山野颯想

山野走、山野歩、山野逍遥など、山野にかかわる事柄を中心に記載しています。

体調(両親から頂戴したDNA)

2012年12月30日 | 健康・病気

Aka007

◆撮影:2007年1月1日、交野山頂にて

(暁光)

2012122日(日)

『体調』

<両親から頂戴したDNA

1128日を境にして山野走が楽しめる状況ではなくなってしまう。腰痛、頸椎痛、胃炎、頭痛、風邪引き、胸の痛みなどが明確に症状として出現し我が体調は最悪の状態に陥ってしまった。28日以降何となく熱っぽく身体がだるく、眼奥に痛みがあり乾いているような状態が続き、「走りに行きたい」と云う思いと「走ることにより今以上に体調を悪化させてはならない」と云う考えが我が心底に同居している。

ところで、今僕の身体に生じている症状の中で、もっとも先に挙げなければならないのはやはり“腰痛”だろう。去る7月初旬の痛みを「10」としたとき今の痛みは「7」くらいと、まだあのときの状態と比して酷くはないのだが、それでも坐る姿勢より立ち上がろうとするとき、症状が頭をもたげ我が腰は素直に伸びてくれない。また屈む姿勢も至極辛い。しかも動くときに上半身と腰と脚との一体感が無くバラバラ状態で、「この状況では走ることは不可能だろう」と考えてしまう。長年腰痛と付き合っているのだが、今年の腰痛は異常だと言っても過言ではない。今までなら一ヶ月も掛からず治癒し、しかも症状が完全に消滅するのだが今年は痛みが消えることは無い。

次は“頸椎痛”だ。首を前後や左右に傾けるとき、また後ろを振り向くときにもかなりの痛みが生じる。頭痛はそれが原因となり発生しているのかもしれない、また肩や肩甲骨にも詰まった感が常に存在する。

頸椎や腰同様、胃も僕にとっては長年に亘る持病の一つだ。食欲が無いわけではないが、一度に多くを食することが出来ない。例えば夕食に食べ過ぎると、朝目覚めたときに胃に鈍痛を感じる。その鈍痛を2009年秋から2010年春にかけてかなり強く感じたのだが、その異常な痛みに不安を懐いた20102月上旬、僕は生れて初めて胃と大腸の内視鏡検査を行なった。そのときの検査結果は“委縮性胃炎”と“内痔核・度数1”で、大腸については「大変綺麗ですよ」と言って戴いた。

また風邪引きの症状がこれ程に長期間続くことも嘗て無かったように思う。熱っぽいのと胸上部が痛むのは風邪の所為かもしれない。どちらかと云うと僕の睡眠は熟睡型で、布団に這入ると直ぐに眠ってしまい、朝目覚めるまで夜半に目が醒めることは殆ど無いのが常なのだが、ここのところ夜中に目覚め咳き込むことがしばしば起こる。

併しだ、これらすべての事柄は我が身体の老化を起因としているのだろうし、両親から頂戴したDNAからは逃れることは難しいのかもしれない。仕方が無いことなのだろう。

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黒添池より交野山へ(疲労困憊)

2012年12月29日 | 山野走

Aka006_3

◆撮影:2007年1月1日、交野山頂にて

(暁光)

20121128日(水) 

『山野走』

<黒添池より交野山へ>

【コースタイム】

[京阪電鉄・私市駅]60300→[月ノ輪滝]→[すいれん池]→63731[黒添池]64600→[八橋]→[交野市野外活動センター(ぼうじの里)]→74125[交野山]74500→[白旗池]→[国見山・直下]→82814JR津田駅]

<疲労困憊>

昨年11月に私市森中を早朝に走り始めて以降、“ほしだ園地”で複数回出会っていて、唯一立ち止まり言葉を交わしたこともある昭和24年生まれの男性と、今朝、交野山までもう少しという上り坂で出会ったのは真に奇遇であった。彼にも僕同様、「こんな処で出会うとは考えだにしなかった」と云う、破顔一笑の表情があった。“ほしだ園地”をホームグラウンドとして歩くことに常日頃より慣れ親しみ、時には信州方面まで出掛けられるのだろうと、僕は勝手に考えていた。ところが見事に外れることになる。「信州方面に若いときには行った」「電車賃が要るから今は行かない」「住いは星田」と彼は話した。「“かいかけの道”を歩いて」などと、交野山方面の散策路の名称も知っておられ、“ほしだ園地”ばかりでなく、星田より歩いて交野山方面までも来られているようだ。

今朝は放射冷却現象で大阪ではこの秋以降の最低気温を記録したそうだ。“くろんど池” 池面には、水面より水蒸気が立ち昇る明確な自然現象があった。また、この月曜日の降雨を伴う嵐が落葉を促したのだろう、足下には茶褐色の葉っぱだけではなく、緑や黄色の葉っぱも新たに敷き積もっている処も数多あり、その華やかな色彩を見ているだけでも厭きることはなかった。なかでも“八橋”辺りの路面に敷き積もる落羽松の細い赤茶の葉っぱの色彩は格別であった。

我が体調は芳しくなかった。JR津田駅に辿り着いたときには疲労困憊の状態で、その上、帰路のバス中で車酔いに陥ってしまい自宅に戻ったときには最悪の体調であった。何故これ程までに疲労してしまったのかと考え、直ぐに思いついたのは、胸の痛みであった。私市駅をスタートし直ぐに痛み始めた左胸上部、突然冷たい空気が肺の中に侵入した所為かと考えたが、その痛みは最後まで消えることはなかった。

次に思いついたのは腰の状態悪化であった。一時かなり改善したように思っていたが、普段の生活の中であってもここのところ違和感が増幅していた。それが今朝、走るときの姿勢に某かの影響を与え、不味い姿勢で走っていたのかもしれない。今日の最大の疲労原因はこの腰の不安定さと、寒かったことにあったのかもしれない。

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ほしだ園地(2歳8ヶ月)

2012年12月23日 | 山野逍遥

B195

◆撮影:2005年11月27日、ほしだ園地(ピトンの小屋付近)にて

20121125日(日) 

『山野逍遥』

<ほしだ園地>

【コースタイム】

[私市駅]1210→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→1323[ピトンの小屋]1500→(かわぞいの路)→1627[私市駅]

28ヶ月>

J太郎と“ほしだ園地”にやって来るのは今日で四度目だ。そして過去三度より更に奥へと進み、J太郎の足の向く儘気の向く儘状態で“ピトンの小屋”までやって来た。

角度のある下り階段や段差の大きい処では「Jちゃん、ちょっと無理」と言ってJ太郎の後ろに居る僕の顔を仰ぎ見る。併しだ、それ以外のところで僕が手を出すと、「Jちゃん、一人で」と云う言葉を再三発する。何事でも自分でやりたいのだろうと思いできるだけ手を出さないように努め歩き続ける。平坦な道なら走り始めたりするが放っておく。一度見事に前へとつんのめり転んだが、幸いに怪我も無く何事も無かったように起き上って歩き始めた。28ヶ月のJ太郎の歩みは完璧であった。

“かわぞいの路”の桐の高木が立ち並ぶ少し薄暗いところ、僕が「この木は桐と云うんやで」と言いながら苔生す桐の太い幹を平手で叩くと、桐の木々それぞれが奏でる音に違いがある。前回も僕は同じことを行なったのだが、そのときJ太郎は、掌に苔がつくことにより「手が汚れる」と云う表情をしたのだが、今日はそのような仕草をすることはなく如何にも楽しそうに何度も叩いた。

「ピトンの小屋までは行きたい」と僕は考えていた。否“ピトンの小屋”と云うよりもクライミングウォール前の広場へ行きたいと考えていた。それまでの森中の道とは違って、J太郎はそこで開放的な雰囲気を存分に味わえるに違いないと考えていたからだ。その目標地点に私市駅をスタートしてから1時間10分後に辿り着く。先ずはJ太郎がもっとも楽しみにしていた弁当タイムだ。銀マットを敷き上さんが準備してくれた二つのお弁当と熱いお茶が入ったテルモスを取り出した。J太郎は嬉嬉として頬張った。

これ程までに人で溢れる“ピトンの小屋”前の広場を見るのは初めてかもしれない。その広場でJ太郎は懸命に遊んだ。自分より年長者の子供達が追っかけごっこをしている、その光景に触発されたのだろうか、「ウォー」と云うような声を張り上げJ太郎が走り始める。一度J太郎の姿を見失い焦って探す場面もあったくらいだ。

クライミングウォールの左横に高さ1m余りの子供向けの登攀壁がある。それは右側から左へとトラバースできるようになっていて、そこに子供達の行列ができていた。ホールドにJ太郎を乗せてやるが、身長と手足の長さの不足ゆえまったく移動ができない。降ろしてやりその場から離れようとすると、小声で「登りたい」と言った。再度並び再挑戦するも結果は同じではあったが、本人は満足した様子でその場を離れた。

15時が廻っても、“ほしだ園地”駐車場に這入るための車の渋滞が168号線にまだ残っていた。私市駅からのハイキングを楽しむ人々も多いが、車で来られる方も至極多いようだ。

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ほしだ園地より、むろいけ園地経由で生駒山頂へ

2012年12月22日 | 山野走

B205

◆撮影:2005年11月27日、ほしだ園地にて

(ソヨゴ)

20121123日(土) 

『山野走』

<ほしだ園地~むろいけ園地~生駒山頂>

【コースタイム】

[京阪・私市駅]63300→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→65534[ピトンの小屋]70000(さえずりの路)71444[やまびこ広場]72000(まつかぜの路) 74137[飯盛霊園・境界鞍部]74500→(飯盛霊園内)→[戎バス亭]→80338[k]→81802[堂尾池]82400(小池)83839[むろいけ園地入口]→(湿生花園) →[むろいけ園地出口]8530090710[阪奈道路]→(産業廃棄物処分場)→(カントリークラブ横)→101820[生駒山頂遊園地入口]

<冷気に包まれる生駒山頂>

森中を走るとき、普段僕が見につけているティーシャツやパンツは、いずれも極一般的な綿製品の衣類だ。それらの綿製品の衣類は汗で濡れると冷たくなってしまう。それが原因だろうと思っているのだが、現在僕は風邪を引いている。風邪の兆候が出て既に半月以上が経っているのだが一向に治る気配はない。

今日の生駒山行きは後半歩いてしまうのは間違いがなかった。それゆえ、「冷え」対策として速乾・吸湿の半袖ティーシャツとパンツを見につけ、上着を普段より一枚多くリュックサックに忍ばせてやって来た。生駒山頂への急登を歩き始めると半袖ティーシャツ一枚の我が身体は案の定急激に冷え始め、遊園地のゲートを潜るや否やレストランに飛び込むこととなった。

先ず善哉を頂戴した。かじかむ両手を善哉が入った器にくっ付け温めるが効果が無い。次にホットココアを注文し手指を温め続けた。半袖ティーシャツ上に長袖シャツを羽織ろうとするが、袖口のボタンは勿論のこと前ボタンも上手く留めることができない。手袋をしていたにもかかわらずそれぐらいに手指がかじかんでいた。さて、今朝の生駒山頂は、何度まで気温が下がったのだろうか。ケーブルカー乗り場に向かうとき、いつも着用しているジャンパーも含めて4枚も着込んでいるにもかかわらず、骨身に沁みる冷気が我が肌に忍び込んだ。“やまびこ広場”でひと休みするとき、高積雲雲間に僅かに青空が覗いたが、空に青色を見たのはそのときだけであったように思う。

“ビオトープ田原の里山”の“ドッぴ―広場”にウメバチソウが咲いていた。植栽をされているとのことであったが、この季節、開花する花に出合えるとは様子だにしなかったゆえ、至極嬉しい出合いであった。楓の紅葉の最盛期を過ぎてはいたが、足下に敷き積もるまだ散って間も無い落葉は華やかな色彩を失っていない。

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ほしだ園地(挨拶を交わす)

2012年12月16日 | 山野走

B191

◆撮影:2005年11月27日、ほしだ園地(ピトンの小屋付近)にて

(イロハカエデ)

20121121日(水) 

『山野走』

<ほしだ園地>

【コースタイム】

[私市駅]61800→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→63949[ピトンの小屋]64300(さえずりの路)65726[やまびこ広場]70000(まつかぜの路) 72004[飯盛霊園・境界鞍部]72300(せせらぎの路) →(管理道)→[やまびこ広場]→(さえずりの路)→(管理道)→[ピトンの小屋]→(かわぞいの路)→80757[私市駅]

<挨拶を交わす>

今朝、“ほしだ園地”の森中で78名の方に出会う、平日で尚且つ寒いにもかかわらず多くの人に出会った。勿論のことすべての方が高年者だ。

僕は朝“ほしだ園地”や“くろんど園地”を駆けるとき、森中で出会う方には必ず挨拶をしようと思っている。今朝もすべての方々に「おはようございます」と声を掛けたのだが、一人の男性を除く7名の方から会釈なり返事があったし、僕が声を掛けるまでもなく、相手の方から先に挨拶をしてくださった場合もあった。返事が無かった一人の男性は、僕の方を見ることも無く黙って平然として僕の横を通り過ぎて行かれた。その返事が無かった方のそのときの心境は如何なるものだったのだろうかと考えるが結論は出ない。

併しだ、同じ“ほしだ園地”内であっても、日中の歩く人が多いとき、人と擦れ違ったときに自身が挨拶をするかと云えば、おそらく「いいえ」なのだろうと思う。例えば上高地において、上高地バスターミナルから明神へと続く人で溢れる夏の季節の道で、出会うすべての方々に挨拶をするかと云えばやはり「いいえ」なのだろう。さすれば、「挨拶をする場合」と「挨拶をしない場合」の違いが何にあるのかと考えるがやはり分からない。

“せせらぎの路”を、足下を注視し下るとき、前方より来られた方に先に声を掛けられた。昨年11月より“ほしだ園地”を走り始めて以降、その人とは何度か同園地内で出会っている。彼は頭から足先まで山野を歩くための装束を身につけ、リュックサックも背負っておられて、僕と同じ昭和24年生まれの人であった。春先のことであったと思うのだが、その男性とは二言三言ではあったが一度だけ言葉を交わす機会があった。

今朝、どちらからと云うこともなくそれぞれがほぼ同時に「久し振りですね」と云う言葉を発していた。彼の「夏の間お見かけしなかったですね」との問いに、「腰痛で789月と沈没していましたから」「11月からは完全復帰したのですが、会わなかったですね」と僕が答えると、「朝、まだ暗い内に歩いていましたから」と彼は答えた。磐船街道入口に設置された「電光道路情報表示板・気温計」に往路でプラス5℃とあった。

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ほしだ園地(くろんど園地とほしだ園地の差異)

2012年12月15日 | 山野走

B201

◆撮影:2005年11月27日、ほしだ園地にて

(星のブランコ)

20121119日(月) 

『山野走』

<ほしだ園地>

【コースタイム】

[私市駅]63600→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→65729[ピトンの小屋]70000(さえずりの路)71426[やまびこ広場]71700(まつかぜの路) 73811[飯盛霊園・境界鞍部]74100(せせらぎの路) →(管理道)→[やまびこ広場]→(さえずりの路)→(管理道)→[ピトンの小屋]→(かわぞいの路)→82644[私市駅]

<くろんど園地とほしだ園地の差異>

昨朝は“くろんど園地”、そして今朝は“ほしだ園地”と二日連続で私市の森中へやって来た。そして気づいたことがある、それは森中の静けさに差異があるということだ。

“くろんど園地”は“ほしだ園地”と比して極めて静かで、清閑な森中の雰囲気が楽しめる。聴こえるのは心地好い沢音の旋律と小鳥達の歌声、風のさやぎ、そしてもう少し以前なら虫の鳴き声もあるのだが、それら以外には如何なる音も存在しないのではないだろうか。それに比して“ほしだ園地”は、森中の何処に居ても自然音以外の某かの音が耳に届く。なかでも“かわぞいの路”では国道168号線を走る乗用車やトラック、そしてバイク等の車音が終始聞こえるし、“やまびこ広場”では国道163号線からの車音だろうと思うのだが、その音が微かに聞こえる。また京阪電車の列車音なのか、それとも学研都市線のそれなのかは分からないのだが、それらの列車音が時折耳に届く。今朝、“飯盛霊園・境界鞍部”でひと休みするとき、頭上に飛行機の爆音があった。空を見上げると朝陽により銀色に輝く機体が東に向かって走っている。飛行機の飛行ルートが丁度“ほしだ園地”の上空にあたっているのだろうか。

今朝、森中の色彩が一層華やかになった。トウカエデの葉っぱは散ってしまい、イロハモミジも最盛期は過ぎ去ってしまったが、森中の様々な葉っぱが黄や橙、そして紅、朱赤、茶褐色などと、華やかな様々な色彩に彩られている。なかでも時折林中に現れる艶やかな朱赤の低木はウルシの仲間なのだろうか。草紅葉も然り、走る足下の落葉の色彩も華やかになった。まさに「山粧う」季節に突入しているのだろう。

磐船街道入口に設置された「電光道路情報表示板・気温計」に往路でプラス4℃とあったが、然程寒気を感じない。今朝私市駅舎をスタートするときからティーシャツ一枚であった。

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ほしだ園地(J太郎とスジアオゴミムシ)

2012年12月09日 | 山野逍遥

B197

◆撮影:2005年11月27日、ほしだ園地にて

(ニシキギ)

20121118日(日) 

『山野逍遥』

<ほしだ園地>

[私市駅]→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→[星の里いわふね]→[私市駅]

J太郎とスジアオゴミムシ>

午後から時間が空いたゆえ、J太郎を森中に連れて行ってやろうと思った。私市駅舎を出たのは14時前ごろ、駅に戻ってきたのは16時を少し廻っていたように思う。リュックサック中に、熱い緑茶が入った水筒と我が家にあった彼が好きなお菓子を少しだけ忍ばせ、枚方市駅構内売店で小袋のお菓子を一袋追加した。

“かわぞいの路”を、前回よりも更に奥へと進む。放っておけばJ太郎はもっと前進していたに違いない。ところが今の季節、意外と早く日暮れが訪れ寒くなる。帰路を考えるとこの辺りが限界だろうと考えた僕は、「お菓子とお茶にしよう」とJ太郎を促した。

帰路、前回一時間以上もの間、石を川中に投げ続け夢中になって遊んだ川原が眼下に見える処にやって来たとき、彼はその川原に下りるための階段上に立ち、「下りたい」と云う意思表示をした。「お母さんもお祖母ちゃんも待っているから帰ろ」と促すがまったく効果がない。観念した僕は彼の手を握って下り始めた。川原で遊んだのは15分くらいだろうか、「帰ろ」と促し階段を上り始めると彼はゆっくりした歩みでついて来た。

今日出合った唯一の昆虫、それは、J太郎が見つけた一匹のスジアオゴミムシなのだが、身長が2cmにも満たない動くその虫を彼は触ることはできなかった。僕が触るとその虫は死んだ振りをして動かなくなるのだが、ジッとしていてもやはり彼は触ることはできない。ところで、彼はよく歩いたしよく走った。一度前へとつんのめり見事に転んだのだが、彼は何事も無かったように立ち上がった。ところが、今年の814日の豪雨による被害からまだ完全復旧していない“かわぞいの路”の起伏のある滑り易い処にやって来たとき、彼は僕を振り返り「無理」と云う言葉を使った。僕は彼を右肩に担ぎあげた。

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くろんど園地(ニシキギ)

2012年12月08日 | 山野走

Wa013

◆撮影:2006年11月5日、くろんど園地(すいれん池)にて

(ニシキギ)

20121118日(日) 

『山野走』

<くろんど園地>

【コースタイム】

[私市駅]63100→[月ノ輪滝]→[すいれん池]→70234[くろんど池]70500(くろんど池コースの道)(さわわたりの路)(そよかぜの路)71731[展望台]72000→(管理道)→74056[キャンプ場]74400→(管理道)→(やまごえの路)75846[水舞台]8010080714[草原広場]80900→[すいれん池]→83112[私市駅]

<ニシキギ>

今が、ニシキギのもっとも美しい時期なのかもしれない。なかでも、展望台より少し下った処、右手路傍にあった人の丈よりも大きい複数本のニシキギは、華やかな朱赤の色彩を呈している。その見事な色彩を見るや否や僕は暫し立ち止まり、朱赤の葉っぱを思わず触っていた。また、キャンプ場の西端にもニシキギが数多植えられていて、その色彩は雑然とした天幕場に彩りを添えている。

僕がニシキギと云う樹木の名称を初めて知ったのは、黄葉の季節に“すいれん池”畔に立つ茶褐色に染まった落羽松の傍らで華やかな朱赤の色彩を放つ樹木に気づき「さてこの樹木の名称は?」と図鑑を開いた10年以上もの昔であったと記憶する。ところで、今朝僕は“すいれん池” 畔のニシキギを見ていない。また、落羽松の立ち姿でさえ、またその傍らのイロハカエデも僕は見ていない。今朝“すいれん池”畔を通り過ぎるとき懸命に走っていたのだろう。

6時前、出掛けようと屋外に出たとき雨が降っていた。出掛けるのを諦めて自室に戻り着替え始めるが、何ゆえか無性に私市に行きたくなった。「降り続くはずはない、もし降られても構へん」とリュックサックに傘を入れ駅へと歩むときには既に雨はなく、それ以降も降られることはなかった。

展望台で一休みするとき、東方の空を鉛色の雲が覆うが、その雲間より差し込む太陽の光芒に今日の好天を予感した。しかし生駒の頂は見えないし、勿論のこと葛城の峰も見えない。森中の楓の黄葉は最盛期を過ぎようとしていた。

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ほしだ園地(ピトンの小屋の椅子)

2012年12月02日 | 山野走

Si028

◆撮影:2012年10月14日、八雲ヶ原湿原(比良山系)にて

(アキノキリンソウ)

20121114日(水) 

『山野走』

<ほしだ園地>

【コースタイム】

[私市駅]71000→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→73126[ピトンの小屋]73400(さえずりの路)74852[やまびこ広場]75200(まつかぜの路) 81152[飯盛霊園・境界鞍部]81400(せせらぎの路) →(管理道)→[やまびこ広場]→(さえずりの路)→(管理道)→[ピトンの小屋]→(かわぞいの路)→85838[私市駅]

<ピトンの小屋の椅子>

目覚めたとき、目覚めの予定時刻より一時間余り過ぎている。「行くべきか行かざるべきか」と暫し躊躇するが行くことに決定、一時間遅れの私市行きとなる。私市駅舎を出たなら直ぐに走り始めることができるようにと、電車が河内森駅を過ぎたところで車内にて上着を脱ぎティーシャツ一枚になる。

磐船街道入口に設置された「電光道路情報表示板・気温計」にプラス7℃とあったが、然程寒気を感じない。そのとき寒さが苦手な我が心中に「まだ零下ではないよな」と云う自身でも不思議な思いがあった。飯盛霊園境界鞍部で一息入れるとき静寂な森中に雨が落ちる微かな気配がする。しかしそれは瞬時のことで、“管理道”を懸命に上るとき、僕の肌に雨粒が当たることはなく安堵する。見上げると空は鉛色一色であった。

極最近になって“ピトンの小屋”にプラスチック&金属製一人掛けの椅子が複数数置かれた。その椅子を見るや否や、それらは“ピトンの小屋”に似合っていないのではないかと思った。従前そこに置かれていた木造りの腰掛けは、小屋の左手の方へ移動した様子で、僕はその木造りの椅子に坐って一息入れた。役所は何故、木造りの椅子を止めて一人掛けのそれもプラスチック&金属製の椅子にしたのだろうか。耐久性にあるのだろうか、それとも価格面で木造りの椅子の方が高くついてしまうのだろうか。何ゆえ長椅子ではなく一人掛けの椅子にしたのだろうか。

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ほしだ園地(犬と飼い主)

2012年12月01日 | 山野走

Si039

◆撮影:2012年10月14日、八雲ヶ原湿原(比良山系)にて

20121112日(月) 

『山野走』

<ほしだ園地>

[私市駅]60300→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→62446[ピトンの小屋]63000(さえずりの路)64404[やまびこ広場]64800(まつかぜの路) 70716[飯盛霊園・境界鞍部]71000(まつかぜの路) →[やまびこ広場]→(つつじの小路)→72954[展望スポット]73300→(つつじの小路)→(さえずりの路)→(管理道)→[ピトンの小屋]→(かわぞいの路)→80311[私市駅]

<犬と飼い主>

まだ夜が明けていない暗い“かわぞいの路”を走るとき、道が緩やかに右へとカーブをきる処に差し掛かったとき、前方より疾走して来る小さな動物が目に留まった。「あの犬や」と思うや否や前方にヘッドランプの灯が現れた。擦れ違うとき、ヘッドランプをつけた人物が「すみません」と呟いた。僕の横をすり抜けた小犬は、直ぐに戻って来て僕の足下で吠え続ける。もし僕の足に噛みつこうものなら、蹴ってやろうと身構えると向きを変え飼い主と思しき人物の方へと駆けて行った。

この犬と人物には昨冬三度出遭っている。初めて遭ったときも今朝同様のまだ暗い“かわぞいの路”であった。そのとき僕は、前方より疾走してくる小動物が犬だと理解できず、その動物を避けようとして路傍へと飛び膝を地面に着き転倒しかけた。その直後に現れた男性はそのときもやはりヘッドランプを装着していた。紐につないで散歩して戴くようにお願いしたにもかかわらず、三度目に出合ったとき暗い中で僕は彼に言った、「紐につないで散歩してくださいよ」と。

里山で山野走や山野歩を楽しむときに、僕がもっとも恐怖を感じるのは野犬だ。街中も含めて久しく野犬に出遭ったことはないが、僕がまだ子供であった頃、それは遥か50年以上も昔のことだが、保健所の方(?)が野犬狩りを行ない、車両荷台鉄格子中で慟哭する野良犬達の姿を惨憺たる思いで眺めていたのを覚えている。役所の努力のお蔭や動物を飼う人の倫理観の変化があったりして野放しの犬を見かけることは皆無となった今日だが、“ほしだ園地”の路を走るとき、過去に何度か、鎖につなぐことなく犬を連れて歩く人の姿を目撃している。「私の犬は人に危害を加えることはない」とその人達は考えておられるのだろうが、はたしてそうなのだろうか。また、「犬糞の処理を飼い主の方にお願いしたい」と云う看板が“やまびこ広場”などに掲げられているが、犬を紐でつなぐことなく、それも早朝に森中を犬とともに歩く人は、犬糞の処理を行なわない人達なのかもしれない。

久し振りに“展望スポット”にやって来た。眼下に“星のブランコ”が見え周辺の木々に黄や橙、赤の色彩が目立ってきた。北方遠景に摂津の峰々が淡く青く横たわり、竜王山の奥に愛宕山が微か見える。紅葉の最盛期にはこの“展望スポット”は多くの人々で賑わうのだろう。帰路、管理道より“ピトンの小屋”を東方に見降ろす景色が殊のほか綺麗だ。トウカエデは早散り始めているがヤマモミジは深紅に染まり、ケヤキなど様々な木々の黄葉と相俟って“ピトンの小屋”周辺は、華やかな色彩に包まれている。

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