ワフィネ・デ・日誌in花岡

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2017-02-09 15:53:09 | 日記
 私は小さい頃から「ちぢれ毛」で、櫛で髪を梳くのは痛くて耐えられなくてサボってばかりいました。晩ご飯の食卓に着くと父親から髪を梳いてこないとご飯を食べさせないと言われたこともしばしばでした。中学生になった頃ブラシが出現して、髪を梳くのが大部楽になりましたが、同級生からちぢれ毛の人はお嫁に行けないんだよと言われ、驚いて母親に聞いたら、良い家にはお嫁に行けないと言うことだよと言われて、昔の人は大変だったんだなと思いました。
 そのうち周囲の同級生が下駄箱からラブレターを取り出したり、男の子と交際をしたりし始めると、私は不安になって鏡を見ました。そこには何とも愛想のない顔が見えて、これは大変だ、女が一人でも生きていける職業に就かなければならないと考えました。母親は女が男と同じ給料をもらって働けるのは学校の先生と図書館司書だと教えてくれました。今では、何で公務員と教えてくれなかったんだろうと思います。
 ちぢれ毛は髪油をつけたりしても、結局アフロヘアー状態になると、蝿が髪の毛の迷路に飛び込んでブ~ンとうなって逃げ出したりして、蝿採りになったりしていました。
 結局、教員免許状と図書館司書の資格を取り、大学図書館に勤めましたが田舎に帰って主婦になりました。髪の毛は私の悩みの種で、29歳の時にアメリカへ旅行する際、髪に時間を取られないようにショートカットにして以来そのままの髪型にしています。40歳ぐらいの時に夫が盲腸破裂で入院し、クリスマスから正月まで病院の付き添いをしたのを契機に、髪を染めるのもやめて白髪にしました。
 最近は男女を問わず白髪の人が結構見かけるようになりましたが、最初に白髪になったときは、白く染めているのですかとよく聞かれました。
 きれいに髪を梳いて整え、お化粧や身だしなみもきちんとしている女性は偉いなと思います。女性としての必須条件をサボってきた私は白髪の老婆になってしまいました。