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日々の小さな出来事の写真日記

2008/03/29 天がにわかに曇り、「面とねぎ」が降ってきた

2008-03-29 20:06:43 | Weblog

■ 面塚 ―― 郷土の史跡

                【参考文献】 川西村史 川西村史編集委員会
                         川西町史 川西町史編集委員会


   寺川の宮前橋から東一丁(約100m)に面塚がある

中世芸能のうち、いまにその命をもち伝えているものは茶道と能楽であ
ろう。その能楽の一流派「観世流」の発祥の地が当地である。


   面塚

いつの世の頃にか、この地に天から「翁の面とねぎ種」が降ってきたと
の伝承があり「面塚」と称した。観阿弥、世阿弥父子がこの地に移り、
結崎座と称して芸道に精進した本拠の地の跡である。
観阿弥父子はその後、室町幕府三代将軍足利義満に見出されその
知遇を得て益々円熟の芸境に到達していくのである。 



昭和11年、観世流二十四世宗家観世左近氏の揮毫による、



「観世発祥の地」と




   面塚碑 後面

「面塚」の二碑を建立された。

昭和30年、寺川の改修工事で堤防敷地の下に埋もれることになった。
そのため工事完了を待って、堤防上に面塚碑、続く側面に観世発祥の
地碑を移した。



昭和42年、観世宗家元正が発起し、記念碑用地の周辺に石材の玉垣を
新設した。



寄付はシテ方観世流の玄人に限定し、一般へは呼びかけていない。
この玉垣新設の直前に面塚碑が観世発祥の地碑の近くに再移転させら
れたらしい。



玉垣に囲まれた区域内に「面塚古跡」の標準碑が新たに建てられた。




   後面、寄進者名か?


   現在の面塚

その後の研究で観世流の発祥の地について「?」をつける学説もあるが、
私は地元びいき、観世流の発祥の地は当地と信じている。


                   結崎ねぶか JAならけんより

なお、天から降ってきたねぎは「結崎ねぶか」といわれている。


   面塚の由来


■ 面塚公園

平成17年、この面塚に隣接して結崎面塚公園が造られ、憩いの場として
活用されている。
  

   面塚公園


   面塚公園内の能舞台


■ きょうのタマちゃん




    たり  ったり

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