宗五郎は町の棒手振り(ぼてふり)の魚屋さん、酒飲みなので貧乏で、借金もありますよ。
妹のお蔦ちゃんが美人なのでとあるお旗本、磯部主計之助(いそべ かずえのすけ)のお妾奉公の声がかかります。
まあ愛人契約ですが、一応恋愛関係で大事にしてもらえるのでお蔦ちゃんも幸せだったのですが、
ある日、お蔦ちゃん「不義の罪(浮気した)」ということで殺されてしまいます。
がああああん
というところから現行上演のお芝居ははじまりますよ。
「皿屋敷」にあたる部分は前半部分なのですが、今は全面カットです。詳しくは下のほうに書きました。
酒飲みで酒癖が悪い宗五郎ですが、妹が死んでから禁酒をしています。しめやかに妹を偲びながら、がんばって悲しみから立ち直ろうとしているのです。
が、お蔦ちゃんの同僚だったおなぎさんがお悔やみに訪ねてきて、お蔦ちゃんは悪くなかったのに磯部さまがイキオイで殺したと語ります。
悔しさのあまりやめていた酒を飲み始める宗五郎。
で、後半は動きもありますし、とくにわかりにくい内容ではありません。普通に見ていればわかると思いますので気楽に楽しんでください。
宗五郎がなしくずしに杯を重ねていき、どんどん酔っぱらって乱れていく様子は、黙阿弥の筆と初演の五代目、続く六代目菊五郎によって完璧に手順ができております。
あるていど器用なかたか、律儀に、手順通りに仕事をするかたであればなんとかカタチになるシクミです。すばらしい。
手順通りに完璧に仕事をしつつ、自分の味を出す現菊五郎は、まさしく人間国宝の名にふさわしいと思います。
というかんじで、河竹黙阿弥の世話物の楽しさを十二分に味わってください。
どうして宗五郎が「魚屋さん」か、については、このお芝居が明治の作、ということとけっこう関係あると思います。
同じ「魚屋もの」である人気演目「芝浜」に至ってはたしか大正末の作。
江戸時代というのはものすごく物売りが多い時代で、
みそ、しょうゆ、油、青物から出来合いのお総菜、おつまみの枝豆、夏は氷水冬は焼き芋、火付け用の硫黄を塗った棒(マッチですね、「附け木」と呼びます)あと日用雑貨まで、
まあ今日びコンビニで売ってそうなものは殆ど天秤棒や箱でかついで売られてました。ベンリ。
明治に入って生活がいろいろ変化して、馬車や自動車が走ったり、あと多分、江戸時代より全体としては貧しくなったので(輸入超過でお金が足りなくなった)、そういう理由もあってか「振り売り」は減ったようですが
魚屋さんは江戸情緒を残しつつ明治になっても健在だったようです。
というわけで明治以降に書かれた作品は、「江戸」を表現するわかりやすいモチーフとして「魚屋」を選ぶかもしれません。
その流れの行き着く先が「一心太助」?
もちろん、活けものを扱う魚屋さんは、他の振り売りと比べて威勢良く走って売ったので、かっこいいイメージがあったのも確かでしょうね。
明治以降に書かれた「江戸もの」は、やはり今の「時代劇」に通じる部分があるなあと感じます。
これも本当は長いお話で「番町皿屋敷」が下地になっている(といっても皿すら出ませんが)お家騒動のお芝居です。
お家乗っ取りをたくらむ悪い家来の企みを立ち聞きしてしまったお蔦ちゃんが、忠臣の側の若い家来との仲をでっちあげられてあざとくなぶり殺しにされるシーンが本当はちゃんとあり、なので「新皿屋舗」の名を負っています。
両腕を縛って吊して、責めさいなんだあげく斬り殺します。まあぶっちゃけSMショーです。戦前くらいまではこっちが見せ場のメインでした。
かなり悪趣味なので今は受けないかも。
宗五郎の魚屋としての仕事ぶりなんかも通しで出すと見られます。
いまはただの酒飲みおっさんで、「魚屋」である必然性ないです。最後の方でセリフで「まず盤台から天秤棒、のこらず新規にこしれえて、魚は芝の活もの(いけもの)を、安く売るからじきに売れ、毎日銭はもうかって」
と、お殿様が妹のためにくれた支度金のおかげで商売がうまく行くようになって嬉しかった事を語る部分が一応あります。
セリフとしては名台詞だと思います。今資料なしで書けたし(どっか違うかも←調べろ)。
死んでしまうお蔦ちゃんと宗五郎とを同じ役者さんがやるのが本当です。まずお蔦ちゃん役で殺されてみせて、そのあと宗五郎に変わるから、後半のこの怒り狂う部分が面白いんですよね本当は。
というわけで、本当は腰元お蔦ちゃんができるような役者さんがやるべき役であり、誰でもやれるような役ではありません。
手順が完璧にできているし、セリフがいいのでどなたがやっても一応「なんとかは」なりますが。
=索引に戻る=
妹のお蔦ちゃんが美人なのでとあるお旗本、磯部主計之助(いそべ かずえのすけ)のお妾奉公の声がかかります。
まあ愛人契約ですが、一応恋愛関係で大事にしてもらえるのでお蔦ちゃんも幸せだったのですが、
ある日、お蔦ちゃん「不義の罪(浮気した)」ということで殺されてしまいます。
がああああん
というところから現行上演のお芝居ははじまりますよ。
「皿屋敷」にあたる部分は前半部分なのですが、今は全面カットです。詳しくは下のほうに書きました。
酒飲みで酒癖が悪い宗五郎ですが、妹が死んでから禁酒をしています。しめやかに妹を偲びながら、がんばって悲しみから立ち直ろうとしているのです。
が、お蔦ちゃんの同僚だったおなぎさんがお悔やみに訪ねてきて、お蔦ちゃんは悪くなかったのに磯部さまがイキオイで殺したと語ります。
悔しさのあまりやめていた酒を飲み始める宗五郎。
で、後半は動きもありますし、とくにわかりにくい内容ではありません。普通に見ていればわかると思いますので気楽に楽しんでください。
宗五郎がなしくずしに杯を重ねていき、どんどん酔っぱらって乱れていく様子は、黙阿弥の筆と初演の五代目、続く六代目菊五郎によって完璧に手順ができております。
あるていど器用なかたか、律儀に、手順通りに仕事をするかたであればなんとかカタチになるシクミです。すばらしい。
手順通りに完璧に仕事をしつつ、自分の味を出す現菊五郎は、まさしく人間国宝の名にふさわしいと思います。
というかんじで、河竹黙阿弥の世話物の楽しさを十二分に味わってください。
どうして宗五郎が「魚屋さん」か、については、このお芝居が明治の作、ということとけっこう関係あると思います。
同じ「魚屋もの」である人気演目「芝浜」に至ってはたしか大正末の作。
江戸時代というのはものすごく物売りが多い時代で、
みそ、しょうゆ、油、青物から出来合いのお総菜、おつまみの枝豆、夏は氷水冬は焼き芋、火付け用の硫黄を塗った棒(マッチですね、「附け木」と呼びます)あと日用雑貨まで、
まあ今日びコンビニで売ってそうなものは殆ど天秤棒や箱でかついで売られてました。ベンリ。
明治に入って生活がいろいろ変化して、馬車や自動車が走ったり、あと多分、江戸時代より全体としては貧しくなったので(輸入超過でお金が足りなくなった)、そういう理由もあってか「振り売り」は減ったようですが
魚屋さんは江戸情緒を残しつつ明治になっても健在だったようです。
というわけで明治以降に書かれた作品は、「江戸」を表現するわかりやすいモチーフとして「魚屋」を選ぶかもしれません。
その流れの行き着く先が「一心太助」?
もちろん、活けものを扱う魚屋さんは、他の振り売りと比べて威勢良く走って売ったので、かっこいいイメージがあったのも確かでしょうね。
明治以降に書かれた「江戸もの」は、やはり今の「時代劇」に通じる部分があるなあと感じます。
これも本当は長いお話で「番町皿屋敷」が下地になっている(といっても皿すら出ませんが)お家騒動のお芝居です。
お家乗っ取りをたくらむ悪い家来の企みを立ち聞きしてしまったお蔦ちゃんが、忠臣の側の若い家来との仲をでっちあげられてあざとくなぶり殺しにされるシーンが本当はちゃんとあり、なので「新皿屋舗」の名を負っています。
両腕を縛って吊して、責めさいなんだあげく斬り殺します。まあぶっちゃけSMショーです。戦前くらいまではこっちが見せ場のメインでした。
かなり悪趣味なので今は受けないかも。
宗五郎の魚屋としての仕事ぶりなんかも通しで出すと見られます。
いまはただの酒飲みおっさんで、「魚屋」である必然性ないです。最後の方でセリフで「まず盤台から天秤棒、のこらず新規にこしれえて、魚は芝の活もの(いけもの)を、安く売るからじきに売れ、毎日銭はもうかって」
と、お殿様が妹のためにくれた支度金のおかげで商売がうまく行くようになって嬉しかった事を語る部分が一応あります。
セリフとしては名台詞だと思います。今資料なしで書けたし(どっか違うかも←調べろ)。
死んでしまうお蔦ちゃんと宗五郎とを同じ役者さんがやるのが本当です。まずお蔦ちゃん役で殺されてみせて、そのあと宗五郎に変わるから、後半のこの怒り狂う部分が面白いんですよね本当は。
というわけで、本当は腰元お蔦ちゃんができるような役者さんがやるべき役であり、誰でもやれるような役ではありません。
手順が完璧にできているし、セリフがいいのでどなたがやっても一応「なんとかは」なりますが。
=索引に戻る=










