2月5日(金)、「第21回サンガくらぶ」としてプラユキさんの新刊『自由に生きる』(サンガ)の刊行記念講演会が開催されました。会場は刊行を祝う40人以上の人が集い、華やかな活気にあふれていました。
講演のテーマは「自由に生きる。平和を生きる~智慧と慈悲に基づいた生き方とは」です。
・自由とは?
始めにプラユキさんは「自由とはなんでしょう?」と問いかけます。
そして辞書などの定義をもとに、一般にいうところの自由を以下のようにまとめられました。
・外的な束縛、拘束、妨害、支配がないこと
・自分の意(思い、心)のままに振る舞うこと。
・わがまま。勝手気まま。
でも、仏教における自由とは、以下のように一般的な自由とは相反するそうです。
・外的なことよりも、思考パターンや心のクセに支配されないという、内的なことを重視。
・自分の意(思い、心)のままに振る舞うことは、必ずしも自由ではない。
→執着やハマりこみによる振るまい(心の奴隷状態)は、当然自由とはみなされない。
・「わがまま。勝手気まま」であることは、煩悩(我)に支配されている「放逸」状態とみなされる。
・自らを拠り所とせよ
世間一般で自由と思われていることが、必ずしも仏教的には自由とみなされないのですね。
それでは仏教でいう自由とは、どんな状態をさすのでしょうか?
プラユキさんによると、それは臨終をむかえるブッダが弟子のアーナンダに伝えた言葉に、端的に表されているそうです。
汝らは、自らを灯明とし、自らを拠り所とせよ。『涅槃経』
自らを拠り所にするとは、気づきや智慧を拠り所に生きる、ということだそうです。そのためには心が奴隷状態、つまり渇愛に溺れたり、自我に執着していないことが大切。
そのように常に自らを拠り所にしてしっかりと気づいていれば、よりよい選択をすることができるようになります。
仏教ではこのレベルを、自由とよぶそうです。
それをプラユキさんは、ご自分流の言葉でまとめられました。
「仏教的な自由とは、『よき縁となす』ことができることです。
それにより、あらゆる縁(出会い)が生かせるようになります」
例えば、自殺は健康や経済、家族や人間関係などを原因とした苦しみにあるとされます。でも、それは仏教的観点では「原因」でなく、あくまでも「条件=縁」にすぎないそうです。
ですから、それを苦しみの原因ではなく、あるがままの現象としてとらえることができれば、まずはOK。
苦しみと思っていた現象をありのままに観ることができれば、そこから気づき(理解)が生まれ、智慧や慈悲へと育ち、より善き行動を選ぶこともできるようになるそうです。
・自由と平和
プラユキさんは自由と平和の統合について、私論と断られたうえで
「自由は智慧によって気づかれ、平和は慈悲によって築かれます」
と提示。
仏教の2つの輪ともいわれる智慧と慈悲に、自由と平和に対応させることで、それぞれが特徴をクッキリと浮かび上がらせました。
さらに、
「ブッダのヴィパッサナー瞑想は、煩悩との戦いではなくて、
非暴力による苦のブレイクスルーです」
とおっしゃいました。
瞑想実践においても、怒りや欲などのネガティブな反応に対して「ダメだ」、「あっち行け」と否定や抑圧をするのではなく、まずは、ありのままを受け入れて理解するという、平和的に対応していくことが大切なようです。
そして、
「真の平和とは、私たちの心の平和と慈悲の実践によってつくり出していくものです。
そういった一人一人の自覚的な行動が、平和な世界を作り出していきます」
とまとめられました。
私たち一人一人の在り方が世界の平和に貢献できるのかと思うと、実践に対する意欲(チャンタ)がさらにわいてきますね。
その後、瞑想実践と質疑応答が行われました。終了後のサイン会は新刊を購入した人の列ができましたが、早く帰る人を優先して、みなさん譲り合って並んでいました。
プラユキさんは一人一人と対話をして、メッセージをそえてサインをされていました。
終始、穏やかであたかい講演会になりました。心のこもった講演会を企画運営してくださった、出版社サンガのみなさんに、お礼を申しあげます。(文責:「よき縁ネット」管理人・森竹)