「徳」ってお得!?

~何人かの霊能者の先生に「あなたは徳が高いですね」と言われ「徳」について考えてみました。
感じるまま発信してみます!~

第6話 「徳と心と行動」

2010-02-03 02:28:29 | 日記
昨日・・・いや、すでに日付が変わってしまったので正確に言うと一昨日に久しぶりに映画を観てきました。
もっと正確に言うと平成22年2月1日に。

タイトルは「サヨナライツカ」。
ミポリンこと中山美穂さんの主演です。
一瞬の恋が一生の恋に変へと続く、女性の生き方を描写した映画です。

で、感想は・・・

   「伝えようとすることは痛いほど感じるのですが、時系列の描写にやや無理がある・・・かも?」

この手の恋愛映画は(この映画に限らず)かのウイリアム・ワイラー名監督の作品「ローマの休日」を意識して制作されているように思いますが(私の思い過ごし?)、ゆっくりと時間が流れる中にも感動が高ぶっていく「ローマの休日」に対し、「サヨナライツカ」では事件や出来事が多すぎてちょっと描写がついていってない感じがしました。

とは言え、胸の痛くなる映画であった事は否めません。

さて。 次回は何を見ましょうか。 3DのSFも見てみたいな。

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仏教の用語に「下品」「中品」「上品」と言うのがあるのだそうです。
それぞれ「げぼん」「ちゅうぼん」「じょうぼん」と読むのだそうです。

「下品」なんて言うと、現代用語ではいい意味ではありませんよね。
でも徳を積もうとする者にとってとても大切な言葉なのです。

そもそも「上品」と言うのはすでに徳の高い人の行動で、すること思うことの全てが衆生(しゅじょう=世のみなさん)の為であり、自分では「徳」なんてまったく意識していない状態を表すのだそうです。
ここまでくると神様や仏様のレベルですネ。

対して「下品」は「とりあえずよい事をしておけばいい事があるだろう」と言う期待の上に起こす行動であり、結果としてその利益(りやく)の対象は衆生ではなく自分であると言えます。
これが善行の第一歩。 入門編であると言えましょう。
もちろんこれとて悪いことではありません。

最初は自分の為でも、行い(を起こす動機や想い)が積み重なると、やがてその行動の利益の対象は自分から衆生へと変わっていきます。
そうなると「中品」の域に達するわけです。
「中品」は基本的に想いの中心は衆生にありますが、それでもなお自己がチラホラ見え隠れする状況だそうです。
かなり徳を積まれた人がこの「中品」のレベルであると言えましょう。

「下品」レベルの善行と徳の大小について具体的に例を挙げてみましょう。
但し「大小」とは言え、徳には形も大きさもありませんから大小は測れません。
表す数値は単なるイメージや目安とお考え下さい。

これから説明する事は、該当する方にとっては悪口のように感じられるかも知れませんが、当事者をどうこう言うものではありません。
徳を理解されるために辛抱してお読みになられて下さい。

  【例】
   (1) 道に落ちているタバコを拾う ・・・ +3徳
   (2) 吸ったタバコを持ち帰る ・・・ ±0徳~+1徳
   (3) 吸ったタバコを道端に捨てる ・・・ -3徳

    どれもよくあるケースですが、この場合、落ちているタバコを拾うのは「環境や他の人に対する配慮」から起こす行動であると言えます。
    いつも拾っている人にとっては「当たり前」となっている行動で、この場合には得られる徳は+1くらいでしょうか。

    タバコを持ち帰る心理にも2つのケースがあり、「世間体(人目)があるから」と「吸いがらを拾う事に関し人の手を煩わせたくない」と言ったことが動機でしょう。
    前者は全く他人に対する配慮がなく、つまり徳を得る心に達していないと言えましょう。
    後者は他人の労を意識しているのでいくばくかは徳を得る対象になりそうです。

    3つめのタバコを道端に捨てるパターンですが、これは他人の労力や迷惑を考慮していないのでマイナスに相当すると言えるのですが、無意識に捨てたり、捨てることによる周囲への影響に気づかない場合には±0となります。
    なぜならばその段階では人の苦労の上に自分の快楽(快適)が存在する事に「気づいていない」からであり、「分からない=徳の対象とはならない」からなのです。

    ところが悪いと分かっていてついついやってしまう場合には明らかにマイナスです。
    自分では気付かずにしてしまう行為。その時点では「想い」の観点から善悪の区別はありません。
    誰かにそれを注意され気づいた時がスタートです。
    気付いた時に改めるか、分っててやってしまうかで徳の増減が決まるのです。

このように日常のちょっとしたことにも徳の損益がついてまわります。
よく言われる「マナー」とは、自分では気づかぬ行為に関する周囲への迷惑を注意喚起するもので、それこそが徳を失わないようにするための指標なのです。
言い換えれば「マナーを守っていれば徳の損失は防げる」と言う事ですね。

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