親のもつ羨望

2013年11月20日 | 個人的お気に入りパンチライン集

親が子の成長を妬む、っていう状況はやはりあるなぁと感じていて、そしたら子どもは一体どうやって進めばいいよ?と。誰の喜びを頼りにしていけばいいのよ。そしたら成長することを諦めるしかないでしょ?と。(2012/11/10)


メラニークラインもそんなこと言ってたな。「親らしい心というものは自分が達成したくてもできなかった願望や成功を子供が持ったときに、羨望の気持ちを起こさず、本当に喜んでそのことを受け入れることである」byメラニークライン(2012/11/10)


自分と同じ失敗を子に求めたりね。自分と同じ成功を願ったり。子のなかに親である自分を押し込んでそれで一杯にしようとしてしまう、というか。かくいう私めも子ども相手でなくとも近しい人間やパートナーにいつのまにかそれに似たものを求めてしまったり、自分の羨望を知らずにそれを行ってしまうことがある。そしてその後静かに後悔する。自分の全てを変えることはできないが(むしろ変わったらそれはもう自分でなくなってしまう)、すくなくとも自分のなかにはそういう羨望する部分があるということを頭の片隅に知っているこころ持ちでありたいとは願っている。で、やっちまったときは正直に謝れる自分でありたいと思っている。後期ラカンではサントーム(症状)は自己の中核にあって、ボロメオの輪をつなぎとめる4つ目の輪であるという。存在論としての自分というサントームは消すことはできなく、うまく付き合っていくことしかできないんだ。不自由かもしれないけど、不自由のなかに自由もまた、あるというものだ。むしろ、不自由さを自覚する意識に自由は宿っている、というべきかもね。