
急ぐとき用の3分あらすじは=こちら=になります。
「義経千本桜(よしつね せんぼんざくら)」という長いお芝居の 二段目の後半部分です。
この後のシーン=「大物浦」=(だいもつのうら)とセットで上演されます。
「義経千本桜」という作品は、「平家物語」で有名な源平の戦の後日譚がモチーフになっております。
話の軸としては、頼朝と仲違いして命を狙われる義経があちこち逃げる、行く先々の事件というかんじです。
ここでは都を逃げ出した義経が九州に逃げるべく、摂津(大阪)の大物浦(だいもつのうら)という港で風待ちの逗留中、
という場面でのお話になります。
さて、義経伝説では定番の展開なのですが、
義経が船で通ろうとしている瀬戸内海は、源平の戦の後半の主戦場です。
ひとり、またひとりと義経を恨みながら死んでいった平家一門の魂が、まだまだ生々しく海の中をさまよっているのです。
というわけで平家の亡霊の祟りか、義経の船はは暴風雨にあって大破。
九州に行けずに住吉の浜に漂着してしまいます。
この、「義経が瀬戸内海で難破したのは平家の亡霊のせい」という風説が、この作品にも取り入れられています。
義経が逗留中なのは、「渡海屋(とかいや)」という船宿(ふなやど)です。
当時の海運は、人間ではなく荷物の運搬が主です。陸路運ぶより安く大量に運べるからです。
なので「船宿の亭主」というのは「宿屋の主人」というよりは「運送会社の社長」というかんじです。
荒っぽい人足たちがてきぱきと荷物を運びます。退場。
こういうなんでもないシーンにうまく「生活感」を乗せられるといいなと思うのですが、むずかしいものです。
あと、このお芝居の季節設定は、早春です。寒いです。海も荒れています。
「雨が降り止まない」設定ですが、これも冷たい冬っぽい雨でしょう。
そんな荒れた海に乗り出すってだけで命がけで怖いのです。空も暗いし亡霊が出ても不思議はないかんじです。
というような季節感も、お芝居のなかで上手く感じ取れるといいなと思います。
人足にお茶を出していた船宿の下女たちも働き者です。
宿の娘の、まだ小さい「お安(おやす)」ちゃんの世話をして、昼寝をさせようと寝かしつけます。
宿に逗留中のお坊さんが登場します。
風待ちでずっとヒマなので、町に出て一杯飲んでくると言って座敷を横切ろうとしますが、
寝ているお安ちゃんをまたごうとしたら急に足がしびれて転びます。
これはこの部分だけ見ると意味不明ですが、お安ちゃんは、じつは平家が都落ちのとき連れて逃げた安徳天皇なのです。
壇ノ浦で平家が滅びたときに安徳天皇も死んだ事になっていますが、じつはここに隠してあったという設定です。
帝は神聖なものなので、またごうとした人間の足が攣った(つった)のです。
さらに、ここでは何も言われず、お芝居後半でもちゃんとした説明はないのですが、
このお坊さんは義経の家来の弁慶で、この時点でお安ちゃんの正体に気づいています。
ここは弁慶「小さくてもおなご、男にまたがれるのがイヤなので自分の足をつらせたのだろう」と納得したフリをして、
そのまま出かけます。
このへんまでが、だいたい全体の前フリ部分です。
悪そう&安そうなお侍とその家来が登場します。
頼朝に言われて(直接には梶原平蔵の命令で)義経を探しに鎌倉からやってきたお侍で、
「相模五郎(さがみ ごろう)」さんとお供の「運平(うんぺい)」さんです。
応対するのはおかみさんの「お柳(おりゅう)」さんです。
義経を探すのに船を使うから、宿の空いている船を貸せという銀平に、船宿は信用商売、先約は無視できないと断るお柳さん。
さらにその客に談判するから会わせろと相模五郎は言いますが、お柳さんは断ります。
隠すとは怪しい。相模五郎が奥に踏み込もうとしてさわぎになりかけます。
そこに帰ってきたのが宿の亭主の銀平です。
相模五郎をやっつけて、さらにやりこめて放り出します。主人公らしいインパクト十分の、かっこいいシーンです。
相模五郎は表でくやし紛れにたんかを切って帰っていきます。このセリフが「魚づくし」になっているので面白いです。
一応書くと
「やい、銀ぼう(銀平)、サンマあ(様)め、イワシておけばイイダコと思い、鮫ザメ(さまざま)のアンコウ(悪口(あっこう)雑言、
イナダブリ(いなか武士)だとアナゴ(あなど)って、よくいタイメザシ(痛い目)にアワビ(会わせ)たな」
「サバ アサリ ナマコ(さはありながら←よくわかったな自分) コノワタ(このまま)に、黒鯛(ケエズ、帰る)というは クジラしい(悔しい)。
マグロはカツオ(負けるは勝つ)と言いながら、ナマリ(あまり)と言えば…」
「ハテ赤魚(アコウ)なってメバルなメバルな」
「雑魚と申して」
「こいつアジをやりおるわい、鰈鯒(カレコチ→かれこれ)言わずと、ホゼまあ、鯉コイ」
「ハモ(でも)」
「ええ、シコシコシコ ハヤ、サヨリなら」
シコはカタクチイワシの事らしいです。
…余計な体力を使いました。本筋に戻ります。
この調子じゃあここにいるのも危ないから、そろそろ風もよくなるから船出しよう。お客人に出発の杯を、と銀平が指示し、一度退場します。
この、「渡海屋の銀平」についてですが、
九州との交易が多いということは南蛮渡来の品物も多く扱いますから、
ようするに密貿易も請け負っています。着ている着物も少しエキゾチックな柄になっています。
ちょっと、そのへんの強そうなだけのお兄さんとはまた雰囲気が違い、
荒くれた部分とともに、世の中の裏の方も見て飲み込んでいる器の大きさが必要な役だと思います。
義経とその家来たちが登場します。
銀平たちには正体がバレています。正体を知った上でかくまってくれていたお礼を言う義経。
みなさんの前に盃と肴が置かれ、無事を祈って盃を取り交わします。
ここでお柳さんがいかに主人の銀平の天気予報が当たるか話し始めます。
これが日常の夫婦のほほえましいやりとりなので、非常に場違いなのですが楽しいです。ここは聞けばわかると思います。
わからなかったらコメント欄に書いて下さい、補足します。
しゃべり終わってから場違いだったことに気付いたお柳さんが、恥ずかしそうに「ほほ。ほほほほ」と笑うところまでが、ひとつの見せ場です。
ここは原作の浄瑠璃にはない場面です。裏で銀平が着替えるための時間稼ぎなのですが、かわいらしい、いい場面だと思います。
後半を見るとお柳さんと銀平は夫婦じゃないのですが、
ここまでの場面では二人は、頼れる船乗りのお父ちゃんと、しっかりものだけど夫には甘えるかわいい女房の、仲のいい幸せな夫婦です。
それと後半のギャップがまたいいのです。
義経一行、雨よけの簑や傘まで貸してもらって感謝しながら退場です。
あと、ここでは義経と近しい家来の四天王(伊勢 駿河 亀井 片岡)しか出ませんが、実際に舟に乗るのは彼らの家来も含めて数十人かそれ以上です。
次の幕を見ればわかりますが、「御座船(ござぶね)」はけっこう大きいです。
「御座船(大将船)」以外もあるでしょうから、一行はかなりの人数です。
そろそろ出発ですよと声をかけるお柳さんですが、横の障子の部屋にいるはずなのに返事をしない銀平。
とつぜん謡(うたい)がはいります。
そもそもこれは 桓武天皇九代の後胤(かんむてんのう くだいの こういん) 平知盛(たいらの とももり) 幽霊なり
能の「舟弁慶(ふなべんけい)」の文句です。
たいへん有名な文句で、義経や平家に関係なく、ときどきお芝居に出てくるので、覚えておくと便利です。
謡と同時に障子ががらりと開き、銀平が白い狩衣に銀の鎧、銀の兜で登場します。
腕にはキレイな衣装に着替えたお安ちゃんを抱えています。実ハ安徳天皇です。
銀平は、じつは壇ノ浦で死んだはずの平知盛だったのです。
娘のお安ちゃんはじつは安徳天皇、奥さんのお柳さんは安徳帝の乳母の「典侍の局(すけのつぼね)」。
下女のみなさんはお付きの女房の面々で、人足たちは知盛の家来の武将たちなのです。
全員、身分を隠して生活しながら義経に仕返しする機会を伺っていたのです。
はじめから知っていてわざと義経一行を泊めたこと。
自分たちは今から死んだ平家の亡霊に化けて船に乗り、海上で義経を襲って、死んだ平家一族の敵を討つつもりなこと。
源氏方でもっとも恐ろしいのは義経である。義経を殺せばあとはどうにでもなる。
その勢いで再び鎌倉方に戦をしかけ、平家復興をもくろむ。
だいたいそんな事を言います。てか後半部分は浄瑠璃にはないかもしれないです。
義経を殺す→平家復興のつながりがちょっと非現実的なので、多少セリフを補っている可能性があります。
座敷に敷き皮をしいて座る安徳天皇。
戦はじめの杯ごとをして、謡に合わせて知盛がひとさし舞います。
ああら不思議やな(略)
味方の上に千手観音がいて、光の矢を射て、敵の鬼神は全部滅びた。これみな観音の仏力である
みたいなことを唄っています。
飛ぶがごとくに知盛退場。
この幕終わりです。
後半「大物浦」に続きます。
「典侍の局(すけの つぼね)」について。
なぜ「典侍(てんし)」を「すけ」と読むかについてですが、
正確には「ないしのすけ」の略です。「内侍」は女官の職で、天皇のそばにいます。
当時の天皇というものは臣下とも直接言葉を交わさないことになっているので、内侍を通じて臣下と意志疎通をしました。
それ以外にも帝の言葉を書き取ったりと、一般的な秘書の役目もこなしました。
なので公式書類にするような漢文も書けなければなりません。非常に素養の高い、エリートな女性達です。
長官である「向侍(ないしのかみ)」が当然いちばんえらいのですが、このポジションは形骸化して、とくに漢文が読めなくてもよくなり、
単に帝のおそばにいるだけの人という扱いになりました。つまり複数いる妻のひとりになったのです。
というわけで、実質、「内侍所(ないしどころ)」を総括していたのは次官である「典侍」、ないしのすけ になりました。
なのでもう「すけ」といえば「ないしのすけ」を指すのです。
とはいえ時代が下ると、例えば「讃岐典侍日記(さぬきのすけにっき)」という本が残っていますが、このかたは堀川天皇の「典侍」であり、恋人でもありました。
というかんじに段々「典侍」も恋愛対象的存在になっていくのでした。どうしても若いおねえさんがそばにいるとそうなっちゃいますよね。
というわけで、この「典侍の局」も、なんか女官でありながら女御のように局をもらっていて、なにげに中途半端な雰囲気なのです。
って、お話とは関係ないですが書いときます
=「大物浦」=へ
=「千本桜」もくじへ=
=50音索引に戻る=
「義経千本桜(よしつね せんぼんざくら)」という長いお芝居の 二段目の後半部分です。
この後のシーン=「大物浦」=(だいもつのうら)とセットで上演されます。
「義経千本桜」という作品は、「平家物語」で有名な源平の戦の後日譚がモチーフになっております。
話の軸としては、頼朝と仲違いして命を狙われる義経があちこち逃げる、行く先々の事件というかんじです。
ここでは都を逃げ出した義経が九州に逃げるべく、摂津(大阪)の大物浦(だいもつのうら)という港で風待ちの逗留中、
という場面でのお話になります。
さて、義経伝説では定番の展開なのですが、
義経が船で通ろうとしている瀬戸内海は、源平の戦の後半の主戦場です。
ひとり、またひとりと義経を恨みながら死んでいった平家一門の魂が、まだまだ生々しく海の中をさまよっているのです。
というわけで平家の亡霊の祟りか、義経の船はは暴風雨にあって大破。
九州に行けずに住吉の浜に漂着してしまいます。
この、「義経が瀬戸内海で難破したのは平家の亡霊のせい」という風説が、この作品にも取り入れられています。
義経が逗留中なのは、「渡海屋(とかいや)」という船宿(ふなやど)です。
当時の海運は、人間ではなく荷物の運搬が主です。陸路運ぶより安く大量に運べるからです。
なので「船宿の亭主」というのは「宿屋の主人」というよりは「運送会社の社長」というかんじです。
荒っぽい人足たちがてきぱきと荷物を運びます。退場。
こういうなんでもないシーンにうまく「生活感」を乗せられるといいなと思うのですが、むずかしいものです。
あと、このお芝居の季節設定は、早春です。寒いです。海も荒れています。
「雨が降り止まない」設定ですが、これも冷たい冬っぽい雨でしょう。
そんな荒れた海に乗り出すってだけで命がけで怖いのです。空も暗いし亡霊が出ても不思議はないかんじです。
というような季節感も、お芝居のなかで上手く感じ取れるといいなと思います。
人足にお茶を出していた船宿の下女たちも働き者です。
宿の娘の、まだ小さい「お安(おやす)」ちゃんの世話をして、昼寝をさせようと寝かしつけます。
宿に逗留中のお坊さんが登場します。
風待ちでずっとヒマなので、町に出て一杯飲んでくると言って座敷を横切ろうとしますが、
寝ているお安ちゃんをまたごうとしたら急に足がしびれて転びます。
これはこの部分だけ見ると意味不明ですが、お安ちゃんは、じつは平家が都落ちのとき連れて逃げた安徳天皇なのです。
壇ノ浦で平家が滅びたときに安徳天皇も死んだ事になっていますが、じつはここに隠してあったという設定です。
帝は神聖なものなので、またごうとした人間の足が攣った(つった)のです。
さらに、ここでは何も言われず、お芝居後半でもちゃんとした説明はないのですが、
このお坊さんは義経の家来の弁慶で、この時点でお安ちゃんの正体に気づいています。
ここは弁慶「小さくてもおなご、男にまたがれるのがイヤなので自分の足をつらせたのだろう」と納得したフリをして、
そのまま出かけます。
このへんまでが、だいたい全体の前フリ部分です。
悪そう&安そうなお侍とその家来が登場します。
頼朝に言われて(直接には梶原平蔵の命令で)義経を探しに鎌倉からやってきたお侍で、
「相模五郎(さがみ ごろう)」さんとお供の「運平(うんぺい)」さんです。
応対するのはおかみさんの「お柳(おりゅう)」さんです。
義経を探すのに船を使うから、宿の空いている船を貸せという銀平に、船宿は信用商売、先約は無視できないと断るお柳さん。
さらにその客に談判するから会わせろと相模五郎は言いますが、お柳さんは断ります。
隠すとは怪しい。相模五郎が奥に踏み込もうとしてさわぎになりかけます。
そこに帰ってきたのが宿の亭主の銀平です。
相模五郎をやっつけて、さらにやりこめて放り出します。主人公らしいインパクト十分の、かっこいいシーンです。
相模五郎は表でくやし紛れにたんかを切って帰っていきます。このセリフが「魚づくし」になっているので面白いです。
一応書くと
「やい、銀ぼう(銀平)、サンマあ(様)め、イワシておけばイイダコと思い、鮫ザメ(さまざま)のアンコウ(悪口(あっこう)雑言、
イナダブリ(いなか武士)だとアナゴ(あなど)って、よくいタイメザシ(痛い目)にアワビ(会わせ)たな」
「サバ アサリ ナマコ(さはありながら←よくわかったな自分) コノワタ(このまま)に、黒鯛(ケエズ、帰る)というは クジラしい(悔しい)。
マグロはカツオ(負けるは勝つ)と言いながら、ナマリ(あまり)と言えば…」
「ハテ赤魚(アコウ)なってメバルなメバルな」
「雑魚と申して」
「こいつアジをやりおるわい、鰈鯒(カレコチ→かれこれ)言わずと、ホゼまあ、鯉コイ」
「ハモ(でも)」
「ええ、シコシコシコ ハヤ、サヨリなら」
シコはカタクチイワシの事らしいです。
…余計な体力を使いました。本筋に戻ります。
この調子じゃあここにいるのも危ないから、そろそろ風もよくなるから船出しよう。お客人に出発の杯を、と銀平が指示し、一度退場します。
この、「渡海屋の銀平」についてですが、
九州との交易が多いということは南蛮渡来の品物も多く扱いますから、
ようするに密貿易も請け負っています。着ている着物も少しエキゾチックな柄になっています。
ちょっと、そのへんの強そうなだけのお兄さんとはまた雰囲気が違い、
荒くれた部分とともに、世の中の裏の方も見て飲み込んでいる器の大きさが必要な役だと思います。
義経とその家来たちが登場します。
銀平たちには正体がバレています。正体を知った上でかくまってくれていたお礼を言う義経。
みなさんの前に盃と肴が置かれ、無事を祈って盃を取り交わします。
ここでお柳さんがいかに主人の銀平の天気予報が当たるか話し始めます。
これが日常の夫婦のほほえましいやりとりなので、非常に場違いなのですが楽しいです。ここは聞けばわかると思います。
わからなかったらコメント欄に書いて下さい、補足します。
しゃべり終わってから場違いだったことに気付いたお柳さんが、恥ずかしそうに「ほほ。ほほほほ」と笑うところまでが、ひとつの見せ場です。
ここは原作の浄瑠璃にはない場面です。裏で銀平が着替えるための時間稼ぎなのですが、かわいらしい、いい場面だと思います。
後半を見るとお柳さんと銀平は夫婦じゃないのですが、
ここまでの場面では二人は、頼れる船乗りのお父ちゃんと、しっかりものだけど夫には甘えるかわいい女房の、仲のいい幸せな夫婦です。
それと後半のギャップがまたいいのです。
義経一行、雨よけの簑や傘まで貸してもらって感謝しながら退場です。
あと、ここでは義経と近しい家来の四天王(伊勢 駿河 亀井 片岡)しか出ませんが、実際に舟に乗るのは彼らの家来も含めて数十人かそれ以上です。
次の幕を見ればわかりますが、「御座船(ござぶね)」はけっこう大きいです。
「御座船(大将船)」以外もあるでしょうから、一行はかなりの人数です。
そろそろ出発ですよと声をかけるお柳さんですが、横の障子の部屋にいるはずなのに返事をしない銀平。
とつぜん謡(うたい)がはいります。
そもそもこれは 桓武天皇九代の後胤(かんむてんのう くだいの こういん) 平知盛(たいらの とももり) 幽霊なり
能の「舟弁慶(ふなべんけい)」の文句です。
たいへん有名な文句で、義経や平家に関係なく、ときどきお芝居に出てくるので、覚えておくと便利です。
謡と同時に障子ががらりと開き、銀平が白い狩衣に銀の鎧、銀の兜で登場します。
腕にはキレイな衣装に着替えたお安ちゃんを抱えています。実ハ安徳天皇です。
銀平は、じつは壇ノ浦で死んだはずの平知盛だったのです。
娘のお安ちゃんはじつは安徳天皇、奥さんのお柳さんは安徳帝の乳母の「典侍の局(すけのつぼね)」。
下女のみなさんはお付きの女房の面々で、人足たちは知盛の家来の武将たちなのです。
全員、身分を隠して生活しながら義経に仕返しする機会を伺っていたのです。
はじめから知っていてわざと義経一行を泊めたこと。
自分たちは今から死んだ平家の亡霊に化けて船に乗り、海上で義経を襲って、死んだ平家一族の敵を討つつもりなこと。
源氏方でもっとも恐ろしいのは義経である。義経を殺せばあとはどうにでもなる。
その勢いで再び鎌倉方に戦をしかけ、平家復興をもくろむ。
だいたいそんな事を言います。てか後半部分は浄瑠璃にはないかもしれないです。
義経を殺す→平家復興のつながりがちょっと非現実的なので、多少セリフを補っている可能性があります。
座敷に敷き皮をしいて座る安徳天皇。
戦はじめの杯ごとをして、謡に合わせて知盛がひとさし舞います。
ああら不思議やな(略)
味方の上に千手観音がいて、光の矢を射て、敵の鬼神は全部滅びた。これみな観音の仏力である
みたいなことを唄っています。
飛ぶがごとくに知盛退場。
この幕終わりです。
後半「大物浦」に続きます。
「典侍の局(すけの つぼね)」について。
なぜ「典侍(てんし)」を「すけ」と読むかについてですが、
正確には「ないしのすけ」の略です。「内侍」は女官の職で、天皇のそばにいます。
当時の天皇というものは臣下とも直接言葉を交わさないことになっているので、内侍を通じて臣下と意志疎通をしました。
それ以外にも帝の言葉を書き取ったりと、一般的な秘書の役目もこなしました。
なので公式書類にするような漢文も書けなければなりません。非常に素養の高い、エリートな女性達です。
長官である「向侍(ないしのかみ)」が当然いちばんえらいのですが、このポジションは形骸化して、とくに漢文が読めなくてもよくなり、
単に帝のおそばにいるだけの人という扱いになりました。つまり複数いる妻のひとりになったのです。
というわけで、実質、「内侍所(ないしどころ)」を総括していたのは次官である「典侍」、ないしのすけ になりました。
なのでもう「すけ」といえば「ないしのすけ」を指すのです。
とはいえ時代が下ると、例えば「讃岐典侍日記(さぬきのすけにっき)」という本が残っていますが、このかたは堀川天皇の「典侍」であり、恋人でもありました。
というかんじに段々「典侍」も恋愛対象的存在になっていくのでした。どうしても若いおねえさんがそばにいるとそうなっちゃいますよね。
というわけで、この「典侍の局」も、なんか女官でありながら女御のように局をもらっていて、なにげに中途半端な雰囲気なのです。
って、お話とは関係ないですが書いときます
=「大物浦」=へ
=「千本桜」もくじへ=
=50音索引に戻る=