和のこころ 

「和」のイベントを手がけるOLの日記

まんまるのお月さま

2010-04-29 22:50:37 | Weblog
今日からGWスタートです。

昨日が満月だったから、今日もまるいお月さまでした。

そして、昨日はひと月に一回の古事記の勉強会。

仲間が

「知ってました?たいてい古事記の会の時は、満月だったんですよ」

と教えてくれました。気付かなかった~。満月のもとでのお勉強会だったのですね♪


たけのこが届きました。~古事記 2~

2010-04-21 23:43:38 | 古事記
季節のものです。

筍が届きました。今からあわてて、あく抜きしているとこです。

たけのこは「古事記」にも登場しているようで、日本ではずいぶん昔から食べられていたんですね。

古事記の話・・・・

古事記のできたころの時代背景は、いろんな国や族がいた複合国家でした。壬申の乱の後、天武天皇の命で古事記は書かれようとしていました。しかし天武天皇の時代ではできずに、元明天皇の時代に完成します。
シャーマン、かんなぎの一族の稗田阿礼が各地をまわって聞いた話などを声でだし、それを
太安万侶が書き取ったというものです。

古事記に入る前に、まず歴史ってなんでしょう?

「自分の存在が正義であり、残していきたい」というものです。
(歴史は勝者の歴史ですもんね。教科書だって、そうだし・・・)。

歴史書は3つの本がそろって初めて成り立つものだそうです。

1.紀 ← 帝紀、天皇の帝紀
2.志 ← 地理
3.伝 ← 伝承・神話・風族の伝承

歴史はこの3つがそろい、しっかりとした文化として残っていくもの。
そして、歴史と文化のない国は滅びてしまうそうです。


天武天皇が歴史の重要性を考え、紀・志・伝 を書かせようとしました。
ですが、書かれたのは 日本書 の 紀 つまり、日本書紀しかできませんでした。

1、律令
2、日本書

この2本立てが強みと考え、聖徳太子が律令に手をつけ、天武天皇が実現しようと試みたわけです。

さて、古事記とは?古事記の役割とは?

また書きます。

たけのこ、そろそろいいかな~♪



Yuki Hanashima×KIMONO MODERN ~夏のゆかた おひろめの会~

2010-04-19 22:30:13 | Weblog
お友達のイラストレーター花島ゆきさんが
大人のかわいい北欧調ゆかたをつくられました。

うれしくかわいいDMいただきました。

会場は

4月27日~29日 ちゃな(大阪)
4月29日 5月1日、2日 高円寺書林
5月3日、4日 空色カフェ(東京)
5月4日~8日 木の花(福岡)
5月5日~8日 三つ豆(東京)

5月3日、4日の会場は、これまたお友達の空色カフェ

お友達たちが、がんばっています~♪

信じられないかもしれませんが・・・

2010-04-13 22:24:42 | Weblog
走ってます。なぜなら、これ

火曜・木曜は会社から。

土日のどっちかは、だいたい3~5キロ走ってます。

続いています。

信じられません、私が・・・・。

本当に生まれてこの方、嫌いで苦手なことだったから、うまく走れるだろうか、大丈夫だろうか・・と不安で走らずにはいられないのです。

そして、今んとこ、タイムはともかく5キロは走れているようです。

信じられません。

古事記のこと ~1~

2010-04-13 22:19:42 | 古事記
昨年、古事記を研究している人に会うために

とある先生に「古事記の概略教えてください」と失礼なことをいったことからはじまった
古事記の勉強会。

そろそろ一年たちます。

ほんとに何も知らなかったんですよ。学んだこと、少しずつ書いていきます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

古事記は712年、日本書紀は720年に書かれています。
同時期に書かれていますが、役割が違いました。

古事記は和漢文でかかれ、国内用のプロバガンダとして
日本書紀は純正の漢文でかかれ、対外用、海外にむけて書かれたものでした。
どちらも日本の王朝は天皇家が正規の王朝という概念のもと書かれたものです。


日本書紀は正史として、「書」として残す。古事記は語りべとして、全国に広まったものだそうです。そのお話を語ったのが、稗田阿礼。それを表記として完成させたのが、太安万侶。



古事記は

上 天孫降臨の最後のはなしなど神話

中 天皇家の説明、系図 神武天皇から応仁天皇までのはなし

下 仁徳天皇から推古天皇までのはなし

という構成になっています。

古事記が書かれた頃の時代背景が大事です。
日本は奈良時代まで複合国家で国際都市でした。そういった背景の中で書かれたことに
大きな意味がありました。

・・・・・・・・・・・・・・

今日はここまで。

井上ひさしさん逝く

2010-04-12 21:55:28 | Weblog
井上ひさしさんが桜の終わりの頃にお亡くなりになりました。

難しいことをやさしく
やさしいことを深く
深いことを愉快に
愉快なことをまじめに書くこと

これは井上ひさしさんの座右の銘だそうです。

私は書き手ではありませんが、全てに通じる言葉だと思います。

ご冥福をお祈り申し上げます。


昨年の今頃は・・・

2010-04-07 21:13:04 | Weblog


お遍路にでかけるべく、準備をしておりました。

今年はちょっと出かけられないかな。去年道中一緒になった方から連絡があり、今年も歩き続けるようです。




私はこの春はひとやすみ。でも、またでかけるぞ~。

昨年はお遍路とともに、どうしても徳島で人形浄瑠璃の農村舞台をみたくて、
某浪曲師さんに、以前徳島にいた新聞記者の方をご紹介いただき、その方がまたご紹介してくださった方が、徳島在住の方で農村舞台に案内してくれたのでした。感謝。





その方が、古事記は徳島から始まった~!という考えの持ち主の方で、お会いする前に
連絡のやりとりをしているときに、
「古事記をよんできてください」
といわれました。

概略だけ勉強しておこうと、去年の春思ったことからはじまり、今、古事記を学んでいます。

月に1回の講義で1年たちました。詳細はまた。

お遍路→徳島→農村舞台→阿波が古事記、日本の中心という考え方の人に会う

というきっかけのおかげで、この国の足もとに少しずつ気付き始めているところです。

業務(?)連絡

2010-04-04 18:49:45 | Weblog
昨日は、玉川奈々福おはようライブでありました。

むかっていたら、ちょっとよその事故にまきこまれ、そんなこんなしていたら、
携帯をなくしていたことに気づき・・・・。

「ああ、今日終わっちゃったな・・・」

ライブには行けなかったけれど、今日も奈々福さん、日に日に成長なさって見事なライブをされているのだろう・・と思っておりました。

ところで、業務連絡です。
携帯変えました。例のX・・・

gmailとなります。関係各位のみなさま、まだIモードと両方使えますが、Gmailに移行いたします。
また個々にご連絡させていただきます。


よかった、よかった沢村豊子の世界

2010-04-02 23:32:51 | Weblog
今日は木馬亭で浪曲三味線 沢村豊子の世界、行ってきました。

豊子師匠の三味線は、本当に違う!と素人ながらにわかっていましたが、今日もまた見事でありました。

同じ浪曲師で同じ話でも、曲師で全然違います。なんていうか、うまい曲師さんだと曲師と浪曲師の呼吸があって自然に観客ものっていくんです。
曲師さんは、浪曲師にあわせるために、じーっと浪曲師の呼吸や姿をみているんですって。

さて今日は、玉川奈々福さんと国本武春さん。
浪曲には関東節と関西節がありますが、奈々福さんは関東節、武春さんは関西節で、豊子師匠と。

見事、見事でした。こんなにも三味線の高さがそれぞれ違うのに、同じ曲師さんでぴたっとそれぞれのお話にあうのでした。

奈々福さんは、慶安太平記 牧野弥右衛門~ のお話。
武春さんは、忠臣蔵 赤垣源蔵~ のお話。

二人とも、そして豊子師匠、見事見事な会でありました。
今日の会、必見、必聴の会でしたね。

明日は玉川奈々福のおはようライブです~♪