英語教育の哲学的探究2

柳瀬陽介が個人の資格で運営する英語教育の研究と実践のためのブログです。

Holidays are what you live for.

2006年12月19日 | 言葉
 今となっては記憶も定かでありませんが、子どものときに、誰かに(あるいは何かの本に)「『仕事は苦役だ』という考えは間違っている。仕事を喜びとするような生き方をせよ」と教えられました。子どもながらになるほどと思いましたので、以来、できるだけ仕事を喜びと考えるようにしてきました。

 この考えが全く間違っているなどとは思いません。しかし、内田樹さんのエッセイ

http://blog.tatsuru.com/2006/12/19_1116.php

を読んだり、自分の経験や毎日を振り返ったりしているうちに、「仕事は苦役だ」と考えた方が、案外、生きるのが楽になるのではないかとも思えてきました。

 仕事とは自分の喜びのためにするものではありません。
仕事とは他人を喜ばせるためにあります。だからこそ対価として金銭を得ることができます。
他人を喜ばせることは、常にとはいわないにせよ、たいていの場合、自分を犠牲にすることです。
仕事の喜びとは、他人が喜ぶのを見て、それで自分も嬉しくなるといった副産物的なものに過ぎません。仕事は、自分が主人公となって喜びを感じるものではありません。自己犠牲が仕事の本質といえるでしょう。
少なくとも社会はその前提で動いています。前提を無視してもあまりいいことはありません。
仕事は辛いものです。そして辛いことを自分の人生と考えるべきではありません。
自分の人生とは、仕事以外の自由な時間にあります。
----少なくとも、このように考えることはできるでしょう。仮に全面同意はできないにせよ。
仕事中毒の人間は、このような考えの可能性を認めるべきでしょう。

 仕事は喜びであるべきだ、と考えてきた私にとって、この「仕事は苦役だ」という考えは悲観的過ぎるようにも思えます。ですが、大きな喜びを期待してそれに裏切られたと感じて苦しむよりも、最初から仕事は辛いものとして耐える中で、望外の喜びを副産物的に仕事に見出すことの方が現実的かなとも思えてきました。

まあ、私もおっさんになったということでしょう(笑)


Barbara EhrenreichのエッセイFight for Your Right to Partyは、人間は旧石器時代から祝祭を楽しんできたと述べます。
According to anthropologists, human festivities – probably going back to the Paleolithic era – featured the universal ingredients of feasting, dancing, costuming, masking and/or face painting, for days at a time. These things didn’t happen indoors, within the family circle, but around bonfires, in the streets or the “dancing grounds” of prehistoric civilizations. Holidays bonded whole communities together, not just families.

そしてこの祝うという習慣は、中世でも近代でも続けられました。
Few, if any, cultures have ignored the human imperative to celebrate.

しかし現代からすると仕事を休んで祝うなどとは、愚かなことのようにも思われています。
From a modern, workaholic perspective, our partying ancestors were wasting precious time.

しかし次の昔の知恵は、現代にも思い起こされるべきではないでしょうか。
Work was something you did when you had to. Holidays were what you lived for.

みなさま、よきクリスマスと年末年始をお過ごしください。

TIME, December 18, 2006. p. 80