プルサーマル計画を憂慮する有志の会

原発問題に関して投稿します。

過酷事故対策の問題点

2012-06-29 10:35:32 | 日記
 事故後なされた4つの事故調査委員会でも、結局のところ、事故原因の究明も、新たな事実も出てきませんでした。責任の所在も棚上げにされ、再稼動の路線が敷かれた今、フクシマの事故がこのまま風化し、被害だけが今後大きくなっていくのではないかとの危惧を感じます。そんな中、原子力を推進し、また「日本の原発の過酷事故対策をつくる全ての作業に関わ」ったという、原子力委員会委員長の近藤俊介氏のインタビューは、フクシマ過酷人災事故の問題点を浮き彫りにしてくれています。(以下、引用は『朝日新聞』)

 1号機の非常用腹水器のマニュアルに関して(同氏は)、「手順書の操作は、温度をあまり急に下げすぎると機器の寿命が縮むという財産保護の考えによるもので」、「緊急時はそんなことは気にせずに原子炉の温度を下げるべき」で、「一気に冷やし続けるべきだった」と答えています。何とも衝撃的な証言です。マニュアルは、過酷事故を防ぐ為でも、事故を拡大しない為でもなく、ましてや周辺住民の被爆を回避する為でもなく、機器という「財産」を「保護」するという観点から作られていたと言うのです・・・

 また水素爆発に関して(同氏)は、「3号機の原子炉建屋の屋根や壁に爆薬で水素を抜く穴を開けるため自衛隊に相談すべきだと考えた」そうですが、「東電が水の噴射で開ける方法を検討していると聞き、提言しなかった」、しかしその方法で「実行されなかったのは謎です。3号機が爆発しなければ、4号機も爆発しなかったかもしれない」と他人事のように話されています。以前にも書きましたが、火花が出ないドリルがあるそうで、メルトダウンの過程で大量の水素が発生し、配管等の継ぎ目から漏れることは(関係者なら)誰でも知っていたはずで、何故そうした機器を装備していなかったのか、何故手動で開く排気窓(或いは天窓)を作っておかなかったのか、何故水の噴射を実行しなかったのか、問題点ばかりが増えていきます。

 さらにベントの遅延に関しては、「米国では、全電源の喪失に備えてベント弁をこじ開ける道具を用意している。日本はベントをつけただけで、それを使うことが必要になる状況の分析や捜査の訓練が不十分」で、「1号機の腹水器はほとんど動かしたことがなかった」とのことです。ベント弁を付けることに、世界の中で最後まで無関心、無頓着であった電力会社と政府には、それを「使う」想定が全く欠如していたと言うのでしょうか・・・

 米国では、「非常用腹水器の弁が閉まらないように設定を変えた。日本はそのままだったので、事故の時に弁が閉まった。それに気付かずに動いていると思い対応が遅れた。この違いだけでも大きい」と言われていますが、その弁の設定を変えたのを知っていながら、何故近藤委員長は、対応しようとしなかったのでしょうか?「日本の過酷事故対策は詰めが甘かった」と自省されてはいますが、それは同氏の立場からすると、余りにも無責任な言葉に響きます。

 最後に近藤委員長は、「事故から教訓をくみ尽くすには、事故の進展の詳細な再現と理解が前提」、「それなくして事故を踏まえた安全対策をとったとは言えない。しかし、今ある(4つの)事故調査委員会では、どこも再現作業をしていない」と事故調査の最大の問題点を指摘しています。その為には、やはり東電の持つ全てのデータの公開と分析が必要になってくると思うのです・・・

P.S. 「日米両政府は、・・・オスプレイについて、7月末に米軍岩国基地に運び込んだ後、新たな事故調査の概要を米側が日本に伝えないうちは、試験飛行をさせないことで合意した」そうです。つまり、予定通り配備して、報告書を出して訓練を行なうということです。こうした合意とも取れない演出だけでもって、米国の方針を受忍せざるを得ないというのが、(過去から)現在の(そして未来の)日米の力関係であると、認識せざるを得ないようです・・・

by「プルサーマル計画を憂慮する有志の会」 (平成24年6月29日)