うつ病を経験して

うつ病は人に理解されにくい病気です

うつ病を経験して

2017-06-22 21:09:30 | 日記
発達障がいやうつ病は現代病の代表格と言っていいです。老若男女誰でもなってしまい長期間患ってしまいます。生活の為に仕事をしないといけないですが、かなり影響が出ました。
まず朝起きたくても寝ている間に仕事のことを考えたり、恐怖心など色々あり身体が重く気分が乗らないのでなかなか起きれないのです。遅刻や欠勤をすることが多くなり仕事をしていてもミスが続き上司や先輩に指摘されて悩んでしまい何故か孤独感を感じたこともありました。
こんな感じで日々過ごしていたので自分でもおかしいと思い精神科を受診しました。薬の処方とカウンセリングを行って心の中に思っていることを吐き出して仕事と通院を続けていました。外に出てウォーキングなど簡単なものでいいので運動するのも気分転換になります。以前よりも症状が軽くなったのでこれは自分に合っていたのかなと感じました。
今は就職転職支援サイトを見るくらいにまでなりました。うつ病は人に理解されにくい病気ですが長期的に考えてあまり無理せず過ごすのが最善なのかと思います。



◎ある日突然訪れた病

私はある精神的な病を今も抱えています。

それはある日突然訪れました。
私には年子の子供がいます。二人の入園、入学が重なり、あれもしないと、これもしないと、とバタバタしていました。
旦那は仕事が多忙なため寝不足もあり、疲れてるだろうと思いできる事は一人でしようと決めていました。

そして、入園式が間近になった、ある日の晩、子供の入園準備をしている最中、突然息苦しくなり、過呼吸状態になり、このままだと私死んでしまうと考えてしまいました。
そして、父親を呼びそのまま病院へ行きました。
脈も、血圧も異常無し、だけど何故か苦しい。
病院で看護士さんとお話しをしていると、だんだんと落ち着いてきました。
私はその時初めて看護士さんに今自分が思ってる事を話しました。
それから私は実家に帰り、家事や育児何もやる気が出なくなり、外には出たくなくなり、ひたすら寝る日々を2週間ほど過ごしました。

どうあるの?と体調を聞かれても、どこか痛いわけじゃない。何て伝えてよいのかわからず、聞かれる事自体もストレスになってました。

気持ちも落ち着いてきて、少しずつ動けるようになり、病院へ再度行く日になりました。
そこで先生にいわれたのが、不安障害、適応障害でした。

その日から戦いは始まりました。
頭痛がはじまり、理由もなく息が苦しくなる、薬を飲んで落ち着く、負担の掛からない転職支援サイトを覗く、そんな日々を今も毎日すごしています。

発達障害者 就職

考えさせられました。

2017-06-22 21:09:07 | 日記
ご近所さんで子供が同級生な事もあり、親しくしていた奥さんが統合失調症でした。
普段は穏やかでとても人当たりが良く手芸や料理が得意で誰からも好かれる奥さんなのですが、一度統合失調症の陽性反応が出てしまうと表情が無くなり幻聴を聞いては怒鳴り散らしてしまい、外で暴れて警察沙汰になった事もあるほどです。
その度にご家族が措置入院の手配をしてしばらく病院で過ごした後に退院し、また日常へと戻って来ます。

事情を知らないご近所さんたちはやはり不安が募るのか離れていきました。
それでも私は奥さんの、病状が落ち着いている時の人柄がとても好きだし可能な限り仲良くしていきたいと思っています。

この障害においては地域社会で過ごしていく限りは周りの理解がどうしても必要です。
なので精神障害は隠すのではなく、なるべく精神が落ち着いている状態の時に障害の事を周りに伝え、少しでも自分の状態を知っておいてもらう事が大切だと思いました。
また多くの人は陽性反応が出てしまった方に対してどう接していいのか分かりません。
そうなった時にどう対処してもらいたいかも家族や周りに話しておく事も重要だと思います。"



☆私の母は双極性障害

私の母は、双極性障害をわずらっています。母は本州出身で、北海道に越してきてから気候の違いなどにより体調を崩すようになった模様です。私は、小さいころから母が具合が悪かった姿しか見たことがありません。双極性障害とわかるまで約15年くらいかかったそうです。最初に通い始めた病院ではうつ病と診断されていました。けれど、薬の量がどんどん増えていくにもかかわらず体調は良くなっていきませんでした。母は途中で薬の量を心配して、医療関係者の友人に尋ねたところ、「異常だ」と言われたそうです。それをきっかけに、病院を変えて、しばらくしてから自分に合った医師に巡り合え、診断が確定しました。その後、何回か入退院を繰り返しましたが、症状も昔と比べて少し落ち着き、今でもその病院に通い続けています。こういった精神障害は、長く付き合っていかないといけませんが、少しでも早く自分に合った治療を受けることで、完治あるいは寛解にまでもっていくことができます。それには、家族も一緒となって病気に向き合う必要があると学びました。本当に母には少しでも早く元気になって生活してほしいと思います。

見た目には分からないけれど

2017-06-22 21:08:52 | 日記
私は保育士になるための学校に通っている時に、障害児の通園施設に実習に行った事があります。
そこには知的障害・ダウン症・自閉症・脳性麻痺などの障害を持った子ども達が通っていました。
その中でも一番多かったのは自閉症の子ども達でした。
ダウン症・脳性麻痺の子ども達は見た目ですぐに分かりますが、自閉症の子ども達は健常な子ども達と見た目は何ら変わりません。
ですが、1人1人が全く違う何かにこだわりを持っていたり、周りの変化に敏感だったり、感覚が人一倍敏感だったりと色々な個性を持っています。
そういう子を見て「この子は普通じゃない」と心ない事を言う方が少なからずいらっしゃいます。
確かに見た目は分かりにくいのかもしれません。ですが、彼らはただ少し個性が強いだけだと私は思うのです。
私たちが理解を示さなくて誰が理解するというのでしょう。「変な子・・・。」と遠ざかるのではなく、興味を持って関わることが大切です。
そういう行動によって、その子もその子の保護者の方もとても救われます。
人は助け合って生きていくのですから、そこを理解しこちらから関わる事はとても大切な事だと考えます。



・うつ病から統合失調症の併発

私がうつ病を発症したのは高校3年生のときでした。家庭崩壊の恐れがあったぐちゃぐちゃの家庭に疲れてしまい、また、大学受験前ということもあって、元気が出ない、なにもしたくない日が続きました。当時はバレーボール部でしたが、それも辞めようと思い、しばらく休部しました。精神科に行ったらうつ病と診断されお薬が出されました。薬を飲みながら、なんとか引退まで部活を続け、受験勉強も無理のない程度に取り組み、地元の大学に合格しましたが、薬はずっと飲み続けていました。大学では、入学してすぐに友人関係のトラブルがありうつ病が悪化し体重が一気に8kgも落ちました。うつ病の診断書を教授に提出して、休み休み大学に通う日々でした。
卒業後は就職しましたが、半年ほどで精神の状態がおかしくなり、精神科に行ったところ統合失調症も併発していますねとの診断でした。それからは薬を飲みながら自宅療養。薬の副作用で15kgほど太りました。太ったせいか人に会うのを避けるようになり、家にこもりがちでした。
今でも統合失調症の薬を飲みながら生活しています。症状はだいぶ回復し、正社員ではないですが短時間のアルバイトをして生活しています。いつか普通の人のように正社員として働くことを夢見ていた時期もありましたが、この病気では無理だと受け入れるようになりました。今は病状が悪化しないように細心の注意を払って生活しています。