世界遺産熊野参詣道小辺路を歩く

熊野古道小辺路を高野山から 熊野本宮大社まで歩いた記録です。

はじめに

2015-06-28 11:52:31 | 世界文化遺産熊野参詣道小辺路を歩く

Photo   

上図は「世界文化遺産 紀伊山地の霊場と参詣道」を示す。

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そのなかで「小辺路」(こへち)は 高野山から熊野本宮大社までの

約67キロの山道で、最高峰は伯母子岳(おばこだけ1344m)である。

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歩いた記録は以下に示す(※各記録をクリックすると直接そのページへいけます)

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1.高野山から水が峰往復 Part1 高野山から水が峰へ

 高野山から水が峰往復 Part2 水が峰からの帰路と高野七口女人道

                        いずれも2013年11月22日

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2.水が峰から大股往復             2013年11月30日

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3.大股から伯母子岳(1344m)往復     2013年12月23日

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4.十津川村杉清から伯母子峠         2014年1月12日

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5.十津川村五百瀬集落から三浦峠往復   2014年1月17日

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6.十津川村西中集落から三浦峠        2014年1月28日

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7.十津川温泉から果無(はてなし)峠へ     2014年1月29日

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8.果無峠から熊野本宮大社へ           2014年1月29日

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最終章熊野本宮へ PART1 十津川温泉から果無峠へ 2014年1月29日

2014-02-01 19:03:06 | 世界文化遺産熊野参詣道小辺路を歩く

高野山から歩いてきた「熊野参詣道小辺路」もいよいよ最終章である。

Part1 十津川温泉から果無峠(はてなしとうげ)へ

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1 

十津川温泉から果無峠への山地図

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150 

朝の冷気の中、湯煙が盛んに上がっている「昴の郷」。

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2 

ホテルを8時30分にスタート。

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3 

二つあるトンネルのうち、向かって右の古い小さなほうのトンネルを抜ける。

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4 

トンネルを出たらすぐ吊橋をわたる。

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5 

標識がよく整備されていて、迷うことは無い。

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6 

ダムを見下ろしながら登っていく。

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7 

ここからが山道の始まりだ。

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8 

すぐに石畳の道が現れた。

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9 

きれいな石畳の道が続く。

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10 

ダムと温泉街を見下ろしながら高度を上げていく。

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11 

道端のお地蔵さんには花が備えてある。

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12 

やがて果無集落に入る。ここの中を歩くのが楽しみだった。

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15197 

集落の中を石畳の道が続く。

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152902 

民家の間を通っていく。

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15304

大木をくりぬいた水桶に湧き水が流れている。一口飲ませていただいたが、

とてもおいしかった。夏はスイカとかトマトを冷やすのだろうか。

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1503

椿の花一輪がなんともいえない風情がある。

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154907 

壁のディスプレイもなかなか雰囲気がある。

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15596 

大きな水槽には大きな鯉が泳いでいた。食料なのだろうか。それともペットか。

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15694 

少し畑の道を歩かせてもらった。鹿、いのししの被害が多いらしく、畑はすべて

ネット囲いがしてあり、集落の出入り口にも害獣除けの扉があった。

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164 

民家の屋根の向こうにはこれから越えていく「果無(はてなし)山脈」が

待ち構えている。まだかなり距離はありそうだ。

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179 

集落を出ても石畳の道は続く。

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18 

小辺路の道沿いには峠の向こうとこちらで合計33体の観音様がいらっしゃるそうだ。

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194 

しばらくすると広い場所に出た。「天水田の跡」と説明看板があり、雨水だけを

たよりに棚田があったらしい。すぐ近くには茶店と旅籠の跡があった。

このご夫婦は昨夜ホテルが同じ方で今日はここまで歩いてきて、ここで引き返す

とおっしゃっていた。「本宮大社まで行きたいのですが、もう体力がありません」

とさびしそうにおっしゃった。

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208 

すぐ近くに「山口茶屋跡」があった。

ここにも無残に杉の植林をして、遺物を破壊していた。世界文化遺産は

どこの国でも「保護復元」するのが原則なのに、和歌山県も奈良県もどんどん

破壊している。県庁職員、文化庁職員、みな程度の低い連中だ。情け無い。

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21 

果無山脈が大分近づいた。

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22 

果無観音堂到着。峠までもう少しだ。

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23 

中には観音様とお不動様が安置されている。毎月ここで行事があるそうだ。

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24 

お堂の近くに水場があるが氷だらけだ。寒いはずだ。

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251 

峠まであと1キロだそうだ。

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26 

さらに登っていくと突然感動の大パノラマが広がっていた。

ダムと温泉街の向こうには、白く雪を被り、朝日に銀色に輝く「世界遺産

大嶺奥駆道」が見える。世界遺産の参詣道を歩きながら別の世界遺産の

参詣道を眺められるのだ。

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2759

山上ヶ岳稲村ヶ岳周辺の山だろう。手前に黒くとがった山が「大日岳」だろう。

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279 

更にその右には奥駆最高峰の八剣山(八経ヶ岳)がみえる。

左手前が「頂仙岳」、左奥が弥山だろう。

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28 

やがて果無峠に到着した。

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その2へ続く(果無峠から熊野本宮大社へ)

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最終章熊野本宮へ PART2果無峠から熊野本宮へ 2014年1月29日

2014-02-01 18:42:56 | 世界文化遺産熊野参詣道小辺路を歩く

最終章その2 

果無峠(はてなしとうげ)から小辺路終点大斎原(おおゆのはら)へ。

明治時代の大水害で熊野本宮大社の建物がすべて流された。当時の建物は

熊野川の中州にあったが、現在は日本一の大鳥居が立てられて聖地として

保存されている場所が「大斎原」である。

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2 

果無峠を越えて熊野川まで下りてくると、世界遺産の3つの参詣道

「大嶺奥駆道」、「熊野参詣道中辺路」、そして「小辺路」が本宮大社付近で合流する。

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29 

果無峠は植林された杉が生い茂り、せっかくの世界遺産の峠道は、ぜんぜん見通しがない。昔の人はここまで歩いてきた 高野山や十津川の山々を見て、そしてこれから行く先の熊野川を見て、感動したことだろうに。

自然の森なら眺望がきかなくても仕方が無いが、この「何が何でも植林するぞお」という植林政策はなんとかならんのかいなあ。

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31 

峠を越えると快適に下り道を歩く。ところどころに石畳が残っている。

峠直下で またしても古道の修理と清掃をしている地元「七色集落」の

ご夫婦に出会った。いろいろお話を伺った後、お礼を言って先を急いだ。

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32 

しばらく山道を下ると、ついに熊野川が見えてきた。ゴールにまた一歩

近づいた。

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33 

更に歩き続けると、終に「本宮町」が見えてきた。

高野山を出発して峠をいくつも越えて、継ぎながらではあるが、遥遥とここまで歩いてきたので感動的な眺めだ。

しばらく立ちすくんで、町を眺める。

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34 

この景色を見ながらお昼ご飯にする。

昨夜ホテルで「夜食付きプランですから」と言って、晩御飯の後おにぎりと漬物、海苔を頂いた。それに私が常に携帯している「フリカケ」をかけて持参した。それとポットに入れて持参したお湯でカップ麺をつくる。

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35 

昼食後再び山道を下る。ところどころに石畳の道は続く。

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36 

下に見えるのはどうも七色集落のようだ。先ほどお会いした山道の清掃と修理をしていたご夫婦は、ここから登ってこられたのだ。かなりの距離だ。

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37 

七色分岐に到着した。そのまままっすぐに「八木尾」へ進む。

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38 

突然民家の庭先に出たが、そのまま通る。

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39 

国道に出た。ここから国道歩きだ。

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40 

振り返ると山道からここに石段を降りてきたのだ。

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41 

熊野川沿いの国道の脇の歩道を行く。これが現代の「小辺路」だ。

車道を歩かされなくて、まだましだ。

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42 

歩きながら振り返ると、超えてきた「果無山脈」が見える。あの山の向こうが十津川温泉だ。

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42 

本宮町の町の中に入ると、突然「小辺路」の案内標識が消えた。その代わりに現れたのが、「中辺路(なかへち)」の標識だ。

困り果てて、地元の人に聞くが、誰も「小辺路」なんて言葉を知らない。6人目に聞いた人が知ったかぶりをして教えてくれたのが、「中辺路の何とか王子」へ行く道だった。

すぐに間違いに気づき引き返して、7人目に聞いた「教養のありそうな年配の紳士」がやっと正確に 次の小辺路のポイント「三軒茶屋跡」を詳しく教えてくださった。

和歌山県や田辺市の職員は もっと地元の本宮町の人を教育せなあかんなあ。世界文化遺産が泣くよなあ。外国の人も歩きに来る世界遺産の参詣道を、肝心の地元の人が知らないなんて。恥ずかしい限りだ。

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43 

ようやく探し当てた案内標識。でもこれは「小辺路」の標識ではなくて、「中辺路」の標識だ。「三軒茶屋跡」へ進む。

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4431 

歩いてきた道が「小辺路」であの上を通っているのが、「中辺路」だ。この「三軒茶屋跡」で二つの参詣道は合流して最終地熊野本宮大社へ向かう。

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45 

合流地点の案内標識。よく見て驚いた。

この標識は「中辺路」の標識で、小辺路の案内は取って付けた様に「小辺路高野山へ78キロ」だとさ。まったくふざけとるなあ。

なんで「小辺路八木尾へ2.2キロ」と普通に書けないのかなあ。

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46 

最後の峠からは、大斎原の日本一の大鳥居が見えた。さあいよいよ最終章だ。

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47 

熊野古道小辺路、中辺路もいよいよ終点だ。石畳の道をゆっくりと歩く。

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48 

本宮大社の境内に立つ鳥居に着いた。でもここは現在の神社境内の裏側のはずだ。

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50 

境内に入ると「お疲れ様でーす」と別嬪さんがお出迎え、と思ったら写真屋さんの女性たちでした。

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51 

いよいよ神門を潜って境内に入る。

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52 

本殿に参拝する。この地は大和政権の祖先達、九州物部族(秦国人徐福の子孫たち)が大和へ向かう途中上陸した熊野なのである。

当然祀られているのは、大和朝廷の祖先徐福(記紀では素戔嗚すさのお と書かれた)を祀っている。

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537 

ゴールに向かい石段を降りる。神社正面入り口へ向かっているわけだ。

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549 

ここが正面入り口だ。「ヤタガラス」がはためいている。

物部王朝軍は九州を出発して和歌山に上陸したものの 高倉下(たかくらじー初代大和大王 天の村雲の異母兄弟)の子孫たちに激しく抵抗され上陸を諦めた。

熊野に再上陸した物部軍をこの地から大和の磐余(イワレ)まで導いた大和登美家(古代出雲王朝の分家)の「加茂建津之身」に感謝して、物部ウマシマジたちは 末代まで「ヤタガラス」として 加茂建津之身を祀ったという。

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55 

いよいよゴールが近づいた。日本一の大鳥居だ。

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56 

大きな鳥居を潜る。鳥居の最上部正面には「ヤタガラス」が金色に光り輝いている。

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57 

うっそうとした杉木立だが、これも「明治の大水害」の後で植えられたものだろう。

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599 

ここが大斎原で、この台地の周りには、昔の建物の石垣がのこされている。

終に小辺路のゴールに到着した。感無量だ。

歩き始めたのが8時半、時刻は午後4時ちょうど。

予約して待っていてくださった「熊野第一交通」のタクシーに乗せてもらい直ちに十津川温泉昴の郷へ引き返す。

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60

実際に歩いた記録、十津川温泉から七色分岐まで。

61

果無峠から大斎原まで

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62name

高度と距離の記録

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小辺路を歩き終えて一番感じたことは、「林道歩きが多すぎる」ということだ。

性格に計ったわけではないが、感じとして全行程の半分以上がアスファルト

舗装の林道や国道だと思う。

同じ世界遺産の参詣道の奥駆道も確かにアスファルト道路を歩くことがある。

吉野界隈や古谷の宿以南の十津川村周辺などだ。しかし全体の長さからすれば

2割以下のような気がする。

小辺路のアスファルト林道のすぐ横には、山道があるのだが「立ち入り禁止」の立て札があちこちに立ててあり、入れない。

世界遺産をもっと大切に考えて、山道をもっと歩くように復元すべきだし、して欲しいと思う。日本は文化国家らしいので。

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No6 三浦峠から十津川温泉 2014年1月28日

2014-01-31 18:45:19 | 世界文化遺産熊野参詣道小辺路を歩く

三浦峠へは奈良県十津川村西中から往復して歩き、西中から十津川温泉へは

本来小辺路を歩くべきだが、当時の小辺路は現在、国道425五号線になって

いて そのアスファルトの道を約10キロ2時間近く歩かねばならないので、

ぜんぜん楽しくなさそうなので 車で移動した。

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011 

ト地図その1、西中バス停から出店跡まで。

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022 

ト地図その2、出店跡から三浦峠まで。

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186 

道路わきの広場に駐車して歩き出した。

この橋を渡ると西中集落と西中バス停がある。

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2 

ここが登山口で大きな標識が分かりやすい。

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391 

歩き始めは山道だったが

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493 

すぐに林道に出た。その後何回か山道と林道を繰り返す。

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6198 

きれいな農家の横から本格的に山道だ。犬がじっとこちらを見ている。

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6202 

この農家の横に登山届けポストがある。林道をそのまま歩いても三浦峠へ

行けるらしいが、当然小辺路の旧道の山道を行く。

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6306 

しばらく登ると無人の農家の庭を通り過ぎる。

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6556 

この農家の庭先の水場は凍り付いている。とても寒い。

こへ来る途中の十津川役場付近では気温マイナス3度だった。

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715 

山道はよく整備されている。随所に石垣積みが見られる。

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87 

大きな岩を削った場所もある。

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908 

岩を削り、階段にした場所もある。

昔の人は手作業で大変な作業だったことだろう。

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10110 

しばらく山道を登ると矢倉観音堂に到着。

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10213 

内部の観音様や、お地蔵さんにたくさんお供えがしてあった。

手を合わせて先に進む。

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1131 

五輪の石塔を過ぎる。古めかしい石塔だ。

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12183

ここが 出店の跡らしい。わずかばかりの平地になぜか杉の植林をしていて、

杉の木の根が石垣を破壊して、周りの土地も雑木で荒れ放題だ。

なぜこんなことをするのだろう。世界文化遺産としての 価値がまったく

分からない、理解できない連中のすることだ。

貴重な史跡を保存したり、そのまま置いておくことは出来ないのだろうか。

奈良県、和歌山県ともに 文化遺産に対する扱いがお粗末過ぎる。

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12263 

急斜面が崩落している場所もあった。慎重に通り抜ける。

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13252 

古矢倉(ふるやぐら)跡に来た。ここまで来ると少し雪が残っていた。

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1313 

古くてお顔も判別できない石仏がいらっしゃる。

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133 

ここは見通しもよく、遠くの山もよく見える。

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1418 

それからしばらくは尾根道歩きだ。

尾根の両側は鋭く落ち込んでいて、急斜面が続く。

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14237 

時々右手の山の中に家がみえる。

説明看板があり、「今西集落」と書いてあった。この西中集落に来る途中、

間違えて「今西集落」へ行き、あわてて引き返した場所だ。

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1860 

進む山道の前方上部に空が見え、「いよいよあそこが峠だ」と思い近づくと、

次の坂道が現れる。それを何回か繰り返す。

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198 

この先が今度こそ峠のようだ。

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2070 

見覚えのある小屋が見えてきた。

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2172 

前回休憩した小屋だ。神奈川県から来た若者と一緒にお昼ご飯を食べた

場所だ。地面はバリバリに凍っている。

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今回もこの休憩所でお昼ご飯とする。今回も山道の途中で関東から来た

若者とすれ違った。彼も今夜十津川温泉で宿泊し、明日熊野本宮へ行くと

言っていた。

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2374 

小さく見える五百瀬集落の向こうに「伯母子岳」が見える。

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2475 

前回ここへ登ったスタート地点の五百瀬集落だ。

五百瀬からここまで2時間半かかったが、西中からここまでは3時間15分

かかった。こちらのほうが少し距離が長いようだ。

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3217 

昼食後直ちに下山する。登ってくる途中あちこちで見た道沿いの石垣は、

どうも棚田の跡のようだ。ここにも杉の植林をして、その根が石垣をどんどん

破壊している。浅知恵の林野行政の仕業だ。

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3193 

「ここは松茸山じゃけん、入ったら駄目だけん」とあちこちに立て札がある。

おまけに針金でフェンスまでしてある。世界遺産の参詣道に、なんとも無粋な

看板だこと。せっかくイニシエの参詣道の雰囲気を味わおうとやってきたのに、

これではなあ。なんともはや。これもなんとかならんのかいなあ。

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337 

ようやく最終民家(今は無人)まで降りてきた。

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3501 

眼下に西中集落が見えてきた。あともうすこしだ。

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36 

下り道はこの黄色い道を降りてきた。登りの時は、分岐点に標識が無かった

ので、そのまま林道を歩いてしまったようだ。

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3705 

あの前方の山並みの更に奥の山に三浦峠があり、そこまで行ってきたのだ。

それにしてもこの橋の鉄骨は大丈夫かいなあ。錆でぼろぼろだけど。

たまに村営バスが走るくらいだけど、危険やなあ。

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5007 

国道425五号線は十津川支流西川沿いの道だ。本来ならこの小辺路道の

アスファルト道路を2時間かかって歩き、十津川温泉へ行くべきなのだが、

ここから車で移動した。

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5108 

52812 

道の途中に川合神社があったので、立ち寄ってみたが「祭神その他説明文」は

まったくなかったので、どなたを祀っているのか分からなかった。

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5421 

その近くの「西川第一小学校」に立ち寄ってみた。校庭では 元気に子供たちが

走り回っていた。山道で沢山見てきた、廃屋の進むこんな山里のなかにも

「子供たちが沢山いて、小学校に通っている」ことに 驚いて感心した。

「山村崩壊」とか「限界集落」とか言われて久しいが 少し安心した。

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5523 

十津川村営の「ホテル昴の郷」に到着。

ホテルの敷地の中を小辺路が通っている。向こうがホテル棟だ。

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5643 

ここの露天風呂は「寝湯」があり寝転んで星空を見ながら入れる。

昼間の疲れを癒し、さあ 明日はいよいよ小辺路最終章の熊野本宮大社だ。 

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60 

実際に歩いた記録。登りは3時間10分、下りは2時間だった。

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61 

標高差は700m。三浦峠は標高1065メートルだった。(手元のGPSによる)

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NO5 五百瀬から三浦峠 2014年1月17日

2014-01-18 22:27:10 | 世界文化遺産熊野参詣道小辺路を歩く

前回は奈良県十津川村杉清から伯母子峠へ歩いたが、その杉清集落から

約1キロほど東側の五百瀬集落から南側の「三浦峠」へ歩いた。

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0 

今回歩いたのは、五百瀬小学校の校庭に駐車させていただき、歩き初めて

三浦峠まで往復した。

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121

前回の登山口のこの地点である。通りかかりの地元の方に駐車スペースを

聞くとここから約1キロほど東に 案内してくださった。

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25 

五百瀬(いもせ)小学校の 校庭に駐車させていただいた。

子供の姿が見えないが、、、。

9時半過ぎにスタート、気温1℃。かなり寒い。

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34 

集落の中ほどに大きな看板があり、登山口はすぐにわかった。

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4 

神納川にかかるこの橋「舟渡橋」(ふなとばし)をわたる。

この橋の看板に「村道五百瀬三浦線」と書いてあり、この山道がなぜ

村道なのか後で分かった。

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5 

橋を渡ったところにもたくさん小辺路の標識があり、「三浦峠まで3時間、

がんばって」と五百瀬小学校の児童が書いた看板もあった。

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6 

山道は何故かきれいに掃かれていた。

これも何故、誰が掃き掃除をしたのか後でわかった。

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73 

この道は山道であり、熊野への参詣道小辺路であるが、村人たちの

生活の道でもあるのだ。車道のない山村の風景がこんなにも、美しいとは

はじめて分かった。

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86 

やがて石畳の道も現れた。さすがに千年を超える信仰の道でもあるのだ。

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9 

かなり山の上のほうまで民家があり、その軒先を掠めるように 道は続く。

この道が「村道」なのがやっと理解できた。村民の生活の道でもあるのだ。

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10 

かなり登ったところに人がいる。なんか働いているような感じだ。

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113 

この方が山道の落ち葉を掃いて掃除していたのだ。聞くと「村に頼まれたから

ボランティアでやっている」とのことだった。お礼を言って通してもらう。

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124 

やがて行く手に巨木が現れた。「巨木の森」だ。

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137 

こんなすごい貫禄の木もある。

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149 

この説明文によると「吉村家」の防風林の跡らしい。

私が生まれた60数年前までこの地で「旅籠」を営んでいたという。

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157 

今は吉村家の屋敷は無いが、「吉村なんとかさんご夫妻」のお墓が

残されていた。

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この旅籠には沢山の熊野への参詣者が泊まり、熊野へと旅立ち、

また熊野からの帰りにも立ち寄ったことだろう。

時の流れを感じて しばし立ち止まり、墓標に手を合わせて先に進む。

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169 

やがて植林帯が消えて、森が現れる。

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1823 

道端に石碑が置いてあり、「二十五丁なんとか」と読める。

三浦峠まであと二十五丁(2.5キロ)くらいだ。

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194 

斜面が大きく崩れていて、復旧工事が完了していた。

去年秋の台風で崩れたのだろうが、奈良県は対応が早いなあ。

崩れた山道を放置して知らん顔の河内長野市とえらい違いだ。

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207 

復旧された階段からは眼下に「五百瀬集落」がよく見える。

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210 

水場が現れたので、一休みして冷たい水でのどを潤す。とてもおいしい水だ。

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224 

山道を歩いていくと「バリバリ」と大きな音がする。霜柱が沢山出ている。

気温は低くかなり寒い。風も強くなってきた。

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236 

突然通行止めの標識が出てきた。この先で大規模に崩落したらしい。

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249

ここでも英文で表記がある。

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26 

迂回路も整備されていてきれいな道だ。

もともと山仕事で使われていた道だろう。

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274 

峠に着いたようだ。手元のGPSでも標高は1000mを超えている。

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286 

ここで本来の古道と合流する。全体の3分の1程度が通行止めで迂回路だった。

去年の台風の被害はすごかったようだ。国道168号線は未だに十津川温泉で

通行止めが続いているし、北山村、十津川村、龍神村を横に繋ぐ国道や県道は

ほとんどが今でも通行止めのままだ。

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29 

三浦峠の標識だ。しかし林道が2本横断している。かなり興ざめだ。

向こうに休憩所がみえる。

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308 

今朝五百瀬集落の民宿で泊まり小辺路を歩き出した若者と一緒に、

ここで昼食をとる。かれは神奈川からやってきたそうだ。

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312 

昼食後若者は十津川へ降りていった。

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321 

ここが十津川への下山口だ。西中まで11キロあり3時間かかるだろう。

そこから十津川温泉まで国道425号線を2時間歩くのだ。

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彼の行動は 一日目が新幹線と電車を乗り継ぎ、高野山を昼過ぎにスタート。

その日は大股まで歩いて大股で泊まり、次の日が五百瀬で泊まった。

今夜は十津川温泉で泊まる予定だそうだ。

彼と山の話をいろいろとしながら食事をしたが、ここは壁が無いので

吹きさらしでとても寒い。気温は氷点下5度程度かそれ以下だろう。

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33 

峠からは眼下に五百瀬集落とその向こうに伯母子岳が見える。

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Photo 

集落の右奥の高い山がおそらく伯母子岳だろう。ここから見てもかなりの

距離があるのが分かる。前回は時間がかかったはずだ。

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35 

下山を開始してすぐに目に入ったのは、小辺路の山道の周りが無残にも

丸裸にされた山肌だ。どうせどこかの馬鹿な林野庁の職員がどこかの

森林組合に山狩りをさせているのだろう。ひどいことをするもんだ。

文化遺産に対する認識がまるでないなあ。

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360 

一方で黙々と世界遺産の道を清掃する人もいる。

峠まであと二日かかるだろう。ご苦労様です。

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375 

巨木の森に帰ってきた。上から見下ろしてもすごい眺めだ。

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381 

無人と思われる農家の庭先を通る。

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3824 

この家のかっての洗い場も今は崩れている。氷が分厚く張っていた。

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391 

こちらの茶畑は刈り取られた形跡がある。

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3926 

茶畑の先の脳のう農家は洗濯物が干してあり、生活のにおいがしていた。

しかし車道のない生活ではいずれこの風景も消え行くだろう。

この美しい山郷風景も世界遺産に登録して欲しいなあ。

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40 

舟渡橋に戻ってきた。晴れているがずっと粉雪がちらついていた。

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42 

集落内のみちを歩くがこの道も小辺路だ。やがて駐車した小学校が見えてきた。

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44 

帰着した校庭から見返すと、あの禿山のあたりが三浦峠だろう。

この場所につれてきてくださった民宿「政所」がすぐ右手にあるので、

無事下山したことを伝えてから車を走らせた。

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48 

実際に歩いた記録。これで見ると「船渡橋」から「三浦峠」までの

半分近くが迂回路になっていた。

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49 

今回は歩いた距離も高度も比較的少なく、登り2時間半、休憩1時間、

下り1時間半であった。

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