「徳」ってお得!?

~何人かの霊能者の先生に「あなたは徳が高いですね」と言われ「徳」について考えてみました。
感じるまま発信してみます!~

瀬戸内寂静さん発言に思う

2016-10-15 23:17:44 | 日記
すでにメディアでやいのやいのと取り上げられたのでご存じの方も多いと思いますが、瀬戸内寂静さんの「殺したがるばかどもと戦ってください」と発言した件です。
私は神仏に仕える身としての寂静さんの発言の意図も理解できますし、一般市民としてご遺族の気持ちも分かります。
敢えて申し上げるなら寂静さんの発言は意図の次元が異なり現世的価値観では受け入られないであろうと言うことです。

今日に及んで発言をご撤回されていますが、私には心痛いばかりです。
と申しますのは寂静さんもご遺族も加害者に対しては(社会的に)最善の道をもって罪を償うべきとの点では一致しているのです。
でも一般には「極刑(=死刑)」=「もっとも重い罰」と思われているのですが、実はそうではないのです。
仏に仕える寂静さんはその事を重々ご存じの事と思います。
ご遺族は大事なご親族、お友達を亡くされて加害者に対して恨みの念をもお持ちでしょうから極刑をもって償ってもまだ足りないとの思いは至極当然の事です。

しかしながら・・・
事実を事実としてお伝えするならば・・・
あえて誤解を恐れずに言うならば「極刑」=「ご褒美」なのです。
殺される経緯についてはこの世的には因果応報、「自分の蒔いた種」と評価されるものですが、あの世的には経緯は評価されません。
評価は自分でするものであって、刑罰の対象として死んだ後に苦しめられるわけではないのです。
この世的には「死んだらおしまい」の概念があり、「死ぬこと」=「一番辛いこと」と思われがちですが、実は殺される事はさほど死んだ後に苦しみを伴わないのです。
この辺りの感覚のズレが寂静さんとご遺族とのギャップに至るわけなのですが・・・。

自殺する人は浄化するまで死んだ状態を保持します。 自分で「生きること」=「修行」をボイコットした事は罪に価し、その事は死んでなお追求されます。
なので死んでしばらくは苦しい状態が続きます。
殺された人は自分が死んだことを認識し、浄化した時点で苦しみから解放されます。
死刑囚とて「殺される人」ですから自分が死んだ事を認識したら生きる苦しみから解放されます。
さらに悪いことは修行途中であちらに行った人は、また転生して同じ状態・・・つまり人を殺めた心のまま人生を再開します。
来世で事件を起こすまでに成長すればいいですが、そうでない場合にはまた同じ罪を犯すことになるかも知れません。
そしてその被害者があなたのご子孫かも知れないのです。

なので罪を犯した人間をすぐさま死刑にてあの世に送るのではなく、辛いお勤め=「生きること」を通じてお送りするのが最善だと言えるのです。
寂静さんにはお気の毒ですが今しばらくご健在でいて頂いて世の為にご尽力頂きたいと思うのです。
できれば私が寂静さんの弟子になって世の方々のために余生を尽くしたいと思うのです。

奇跡が起きた \(^^)/

2016-04-29 06:28:35 | 日記
前回の投稿で紹介しました河内長野市で闘病生活を送っている癌の末期患者の続報です。

あと1週間で延命の100日祈願も終わりと言う段になって、私の願いが神様に聞き届けられるのかどうか不安に思っていましたらその患者さんの友達と言う方から連絡がありました。

なんと主治医も元の主治医も信じられないほどに回復しているとの事です。
その患者さんは自宅療養のための仮退院中なのですが、末期どころかすたすたと歩いて検査のために病院を訪れたのです。

主治医は「明らかに健康な状態であり血液検査さえも不要」と言ったとの事。
元の主治医に至っては「時期的にもう歩けなくなっている段階で、寝たきりの状態でやってくると予想していた」との事です。

私もご本人のブログを紹介されてびっくりするやら嬉しいやら・・・
みなさんにもぜひ読んで喜びを分かち合いたいと思い、彼女のブログ記事を紹介しようとしたのですがその件については神様からNGを頂きました。

  「世の中にはつまらない人間が存在し、人の幸せを素直に喜べず問題を拡散する事にばかり腐心する」と言うのです。

つまり、そんな「つまらない人」の目にこの記事がとまって、もっともらしく真偽を確認するふりをして誹謗中傷の限りを尽くしたり、記事の内容から個人を特定してあることないこと言及するとになるのでせっかくの嬉しい気持ちに水をさすことになると言うことなのでしょう。

なるほど・・・
と言う事でみなさまには報告のみでやめておきます。

あ、そうそう。
病気が快復したあかつきに彼女に課せられる天命(人の命を救う仕事をさせる)については神様曰く「約束させなくてもいずれ与うので心配要らない」との事です。

ほぉ~
なるほど
まずは私の面目躍如と言ったところです。

唯浄

*Cofee Break 10*  みなさんにお願い「命を救え」

2016-04-10 11:27:06 | 日記
 大阪府河内長野市内の病院にとある末期がん患者の女性が入院されています。
 その方はもうずっと、長い間闘病生活をしており、その生活や心情をブログやSNSで配信されているようです。

 そのSNSの友達からの依頼でなんとか彼女を延命してもらえないかとご依頼がありました。
 聞けばだんだん病状は重くなる一方で、SNSのタイムラインを見れば食事ができない、痛みをこらえてのたうち回っている・・・と凄惨な状況のアップが増えてきて死を待つばかりの彼女をとても見ていられないとの事です。

 ご依頼を受けて2月5日よりその方の延命100日祈願を始めました。
 天照大神を始め、13柱の神様に毎日彼女の延命をお願いしています。
 その甲斐あってか最近では痛みや苦しみに関する投稿が減り、スープが食べられるまでに回復した・・・とのご報告を依頼者より頂いています。

 しかしながらここにきて困った事が一つあります。
 延命の条件としてお捧げするものが何一つないのです。
 1円のお金も頂いていないのでそれなりの供え物もできないのは仕方ないとして(私個人的にできる範囲の事はしています)、何も代価がないというのはマズいです。
 せめて精神的な代価として何か捧げられればと思うのですが・・・。
 そこで勝手ながら「延命の当事者に社会貢献をさせることで世にお返しをする」と言う事で神様にはお願いしています。
 ・・・と言うような事情は私とは面識のない被祈願者であるご本人には知る由もないのですが。
 祈願の依頼者にその旨をご本人にお伝えするようお願いしましたが「事情がありそれはできない」との事です。
 ならばと思いついたのが当ブログをご覧になられた方で、思い当たる方がいらしたらご本人にお伝え頂きたいのです。
 ご本人の個人情報を詳しく口外する事はできないのですが次のキーワードでお願いします。

  「大阪市河内長野市内」
  「イニシャル K.H」
  「末期がん患者」
  「ブログにて闘病生活記を配信」

 ご本人にお伝えすることは「延命のお願いが聞き届けられたあかつきには他の人のお命を助ける活動をする事」です。
 もし思い当たる方がいらしたらご本人に上記をお伝え頂きたいのです。
 (もちろんその事によって個人的に何かを求めたり当事者に連絡をとったりと言うことは一切致しませんのでご了承下さい。当事者から連絡を求められても同じです)

 みなさんのご協力をお願いします。

唯浄

第30話 「徳の積み方(1)」

2016-04-04 17:44:30 | 日記
 すでに徳とは「(人格も含めて)霊格を高めるために行う行動」であると説明致しました。
 すなわち「徳が高い」とは、すなわち「善行をたくさん行っている」と言う事です。
 このことは今ある世(現世とか今世と呼ばれるものです)に限らず何度も転生する間に行ってきた善行をも含みます。 現世では大した事もしてないのに「徳を積んでいる」と言われる人は前世までに善行をたくさん行った結果なのだと思います。

 みなさんにもたくさん善行を行って頂き、人徳を高めて頂くために心がけと言うか実践方法をお話ししておきましょう。
 ただ、詳しく説明するととてもたくさんの字数を要しますので5つのステップに分けて少しずつ説明します。

【準備体操】
 まずこの世で生きる事の理屈を知って頂く必要があるのですが、これも長くなるので少しずつ説明します。
 初回は「愛」について説明しましょう。
 すべての原理は「愛」です。 愛こそが全てであり、我々が人間たるゆえんでもあり、愛をマスターしたらもう 生まれ変わる必要もなくなります。 ・・・いや、断言しましたが私もまた聞きです(笑)。 でもそうらしいです。
 我々はよくも悪くも様々な経験を通じて愛を実践しています。
 愛にもいろいろあると言われますね。 人類愛、親兄弟等親族間、男女間、友人との愛、ペットに対する愛もあるでしょう。 しかし、実はどの愛も根底は1つなのです。
 利害を顧みず純粋にいつくしむことこそ愛の根源なのです。
 我々は日夜愛を進化させるために喜び、怒り、泣き、笑っているのです。
 いきなり「愛を実践しましょう!」と言われても実感が湧かないでしょうから、とにかく「人生は愛である」と覚えておいて下さい。

【徳の実践】
 徳の実践で一番簡単なものは何だと思いますか?
 ヒントは「施しに対するお返し」です。
 みなさんが誰か他の人から親切にされたら嬉しいですよね? 嬉しい時には思わず「ありがとう」って言いますよね?
 そう。それが答です。
 徳の入門者はまず「ありがとう」と口に出す練習をしてみましょう。 口に出しにくかったら心の中でもいいです。 とにかく「感謝する練習」をしてみましょう。
 感謝する対象が分からなくても大丈夫! 今を生かされていることに感謝しましょう。
 毎日履いてる靴に感謝しましょう。 ごはんやおかず、ジュースやお酒、今見ている情報機器、つまりパソコンやスマホ、タブレットにだって感謝の対象となります。 ただし相手が物の場合は、それがみなさんの手に渡り活用できる過程で関わった全ての人に感謝の意を表すつもりで「ありがとう」と言ってみましょう。

徳の初心者にとってはバカバカしい事かも知れませんが、徳を積んで霊格が高くなってくると、実感としてその事が分かるようになってきます。
 逆に言うと感謝することがバカバカしいと感じるのは霊格が低い事の表れかも知れませんね。
 すでに「ありがとう」を意識して口にしている人はその回数や対象を増やしてみましょう。 時間もかからなきゃ元手も要らず、そんな簡単な事で徳が積めるなんてとっても得ですね!

唯浄

第29話 「ゲスの極み乙女・川谷君発言に思う」

2016-03-12 13:34:45 | 日記
 私は新聞もテレビも見ない。世間の動向はもっぱら友人たちとの会話やインターネットから知るに限られる。
 そんな私にも件の2人の話はいつまでも、そしてしつこいほどに耳に入ってくる。

 この度の川谷君の発言の「誰に謝ればいいの?」って。そりゃそうでしょう。
 ワイワイ騒いでるネットユーザー(以降「君ら」と記す)のほとんどは今回の彼らの不祥事ででなんら不利益を被ってるわけではないのだから当然でしょう。

 新年早々から彼らには紆余曲折あったようだけど、それでも相変わらずベッキーちゃんはその美貌と愛嬌でみなさんの心を和ませてくれるし、川谷君も持てる音楽的才能で聴者の心を癒してくれている。
 そんな彼らに「君ら」は必要以上に・・・いや、必要もないのにいつまで誹謗中傷するのですか?

 そのためにベッキーちゃんは仕事が減り、経済的に大いに損害を被っていると聞く。
 謝らなきゃいけないのは「君ら」の方でしょ? そしてそんな「君ら」の心中を察して「清楚なイメージを裏切った」とか言って契約を破棄してしまうスポンサーも「君ら」に加担してると言えると思うよ。

 確かに彼らの反省すべき点は重大だけど、それは「君ら」がとやかく咎めるべき問題ではなく、関係者も含めて彼らが自分たちで反省すべき事なのであって、第三者が必要以上に彼らを誹謗中傷するのは、彼らが「君ら」に対して与えた精神的苦痛の何千倍もの苦痛を彼らに与える事になるんだよ。つまり「君ら」はメディアを利用した弱いものいじめをしてるわけだ。

 芸能人やスポーツマンなど著名人は世間への影響力を考えて謹んで行動せよと言う「君ら」の言い分も「言い分」として理解できるが、ではそうしなかった事に対して実害を被る人が何人いるんだろうか?
 実害を被っていないならそこまで感情的に批判するべきではないのではないだろうか?

 「君ら」のうちで彼らの失態によって精神的苦痛を受けてクリニックに通院しているとか、収入が減った等、本当に彼らに対して謝罪を求めるべき立場にある人が何人いる?
 要するに落ち度のある著名人を批判する事によって努力することなく自らの立場を高めたいと言う「いじめ」ではないか。
 (第20話を見て頂けると参考になるんじゃないかな?)

 匿名性とネットでの多数性を利用して弱い者いじめをする風潮はそろそろ改めようじゃないか。
 「君ら」「愛」と「正義」を持って「君ら」自身の成長のために熱弁を奮う事を期待します。
 人の失敗をいつまでもあげへつらって自己満足して、その事が己の成長を遅らせている事にそろそろ気づくといいよ。
 人をいじめる事に終始してると自分がゲスの極みになっちゃうよ。

唯浄

3.11に寄せて

2016-03-07 00:57:06 | 日記
今週で震災5周年を迎えます。

多くの方々が亡き方々にお悔やみの念を捧げられると思います。
そして亡くられた方々に捧げる言葉として「あなた方の犠牲の上に、今生きる我々の進歩がある事を感謝しますが最善のお悔やみのように思われます。

たくさんの方々の死を教訓に、我々が生かされてる事を知らされます。
後生永遠にこの気持ちを忘れずにいたいと思います。
それと同時にみなさんにもお忘れなく願います。

唯浄

Coffee Break 9 「念ずる心は通じる」

2014-09-11 04:22:08 | 日記

 先日、とある女性と会談した時のこと。
 「ゆうべ11時頃、誰か部屋に来てねぇ・・・。」
 もちろん目に見えない「誰か」の事です。
 「別に悪い感じはしなかったのでそのまま放っておいたわ」と唐突におっしゃったのです。

 それを聞いて私は「え!?」とビックリしました。
 と言うのもまさにその時間、私は翌日会う事になっているその女性に何か悪いものは憑いてないか気にしていたのです。
 私の方でもかすかな反応を感じ「あれ?」と思ったのですが悪いものでもなさそうなので祓うこともなくそのままにしておき
ました。
 前述の彼女の一言でお互いがお互いを感じていたのだと分かり、嬉しいような恥ずかしいような妙な気持ちになりました。

 今までも遠隔で除霊をする事はありましたが当事者からは私の気(と言うか念)を感じたと言う報告は一度もなく、やってる
私もこれでいいのかと多少不安意なる事がありました。
 しかし除霊が終わると状況がよくなったと言われるので本当に除霊できたにしても気のせいであったにしても「これでいいん
だ」と思うようにしていました。

 今回のことで私が念を送っている相手には間違いなくその念が届いており、ちゃんと仕事ができてる(笑)と確認することがで
きました。

   「念ずれば花開く」
   「思考は具現化する」


 どちらも私の信条とする言葉です。
 目に見ることができないし、証明することもできませんが間違いなく言えることです。
 疑念が入るとその念は著しく弱くなりますが信念を持って固く心に思えば必ずや通じるものです。

 ちなみにその女性がおっしゃるには「部屋が片付いてなかったので気になった」との事。
 大丈夫! そこまでは視えません。 (^^ゞ

by 唯浄

第27話 「げに恐ろしきは誤解なり」

2014-09-03 12:54:15 | 日記
げに恐ろしきは「誤解」なり

 もう5~6年前のことでしょうか。
 パソコン関係業者のホームページを見ていたらひどいくだりがありました。

   「修理業者の中には依頼がキャンセルされるとパソコンをさらに壊して返却する悪質なものがありますのでご注意下さい」

 と言うものでした。

 私もパソコンの修理業を営んでおりますのである程度の現状は理解しているつもりですが、そんなひどい業者のうわさなど聞いたことがありません。
 (そんなひどい業者があるわけない)・・・そう思った瞬間、私の中にメッセージが入りました。

 「お前の事である」

 そんな馬鹿な!
 自慢ではないですが私は誠心誠意仕事をさせてもらっておりますし、たとえキャンセルされてもお客様のご負担になるような駆け引きなど一度もした事がありません。
 それは神様だって重々ご承知のはずです。その神様がおっしゃるのですから先のメッセージは間違いないのでしょう。

 私は関西在住。 先の業者は関東に所在するようです。 まったく私との接点は考えられません。
 人に嫉まれるような売り上げもありません。
 私を知る人は私のことをありがたたくも「真面目を絵に描いて服を着せたような人」とおっしゃってくれます。
 
 そんな私に濡れ衣(?)を着せようとしている業者がいるなんて・・・
 いくら神様のお言葉でもにわかには信じることができません。

 私は神様にもう一度聞きなおしました。
 「私は神様のご存知の通り真面目に仕事をさせて頂いております。悪徳業者の主みたいな言われ方をされる覚えはもうとうございません。何かの間違いではないですか?」と。

 「お前のことである」

 神様も同じ言葉を繰り返すばかりです。
 きっと私の知らないところで何かが起こっているのでしょう。 しばらく考えていると次のようなビジョンが入ってきました。
 これも神様のお教えなのでしょう。

 その出来事のあった頃をさかのぼること2年前の初夏のこと。
 1人の女性が会社のパソコンが起動しなくなり、どうしても必要なファイルがあるので取り出してほしいとご依頼されました。
 
調べてみるとパソコンの記憶装置が故障しており部品の交換が必要であることが分かりましたので早速手配をかけました。
 しかしすぐには入手できずそのまま数ヶ月が経ちました。
 お客様にもかなり月日がかかると説明し、ご了承頂いていたのですが・・・
 数ヵ月後、いくつか使えそうな部品が少しずつ溜まってきたのでそろそろ作業を再開しようかとしていた矢先に当のお客様からキャンセルの申し入れがありました。
 部品手配にはすでにたくさんのお金をつぎ込んでいたのでとても痛かったのですが仕方ありません。
 記憶装置は分解しているので組み上げるまで時間を下さいと申し上げると「記憶装置は必要ありません」とおっしゃいました。
 もう要らないとの事でしたのでそのままパソコン本体のみをお持ち帰り頂きました。

 それから10日ほど経ったある日、再びお客様がお見えになられて「記憶装置を返してほしい」とおっしゃいます。
 もう廃棄したことを告げたのですがどうしても返してほしいとの事です。
 廃棄しているのですから元の記憶装置は手元にはありません。 代わりにまだ使える別の記憶装置をお渡ししました。
 もちろんご本人ご承諾の上での話です。

 ところが・・・
 ここからは神様からのインスピレーションによります。

 お客様がお勤めの会社ではパソコンの修理が終わらない事にしびれを切らし、他の業者へ頼むことにしたようです。
 お客さんである女性もその事はお聞きになられたようですが、パソコンには詳しくないので記憶装置の事はまったくご理解されていませんでした。
 つまり会社では記憶装置のデータを取り出すために修理をキャンセルしたのに、お客さんは記憶装置は必要ないと判断したのです。
 それで後ほど渡した代替ハードディスクを関東にあるデータサルベージ業者に渡したところ、その業者がデータを取り出せない事で前に依頼した業者がキャンセルの見返りにハードディスクを壊した(データを読めなくした)と判断したのです。

 判断するだけならよいのですが、お客様へは「以前依頼した業者(つまり私)がキャンセルの腹いせに記憶装置を壊して返品している。とんでもない業者だ!」と言った・・・との事です。


 そこまで神様が見せて下さったのでようやく私も納得しました。
 結局そのお客さん(とお勤め先の会社)には私の信用はまったくなくなってしまいました。
 誤解って怖いですね。

唯浄

第26話「徳の高い人、低い人」

2014-05-04 12:44:30 | 日記
ご相談者からよく「徳の高い(低い)人はどんな特徴がある?」と尋ねられます。
これは非常に奥の深い話ですので簡単に説明すると誤解や不理解を生じかねませんので少々長くなりますがご了承下さい。

そもそも徳の定義は人によってさまざまで、定義を抜きに話を進めると混乱をきたしかねません。目に見えないものですから当
然です。辞書で「徳」を調べても徳の事をよく知らない人が定義しているのが現状です。
そこでまずは私なりの「徳の解釈」を説明しましょう。

簡単に言うと「徳」とは「善行」のようなものだとお考えいただくとよいでしょう。但し、厳密には善行が「行動」のみを指す
のに対して徳は「善行を行う心(動機)」をも含みます。
(善行と徳の違いを意識して頂きたい部分には「 」をつけていますのでご注意下さい)

例をあげて説明しましょう。
掃除をする際に「役目だから」するのでは単なる善行です。「そこを通る人が気持ちよく、また安全に通れるように」思う気持
ちが備わってこそ「善行」でありかつ「徳」を積むことができるのです。
つまり相手の事を想って行動を起こすことが徳につながるのですね。

ここでちょっと話を脱線します。
前述のとおり徳は行動(心を伴う善行)そのものであって大きさはありません。積み上げても高さはないのです。
では第5話で「徳にも大小がある」と言ったのと矛盾するのでは? とお考えの方もいらっしゃるでしょう。
いいえ。矛盾しません。
徳を積んでも全体的な大きさは変わりませんが、その代わりに影響を受けるものがあります。「人格」です。
「人格」の構成に必要なのは「徳」の心の部分であり、徳を積むと言う事は取りも直さず人格を大きく(高く)する事なのです

つまり「徳を積む」と「人格が高い」が同じ次元で表現されるので「徳が高い」と表現されるのです。
厳密に言うと「徳が高い」とは言わないのですが、形のない世界の表現なので分かりやすくするためにそう表現するのですね。
ちなみに人格を高めると同時に霊格も高くなるようです。またあちらの世界に帰ってからも善行をつくすと「霊格」のみが高く
なり、いずれ「人格の高い人間」として生まれ変わる人もいるようです。(初期値は0ですが年齢とともに人格がどんどん高く
なると言う意味です)

ここからは「徳を積む」と「人格が高い」を厳密に使い分けますのでご注意下さい。

ここまでの説明でおぼろげながらに徳を積んだ人(人格、霊格の高い人)とそうでない人の違いがお分かりになったのではない
でしょうか?

簡単に言うと「マナーのよい人」、「心から人のために善行をつくす人」が徳を積んだ人であると言えると思います。
マナーとは「他の人に迷惑をかけない、人の役に立つ」などに配慮した作法ですからこれが行き届いている方は必然的に人格の高い人と言えるのです。

また、社会組織では人の役に立てることを意識して仕事のできる人は人格が高いと言えるでしょう。
部下を叱るにしても感情的にわめきちらす人は相手に対する思いやりよりも自分の主義主張が優ってしまって、配慮なく感情をぶつけてしまいます。いわゆる「自己満足教育」に浸って自分の感情を満足させてしまっているのです。こう言う人は人格が高いとは言えませんね。
反対に人格の高い人が部下を叱るときはどうでしょうか?
自分の感情はさておき「どうすれば部下が早く一人前になれるか」を念頭に置いて話し、絶えず相手のモチベーションを上げるよう気を遣いながら誘導します。失敗の原因を相手に理解させ、繰り返すことのないよう注意点を教え、くよくよ考えなくてもよい事を教えます。
こんな上司から注意されれば「よし次からはうまくやるぞ!」と思いますよね?

また弱者いじめをする人は自分の弱い部分を改善することなく相手を貶めることにより自己満足に浸ります。
自分の弱さに気づいていないのですね。こう言う人はもちろん人格が低いと言わざるを得ません。社会生活を送る動物でも協調・協力は自然に身についているようです(中にはいじめもあるようですが・・・)。「いじめは自然動物以下の人格」と言う社会概念ができるまでは人はいじめを恥ずかしいことと気づかないのでしょうか。

いじめられる側もただ泣きながらいじめられているのでは人格が高いとは言えません。そこから真実を学び、社会に貢献できる「何か」を身につけなくては人格は高くなれません。それができる人は普通に生活を送る人よりも遥かに早く人格を高めることができるでしょう。

いじめに屈して自ら命を絶つ悲しい事件も時々耳にします。
精神的な強弱や人格の事を知れば回避できたかも知れません。「実はいじめる側の方が人格的に劣るんだ」と言う認識があれば心を強く持てるかも知れません。


さて・・・
しかしながら人格の高さは厳密には外観からは判断できません。
いつも不愛想で社交性に乏しい人でも、実は温情に厚く身を呈して人に貢献する事もあります。
いや、逆に人格の高い人ほど他人からは判断できないかも知れませんね。
人格の高い人はすでに社会貢献が当たり前になっています。
善行も「~してあげなくっちゃ」とは考えません。「~しなくっちゃ」と思うのです。

最後に日常生活の中で目にする行動で、その人の人格の高さ、低さを判断できるものをいくつか挙げてみましょう。

・迷惑を注意されると怒る

・人を叩いたり貶める芸を見ると楽しい

・自動車運転時、ウインカーを出さずに進路変更をする。

・空き缶やごみ等をどこにでも捨てる

・あいさつをする

・ありがとうを言う

・PTA、子供会、自治会、婦人会等に積極的に参加する

・募金に協力する

・ボランティア活動に参加する

日常生活を見回してみるとまだまだありますよ。
答はご自身で考えてみてください。


唯浄

第25話 「幽霊なんて怖くない」

2014-05-02 09:34:50 | 日記
お恥ずかしい話ですが、私は幼少の頃とても幽霊を恐れていました。
「怖い」なんてもんじゃない!

「この世の全ての人が幽霊を目撃するようになっても自分だけは見ませんように・・・」と本気で祈っていたものです。
そんな私ですが、人生のターニングポイントを過ぎた今では全く怖くなくなりました。
それは他の人から聞く体験談、目撃談からなんとなく幽霊の本質が分かり始めたことと相まって、自分でも修行をしてきて実際に幽霊と呼ばれる存在と向き合うちに「あぁ、幽霊って生きてる人間と変わらないんだなぁ」と気づいたからなんですね。

生きてる人間にも怖い人はいます。
そう言う意味では「幽霊は怖くない」と言うのは△かも知れませんね。

幽霊ってのは何らかの想い、念を残して亡くなった方々の「本質」でありそれは生きてる私たちにもあるものなんです。
私たちと同じように幽霊も思い、感じ、悩んでいるのです。ただ力のない彼らにはそれを他人に伝えるすべがなく、また時間的な感覚が私たちとは異なるためにいつまでもその想いを引きずってしまうのです。
その念が強いと悪霊と呼ばれるような存在になってしまうこともあると言うことです。

考えてもみてください。
あなたが何らかの問題・・・仕事上の事でも恋愛でも人間関係でも・・・とにかく何らかの問題で自宅の居間で一人悩んでいる場面を想像して下さい。
誰かに相談したいけどそれもできず一人落ち込んでいる状況です。

そこへ勝手に入り込んできた人たちが口々に「うわ~この人泣いてるわ!」とか「怖ゎ~!」とか言ってはやしたてたり馬鹿にしたりしたらあなたはどう感じます?

まず「出ていけ!」って怒鳴りたくなりますよね?
それでも出ていかなかったら実力行使して追い出したくなると思いませんか?

そう言った霊からの実力行使や抗議だけが「怖いもの」と取り沙汰されてしまい「幽霊は怖い」と言うイメージが世に浸透してしまったんだと思います。
幽霊の存在を信じない人の中には「怖いから信じたくない」と言う人もおられるでしょう。
「怖い」⇒「信じない」⇒「馬鹿にする」⇒「霊を怒らせる」⇒「怖い」⇒「信じない」⇒「馬鹿にする」⇒「霊を怒らせる」・・・と、こんな風に循環していったのではないでしょうか?

私は、人間は「性善説」によって生かされているものと思っています。幽霊の事が怖くなくなれば普通に(生きている)人に接する感覚で霊に対する理解も救済もできるようになるでしょう。
その事によって逆に霊に救われたり守られたりする事もあるかも知れません。

世に一人でも多くの方が霊について正しく理解し、この世に取り残された霊を速やかに成仏させる事が出来るようになる事を説に望みます。

・・・てな具合にカッコいいこと言ってますけどね、実は一人じゃ浄霊も大変なんで、一般の方々に霊を理解してもらって誰でも霊を怖がらずに浄霊できるようなってもらって、たくさんの人に協力してもらいたいなぁ・・・ってのが本音でもあったりするわけです。

   (^^;


唯浄