歌舞伎見物のお供

歌舞伎、文楽の諸作品の解説です。これ読んで見に行けば、どなたでも混乱なく見られる、はず、です。

「寺子屋」 てらこや (菅原伝授手習鑑)

2013年04月27日 | 歌舞伎
急ぐとき用の3分あらすじは=こちら=になります。

「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅ てならいかがみ)」の四段目にあたります。
正確な内容を知らなくても、この「寺子屋」というタイトルや、お芝居の中のセリフ「せまじきものは宮使えじゃなあ」を
ご存じのかたは多いのではないかと思います。

「菅原伝授」は全部で五段のお芝居で、五段目はめったに出ない、悪人滅びてめでたしめでたしの短いシーンですので
(つまりあまり面白くない)、
四段目に当たるこの「寺子屋」がドラマ的には最後の盛り上がりどころになります。

というわけでここまでのモロモロの人間関係を把握しないとわかりにくいです。まあ歌舞伎ではよくあることです。
歌舞伎は、「見る側は内容を全部知ってる」のを前提にして情け容赦なく途中から出しますので、付いていってください。
説明書きます。

・時代
天皇は醍醐帝。平安時代の前半期です。
「伊勢物語」と「源氏物語」の間くらいの時期です(あまり説明になっていない)。

・人物設定
悪い人=藤原時平(ふじわらの ときひら) 
古典だの歴史だのの時間に習ったかと思います。左大臣です。
「謀反を企てている」と帝に嘘八百を言って、右大臣だった菅原道真を九州の太宰府に左遷させたのです。
謀反を疑われて道真が大宰府に流されたのは、史実です。


ええヒト=菅原道真(すがわらの みちざね)。
天神さまです。

ただし、この段には道真も時平も出てきません。
関係者たちが道真の息子の秀才(しゅうさい)さまを守るために奔走するストーリーです。

ところで、セリフをいくら聞いていても「みちざね」も「ときひら」も出てきません。
「時平」は「しへい」と呼ばれています。音読みです。
「道真」は「しょうじょう(さま)」と呼ばれています。「丞相(じょうしょう、「大臣」の中国風の呼びかた)」の、誤読です。
誤読なのですが、道真は慣習的に「しょうじょう」と呼ぶきまりです。
「菅原」のアタマの一字「管」を付けて「かんしょうじょう」とも言います。
というわけでセリフの中で、
「しへい(さま)」
「しょうじょう(さま)」「かんしょうじょう(さま)」という聞き慣れない音が出てきたら、それが物語の中心人物たちです。
わからないと不便ですので覚えていってください。
息子さんも、「菅原秀才」→「管秀才=かんしゅうさい」さまと呼ばれています。


さて、ストーリーです。

道真一族の血統を根絶やしにしようとする悪人「時平」は、道真の息子の「秀才」さまを捜し出して殺そうとしています。
かくまっているのは武部源蔵(たけべ げんぞう)です。
源蔵は以前は能書家で知られる道真の一番弟子だったのですが、いろいろあって今は田舎の山の中で子供相手に寺子屋をやっています。
細かい事情は、一段目後半の「筆法伝授」(ひっぽう でんじゅ)に詳しいですが、ここはめったに出ません。

庄屋さんに呼び出されて「秀才さまがいるのはもうバレてるから、ふみこまれる前に自分で首打って渡せ」と
プレッシャーをかけられる源蔵。
そんな事言われても、せまじきものは宮仕え、困った。
悩みながら源蔵が帰ってくるところから始まることが最近多いです。
家では寺子(てらこ、寺子屋の生徒)たちが並んで手習いをしたりいたずらをしたりしています。

ていねいに出すと冒頭に、源蔵が留守の間に見知らぬ母子がやってきて、妻の戸浪(となみ)が出迎え、
子供が新しい寺子として入ってくる、という
「寺入り(てらいり)」の場面があります。
母親は子供を置いて退場しますが、どうも挙動不審です。
という後半への前フリの場面です。

さて、戻ってきた源蔵は、教えている子供達のどれかを身代わりにしようを考えるのですが、
「いずれを見ても山家育ち」。あか抜けねえ首がそろっています。使えません。
そこに出てきてあいさつする、新しく入った男の子。「小太郎」くん。
見るからに育ちのよさそうな、品のいい美少年です。

現代風の考え方だと、誰かの身代わりに別の子を殺すなんてマトモじゃないですが、
封建社会的な「忠義」の感覚だと、やるしかない場面です。
ていうか源蔵にちょうどいい息子がいればそれを使いますから、
「関係ない子供だから平気で殺すんだ、勝手なやつー」みたいな今日び多い殺人事件とはちょっと違います。
で、今回源蔵に息子がいなかったので苦肉の策なのです。
ていうか自分が死んでその首が使えるんなら源蔵は大喜びでそうするのですが、顔まったく違いますからねえ。

そうこうするうちに、
「首斬ったか?本物かチェックして、本物なら持って帰るぞ」と言って、「時平」からのお使いがやってきます。
「春藤玄蕃(しゅんどう げんば)」さんがメインのお使いで、「松王丸(まつおうまる)」はオマケです。
お芝居を見ていると明らかに松王丸のほうがえらそうですが、
細かいことです。気にしてはいけません。
松王は座頭(ざがしら)格の役なので、しかたがないのです。

というわけで源蔵が、「身代わり首」を首桶に入れて出て来ます。
本物かどうか、松王が「首実検(くびじっけん)」をします。
歌舞伎のお約束の展開ですよ。

あ、「首実検」の「実検」は、「実験」じゃないですよ。「実地検分」の「実検」です。実際に見て確認する、という意味です。


お芝居の流れを先にざっと書いてしまうと、

時平のお使いで春藤玄蕃(しゅんどう げんば)と松王丸登場。

→村の衆があわてて子どもたちを迎えに来る。ひとりひとりチェックして返す様子が楽しいです。
→子供は全員チェックするが、新しい子供までは気付きません。
→玄藩が机の数が合わないとか言い出しますが、なぜか松王がフォローにまわるのでうまくごまかせます。
→ふたりを待たせて源蔵、奥で子供の首を斬って持ってきます。
→松王の首実検。ドキドキ
→「秀才様の首だ」と言い切る松王。
→首持って、お使いふたり帰ります。
バレたら松王と玄藩を斬って、秀才さまを連れて逃げる決死の覚悟だった源蔵、ほっと安心します。

→子供の母親の千代(ちよ)が、子供を連れに戻ってきます。
→こどもを殺してしまったので、しかたないので母親も斬ろうとする源蔵。
→千代が「息子の首は役に立ったか」と爆弾発言。驚く源蔵。
→外から松の枝が投げ込まれます。歌が結びつけてあります。後述します。
→松王丸が再登場、お葬式用の白装束に着替えています。
→死んだ子供は、松王丸の息子でした。身替り首にできるように松王丸があらかじめ送り込んだのです。
で、松王の長いセリフになります。詳しくは後述しますが、松王丸は味方だったということです。

→松王は、行方不明だった秀才さまの母親を見つけて保護していました。連れてきて会わせてくれます。
→死んだ子供の野辺送りをみんなでやります。寺子屋が舞台なので「いろは」をアレンジした名文句で、「いろは送り」と呼ばれます。
ここの浄瑠璃も聞きどころですが、聞き取れない人はつらいかもしれません。長いです。がんばって雰囲気を味わってください。

というかんじです。

こういうお芝居は、後半どうなるか知った上で客は前半を見ているというのが前提になります。
なので、前半の見どころは、
息子を身替りに差し出した松王丸が、表面的には憎々しく振る舞いながら、
内心うまいこと息子は役にたったか心配でしかたがなかったり、春藤玄藩が細かいところに突っ込もうとしたら必死でフォローしたり、
そういう、見た目とうらはらな内心が見え隠れする、心理劇的にハラハラする部分になります。

同時に
自分の意志で息子を殺す松王丸の、父親としての苦悩も見せ場であり
さらに、
悪役然とした松王丸も憎々しくてかっこいいのに、じつは味方だとか!! さらにかっこいいじゃん!!
というかんじで、のんきに松王丸を眺めて楽しむというのも大切な見どころになります。


というわけで、お芝居の主人公は途中から出てくるこの松王丸なのですが、
彼についてのここまでドラマがこの段ではまったく説明されないので、彼の心情がわかりにくくなってしまい、
後半の松王丸のセリフが伝わりにくくなっていると思います。
少し説明を書きます。

松王丸は、梅王丸、松王丸、桜丸 という三つ子のひとりです。この三人が、全段を通しての主人公たちです。
お百姓さんの息子なのですが、三つ子はめずらしいので縁起がいいということで「菅原道真」さまに取り立てられ、
それぞれ身分の高い人の牛飼い舎人にしてもらいました。

梅王丸は、菅原道真
桜丸は、天皇の弟の齋世(ときよ)親王さま、
松王丸は、藤原時平の、
それぞれ牛飼い舎人(うしかいとねり)になります。

「牛飼い舎人」というのは牛車(ぎっしゃ)の世話をする係です。身分は低いですが常に貴族のそばにいる重要な仕事です。
専属運転手みたいなかんじです。

細かい事情は割愛ですが、悪人の時平がほかの二人を罠にはめて困らせています。
なので三つ子の兄弟も敵味方に別れて争うことになりました。

松王は、時平の家来なので悪役の時平側です。ずっと悪役として行動していますが、実際は道真ともつながりがあります。
ここに「首実検」に来たのも、「道真にかわいがられており、秀才さまの顔を知っているから」という理由です。

松王や桜丸は「いくら家来だからって時平は悪人なんだし、こっちの味方しろよあの野郎」と松王のことを怒っています。
ていうか、一連の事件の発端を作ってしまった桜丸は、前の段で切腹して死んでしまっています。

都の人々も人格者の道真に同情的で、みんなで時平や松王の悪口を言っています(作品内設定)。

道真が

梅は飛び 桜は枯るる 世の中に
などてか松の つれなかるらん

という歌を詠んだのを受けて、みんな「松はつれないつれない」と悪口を言います。
「梅は飛び」の部分は太宰府の飛び梅の伝説をかけています。

でも、
「などてか 松の つれなかるらん」と道真は言ったのです。
「などてか」…「らん(らむ)」(已然系)で、反語を意味します。
「どうしてつれない(冷たい)ことがあるだろうか、いや、本当は冷たいことはないだろう」と言っているのです。
道真は松王丸を信じているのです。

松王もずっと自分の心底を隠して時平に味方するフリをしながら、恩のある道真の役にたてる日を待っていたのです。
松王丸は、今は病気だと言って仕事を休んでいます。舎人ももうやめるつもりです。
これも時平に仕えるのがイヤだからなのです。

というわけで作品中、四段目の終わりのここまで延々と悪役を貫いた松王丸が、最後の最後で心底を見せるのが、
名場面であるこの作品の後半部分です。

という事情を把握してご覧になると、松王丸の気持ち、子供を失った悲しみと共に、
やっと道真や、親に恩を返せた喜び、ここまでの苦しみなどが伝わってくると思います。

そして自分はやっと恩が返せるし、死んでしまった自分の子も、道真さまの役にたって死ねたのだが、
何もできずに、ただ死んで行った弟の桜丸。
「桜丸が不憫でござる」のセリフも泣かせます。

上手い役者さんの松王だと本当に後半、泣けます。

もうひとりの主人公、武部源蔵は、ここでは忠義一途な地味な役ですが、
奥さんの戸浪(となみ)との、今で言うと社内恋愛がバレて道真に勘当された、それなりに浮いた過去のある男です。
ただのマジメくんではなく、バイタリティーがあります。秀才さまのためなら危ない橋も平気で渡ります。
そういう「酸いも甘いも」的な大人の男の奥行きが出ると、松王と「がっぷり四つ」な緊張感がよく出るだろうと思います。

最後の場面、死んだ小太郎君の野辺の送りをする場面は、有名な「いろは送り」という浄瑠璃が語られます。
浄瑠璃はたぶん聞き取れないと思うので、少々見ていてつらいかもしれません。

本来はこれは文楽、人形劇なのですが、
文楽ですと、背景がどんどん左から右にスクロールしていって、お人形はその前で歩く動作をし、
「いろは送り」の浄瑠璃とともにお墓のある場所までみんなで歩いていく演出になっています。
歌舞伎だとその演出はムリなので、どうしてもその場で送り火を焚いたりなどの動きにかける演出になってしまいます。
心の中で、野原を超えて山を超えて鳥野辺のさびしいお墓まで死んだ子供を送って歩いて行く情景を
想像してご覧になるのもいいかもしれません。


・「寺子屋(てらこや)」について
「寺小屋」ではなく、「寺子」の「屋」です。

平安時代などは、貴族の子弟がお寺に預けられて学問や諸教養を身につけたのです。
これを「寺子(てらこ)」「寺稚児(てらちご)」と呼びました。
もともとお寺は、学校としての機能を持っていたのです。

時代下って、有力な武士や裕福な市民もお寺に行くようになります。さらに庶民も行くようになります。
わが国の識字率はこのようにして上がっていきました。
「初等教育を受けられる学校」の機能がある場所を全般に寺子屋」と呼びましたので、
武部源蔵が読み書きを教えているこの場所も、お寺には関係ない施設ですがやはり「寺子屋」と呼ばれました。

ほかのお芝居のセリフにも、「あのかたとわたしは寺友達で」などとあります。
ちょっと見何の接点もなさそうなふたりでも、小さい頃同じ寺子屋で一緒に読み書きを習っていれば友達なわけです。
「小学校の同級生だった」と似た雰囲気です。

チナミに「寺子屋」は関西のもので、江戸文化圏にあったのは「手習い指南所」でした。
お寺さんじゃなく、浪人したお侍が字を教えたケースが多かったようです。

さらにチナミに、地域によっては「商人養成に特化した」寺子屋もありました。
そろばんはもちろん、商売で使うような文字や言い回しを中心に教えました。
「商売往来」という専用の教材もあったのです。日本の教育すごいです。

=「菅原」もくじ=


=50音索引に戻る=


最新の画像もっと見る

12 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
はじめまして (ちゃたらー)
2010-04-09 11:44:00
偶然、拝見しましたが、とても面白いです。
歌舞伎は好きでよく見ますが、こんなふうに解説してくれるサイトが若い時にもあれば、無粋な(こともある)イヤホンガイドを借りずにすんだんだろうなと思います。
ありがとうございました。
返信する
感謝です (仁子)
2010-05-05 15:08:54
思い立って明日急きょ新橋演舞場に行くことにした者です。
大変役に立ちました。
ありがとうございました。
歌舞伎座が閉場したのでしばらくはおとなしくしていようと思いましたがやはり歌舞伎のむしが騒ぎ出してしまいました…
 よけいなおせわですが おとのさまにつかえるなどのときは(仕える)でしょうか・・
返信する
たいへん面白いです (JS)
2010-05-12 14:38:37
はじめまして。
5月花形歌舞伎を今夜観にいくのですが、とってもわかりやすくまとめていらっしゃいますね!
参考になりました。
また寄らせていただきます。
返信する
ありがとうございました (なかちょん)
2010-12-29 11:30:51
今年の京都四条南座の吉例顔見世興業を見に行ってきました
午前の"寺子屋"雰囲気はわかったのですがストーリがいまいちわからなくて
読ませていただき、理解できました
感激です
来年からは、このHPを見てから観に行きます

ありがとうございました

返信する
助かりました! (やちゃ)
2012-04-29 14:51:11
初めて大阪で開催される「團菊祭五月大歌舞伎」に、
これまた初めて歌舞伎を観劇にゆく事になり
あらすじは頭に入れとなかいとこりゃ解らんぞ!
とこちらのページに辿り着きました。

呼び名も違ったり、観客は解った体で始まる。
そーなのか。。。。

色々お勉強になります。
ありがとうございます。
返信する
ありがとうございます (すぎちゃん)
2012-05-13 20:53:00
歌舞伎を楽しみたい、と思っていても
解説の解説がほしいくらいで困ってました。

わかりやすい説明でハードルが下がりました。
ありがとうございます。
返信する
ありがとうございました (ちばのねこじい)
2013-05-07 16:49:55
今日こけら落とし公演の新生歌舞伎座へ行ってきました.
寺子屋を見てきました.行く前にこの解説を見て行けば良かったのに,としみじみ思いました.
返信する
御礼 (すかれっと)
2013-05-20 23:40:55
本日、歌舞伎座に歌舞伎デビューの友人を連れて1部を観て参りました。予習としてとしてこちらを紹介致しましたら、わかりやすい上に親しみやすいと大好評でした。有難うございました。これからも、よろしくお願い致します。
返信する
Unknown (enoeno)
2013-05-30 16:30:55
歌舞伎座に行く前に必ずこちらを熟読しています。とても分かりやすく大変重宝しています。

ところで、六月の新歌舞伎座で上演する鈴が森等の記事があれば大変うれしいです。ファンからのリクエストでした。もしもおひまがあればよろしくお願いします。記事を探し損ねていたら申し訳ありません。
返信する
先生、質問です! (Unknown)
2013-06-03 21:48:43
先日寺子屋を見てきました。そこで気になったのが、玄蕃さんの頭の上のトゲの無いサザエ?のような物…あれは何ですか?気になって仕方がありません。先生、どうか教えてください。
返信する

コメントを投稿