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ここに居るよ!

■母と息子

2018-01-09 07:52:22 | 愚痴
夫は自分の母親が認知症になったことを、いまだに信じ切れていないようだ。
姑は、来る日も来る日も探し物ばかりしている。
同じことを何度となく私に尋ね、そのたびに応える私も流石に疲れてきたが、同居していれば避けようがない現実なのだ。
夫は、姑のその様子にイライラして怒り出す。
怒られた姑は泣き出す。
それは3人でお茶を飲んでいる時もあれば、食事中のこともある。
きっかけは、姑が間違った記憶を正しいと言い切ったときや、食事の仕方や食べこぼしの多さを指摘したとき、姑が素直に認めず言い訳をするときである。
もともと、姑は夫である故舅ともしょっちゅう口論をしていた。
穏やかな舅なのに、なぜあんなに怒るのか?と、私は思ったものだ。
おとなしい性格の舅だからこそ、強く言い返さなかったことが、余計に姑の言いたい放題が助長されたのかも知れない。



姑は几帳面で掃除や片付けをよくしたが、衛生面には気を付ける人では無かった気がする。
布巾と台拭きの区別をごちゃまぜにしたり、トイレの後の手洗いや、調理前の手洗いは怠り、残り物の保存もいい加減だった。
賞味期限も無視し、私は育児中にはとても不潔に思い手を貸されることを嫌った。
直接には言えずに遠まわしに言っても、姑は機嫌を悪くし冷たく当たった。
そんな性格を知ってからは、どんどん姑との距離が広がって行った。
私の方から拒否するようになったのかも知れないが、姑にしても「気に入らない嫁」と思っていたのだろう。
懐かない嫁ほど憎らしいものは無いのだから。



そんな性格の姑と夫は、実はよく似た性格で、お互い譲り合わないところがある。
自分が正しいと思えば相手に有無を言わさず意を通すので、初めは気さくで楽しい人と慕ってきても、その自己主張の強さに負けてしまい、終いには飽きられ嫌われる。

その夫に、認知症には叱りつけたり怒鳴ったりは良くないよ..と言っても我慢しきれず姑を責める。
姑は姑で、私の指摘(あくまでも優しく)には素直に「ごめんね」と言えるのに、夫(息子)にはキレて素直になれない。
そこは、他人の嫁と血を分けた息子との違いなのだろう。
どこまでも息子は息子であり、自分の分身なのである。

女より男の方が母親の変貌には耐えられないのかも知れない。
女には母性というものがあり、子供を産んでも生まなくてもそれは変わらないものだと思うが、男は所詮、本能は狩人で、家族を持つことで父性が備わって行くものかも知れない。
母親と父親に対する思いもだいぶ違っているところがある。
少なくとも今どきの父母のように、家事分担と協力など無かったに等しい中での父親像は、ただただ厳しく関白だった。
母親には思い切り甘えられても、父親の前では体が硬くなるほど緊張感もあっただろう。

男にとって甘えられる母親は永遠であり、母親が居なくなるという現実は何よりも辛いはずである。
認知症が母親の様相を変え、別人のように変わって行く姿を直視できずにうろたえる夫を見ることは私も辛い。
それは、我が身にもいつかやって来る、私と息子の姿に重ね見る光景でもある。