「徳」ってお得!?

~何人かの霊能者の先生に「あなたは徳が高いですね」と言われ「徳」について考えてみました。
感じるまま発信してみます!~

第18話 「運がよかったと思ってあきらめるべし!」

2010-05-17 14:42:28 | 日記
 3月の末に第17話を投稿してから1ヶ月半もの間、投稿を休んでおりました。
 環境が変わり、公私に渡って用事が重なったのがその理由ですが、今もあまり状況に変化ありません。
 しかしながら、そんな間にもいろいろな不思議な事(スピリチュアルな出来事)が起こりました。

 たくさんあるので追々少しずつ紹介しますが、とっておきのトピックは「ポルターガイスト現象に遭遇」でした。

  兵庫県内にお住まいのHさんのご依頼で怪我の多い中学生のお子さんを霊視、除霊した時にいくつかの霊が私に憑いたようです。
  その後しばらく穏やかに収まっていたのですが、10日ほどしてまた当のお子さんが怪我をされたので今度は別の霊能者さん(?)に視てもらったところ成人男性の霊、動物霊や「餓鬼」が何体も憑いていたとの事でした。

     餓鬼・・・生前の悪行のために餓鬼道に落ち、いつも飢えと渇きに苦しむ亡者。

   大人の人が子供に向かって「このガキが!」と罵る様を見かける事がありますが、その「ガキ」の由来です。
   子供たちの無遠慮でがつがつしてあさましい様が「餓鬼」の様だと比喩したのが始まりなのでしょう。

   ところで「餓鬼」は実在します。
   想像上のものではありません。 
   でも本人(本霊?)は自分の事を「餓鬼」とは認識してないと思いますが・・・
   そういった状況にある浮遊霊を我々が「餓鬼」と呼んでいるのだと思います。

 で、ポルターガイストの話の続きです。
 Hさんから「餓鬼」の事を聞いた私はさっそく施餓鬼供養をする事にしました。
 まぁ、線香とろうそくを立て、お供えのお菓子をあげて経を上げるだけの簡単なものです。

 施餓鬼供養が終わろうとした時にお客さんから電話が入り、出ていかねばならなくなりました。
 線香がまだ燃え尽きずに残っていたのでそのまま外出するのは少々気がかりだったのですが、戻ってみると何事もありませんでした。
 施餓鬼供養が終わったと判断した私はお供えを食べました。

 ・・・これが悪かった。 (^^;

 次に外出をして戻ってみるとなんと!!!!

 棚に置いてあった食器の水切りケース(プラスチック製)がものの見事に落下して、食器の類が土間に散乱していました。
 棚とケースの落下場所までの距離を見るに、ほとんど離れていない・・・と言う事はつまり棚からケースがずり落ちたようです。
 ところが棚からケースがずり落ちるにはケースが30cm程移動しなければならず、しかも棚の端が5mm程高くなっているので、その端をよじ登って移動したことになります。
 たくさんの食器が入って7~8kgもあるようなケースがちょっとやそっとの事で動くとは思えません。
 もちろんその日は地震などありません。
 一人住まいですから留守中に他人が動かした事も考えられません。

 不思議な事に、ガラスのコップや皿や茶碗などたくさんの割れものが入っていたにも関わらず壊れたのは茶碗1つとプラスチック製のスプーンが1つだけでした。
 プラスチックのスプーンは持ち帰りの弁当などについている、ぺらぺらのもので、土間にたたきつけても壊れるようなものではないのですが、それがものの見事に首のところでポッキリ折れていました。
 まぁ、パフォーマンスですね。
 お菓子を取られた事への不満の表明と言うか・・・。

        ごめんね>餓鬼   (^^ゞ

 その後は私に憑いていた餓鬼もいなくなったように軽くなりました。
 ふ~。。。 やれやれ。

☆ -・- ☆ -・- ☆ -・- ☆ -・- ☆ -・- ☆ -・- ☆ -・- ☆ -・- ☆ -・- ☆ -・- ☆ -・- ☆ -・- ☆

「運がよかったと思ってあきらめるべし!」

 人間、生きてると意にたがわず残念な思いをする事があります。
 
 ・道で転んで怪我をした
 ・ドアに指をはさんで怪我をした
 ・急ぎの仕事に向かう途上で渋滞に遭って遅刻した
 ・よく病気をする
 ・いつも通る道でスピード違反で切符を切られた
 ・楽しみにしている店に出かけたら休みだった
 ・バスに乗ろうとしたら発車した後だった
 ・不況の影響で職場を解雇された
 ・不慮の事故で亡くなった
 
 などなど。 数え上げたらそれこそキリがないですネ。
 こんなとき我々は「運が悪かった」と言います。
 私もそう言って生きてきました。

 ところで「運」って何なんでしょうか?
 「運命」なんて言いますよね。
 何か予め決められてる定めみたいな気がしますが、そうではありません。

 「運気」なんて言う言葉もあります。
 「運気が上がっている」って言われたら何かこれからいい事がありそうな気配がしますね。

 私は「運」って言うのは言いかえれば「きっかけ」のようなものだと理解しています。
 1つの出来事をきっかけに霊性が磨かれていくことを「運がよい」と言うのだと理解しています。 
 辞書で調べる「運」の定義はあくまでこの世的な観点で書かれており、霊的な理解のある人には少し違ったイメージで受け取られているのではないでしょうか。

 過去の投稿でも書きましたが、人間は本来、霊的なものであり、この世へは精神トレーニングのために生まれて来ているのです。
 生きているうちにいろいろな障害を経験し、それを乗り越える過程で感じたこと、知った事を糧にして精神を向上させていくのです。
 ですから、ここで言う「運がよい」と言うのはその障害に巡り合った瞬間に精神性の向上のチャンスを理解した・・・とでも言いましょうか、とにかくそれを乗り越えなくちゃならない通過点で感じるポジティブな気持ちなんですね。

 ですからたまたま宝くじで高額当選したような場合、それ自体が「運がいい」とは言いきれないのです。
 その事で今後どう変わるかで本当に運がよいのか悪いのかが決定されるのです。

 その通過点をいかに通り過ぎるかでその後の人生に対する影響の度合いが変わってきます。

 (1) 我慢する(あきらめる)
 (2) 障害に遭った時点で得られるものを模索する

 傷ついて泣いたり、怒ったり・・・。 我慢する事も多いでしょう。
 あるいは誰かに八つ当たりしたり。犯罪者の動機にこれがあります。「むしゃくしゃしてたのでやった」と。

 ところが我慢や八つ当たりは得るものが少なかったり精神的にとても苦痛であったりします。
 メリットと言えば我慢を繰り返す事で「我慢強くなる」くらいでしょうか。
 八当たりはいずれ自分の人生や来世に影を落とします。 徳を落として人生にも来世にも辛い結末を残します。
 カルマは必ず巡ってきます。

 ではその辛い時にどう対処すればよいのでしょうか?
 
 簡単です。 「自分の経験が自分のためになるように、あるいは人のためになるように考える」事です。
 なぜ怪我をしたのか、なぜ遅刻したのか、なぜ違反切符を切られたのか、なぜ店が休みだったのか・・・
 その障害に遭った場面に自分(や他人)にとって利益となる情報はないか・・・

   小石につまづいたなら他の人がその小石でつまづかないように場所を移動する等(徳を積むチャンス!)

   自分の性格に原因があるならば反省し、改める(徳を積む土台を変えるチャンス!)

   店が閉まっていた場合、違う店を探す(見識が広がる→人脈が広がる→導きのチャンス!)

 すべからく障害はあなたの精神性の向上のために天からプレゼントされた出来事なのです。
 辛くて辛くて我慢ばかりしてるとノイローゼや鬱になってしまうかも知れません。
 考え方をチェンジして「この試練を超える事で自分自身が成長できるんだ!」と念じていると必ずやそうなります。
 ありがたいと念じていると必ず楽になれます。

 あなたの事を見守っているすべての存在、身近な人も霊的な立場の方も皆あなたが成長できるようフォローしてくれます。
 それを信じて障害をチャンスに変えましょう!
 「運が悪い」を「運がよい」に変えましょう!

 この投稿を最後まで読まれたあなた・・・
 あなたも運がいいですね。 (笑)

唯浄