山野颯想

山野走、山野歩、山野逍遥など、山野にかかわる事柄を中心に記載しています。

ほしだ園地~むろいけ園地~生駒山縦走路(ポールがあって本当によかった)

2016年04月28日 | 山野歩
2016年3月13日(日) 
『山野歩』
<ほしだ園地~むろいけ園地~生駒山縦走路>
[コースタイム]
[京阪・私市駅]9:11→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→9:43[ピトンの小屋]→(さえずりの路)→10:00[やまびこ広場]10:06→(まつかぜの路) →10:32[飯盛霊園・境界鞍部]→[飯盛霊園内(昼食)]→[戎バス亭]→11:03[ビオトープ田原の里山・車止め]→11:18[堂尾池]→11:37[むろいけ園地入口]→(湿生花園)→12:22[阪奈道路]→(産業廃棄物処理場&農地)→12:40[農地終了地点]→(カントリークラブ横)→13:09[くさか園地生駒縦走歩道分岐地点]→13:19[くさか園地バイオトイレ]→13:32[辻子谷ハイキングコース北出合]→13:42[辻子谷ハイキングコース南出合]→[あじさい園北口] →14:15[ぬかた園地北分岐]→14:22[ぬかた園地南分岐]→14:36[ぬかた園地ゲート]→14:45[暗峠・下方分岐]→14:49「なるかわ園地ゲート」→14:56[鳴川休憩所]15:12→(万葉植物展示園)→15:44[鳴川峠]→16:26[鐘の鳴る展望台]→16:53[十三峠]→17:00[平群への分岐]→17:59[高安山駅]
◆所要時間:8時間48分
<ポールがあって本当によかった>
今まで間違ったことがない辻子谷南出合で道に迷う。右折して暫く歩くが、間違っているような気がして南出合まで戻り、生駒山頂への道を辿るが遊園地駐車場が見えて間違っていることに気付く。南出合まで下降して左折し先ほど暫く進んだ縦走路を再び行く。20分余りの時間ロスとなり、自身の思考能力に自信が無くなった。
それまでの我が脚の状態から筋肉痛が生じるとは予想しなかった。それまでは快調に歩き続けていたからだ。ところが、鳴川峠に着いたときに両脚の大腿四頭筋が筋肉痛(こむら返り)に襲われる。立っているのが辛い状態であったが、坐ってもそれより逃れることが出来ないのは明白であった。筋肉痛に耐え凌ぎ急いでポールの準備をし、長さの調節が終わるや否や暫くポールに身体を預けた。その後、痛みに耐えつつ一歩二歩と前進するうちに強烈な痛みからは脱出できたのだが、一触即発の状態が続いた。それ以降ペースダウンをせざるを得なかった。
1月には3度、ポールを使用せず生駒山縦走路を歩いたのだが、それ以降一ヶ月半以上も殆ど歩かない生活を続けていたゆえ、念の為にと思いポールを携えたのだが、それが正解であった。もしポールが無ければ、高安山駅のケーブルカー最終便(18時10分)に間に合わなかったに違いない。ポールがあって本当によかった。
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くろんど園地・草原広場(ターザンロープ)

2016年04月23日 | 山野逍遥
2016年2月14日(日) 
『山野逍遥』
<くろんど園地・草原広場>
[私市駅]11:00→[月ノ輪滝]→11:55[すいれん池]→12.:04[草原広場]13:40→[すいれん池]→[月ノ輪滝]→14:42[私市駅]
◆所要時間:3時間42分
<ターザンロープ>
昨日の堂満岳山行は、我が脚にかなりの筋肉痛をもたらし、孫二人と一緒の4時間足らずの今日の「くろんど園地」であっても、我が大腿四頭筋は悲鳴を上げていた。
「すいれん池」にやって来たとき、いつものように鎖場の階段を登るのだろうと思いきや、またK子がその意思を示したにもかかわらず、J太郎は管理道へと歩みを進め、「草原広場」へと向かった。
「草原広場」に入ると二人は、即座に「砦アスレチックと迷路」に向かい、迷路中を通り見てる間にその最上部に到着した。僕は腰に負担がかかる身体をかがませる必要がある迷路は避けて、左手の細道をゆっくりと上がり、前回の如く最上部に銀マットを敷き、腰を降ろし昼食にした。
暫くするとJ太郎の姿が見えない。もしかするとと思い、「ターザンロープ」に行ってみると案の定、J太郎はそれに乗り空中を駆けていた。「そろそろ帰ろうか!お母さんとお祖母ちゃんが待っているから!」と、僕が促すまで其処で夢中に遊んだ。K子にターザンロームに乗ってみないかと何度か誘ってみたが、首を縦に振ることはなかった。帰り際に「段違い平均台」にもJ太郎は挑戦した。彼はバランス良く片足で低い方から高い方へとヒョイッと飛び乗った。上手いものだ。K子はもう一つの平均台を、膝をついて四つん這いで進んだ。
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堂満岳・第一ルンゼ(滑落)

2016年04月18日 | 山野歩
2016年2月13日(土) 
『山の会』
<堂満岳・第一ルンゼ>
■参加者:安部ちゃん、最くん、ゆうさん
<滑落>
傾斜角度のある雪上を下降するとき、バックステップなら安全で確実だが、前向きで下りるのと比してかなり時間を要するのが難点だ。ところが、前向きで下りるのには脚力とバランスを要し、現在の我が体力と技術では難しいところがある。その証拠に、前向きで第一ルンゼを下降するときにスリップしてしまい僅かな距離ではあったが滑落してしまった。
山の会の次回の雪上トレーニングは伊吹なのだが、スタジオの発表会があるゆえ僕は参加することが出来ない。その旨を僕が言い始めると、「ハイカーよりも遅い」という北岳における話を持ち出した最くんは、「トレーニングが出来ないのなら白馬の計画を変更せざるを得ない」と語った。その意見に対して、僕には返す言葉が無かった。
僕が春山に参加することで、「唐松~白馬~栂池」縦走の計画が潰れてしまうのなら、皆に対して申し訳ないと考えるとき、僕がその計画に参加しないことが最良の方策に違いないという結論に達した。
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ほしだ園地~むろいけ園地~生駒山(鬱然たる気分)

2016年04月11日 | 山野歩
2016年1月24日(日) 
『山野歩』
<ほしだ園地~むろいけ園地~生駒山>
[コースタイム]
[京阪・私市駅]9:00→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→9:32[ピトンの小屋]→(さえずりの路)→9:50[やまびこ広場(休憩)]10:00→(まつかぜの路) →10:27[飯盛霊園・境界鞍部]→[飯盛霊園内]10:45→[戎バス亭]→11:00[ビオトープ田原の里山・車止め]→11:15[堂尾池]→11:35[むろいけ園地入口]→(湿生花園)→12:20[阪奈道路]→(産業廃棄物処理場&農地)→12:38[農地終了地点分岐]→(カントリークラブ横)→13:14[くさか園地バイオトイレ]→13:30[辻子谷ハイキングコース北出合]13:24→[あじさい園北口]→13:58[ぬかた園地南分岐]→14:13[ぬかた園地ゲート]→14:24[暗峠・下方分岐]→14:28[なるかわ園地ゲート]→14:33[なるかわ休憩所(休憩)]15:00→(万葉植物展示園)→15:33[鳴川峠]→16:04[鐘の鳴る展望台]→16:26[十三峠]→16:30[平群への分岐]→17:16[高安山駅]
◆所要時間:8時間16分
<鬱然たる気分>
「なるかわ休憩所」でのこと、今日の生駒山系縦走路で言葉を交わした唯一の人、その方は僕が其処に入った時には既に居られ、間も無く出て行こうとされる時に僕に会釈をされた。僕も会釈をし、「失礼ですが、お幾つですか?」と尋ねると、「73歳 数えで75歳」と答えられた。その方は、デイバッグを担ぐときに腕が上手く通らず苦労されるほどに、如何にも老人という様子であった。また、僕よりも5分程早く休憩所を出られたにもかかわらず、其処よりも直ぐ上の「万葉植物展示園」で僕はその方に追いついてしまった。そのときに「高安山まで行かれるのですか?」と「ケーブルの最終は何時頃ですか?」の二つの問い掛けをしたのだが、「はい」「遅くまである」との回答、「7時頃まではあるんですね、ありがとうございます」「お先に失礼します」と言って僕は先を急いだ。
併しだ、高安山駅に着いて時刻を確認すると最終は18時10分で、その方の歩みでは、その時刻に間に合わないに違いない。何処かの峠から下山されたのだろうかと心配になったと同時に、「もう7年後には、我が肉体もその老人の如くなるのかも知れない」と思うと、遣り切れなくて鬱然たる気分に陥ってしまい、その思いは我が心中から離れることはなかった。
「ほしだ園地」から見上げる空は快晴で、駐車場の傍らには水仙が咲いていた。ところが、生駒山系縦走路では処々に雪が残り寒風が吹き付け、冬山用下着やヤッケも含めて終始5枚を羽織り最初から最後まで1枚たりとも脱ぐことはなかった。また左手をズボンのポケット中に入れておかないと、手袋をしているにもかかわらず携帯が触れないほどに手が悴んだ。また、トレイルラン靴にもかかわらず軽微だが外反母趾に痛みが生じ、左足脹脛に筋肉痛が生じた。
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ほしだ園地~むろいけ園地~生駒山~枚岡神宮(山の会への勧誘)

2016年04月06日 | 山野歩
2016年1月16日(土) 
『山野歩』
<ほしだ園地~むろいけ園地~生駒山~枚岡神宮>
[コースタイム]
[京阪・私市駅]10:40→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→11:12[ピトンの小屋]→(さえずりの路)→11:29[やまびこ広場]11:39→(まつかぜの路) →12:07[飯盛霊園・境界鞍部]→[飯盛霊園内正門]12:20→[戎バス亭]→12:27[ビオトープ田原の里山・車止め]→12:47[堂尾池(昼食)]13:10→(小池)→[むろいけ園地入口]→(湿生花園) →[阪奈道路]→(産業廃棄物処理場)→[農地終了地点分岐]→(カントリークラブ端付近)→15:17[辻子谷ハイキングコース北出合]→[額田園地南分岐]→[暗峠・下方分岐]→「鳴川園地ゲート」→16:25[鳴川休憩所]16:30→(神津嶽ハイキングコース)→[枚岡展望台]→(神津嶽ハイキングコース)→[枚岡神宮]→[枚岡駅]
◆所要時間:6時間?分
<山の会への勧誘>
今日明日と、山の会例会は比良山系堂満岳においての雪上トレーニングなのだが、残念ながら我が足は外反母趾の関係で登山靴が履けないという状態にあって、登山靴を必要とする雪山には行くことができない。それゆえ僕は、6日前と同様、一人で生駒山系の山野歩にやって来た。テーマは「速歩」であったのだが、今日履いていたトレイルラン靴であっても軽微だが時折外反母趾に痛みが生じた。
そもそも今日の山野歩は明日の予定であったのだが、「明日は雨らしいから今日行ってきたら」と上さんに言われて、生駒山系縦走路にやって来た。土曜日であっても丁度山に行くことができる環境に僕はあった。
くしくも前回と同じ時刻に私市駅をスタートする。懸命に歩いた。速歩を心掛けた。意識して地面を蹴るように歩いた。前回のタイムを上回ることを目標に只管歩いた。
堂尾池への道に入って僕の後ろを付かず離れず歩くひとりの人が居ることに気付く。昼食にしようと堂尾池畔の椅子に腰掛けると、その人も離れた処にある椅子に腰掛け、お昼にする様子であった。その人は女性のようであった。
昼食を済ませ再び歩き始めるときに、その人に僕は声を掛けてみた。「何処まで行かれるのですか」と。回答は「石切」であったと記憶するが定かではない。その他、我が山の会のことや、怪しいものでないということも含めて、僕の職業やその名称、我が電話番号やブログ名称、山の会の名称、そして「我が山の会に一度来られませんか」と誘ってみたが、既に労山に入会しているということで、残念ながら電話を戴けそうもない様子であった。僕が声を掛けたその女性は河本さんという方で、木々の花等、山にかかわる話題で盛り上がり、枚岡駅まで一緒に楽しく歩かせてもらった。
また、渡辺さんという女性に道を尋ねられ、生駒山の入り口辺りまで一緒に歩き、河本さんと同様、山の会の名称等と伝えたが、さて連絡を戴けるのだろうか。
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ほしだ園地~むろいけ園地~生駒山~枚岡神宮(哀惜を瞬時懐く)

2016年04月02日 | 山野歩
2016年1月10日(日) 
『山野歩』
<ほしだ園地~むろいけ園地~生駒山~枚岡神宮>
[コースタイム]
[京阪・私市駅]10:40→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→11:15[ピトンの小屋]→(さえずりの路)→11:34[やまびこ広場]11:45→(まつかぜの路) →12:14[飯盛霊園・境界鞍部]→(飯盛霊園内)→[戎バス亭]→12:46[ビオトープ田原の里山・車止め]→13:02[堂尾池(昼食)]13:30→(小池)→13:45[むろいけ園地入口]→(湿生花園) →14:15[阪奈道路]→(産業廃棄物処理場)→14:34[農地終了地点分岐]→(カントリークラブ端付近)→15:22[辻子谷ハイキングコース北出合]→15:50[額田園地南分岐]→16:18[暗峠・下方分岐]→16:21「鳴川園地ゲート」→16:25[鳴川休憩所]16:30→(神津嶽ハイキングコース)→[枚岡神社神津嶽]→[枚岡展望台]→(神津嶽ハイキングコース)→[枚岡神宮]→17:27[枚岡駅]
◆所要時間:6時間47分
<哀惜を瞬時懐く>
「朝、自宅を出るのが遅くなってしまったので、高安山まで行くのは不可能だろうが、せめて暗峠までは行きたい」「今日はポールを使用しないで、我が脚腰のみで歩き通したい」と念じ私市駅をスタートした。「左足の外反母趾が酷くならないように」と祈りつつ、足下を見て黙々と懸命に歩くのみであった。
そして最後の最後にこれ程までに素晴らしい景観に出合えるとは予想だにしなかった。その景観とは大阪の街が一望できる枚岡展望台からのそれで、梅田のビル群が見え、その左手にハルカスが聳え、その左手に、真ん丸い朱の夕陽が西方に沈まんとするそれであった。もしかすればそれは、生駒山系から見られる大阪の街の最も素晴らしい景観であったのかも知れない。澄み渡った大気や天候にも恵まれ、丁度よい雲量と時刻と標高、そして前方に遮る物が無いという恰好の条件下のみでしか味わえないもので、それは17年前に逝った希世子に見せてやりたいと思ったほどの景観でもあった。「希世子が健在であったなら、この風光絶佳なそれをキャンバスにどのように描いてみせたのだろうか」という哀惜を瞬時懐いた。
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