「徳」ってお得!?

~何人かの霊能者の先生に「あなたは徳が高いですね」と言われ「徳」について考えてみました。
感じるまま発信してみます!~

第26話「徳の高い人、低い人」

2014-05-04 12:44:30 | 日記
ご相談者からよく「徳の高い(低い)人はどんな特徴がある?」と尋ねられます。
これは非常に奥の深い話ですので簡単に説明すると誤解や不理解を生じかねませんので少々長くなりますがご了承下さい。

そもそも徳の定義は人によってさまざまで、定義を抜きに話を進めると混乱をきたしかねません。目に見えないものですから当
然です。辞書で「徳」を調べても徳の事をよく知らない人が定義しているのが現状です。
そこでまずは私なりの「徳の解釈」を説明しましょう。

簡単に言うと「徳」とは「善行」のようなものだとお考えいただくとよいでしょう。但し、厳密には善行が「行動」のみを指す
のに対して徳は「善行を行う心(動機)」をも含みます。
(善行と徳の違いを意識して頂きたい部分には「 」をつけていますのでご注意下さい)

例をあげて説明しましょう。
掃除をする際に「役目だから」するのでは単なる善行です。「そこを通る人が気持ちよく、また安全に通れるように」思う気持
ちが備わってこそ「善行」でありかつ「徳」を積むことができるのです。
つまり相手の事を想って行動を起こすことが徳につながるのですね。

ここでちょっと話を脱線します。
前述のとおり徳は行動(心を伴う善行)そのものであって大きさはありません。積み上げても高さはないのです。
では第5話で「徳にも大小がある」と言ったのと矛盾するのでは? とお考えの方もいらっしゃるでしょう。
いいえ。矛盾しません。
徳を積んでも全体的な大きさは変わりませんが、その代わりに影響を受けるものがあります。「人格」です。
「人格」の構成に必要なのは「徳」の心の部分であり、徳を積むと言う事は取りも直さず人格を大きく(高く)する事なのです

つまり「徳を積む」と「人格が高い」が同じ次元で表現されるので「徳が高い」と表現されるのです。
厳密に言うと「徳が高い」とは言わないのですが、形のない世界の表現なので分かりやすくするためにそう表現するのですね。
ちなみに人格を高めると同時に霊格も高くなるようです。またあちらの世界に帰ってからも善行をつくすと「霊格」のみが高く
なり、いずれ「人格の高い人間」として生まれ変わる人もいるようです。(初期値は0ですが年齢とともに人格がどんどん高く
なると言う意味です)

ここからは「徳を積む」と「人格が高い」を厳密に使い分けますのでご注意下さい。

ここまでの説明でおぼろげながらに徳を積んだ人(人格、霊格の高い人)とそうでない人の違いがお分かりになったのではない
でしょうか?

簡単に言うと「マナーのよい人」、「心から人のために善行をつくす人」が徳を積んだ人であると言えると思います。
マナーとは「他の人に迷惑をかけない、人の役に立つ」などに配慮した作法ですからこれが行き届いている方は必然的に人格の高い人と言えるのです。

また、社会組織では人の役に立てることを意識して仕事のできる人は人格が高いと言えるでしょう。
部下を叱るにしても感情的にわめきちらす人は相手に対する思いやりよりも自分の主義主張が優ってしまって、配慮なく感情をぶつけてしまいます。いわゆる「自己満足教育」に浸って自分の感情を満足させてしまっているのです。こう言う人は人格が高いとは言えませんね。
反対に人格の高い人が部下を叱るときはどうでしょうか?
自分の感情はさておき「どうすれば部下が早く一人前になれるか」を念頭に置いて話し、絶えず相手のモチベーションを上げるよう気を遣いながら誘導します。失敗の原因を相手に理解させ、繰り返すことのないよう注意点を教え、くよくよ考えなくてもよい事を教えます。
こんな上司から注意されれば「よし次からはうまくやるぞ!」と思いますよね?

また弱者いじめをする人は自分の弱い部分を改善することなく相手を貶めることにより自己満足に浸ります。
自分の弱さに気づいていないのですね。こう言う人はもちろん人格が低いと言わざるを得ません。社会生活を送る動物でも協調・協力は自然に身についているようです(中にはいじめもあるようですが・・・)。「いじめは自然動物以下の人格」と言う社会概念ができるまでは人はいじめを恥ずかしいことと気づかないのでしょうか。

いじめられる側もただ泣きながらいじめられているのでは人格が高いとは言えません。そこから真実を学び、社会に貢献できる「何か」を身につけなくては人格は高くなれません。それができる人は普通に生活を送る人よりも遥かに早く人格を高めることができるでしょう。

いじめに屈して自ら命を絶つ悲しい事件も時々耳にします。
精神的な強弱や人格の事を知れば回避できたかも知れません。「実はいじめる側の方が人格的に劣るんだ」と言う認識があれば心を強く持てるかも知れません。


さて・・・
しかしながら人格の高さは厳密には外観からは判断できません。
いつも不愛想で社交性に乏しい人でも、実は温情に厚く身を呈して人に貢献する事もあります。
いや、逆に人格の高い人ほど他人からは判断できないかも知れませんね。
人格の高い人はすでに社会貢献が当たり前になっています。
善行も「~してあげなくっちゃ」とは考えません。「~しなくっちゃ」と思うのです。

最後に日常生活の中で目にする行動で、その人の人格の高さ、低さを判断できるものをいくつか挙げてみましょう。

・迷惑を注意されると怒る

・人を叩いたり貶める芸を見ると楽しい

・自動車運転時、ウインカーを出さずに進路変更をする。

・空き缶やごみ等をどこにでも捨てる

・あいさつをする

・ありがとうを言う

・PTA、子供会、自治会、婦人会等に積極的に参加する

・募金に協力する

・ボランティア活動に参加する

日常生活を見回してみるとまだまだありますよ。
答はご自身で考えてみてください。


唯浄