1978年 JAL北回りコースと南回りコース 両方を搭乗して(2)

2023-08-14 12:28:26 | 海外赴任
次は南周りコースだが、中東に近ずくにつれて、突然 砂嵐(サンドストーム)
 
に遭遇することがある。私も地上で突然、車中 見舞われ、目の前が全く見えない
 
状況が5分程 続いた。
 
空路の場合、経由地が砂嵐になっていた時は着陸を断念し、次の経由地へ
 
向かうことがある。
 
また、イランのように政変があって、過激派が空港の管制をコントロールすることに
 
よって、寄港を断念することがある。
 
搭乗した者が言うには、テヘランのメヘラーバード国際空港では、
 
過激派が欧米の旅客機の着陸に対して、ケチをつけて 何回もやり直しを
 
させたそうである。
 
南回りコースの帰りの便では、インド ボンベイ空港が夜間になり空港へ近ずくに
 
つれて、真っ暗な闇から突然、空港みたいな景色が見え、よく見ると
 
大きな通りの街路灯が続いていて、空港の誘導灯に見えることがあった。
 
私が一番 印象に残っている1回目の往きについて述べることにする。
 
はじめに 中央区日本橋の箱崎エアーターミナルに行き
 
そこで 手荷物もチェックインし、搭乗手続き・出国審査を済ませて、リムジンバス
 
にて新東京国際空港(成田)に向かった。新空港自動車道の周辺は警察車両が
 
至る所で警戒にあたり、ものものしい雰囲気であったが何事もなくターミナルの
 
出発口に到着した。
 
新東京国際空港(成田)は、成田空港管制塔占拠事件により開港が約2か月遅れ、
 
1978年5月20日となったその日に、こちらは中近東へ出発することに
 
なってしまった。
 
出発時刻は夜8時過ぎののJAL DC-8-61 座席数 234席 ほぼ満席であった。
 
経路は南周りのコースで経由地が4箇所あり、最初はタイ バンコクのドンムアン空港
 
であった。トランジット(クルー交替、機内清掃により機外に出て空港内待機)
 
のため、ボーディングパスを受け取りドンムアン空港のターミナルに入った
 
ところ、各出口には1名の警備兵がマシンガンをかまえていた。
 
6年前のテルアビブ空港乱射事件を警戒していたものと思われた。
 
トランジットが終わったことが告げられ、もらっていたボーディングパスを
 
係員に返し、機内に戻ることが出来た。
 
次はインドのボンベイ空港であった。ここは機内で待機し、他乗客の乗り降りが
 
あり、その際 注意されたことは空港施設の写真撮影は絶対にだめですと言われた。
 
1人の目つきの鋭いインド人が機内に入り込み、乗客1人1人を睨んで回っていた。
 
インドの秘密警察要員であろう。
 
3番目はパキスタンのカラチ空港であった。
 
トランジットのため、ボーディングパスを受け取りカラチ空港の
 
平屋の小規模ターミナルに入った。ここではものものしい警戒はなく
 
機内に搭乗する新規の客の手荷物検査を警備担当者にJAL職員が
 
しつこく促していた。
 
4番目はイラン テヘランのメヘラーバード国際空港であった。
 
ここは機内で待機し、他乗客の乗り降りがあった。
 
5番目がやっと、最終目的地である産油国の空港に向かうことになる。
 
ちなみに目的地の産油国は成田空港からボーイング747にて北京のみを経由地とし
 
目的地まで、乗客を運んでいた。利用した者に聞くと、トイレがかなり
 
汚れていたそうだった。

1978年 JAL北回りコースと南回りコース 両方を搭乗して

2023-08-12 17:53:16 | 海外赴任
1978年はアメリカとソ連がまだ冷戦に突入していた時代であった。
 
ソ連領空は飛行不可であったので領空を避けるため、1つはヨーロッパから北極圏
 
を通過しアラスカのアンカレッジ空港を経由して日本に至るルートと
 
南回りコースの2つがあった。
 
北回りコースでは1978年に大韓航空機が空路を誤り、ソ連のコラ半島へ領空侵犯
 
したため、ソ連の戦闘機に銃撃され、乗客15名が死傷している。
 
1982年またもや大韓航空機がソ連の樺太西沖まで領空侵犯し、ソ連の戦闘機に
 
ミサイル攻撃を受け、乗務員と乗客全員が死亡している。
 
ロシアのウクライナ侵攻を受け、日本の航空会社はロシア領空内の飛行を避けて
 
冷戦時代の北回りコースや南回りコースに変更している。
 
私も今から、45年前 ある企業の現地建設スーパーバイザーとして、
 
中近東の産油国へ赴くことになったのだが、その際、南回りコースの往きを2回
 
帰りを1回搭乗している。北回りコースは帰りの便を1回搭乗している。
 
本来ならば、北回りコースは南回りコースになるはずだったが、産油国間の
 
同士の戦争のため、陸路12時間かけて隣国ヨルダンの首都アンマンまで
 
トレーラ牽引タイプのバスに揺られ、翌々日 ヨルダン王立航空にて、ロンドン
 
ヒースロー空港に到着したのであった。
 
またその翌々日 ヒースロー空港からJALのDC10でアンカレッジ空港を経由して
 
成田空港に到着した。服装は、上は作業服、下は普通のズボン 荷物は
 

手提げ袋 1個だけであった。

 

余談になるが、英国の入国審査は、現在も同様 最も厳しいと言われているが
 
たった2日のロンドン滞在でさえ、別室に入れられ、入国審査官による口頭質問を
 
受けねばならなかった。その部屋は広く、デスクが30以上あり、
 
1人1人デスクに置いてある椅子に座り、その前にいる入国審査官の質問を受けた。
 
部屋は若干 薄暗かった。
 
質問はいつ日本へ帰国するのか、返答は明後日に必ず日本へ帰国します。
 
滞在していた産油国ではどこで働いていたか、地名を答えた。
 
工事名は何というのか、工事名を答えた。
 
その他、諸々の質問を受けたが、すべて 英語で返答した。
 
恐らくは、たった2日のロンドン滞在でさえ、不法就労を疑われたのではないか。

 


神出鬼没のベドウイン

2019-11-19 12:54:49 | 国際・政治

変電所造成のため、広大な土地に盛土を行い、高さを同じに仕上げるため、

測量杭:この国では日本で製材所にて販売されている、均一なサイズの杭がなかったの

で 自然な粗削りな細い木柱で先を尖ったものを使用せざるをえなかった。

この木柱を50本打ち込み、高さを計測し、翌日 その高さを木柱に写して、盛土高さ

を 同じ高さにしようとしていた。

翌朝、現場にきてみると、前日 打ち込んだ木柱の大半が消えてなくなっていた。

現地の者にきいてみると、放浪ベドウインが焚火用に抜いて持ち去ったというではない

か そのベドウインもこの近辺から遠く離れて、確かめるすべもない。

また、宿泊先に現地の住宅を1棟借り上げて寝泊りしていたが、

自分が割り当てられた部屋で早朝、外の物音で目が覚め、窓のカーテンをそっと

わずかに開けてみると上半身 裸の15歳位の若いベドウイン娘が何か

下を見て拾いものをしている様子だった。乳房がお椀型をして乳首は未発達で小さ

かった。

関わりあうと、とんでもない目に合うのでカーテンをそっと閉めなおした。その理由

は あるヨーロッパ人旅行家族がドライブ中に放浪ベドウインの1人を轢いたところ

主人は殺され、妻は侵され、息子は目を盲目にされたと聞いていたからである。

 

 


河川工学 治山工学等では流木防止の根本対策にはならない

2017-07-13 19:57:19 | 日記

33年前 島根県の三隅川災害工事に関わったことがあった。この一帯は地質が脆く、大雨の際には

すぐに土砂が流され、土砂崩れが発生する。こちらが関わった工事区間内に山の縁に1軒の家屋があった。

その家の上から高さ5m付近の山肌に幹回り1m以上の大木が数本植えてあって、どうやら、山腹の崩壊を

この木々が防いでくれた。

この木々は根の浅い針葉樹ではない。

これらのことを考慮すると、今後、密植されて、樹径の細い杉をいかにして、根の深くなる木に植え替えて

いくか、その木々が大きくなるまで、山腹崩壊を起こさないようにするかの検討が必要である。


イスラム過激派の心情はこうではないのか

2016-07-04 19:35:13 | 社会・経済

中近東のさる国に仕事で現地に滞在していたとき、建設サイトで現場事務所が高さ2m

円形4mのお粗末な布製テント(12月から2月以外は雨がほとんど降らないため)

であった。首都から日本の偉いさんが来るので、歓迎のしるしに。テント前に

ナツメヤシの葉を両側に立てかけ、偉いさんがテントに入った際は、仔羊をその前に

引出し、その前で仔羊の首をナイフで刺して、と殺した。

仔羊はテントの横で用意した大鍋で切り分けた肉片を煮だし、煮えた肉片をこちらへ

差出して、食べろというではないか。塩で味付けしたため、匂いがきつく、とても

食べらるしろものではないが、無理をして骨付き肉片をかじり飲み込んだ。

現地の者は、仔羊が生きているときには、日本人が魚を見て、おいしそうな目つき

で魚をみるように、仔羊をおいしそうに眺めていた。

話が横にそれるが、中近東の国に入国する際、飛行機内で入国カードを記入しなければ

ならないが、religion(宗教)を問われる欄があり、私はBuddhist(仏教徒)と 

書いていた。

なぜ信じる宗教をはっきりと書かねばならないかというと、その当時は信じる宗教が

ないというと、この人間は信じるに値しない人間とみなされる恐れがあったからだ。

入国の際、入国審査官とのトラブルを防ぐ意味もあった。

イスラム過激派はイスラム教以外の宗教を信じる人々を人間とは見ずに

仔羊のように動物とみているのではないか。

なぜなら、ISが人質を殺す際、仔羊を殺すように、首にナイフを刺し、殺している

からだ。