「新皿屋舗月雨暈(しんさらやしき つきのあまがさ)」 というのがもともとのタイトルです。
このお芝居の中の、魚屋の宗五郎を中心とした部分のみを今は出すので、「魚屋宗五郎」というタイトルのほうが有名になってしまっています。
宗五郎は町の棒手振り(ぼてふり)の魚屋さんでした。
天秤棒で魚の桶を担いで街中を売り歩く商売ですから、あまり安定した職業ではありません。
大酒飲みなので貧乏で、借金もあります。
妹のお蔦ちゃんが美人なので、とあるお旗本、磯部主計之助(いそべ かずえのすけ)さまから、お妾(めかけ)奉公の声がかかります。
お妾奉公というのは、お金をもらっての愛人契約ですが、
昔のお武家さまは、正式な結婚相手は家のつながりで決まってしまうのです。そこにあまり愛はありません。
それとは別に、好きになった女性を「お妾」として囲って一緒に暮らすというかんじです。
心情的にはわりと結婚に近いです。
ここでは主計之助さまは本当にお蔦ちゃんに惚れており、とても大事にしてもらえます。
お蔦ちゃんも幸せでした。ラブラブだったのです。
しかし、
ある日、お蔦ちゃんは、「不義の罪(浮気した)」ということで殺されてしまいます。
がああああん。
というところから現行上演のお芝居ははじまります。
タイトル通り、もともとは怪談の「皿屋敷」のストーリーが下地になっており、
主計之助さまとお蔦ちゃんの物語のほうがお話の中心です。
今は全面カットです。詳しくは下のほうに書きました。
酒飲みで酒癖が悪い宗五郎ですが、妹が死んでから禁酒をしています。
しめやかに妹を偲びながら、がんばって悲しみから立ち直ろうとしているのです。
が、お蔦ちゃんの同僚だった、腰元のおなぎさんがお悔やみに訪ねてきて、
お蔦ちゃんは悪くなかったのに磯部さまがイキオイで殺したと語ります。
悔しさのあまりやめていた酒を飲み始める宗五郎。
で、後半は動きもありますし、とくにわかりにくい内容ではありません。
普通に見ていればわかると思いますので気楽に楽しんでください。
宗五郎がなしくずしに杯を重ねていき、どんどん酔っぱらって乱れていく様子は、
作者の河竹黙阿弥(かわたけ もくあみ)の筆と、初演の五代目、続く六代目菊五郎の演技によって完璧に手順ができております。
あるていど器用なかたか、律儀に、手順通りに仕事をするかたであれば、ちゃんとカタチになるようになっています。すばらしい。
手順通りに完璧に仕事をしつつ、自分の味を出す現菊五郎は、まさしく人間国宝の名にふさわしいと思います。
最後は、酔っぱらった宗五郎が磯部さまのお屋敷に乗り込みます。
お手討ちになりそうな暴れっぷりの宗五郎ですが、ご家老さまのはからいでその場は収まります。
ここで宗五郎がお蔦ちゃんへの思いをせつせつと語るせりフが、泣けます。
酔いつぶれた宗五郎は、ご家老さまのはからいでお屋敷の奥庭に運ばれます。
目が覚めると、すぐそばの縁台の上にお殿様の磯部主計之助さまがいます。
酔いが覚めているのでやらかしたことの重大さに青くなり、必死で謝る宗五郎なのですが、
磯部さまも反省していました。本当にお蔦ちゃんが好きだったのです。
さらに主計之助さまもも酒癖が悪いのでした。
お互い許しあい、それぞれの立場でお蔦ちゃんをしのぶ二人でした。
終わりです。
というかんじで、河竹黙阿弥の世話物の楽しさを十分に味わっていただける作品だと思います。
本当は長いお話で「番町皿屋敷」が下地になっている(といっても皿すら出ませんが)お家騒動のお芝居です。
お蔦ちゃんが、お家乗っ取りをたくらむ悪い家来の企みを立ち聞きしてしまい、
悪い家来たちは自分たちの立場を守るために忠臣側の若い家来ととお蔦ちゃんとの仲をでっちあげるのです。
頭に血が登った主計之助さまは、お蔦ちゃんの話も聞かずにお蔦ちゃんを殺します。
ここがかなりあざとい、なぶり殺しになっており、井戸の上に吊るして「吊し切り」にするのです。
血がすっごく出ます。
というのがこのお芝居のもともとの見せ場です。
なので「新皿屋舗」の名が付いているのです。
「皿屋敷」のお芝居も、当時は怪談としてのおもしろさもありますが、
お菊さんが井戸に吊るされてなぶり殺しにされる、その壮絶な残酷さと美しさが売り物だったのです。
両腕を縛って吊して、責めさいなんだあげく斬り殺します。仕掛けで血糊がどばっと出たりします。
まあぶっちゃけSMショーです。今は受けないかもしれません。
宗五郎についてもちょっと書きます。
いまはただの酒飲みおっさんで、「魚屋」である必然性は特にない宗五郎ですが、
通しで出すと宗五郎の魚屋としての仕事をする場面もちゃんとあります。
ちょっと新内を唄う場面などもあり、けっこうしどころは多いのです。
あとは酔っぱらって暴れこんだ磯辺様のお屋敷の玄関先で、
お蔦ちゃんの嫁入りの支度金でまとまったお金をいただいた。
お蔦ちゃんの支度をしてもまだ残ったので借金を返し、さらに、
「まず盤台から天秤棒、のこらず新規にこしれえて、
魚は芝の活もの(いけもの)を、安く売るからじきに売れ、毎日銭はもうかって」
と、お殿様のおかげで商売がうまく行くようになって嬉しかった事を語る部分があります。
ここも魚屋さんとしての生き生きとした生活感が見えます。
この部分は、お蔦ちゃんも幸せだったし自分たちも幸せでほんとうに上手く行っていた時期がたしかにあった。
それゆえに、今の悲しみが深い、というのが伝わってくるいいセリフだなあと思います。
ところで、
死んでしまうお蔦ちゃんと宗五郎とを、同じ役者さんがやるのが本当です。
まずお蔦ちゃん役で殺されてみせて、そのあと宗五郎に変わるから、後半のこの怒り狂う部分が面白いのです本当は。
というわけで、本当は腰元お蔦ちゃんができるような役者さんがやるべき役であり、
誰でもやれるような役ではありません。
今は宗五郎だけをやればいい上に、
手順が完璧にできているし、セリフがいいので
どなたがやっても一応「なんとかは」形になるお芝居になっています。
ストーリーがわかりやすいこともあって、人気演目です。
どうして宗五郎が、他の商売ではなく「魚屋さん」か、についてちょっと書いてみます。
これはこのお芝居が明治の作、ということとけっこう関係あると思います。
同じ「魚屋もの」である人気演目「芝浜」に至ってはたしか大正末の作です。
江戸時代というのはものすごく物売りが多い時代で、
みそ、しょうゆ、油、青果から出来合いのお総菜、おつまみの枝豆、夏は氷水、冬は焼き芋、
火付け用の硫黄を塗った棒(マッチですね、「附け木」と呼びます)、
あと日用雑貨に扇に化粧品まで、
まあ今日びコンビニで売ってそうなものは殆ど天秤棒や箱でかついで売り歩かれてました。便利。
明治に入って生活がいろいろ変化して、馬車や、人力車、そのうち自動車が走ったり、
あと多分、江戸時代より全体としては貧しくなったので(輸入超過でお金が足りなくなった)、
そういう理由もあってか「振り売り」は減ったようです。治安も悪くなったのかもしれません。
しかし、魚屋さんは江戸情緒を残しつつ明治になっても健在だったようです。
というわけで明治以降に書かれた作品は、
「江戸」を表現するわかりやすいモチーフとして「魚屋」を選ぶかもしれません。
その流れの行き着く先が「一心太助」?
もちろん、活けものを扱う魚屋さんは、他の振り売りと比べて威勢良く走って売ったので、
かっこいいイメージがあったのも確かでしょう。
明治以降に書かれた「江戸もの」は、やはり今の「時代劇」に通じていく部分があるなと感じます。
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このお芝居の中の、魚屋の宗五郎を中心とした部分のみを今は出すので、「魚屋宗五郎」というタイトルのほうが有名になってしまっています。
宗五郎は町の棒手振り(ぼてふり)の魚屋さんでした。
天秤棒で魚の桶を担いで街中を売り歩く商売ですから、あまり安定した職業ではありません。
大酒飲みなので貧乏で、借金もあります。
妹のお蔦ちゃんが美人なので、とあるお旗本、磯部主計之助(いそべ かずえのすけ)さまから、お妾(めかけ)奉公の声がかかります。
お妾奉公というのは、お金をもらっての愛人契約ですが、
昔のお武家さまは、正式な結婚相手は家のつながりで決まってしまうのです。そこにあまり愛はありません。
それとは別に、好きになった女性を「お妾」として囲って一緒に暮らすというかんじです。
心情的にはわりと結婚に近いです。
ここでは主計之助さまは本当にお蔦ちゃんに惚れており、とても大事にしてもらえます。
お蔦ちゃんも幸せでした。ラブラブだったのです。
しかし、
ある日、お蔦ちゃんは、「不義の罪(浮気した)」ということで殺されてしまいます。
がああああん。
というところから現行上演のお芝居ははじまります。
タイトル通り、もともとは怪談の「皿屋敷」のストーリーが下地になっており、
主計之助さまとお蔦ちゃんの物語のほうがお話の中心です。
今は全面カットです。詳しくは下のほうに書きました。
酒飲みで酒癖が悪い宗五郎ですが、妹が死んでから禁酒をしています。
しめやかに妹を偲びながら、がんばって悲しみから立ち直ろうとしているのです。
が、お蔦ちゃんの同僚だった、腰元のおなぎさんがお悔やみに訪ねてきて、
お蔦ちゃんは悪くなかったのに磯部さまがイキオイで殺したと語ります。
悔しさのあまりやめていた酒を飲み始める宗五郎。
で、後半は動きもありますし、とくにわかりにくい内容ではありません。
普通に見ていればわかると思いますので気楽に楽しんでください。
宗五郎がなしくずしに杯を重ねていき、どんどん酔っぱらって乱れていく様子は、
作者の河竹黙阿弥(かわたけ もくあみ)の筆と、初演の五代目、続く六代目菊五郎の演技によって完璧に手順ができております。
あるていど器用なかたか、律儀に、手順通りに仕事をするかたであれば、ちゃんとカタチになるようになっています。すばらしい。
手順通りに完璧に仕事をしつつ、自分の味を出す現菊五郎は、まさしく人間国宝の名にふさわしいと思います。
最後は、酔っぱらった宗五郎が磯部さまのお屋敷に乗り込みます。
お手討ちになりそうな暴れっぷりの宗五郎ですが、ご家老さまのはからいでその場は収まります。
ここで宗五郎がお蔦ちゃんへの思いをせつせつと語るせりフが、泣けます。
酔いつぶれた宗五郎は、ご家老さまのはからいでお屋敷の奥庭に運ばれます。
目が覚めると、すぐそばの縁台の上にお殿様の磯部主計之助さまがいます。
酔いが覚めているのでやらかしたことの重大さに青くなり、必死で謝る宗五郎なのですが、
磯部さまも反省していました。本当にお蔦ちゃんが好きだったのです。
さらに主計之助さまもも酒癖が悪いのでした。
お互い許しあい、それぞれの立場でお蔦ちゃんをしのぶ二人でした。
終わりです。
というかんじで、河竹黙阿弥の世話物の楽しさを十分に味わっていただける作品だと思います。
本当は長いお話で「番町皿屋敷」が下地になっている(といっても皿すら出ませんが)お家騒動のお芝居です。
お蔦ちゃんが、お家乗っ取りをたくらむ悪い家来の企みを立ち聞きしてしまい、
悪い家来たちは自分たちの立場を守るために忠臣側の若い家来ととお蔦ちゃんとの仲をでっちあげるのです。
頭に血が登った主計之助さまは、お蔦ちゃんの話も聞かずにお蔦ちゃんを殺します。
ここがかなりあざとい、なぶり殺しになっており、井戸の上に吊るして「吊し切り」にするのです。
血がすっごく出ます。
というのがこのお芝居のもともとの見せ場です。
なので「新皿屋舗」の名が付いているのです。
「皿屋敷」のお芝居も、当時は怪談としてのおもしろさもありますが、
お菊さんが井戸に吊るされてなぶり殺しにされる、その壮絶な残酷さと美しさが売り物だったのです。
両腕を縛って吊して、責めさいなんだあげく斬り殺します。仕掛けで血糊がどばっと出たりします。
まあぶっちゃけSMショーです。今は受けないかもしれません。
宗五郎についてもちょっと書きます。
いまはただの酒飲みおっさんで、「魚屋」である必然性は特にない宗五郎ですが、
通しで出すと宗五郎の魚屋としての仕事をする場面もちゃんとあります。
ちょっと新内を唄う場面などもあり、けっこうしどころは多いのです。
あとは酔っぱらって暴れこんだ磯辺様のお屋敷の玄関先で、
お蔦ちゃんの嫁入りの支度金でまとまったお金をいただいた。
お蔦ちゃんの支度をしてもまだ残ったので借金を返し、さらに、
「まず盤台から天秤棒、のこらず新規にこしれえて、
魚は芝の活もの(いけもの)を、安く売るからじきに売れ、毎日銭はもうかって」
と、お殿様のおかげで商売がうまく行くようになって嬉しかった事を語る部分があります。
ここも魚屋さんとしての生き生きとした生活感が見えます。
この部分は、お蔦ちゃんも幸せだったし自分たちも幸せでほんとうに上手く行っていた時期がたしかにあった。
それゆえに、今の悲しみが深い、というのが伝わってくるいいセリフだなあと思います。
ところで、
死んでしまうお蔦ちゃんと宗五郎とを、同じ役者さんがやるのが本当です。
まずお蔦ちゃん役で殺されてみせて、そのあと宗五郎に変わるから、後半のこの怒り狂う部分が面白いのです本当は。
というわけで、本当は腰元お蔦ちゃんができるような役者さんがやるべき役であり、
誰でもやれるような役ではありません。
今は宗五郎だけをやればいい上に、
手順が完璧にできているし、セリフがいいので
どなたがやっても一応「なんとかは」形になるお芝居になっています。
ストーリーがわかりやすいこともあって、人気演目です。
どうして宗五郎が、他の商売ではなく「魚屋さん」か、についてちょっと書いてみます。
これはこのお芝居が明治の作、ということとけっこう関係あると思います。
同じ「魚屋もの」である人気演目「芝浜」に至ってはたしか大正末の作です。
江戸時代というのはものすごく物売りが多い時代で、
みそ、しょうゆ、油、青果から出来合いのお総菜、おつまみの枝豆、夏は氷水、冬は焼き芋、
火付け用の硫黄を塗った棒(マッチですね、「附け木」と呼びます)、
あと日用雑貨に扇に化粧品まで、
まあ今日びコンビニで売ってそうなものは殆ど天秤棒や箱でかついで売り歩かれてました。便利。
明治に入って生活がいろいろ変化して、馬車や、人力車、そのうち自動車が走ったり、
あと多分、江戸時代より全体としては貧しくなったので(輸入超過でお金が足りなくなった)、
そういう理由もあってか「振り売り」は減ったようです。治安も悪くなったのかもしれません。
しかし、魚屋さんは江戸情緒を残しつつ明治になっても健在だったようです。
というわけで明治以降に書かれた作品は、
「江戸」を表現するわかりやすいモチーフとして「魚屋」を選ぶかもしれません。
その流れの行き着く先が「一心太助」?
もちろん、活けものを扱う魚屋さんは、他の振り売りと比べて威勢良く走って売ったので、
かっこいいイメージがあったのも確かでしょう。
明治以降に書かれた「江戸もの」は、やはり今の「時代劇」に通じていく部分があるなと感じます。
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