Here is

ここに居るよ!

■年金で暮らせない

2016-05-27 14:29:10 | 愚痴
60歳から年金を貰い始めた人と65歳になって貰い始めた人では当然だが年金額は違う。
5年間と言えど、先行して貰い始めたのだからそれは仕方がないのだが、何となく損をしているように感じる..という人が多い。
そして、年金と一口に言えども国民年金のみと厚生年金とでは、調べれば分かるように会社員か自営業かの違いにより掛けた年金の額にも差があったことが分かる。それプラス、企業年金に加入している会社員であればこれもプラスされることになるので、国民年金一本建ての人はどんなに頑張っても追いつかないことになる。

だからこそ働けるうちに働いて貯蓄をしなさい..ということなのだが、大手ならともかく民間企業で働く多くの人は、結婚して子育てをして、更にマイホームを..となる上に、子供の教育費、養育費は天井知らずに掛かり放題となれば貯蓄などの余裕は無いのが普通ではないだろうか。
あってもスズメの涙ほどで老後の蓄えまで回らないのが現状かと...。

一家に、最低でも二台の車が必要だというのが若い家族の声だが、夫は仕事に...妻は、子供の習い事やら、子供が病気になった時の送迎、そして買い出しなどの足にと、車は現在社会の必需品になっている。
当然だが、車の維持費用(車検、保険、税金、ガソリン代)も二台分必要だ。
家のローン、生命、火災地震保険、医療保険、学資保険などなど、備えなければならない必要経費もある。

外側からは貧困に見えない立派な家に住みながら、生活は火の車的に目まぐるしく危なっかしい。
老後の貯蓄をたっぷり持ちながら、悠々自適に暮らす年金生活者と、全く余裕のない年金暮らしの人を同じ目線で見てはいけない。
何を職として生きて来たか..によってその差は顕著に顕れている。



我が夫は、まだ現役で働き収入がある。
60歳に到達した際に年金の受給申請を出したが、一時金として受給したあとに年金は止まった。
会社役員としての高い収入があり、年金額を上回っていたからだという。
年内中に65歳に到達するので、その際にまた審査によって受給の有無と受給年金額が決定されるのだろう。

まったく不思議なのは、真面目にこれまで間違いなく収め続けてきた年金を、国の決めた制度によって引っくり返されたり、変更されたりすることである。働いて得た収入と何の関係があるのだろう。
年金は二か月分を一度にまとめて支給されるが、一か月分に割れば大したことのない金額になる人(国民年金)が山ほどいるようで、食費の足しにもならないとボヤいている人がいる。
僅かな蓄えを切り崩し、子供らの援助で何とか暮らしているのだとか。


老夫婦二人暮らしの年金生活者は、月々いくらあれば暮らせるのか見当もつかない。
今現在の我が家は、夫と私の給料で暮らしているためそこそこ余裕はあるが、それでも不安が無いわけじゃない。
年金だけの暮らしになったなら、この生活水準のままでは暮らしていけないだろう。

地味に暮らさねば...と思ってはいるのだが...。

■親と子と他人と

2016-05-24 15:46:34 | 愚痴
縁あって夫と結婚して、同居、別居の選択の余地なく同居が始まって既に40年弱、現在も60代の私達夫婦は夫の母と同居中だ。
子供たちは既に独立し、義父は数年前に他界した。
何代か続く我が家は、長男が家を継いで同居するのが当たり前だという土地柄があり、私達の長男もそのようになるのだと長いこと思っていた。
しかし、私には嫁との同居は想像になく、まして、姑と嫁の板挟みになって暮らすという地獄は考えられなかった。
たった一人の姑でさえ、私の世界を狭くし、行動や言動の制約が掛かるというのに、その上、嫁や孫が同居して常に誰かが私の周りに居座る生活などもってのほかだと思ったのだ。
長男は親との同居など頭になく、あっさりと、自分の家を建てはじめ、親からの完全独立を決めていたことを知った時は「あっぱれ」と言うしか無かった。父親が出来なかった親離れ宣言をいとも簡単にやってのける長男に、勿論、姑は唖然としたが、古い考えを押し付けるほうが子離れしていないというだけのこと、私は異議なく賛成をした。

私は一人の時間が無いと生きていけない性格らしく、家の中に誰かが要る気配があると落ち着けないタイプで、外界との境界をキッチリと付けたいタイプでもある。顔見知りではあるが全くの他人が人様の家の中を勝手知ったる顔で歩き回ることに耐えられない。
だから親しき友人であっても簡単に招き入れることに躊躇うのだろう。
心というものは、一旦、拒否してしまうと二度と受け入れ態勢にはなれない。

嫁姑問題の始まりは、そうした「拒否」の姿勢が、「家族だから..」というだけで奪われてしまうために起こる態勢ではないのか。
「義理の母」、「義理の娘」という関係は、文字の世界にだけ通用する関係で、実際には「夫の母親」、「息子の妻」という名の他人なのだ。
子供の結婚によって始まる義理関係は、親兄弟姉妹...全てが「親戚」という関わりの中で、他人より少しは濃い関係であることを意味する上で、軽く考えてはいけないのだろうが、これが嫁姑を長い間、苦しめてきた要因なのではないだろうか。

息子が可愛い、娘が可愛い、...だから嫁も義母も円満でいたい。

そういう思いがあれば、お互いの生活に土足で入り込まない暗黙の了解を分かち合えるのではないか。




■見栄っ張り

2016-05-14 15:33:31 | 愚痴
辺りを見回してみると、案外多いのが「見栄っ張り」さん。
誰に見せるのか? 見せるつもりじゃなくても見えてしまうんだから見せるように飾ってるとしか言いようが無い?
はい。綺麗に手を掛けていらっしゃるお庭のことです。
ガーデナーと言うの? とにかく庭造りに命を掛けていらっしゃるようで、天気の良い日は夫婦で、おひとりで庭仕事。
庭中、花だらけ、グリーンだらけで、目立つものだからついつい目が行ってしまう。

そこが狙いでも無いでしょうが、庭でも家の中でも、ガーデニングやインテリアに凝る方って見栄っ張り屋が多い..気がする。
そういう方は、全てに拘りというか、流行もの、または個性的なモノを揃えているようで、高級な食器をはじめ、家具やインテリアもお高いモノを揃えていらっしゃる。
リビングの目立つ位置にドーンと置き、こちらが「まぁ、ステキ!」と言うのを待っている。(笑)

玄関やフロアには、これまた一際オシャレな小物を飾り、褒めずに挨拶するのが憚れるような品を置く。

もう、こうなったらどんな高級な調度品があっても驚くもんか...ってな具合。(笑)


まぁね、張り合うつもりもお金も無いけど、そういうものにお金を掛けて、食事はお茶漬けで済ますってのもね~

私から見ると、こういう人も一つの見栄っ張りさんだと思う。
センスの良い高級品が分かる目を持っている..という誇示?を、つまり自分の品格を遠慮がちではあるがアピールする心理がある。


こんなことを書く私は、ひねくれ者。

ちなみに我が家、飾りっ気無しの一軒家でございます。


■愚痴

2016-05-13 10:36:35 | 愚痴
親なんて何もいいこと無い。
やっと大人になってヤレヤレと思っていたら次は孫を預けられ、はい、「風邪を引きました」「予防接種です」「保育参観です」「運動会です」「遠足です」...となんやかやと子供たちを交代で預けに来る。

ただ預けるだけではない。
オムツ交換、食事、寝かし付け、一緒に遊ぶ、四六時中目が離せない孫守りである。
帰ったあとはヘトヘト、やれやれと思っていると次の予約も入る。
困ったもんである。
孫は可愛いけれど「来て良し帰って良し」とはよく言ったもんだ。

世間を見回すと、いるいる...孫守りのジージ、バーバが...
近場で暮らしている子供に限って、週末のお泊りや一家揃っての実家への帰省が恒例のようだ。
遠くに暮らす子供たちは年に数回で済むが、近いとそうはいかない。

車に荷物をどっさり積み込んで「お願いします」とやって来る。
あ~あ、まったりする時間も、昼寝も出来やしない。
老体にムチ打って我慢するしか無いか。


■GWも平日と変わらず

2016-05-04 13:54:46 | 愚痴
高速道路や新幹線が上下線共に混雑渋滞が続くのはGWに限らず、年末年始など連休が続く初めと終わりに決まってニュースになること。
私が関東で暮らしていた二十代は自分自身が帰省を年に数回繰り返す当事者だった。
それが苦痛に感じなかったのは若かったから?
地元に帰れば気心の知れた幼馴染が居て、帰省を首を長くして待っていた親を尻目に遊び呆けてばかり。
親にすれば聞きたいことも山ほどあっただろうに、娘は出掛けてばかりで家にいない。

新幹線も開通していない昔のこと、上野~仙台間、特急で4時間は掛かって、更に実家へ小一時間を要した。
チケットを前もって買っていないと自由席で座ることも出来なかったが、それでも足は故郷に向かう。
友や親に会うためと言うより、本能的に生まれ故郷へ向かうというのが正解かも知れない。

生まれ育った空気とは違う、異質な環境に順応するのは比較的早かったが、飽きるのも早い。(笑)
どこに住んでも馴染んでしまう反面、慣れて来ると何処か見知らぬ所に行きたくなるという放浪癖?があるのかも知れない。
思えば、私は生まれてから昨年までで10回も住処が替わった。
そんな経験からか、住む街に抵抗なく馴染むことが出来るが、長くなると替えてみたくなるというクセ?もあるようだ。
若い頃は次々に友達が出来たが、離れれば自然消滅するのも自然の成り行きだった。
離れて間もない頃は電話や手紙の交流もあったが、それも長くは続かなかった。
誰しも、身近な友が大事になるのは当然だろう。


今、私には友達未満の知り合いだけで親友と呼べる人はいない。
歳をとるたびに付き合いが面倒になって、特に女性の、群れて行動する形態が苦手で、あれもこれも断って行くうちに深く付き合うことは止めてしまった。会えば立ち話をするけれど、それ以上の付き合いは逃れることにしている。
あちこちから漏れ聞こえて来る、付き合いで起きるイザコザを耳にするが、女同士ってどうして面倒臭いんだろうと思ってしまう。
グループで食事会、旅行、カラオケ、などなど...そんな交流を続けていたこともあったが、震災を機に解散した。
お節介な人から、声が掛かっても丁重に断ることにしている。
どうせ、私や私の家族の生活ぶりを聞きたがっているだけで中身の無い会合だ。
ただただ知り合いの情報交換というか、噂話のお茶のみ話の枠から出ない、つまらない交流なら遠慮したい。



さて、8連休中の七日目も終わりに近づいたが、明日の「子供の日」も予定は無しだ。
孫一家からは自分たちの都合の良い時だけ声が掛かる。
未だ連絡もないということは家族だけで楽しむのだろう。
それで結構!
付き合ってもサイフはこちら持ちになるのは見えてる。
なんだかんだと、孫とはお金が掛かるものらしい。