるのです。今わたしのいる世界へ、渋い果物や酸っぱい果物がぞくぞくと送り込まれております。

そのため、そういう人たちをこちらで面倒をみたり、監視したり、手当てをしたり、看護をしたりして、霊界に適応させてあげないといけないのです。みんなが、ちゃんとした知識をもって来てくれれば、わたしのように地上の人間の面倒をみている者は、とても手間がはぶけて助かるのですけどね」福音 P76 2行目~P77 3行目)


(5)霊的真理を知ることの重要性

 ・霊的真理を知っているかどうかが、「死の自覚」に決定的な影響をもたらす(※1)
 ・霊的真理を知っている人…自分の死をすぐに自覚して次のプロセスに進んでいく
 ・霊的真理を知らない人……死を自覚するまでに遠回り(※2)をしなければならない

※1)真理を知って「死」を自覚することが何より大事です。しかし「死」を自覚できない普通の人が死後、混乱したり地縛霊にならないためにも、「睡眠」がとても役立っていると言えます。
※2)地縛霊で何百年も無駄に過ごすこともあります。気をつけたいものです。

★「死後の目覚めは理解力が芽生えたときに起こります。霊的知識があれば目覚めはずっと早くなります。その意味でも私たちは、無知と誤解と迷信、間違った教義と神学をなくすために戦わなければなりません。それらは、死後の目覚めの妨げになるからです」教え 上 P188 2行目~6行目)

 ・間違った宗教の教えに洗脳され、それが魂にまで染みついた人は、死の事実が受け入れない。真でも生きてると思い込み、狂信の中で地上と同じ生活を続けることになる。霊的意識が目覚めるまで、狂信的な地縛霊として過ごすようになる。(※)

※『宗教の全体像』でも学習しましたが、宗教というものは真剣にやればやるほど、魂の奥深く染みつき「死後」にまで持ち越してしまうほどやっかいな問題です。シルバーバーチがキリスト教に対して徹底的に攻撃するのは、間違った宗教のせいで死んだあとも大変な影響を本人や霊界に及ぼすからです。これほどの悲劇はありません。

★「霊界から見る地上は、無知の程度がひどすぎます。その無知が生み出す悪弊には、見るに耐えないものがあります。それが地上の悲劇に反映しておりますが、実はそれが、ひいては霊界の悲劇にも反映しているのです。地上の宗教家は、死の関門をくぐった信者は、魔法のように突如として、言葉ではつくせないほどの喜悦に満ちた輝ける存在となって、一切の悩みと心配と不安から解放されるかに説いていますが、それは間違いです。真相とはほど遠い話です。

死んで霊界へ来た人は――初期の段階にかぎっての話ですが――地上にいた時と少しも変わりません。肉体を捨てた――ただそれだけのことです。個性は少しも変わっていません。性格はまったくいっしょです。習性も特質も性癖も個性も、地上時代そのままです。利己的だった人は、相変わらず利己的です。どん欲だった人は、相変わらずどん欲です。無知だった人は、相変わらず無知のままです。悩みを抱いていた人は、相変わらず悩んでおります。少なくとも霊的覚醒が起きるまでは、そうです」福音 P188 10行目~P189 6行目)

 ・霊界下層に地縛霊が存在することは、霊界人にとっても悲劇

■生前から正しい霊的知識を知っておくことは、死後、地縛霊にならないための最善の方法
■死後についての霊的知識は、地上人が持つべき最も重要な知識であり常識。
  霊的知識の無い人の死後は、突然、見知らぬ海外に一人で放り出されたのと同じ

※本当の終活(終末活動の略)とは…お墓や遺言書を用意することではなく、霊的知識を身につけることだと言えます。また、たくさんの宗教の本を読むより、シルバーバーチの「霊的真理」の本を読む方がいいのです。できるだけ地上にいるうち、また幼いうちに「真理」に出会うことができたなら本当に充実した地上人生を歩むことができるのです。

※「真理」の身近な伝道とは…少しの言葉で「死」や「死後の世界がある」ことを伝えられたら、それだけで十分素晴らしいことだと言えます。

★「あらかじめ霊的知識をたずさえておけば、死後への適応がラクにできるのです。何も知らない人は適応力がつくまでに長期間の睡眠と休息が必要となります。知識があればすんなりと霊界入りして、しかも意識がしっかりとしています。要するに死後の目覚めは暗い部屋から太陽のさんさんと照る戸外へ出た時と似ていると思えばよろしい。光のまぶしさに慣れる必要があるわけです。

霊的なことを何も知らない人は死という過渡的現象の期間が長びいて、なかなか意識がもどりません。さしずめ地上の赤ん坊のような状態です。ハイハイしながらの行動しかできません。睡眠中に訪れた時の記憶は一応思い出すのですが、それがちょうど夢を思い出すのと同じように、おぼろげなのです」道しるべ P23 5行目~後4行目)



※参考資料;スピリチュアリズム普及会発行『ニューズレター39号、シルバーバーチの教え(上)、スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ、地上人類への最高の福音』

※なお、これらの引用にあたっては、スピリチュアリズム普及会の許可を得ています。


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3月の読書会に参加して…Vol.2

2017年03月30日 06時17分43秒 | 日記

続き…

        「シルバーバーチの人生観」の抜粋

※2月の読書会で学んだ「シルバーバーチの人生観のポイント」①~⑨のそれぞれの抜粋

①地上人生の正しい位置づけ

「忘れないでいただきたいのは、地上生活は永遠の生命活動の中のホンの一かけらにすぎないということです。ただの影を実在と思い違いをなさらないようにしてください」(道しるべ P99 後3行目~後2行目)

※いつでも、こういう視点(霊的視点)で見ることが大切なのです。

・「物的身体に宿っている皆さんはどうしても地上生活のことだけを念頭におかれます。わたしたち地上を去った者は皆さんの永遠の生命を念頭に置いて、それをホンの一時期のものとして位置づけます」(道しるべ P138 後3行目~後1行目)

②地上人生の目的

・「人生の目的はいたって単純です。霊の世界から物質の世界へ来て、再び霊の世界へ戻った時にあなたを待ち受けている仕事と楽しみを享受(きょうじゅ)する資格を身につけるために、さまざまな体験を積むということです」(潮文社(1)P45 3~5行目)

・「地上という物質の世界での生活を通じて魂を成長させ発達させて、死後に始まる本来の霊の世界における生活に備えているのです」(スピリチュアルメッセージ P172 後3行目~後1行目)

③霊界に持っていけるのは霊的・精神的なものだけ

私たちの世界では名前は何の意味もありません。地上時代の名声は何の価値もありません。魂の価値は地上時代の肩書ではなく、何を為したかによって自らを裁き、それが現在の個性を形成しているのです。霊界の唯一のパスポートは魂の発達程度です」(潮文社(10)P94 後5~後3行目)

・「階級・肩書・職業・肌の色ーーこんなものが大霊を前にして何の意味がありましょう。真に誇れるもの、真の気高さは魂にかかわるもの、霊にかかわるもの、精神にかかわるものです。それこそが永遠の実在なのです」(道しるべ P99 1行目~3行目)

④地上人生における最重要事項は「霊的成長」

・「賢明な人とは、すべての体験を魂の成長にとって有益となるように受け止める人、試練にしりごみせず、誘惑に負けることなく、困難に正面から立ち向かう人です」(道しるべ P93 10行目~12行目)

※賢明なひと = 真理を知って、実践する人のこと。

・「霊の優位性の自覚にもとづく修養的(霊主肉従)生活ーーこれが最高の生き方です。既成のテキストはいりません。魂の成長ということだけを心がければいいのです」(最高の福音 P243 後4行目~後3行目)

※霊的真理普及は最高の利他愛の実践

・「知識というのは自分のものとして取っておくためではなく、他人に分けてあげるために与えられるのです。他人に分けてあげることによって、さらに知識の泉に近づくのです。知識は他人にあげることによって減るものではありません。反対に増えるのです。霊的知識を分け与えれば、それだけ霊性が豊かになるのです」(道しるべ P134 後1行目~P135 3行目)

・「どうかあなたも、地上世界を毒している諸悪の駆逐(くちく)のために、わたしたちの味方になってください。わたしたちの新たな道具として、一命を捧げていただけませんか。あなたの行為によってたった一つの魂でも救うことができれば、それだけであなたの人生は無駄でなかったことになります」(最高の福音 P55 後3行目~P56 1行目)

⑤霊的成長は、「霊主肉従」「利他愛の実践」「さまざまな苦しみの体験」を通してなされる

◆霊主肉従

・「精神的にも霊的にも自己を厳しく修養し、生活のすべての側面を折り目正しく規制し、自分は本来は霊であるという意識をもって、行動のすべてに霊の優位性を反映させなさい、と。霊の優位性の自覚にもとづく修養的生活ーーーこれが最高の生き方です」(最高の福音 P243 7行目~10行目)

※肉を食べなければ、それで良いということではありません。食欲・考え・言動を(霊的に)優位に持っていく、考えるということが大事なのです。

◆利他愛の実践

・「自分を忘れ、人を思いやる生活を送れば、霊性が発達します。そういうように摂理ができ上がっているのであり、そこに例外はありません」(最高の福音 P29 4行目~6行目)

◆さまざまな苦しみの体験

・「人間の生活に過ちはつきものです。その過ちを改めることによって魂が成長するのです。苦難や障害に立ち向かった者が、気楽な人生を送っている者よりも大きく力強く成長していくということは、それこそ真の意味でのご利益(ごりやく)と言わねばなりません」(潮文社(1)P56 後1行目~P57 2行目)

・「私は地上の同志の方に気楽な人生、何の障害もない人生をお約束することは絶対にできません。私から言えることは、障害も困難もその一つ一つが挑戦すべき目標だということです。一つ克服するごとに、あなたは霊的に成長するのです」(潮文社(10)P118 後5行目~後3行目)

・「問題は、人間の多くが、自分が今置かれている境遇に不満をかこつばかりで、過去の生活を冷静に振り返り、不満に思える現在の境遇から一歩離れて冷静に反省すれば、この世はすべて闇だ、イヤなことばかりだと思えたその時期こそ、霊的に最も大きく成長していたことが分かるということを、なかなか悟ってくれないことです」(最高の福音 P51 5行目~8行目)

⑥地上世界は、苦しみや困難の体験を通して霊的成長が促される世界

・「魂は辛い体験、試練、苦難のるつぼの中で真の自我に目覚め、純化(じゅんか)され、強化されて、より大きな人生の目的と意義を理解する素地(そじ)が培(つちか)われるのです」(道しるべ P50 後3行目~後2行目)

・「価値あるものは苦難と悲哀なくしては成就(じょうじゅ)しません。その教訓を地上人は体験という唯一の方法によって学ばなければなりません」(シルバーバーチの教え(上)P44 後6行目~後5行目)

・「痛みも苦しみもない人生、辛苦(しんく)も悲哀もない人生、常に日向(ひなた)を歩き、日陰というものが人生を送る人は、地上には一人もいません。少なくともわたしは、そういう人を知りません」(最高の福音 P49 4行目~6行目)

※苦しいときは、(どうしても)自分だけが苦しいと思ってしまいがちですが、決してそのようなことはありません。

・「苦しむことを知らない人がいるーーーそれはどなたがおっしゃったのでしょうか。苦しみというものは必ずしも第三者の目に見える外面的なものばかりとはかぎりません。心が、精神が、魂が、その内奥(ないおう)で感じるのが本当の苦しみです。人間生活を日常のうわべの現象だけで判断してはなりません。それをどう受け止めていくかは、魂の問題です」(最高の福音 P49 後3行目~P50 2行目)

⑦地上に誕生する前から、自分で自分の人生を選んでいる

・「地上に生を享(う)ける時、地上で何を為すべきかは魂自身はちゃんと自覚しております。何も知らずに誕生してくるのではありません。自分にとって必要な向上進化を促進するにはこういう環境でこういう身体に宿るのが最も効果的であると判断して、魂自らが選ぶのです。ただ、実際に肉体に宿ってしまうと、その肉体の鈍重さのために誕生前の自覚が魂の奥に潜んだまま、通常意識に上がって来ないだけの話です」(潮文社(1)P38 1行目~5行目)

⑧すべての人間に一人の守護霊がついている

・「母体内での受胎の瞬間から、あるいはそれ以前から、その人間の守護の任に当る霊が付きます。そして、その人間の死の瞬間まで、与えられた責任と義務の遂行に最善を尽くします」(潮文社(1)P179 2行目~4行目)

・「いついかなる時も、あなたの身のまわりには見えざる存在がいてあなたを導き、守護し、あなたの存在価値を最大限に発揮させるべく働きかけているということです。一人ぽっちでいることは決してありません。見捨てられることは絶対にありません。いついかなる時も愛のマントに包まれております」(最高の福音 P40 5行目~8行目)

⑨死後、自分の人生を振り返り、自分で地上人生の評価をする

・「自分が犯した過ちは自分で改めないといけません。自分が送った間違った人生の代償を払わないといけないのです。永遠なる公正のもとにおいて、ありとあらゆる勘定が清算させられます。この摂理から逃れられる人は一人もいません」(スピリチュアルメッセージ P65 後4行目~後2行目)

・「そのうちあなたにも、肉体の束縛から解放されて物的な曇りのない目で地上生活を振り返る時がまいります。そうすれば、紆余曲折(うよきょくせつ)した一見とりとめもない出来事の絡み合いの中で、一つ一つがちゃんとした意味をもち、あなたの魂を目覚めさせ、その可能性を引き出させる上で意義があったことを、つぶさに理解なさるはずです」(道しるべ P137 5行目~9行目)

※後悔のない人生を送らないといけません。



※参考資料;スピリチュアリズム普及会発行「スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ」「地上人類への最高の福音」・他

※なお、これらの引用にあたっては『スピリチュアリズム普及会』の許可を得ています。


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3月の読書会に参加して…Vol.1

2017年03月30日 06時14分18秒 | 日記

 18度まで上がると言われていた埼玉の気温でしたが、風が強く終始寒い1日でした。大宮駅では、あふれる人の波をぬって会場へ向かう私ですが、周りの一人ひとりが日々いろいろな葛藤や苦しみの中がんばって生きているんだろうなぁ~と思うと、私たちは皆「霊的兄弟姉妹」なんだという気持ちで胸がいっぱいになります。もっともっと大きな愛を持たなければならないと内省する日々です。

 また、「読書会」に通えることが当たり前になっているこの頃ですが、決して当たり前のことでは無かったと(当時を振り返り)思い出しました。読書会に通い始めた数年前は、さまざまな邪魔が入り苦しめられてきました。特に、幼少の頃からの憑依体質が年齢を追うごとに酷くなっていましたから、人混み・電車が想像以上に辛かったです。しかし、負けたくありませんでした。「憑依体質」「霊媒体質」など目に見えない・精神的なものを言い訳にすることは、自分の体質を容認してしまうようでできませんでした。この体質のせいで、何度も命を奪われるほどの経験をしてきましたから、簡単に言葉にできるほど楽な人生ではありませんでした。それでも、当時の私は「邪魔するなら絶対に許さない!」という強い思いで、読書会に臨んでいました。それが、あるときウソのように憑依体質が消えていたのです。いつから?なのか、気づいた時には消えてしまっていました。

シルバーバーチとの出会いが、そしておそらく私の進むべき道が決まったとき、私の体は(カルマ解消を含め)変わったのだと思います。

 そして、ここに「埼玉シルバーバーチ読書会」のブログを書かせていただくようになって5年半が経ちます。早いものです。最初はブログの文面に試行錯誤しつつも胸をときめかせながら書くことは、次第に生活の一部になっていきました。私のブログは、毎月「読書会」で使用したレジメ・普及会発行の霊訓・HPなどの学習内容をほぼ全文載せています。さらに、よく見かける※印の部分や(カッコ)内の補足は、主催者の言葉ひとつ一つを速記し、出来る限り忠実に載せています。

 読書会の内容を細かく再現することは、主催者の言葉がすべて重要だと思っているからです。実は、どれほど長い間「霊訓」を1人で読んでいても、「霊訓」と真摯に向き合っていても、感動=理解ではないと思っています。確かに1人で読んでいるときは、シルバーバーチの言葉すべてにうなずき、感動し理解できていると思っていました。しかし、読書会に参加して実際に学ぶと、必ずしも文面通りではないことが分かります。頭では理解できていたことでも、補足が加わることで(魂が)シルバーバーチの伝えたかった真の思いや、全体の流れを理解・納得していくのです。霊界の苦労が手に取るように伝わり、自分たち地上人のことを少し上(霊的視点)から見ることができるようになっていきます。実際、私は主催者の言葉で「シルバーバーチ」の見えない思いをくみ取り、自分が何をすべきか少しづつ理解できるようになっていきました。とても大きなことです。なにより「読書会」に通えない人たちに、このブログを通してわずかながらでも「霊界」の思いをお伝えしたいという気持ちがあります。もちろん、自分のための復習にもなっていることは、まぎれもない事実です。

 さて、今回の読書会では「人生観」の続きを学習しました。先月(2月)の読書会では、一般の人(大半の人々)の人生観、唯物論者の人生観、熱心な宗教者の人生観の「特徴」を知ることができ、さらにシルバーバーチ登場以前の”初期”のスピリチュアリズムの人生観、シルバーバーチの人生観の大まかなポイントを学びました。そこから、「地上人生の目的」や「どのように生きることが重要なのか」など知ることができました。そして今回(3月)の読書会では、シルバーバーチが初めて地上に伝えた「人生観=人として地上を生きる上で、最も重な真理」について深く学ぶことができました。



         スピリチュアリズムの思想体系【Ⅰ】
              「人生観」その2

(1)霊的成長至上主義とは
  ・霊的成長が人間にとって最も重要で価値があるという考え方 
  ・シルバーバーチの人生観の土台となる重要な霊的真理
  ・人間に関する3つの霊的真理の一つ

※シルバーバーチは、「霊的成長」という言葉を繰り返し述べています。『霊訓』に、まとまって載っているわけではないのでピンとこないかもしれませんが、シルバーバーチがどんなときでも大切だと訴えているのが「霊的成長至上主義」です。

 *人間に関する(最も大切な)3つの霊的真理(人間観でも学んだ内容)
  ①霊的存在者の真理……人間は大霊の分霊を本質とする霊的存在者である
  ②永遠の存在進化向上の真理
      ……人間の本質である”分霊”は永遠に存在し、しかも永遠に進化し続ける
  ③霊的成長の真理……永遠の進化とは、永遠の霊的成長のこと(=霊的成長至上主義)


(2)シルバーバーチの霊的人生観を貫く「霊的成長至上主義」
 ①「霊的成長」が人間にとって最高に価値あるもの(霊的価値観の絶対基準)(※1)
 ②「霊的成長」が人間の永遠の目的・地上人生の最大の目的
 ③「霊的成長」が人間の価値決定の基準(※2)
   ・霊的成長度(霊格)が霊的存在者である人間の価値を決める
 ④「霊的成長」が地上人生の価値の決定基準
   ・どれだけ霊的成長できたかで、その人の地上人生の価値が決める
   ・霊的成長ができた人生 → 価値ある人生
    霊的成長ができなかった人生 → 価値のない地上人生
 ⑤「霊的成長」が正しい生き方(善悪)の決定基準(※3)
   ・地上人生における”正しい生き方”とは、霊的成長を促(うなが)す生き方(※4)
   ・具体的には、「霊優位の実践」「利他愛の実践」「苦しみの甘受」
    (霊的真理は、霊的成長のための指針・手段にすぎない)
 ⑥「霊的成長」が霊界での階層を決定
   ・霊界は霊性レベルによって界層が形成されている(※5)
    霊的成長レベルに応じて厳密に住み分けがなされている(※6)
   ・地上界は霊的成長している人(霊性の高い人)から霊的成長度の低い人(霊性の低い人・霊的に未熟な人)まで、さまざまな霊的成長レベルの人間が同一平面上で生活している
   ・人間の霊的成長レベルによって、死後の世界(霊界)での界層が決まる

※シルバーバーチの「霊的成長至上主義」は、地上に初めて伝えられた真理でありもっとも大事な内容です。

※1)お金や物が大切なのではありません。それらは、霊的成長をうながすものではないからです。つまり、霊的成長をうながすものか・そうでないものかが善悪の判断基準になります。
※2)人間は皆、「神」からの分霊を宿した価値ある存在です。しかし、その中でも「霊的成長を」をしている人こそ神性がしっかり宿っていると言えるのです。
※3)国レベルでは、法律が善悪を決める基準となっています。ただ、それは国によっても違いますし、時代によっても変化していくものです。真の基準とは、霊的成長をうながすことが「正しい生き方」であり、霊的成長から遠ざかることが「悪」または「間違った生き方」になります。何よりそれは国や時代によって変わったりしません。
※4)いろいろな本を読んでも、そういう内容の講演会を聞いても、決して答えは見つからないものです。
※5)地上は、(人間として初めて誕生した)赤ちゃんの魂から、成熟した大人の魂までさまざまな霊性の人間が「同一平面上」に住むという特殊な空間です。そこでは(人間関係など)多くの葛藤が生まれるため、魂の成長があるのです。
※6)それとは逆に、「霊界」では霊的成長が形になっており、しっかり住み分けされている世界です。住み分けされた世界では、高級霊 → 未熟な魂の霊に愛を与えるのが「利他愛」の形となっています。


続く…


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