ひまわりの種

毎日の診療や暮しの中で感じたことを、思いつくまま書いていきます。
不定期更新、ご容赦下さい。

福島で暮らすということ~小児科医として思うこと

2011年06月11日 | 東日本大震災
3・11から3ヶ月が過ぎようとしている。
もう何年も生きてきたような気持ちだ。

最初の数週間は、不安を押し殺しながら、夢中で過ごしたように思う。

水がない。
電気がない。
ガスもこない。
ガソリンもない。
食料も少なくなった。
生活物資も滞ってきた。

でも、被災した方々に比べたらはるかにましだ。
わたしたちがおろおろして、ここでの生活を投げ出したらどうなる。
患者さんは、妊婦さんは、お母さんは、赤ちゃんは、どうなる。

毎日、そんな思いで過ごした。

日々、刻々と変わる放射線レベルに、不安になる親御さんがたくさんいた。
わたしたちなりに、必死に情報を集め、その時に正しいと思う情報を伝えてきた。
今もその考えは、同じだ。

4月になって、県内のほとんどの学校が再開した。
遅れて卒業式をやった学校もあった。

・・・・・ここまでは、よかった。

4月中旬、文科省の「年間20mSv」という基準が発表されてから、
世の中が騒ぎ出した。

この時期の福島市の放射線レベルは、2~2.5μSv/h ぐらいになっていた。
福島市でいえば、3月20日前後の放射線レベルのほうがはるかに高いのに、
年間20mSvの基準は許せないと、エライ学者さんが、泣いて記者会見した。
ますます、世の中の人たちが、それはおかしい、許せない、国は嘘つきだと非難しだした。

文科省で出した文書の計算は、
「仮に屋外16時間、屋内8時間滞在するとして」というものだ。
はじめから、最大に受ける線量を設定している。
農作業や道路工事じゃあるまいし、小中学生が屋外に8時間もいることは、ありえない。
ありえない状況を、あえて計算しての設定と、わたしは理解していた。
実際には、こんなに高くはならない。
(ありえないぐらい)高く見積もっても、年間20mSvは越えませんよ、
という意味ではないのか?

 この時期、登下校に1時間、校庭に1時間、室内に22時間、として計算してみる。
  (実際には校庭に1時間もいない、というか、出ていないが・・)
 福島市の4月中旬、高めの2.5μSv/h、屋内は半分の1.2μSv/hとして
  (実際は屋内はもっと低いが・・・)

 [2.5×2+1.2×22]×365=11461μSv/h=約11.46mSv  となる。

屋内の線量はもっと低かったはずだから、実際の被曝量も、もっと少なかったはずだ。
さらに、少しずつだけど、放射線量も減ってきている。
発表された時期の線量が、365日続く訳じゃないんだから。
(ただし、原発がまだ収束していないから、楽観できないのは当然だが)

今、福島市の放射線レベルは、1.2~1,5μSv/hあたりでずっと経過している。
これよりやや高めのところも、ずっと低いところもある。
今現在の福島市のレベルが365日続くとして計算すると、

 [1.5×2+0.5(屋内)×22]×365=5110μSv/h=約5.11mSv

だから、最初から、「年間20mSv」になんてなる訳がないことは、
冷静に考えて計算すれば、わかることなのに。

最も高かった3月20日前後の頃の被曝線量も計算に入れれば、合計はさらに上がるとも言う。
でも、その時期、外歩きする子ども達は、ほとんどいなかった。
みんな、息を潜めて、家の中にいた。
外出は最小限で、小さいお子さんや赤ちゃんなんて、帽子やらマスクやらおくるみで、
完全防備の状態だった。
街中は閑散としていた。車さえ走ってなかった。(ガソリンがなかったからね。)

さらに、内部被曝を考えてない、これも不届ききわまりない、という論調だ。
たしかに、上記の数値に内部被曝の分を足せば、もう少し多くなる。
でも、それが、将来に必ず影響を及ぼすのか?

この時期、県内の野菜や原乳はほとんどが出荷停止だった。
一般消費者の口にはいることは、なかった。
だって、県産の野菜も牛乳も、まったく売ってなかったんだから。
2時間もスーパーで並んで手に入るのは、県外のものばかりだった。

給食のことでいわき市長が、瓦礫受け入れで神奈川県の川凬市長が、槍玉に挙げられた。

長崎大学や広島大学や東大の放射線専門医の方々は、御用学者よばわりされている。
ネットでは、アドバイザーを替えよ、というご意見まである。

「放射線医学の専門医」が、どんなに言葉をつくして説明しても、
それらの説明はすべてまやかしで、政府や東電と癒着しているからだ、という憶測を呼ぶ。

原発反対の方々や(わたしだって、いや、ほとんどの県民だって反対だ)、
放射線の専門家と称する方々(でも放射線科の医師じゃない)が、危険だ、危険だ、と言う。
メディアやネットで取り上げられるのは、こんな意見ばっかりだ。
福島の子ども達は将来、確実に放射線による健康被害が出るに違いない、と言っている。
でも、本当に、そうか?

子どもを守りたいなら、早急に避難・学童疎開させよ、と「専門家」の方々は言う。
すでに遅いかもしれないが、なんてことまで言う方もいる。
国は、県は、市町村は、福島の子ども達を見殺しにするつもりなのか、と言わんばかり。

避難・疎開を声高に唱えて下さる方々は、ほとんどが県外の方々だ。
受け入れ体制を整えて下さっている他県の自治体や民間支援団体の方々には、
もちろん、心から感謝している。

では、避難・疎開した子ども達のやその家族を、まるごと将来にわたって支援して下さる?
最終的な責任は国や東電だから、避難・疎開に関わる保証も要求すべきだ、という。
でも、今の国や行政に期待できるか?
子どもだけ、あるいは母子だけの避難・疎開は、長期にわたれば何らかの問題が出る。
しかも、いつまで、という予測はまったくできない状況だ。
かといって、家族ぐるみでの転居となれば、就業の問題が出る。
ある自治体では、仕事も斡旋すして下さるという話ももれ聞いたが、全国的なこの不景気だ。
福島からの避難者を優先的に雇ったら、その地域の就業できない方々からの不満は出ないの・・・?
よそに行って、子どもがいじめられたりはしないか・・・?
馴れない土地で、子どもの心のケアは大丈夫か・・・?

他県で子ども達受け入れ対策を取ってくださっているのに、
避難・疎開する子どもが増えないのは、このような理由もあると思う。

今現在、市内の小中学校のほとんどで、独自に校内各所の放射線レベルを測定している。
学校の先生方も、必死だ。
子どもを守りたいという気持ちは、みんな同じだ。

各ご家庭の判断で、自主的に他県に転居なさっている方々もいる。
そのような選択も、それはそれで、いいと思う。

またあるご家庭では、可能なかぎり、週末などに近県に出かけて、子ども達を遊ばせてくる。
あるいは、親戚・知人・実家などに数日滞在してくる。
これも、ここで暮らすひとつの対策だ。

 「このまま、ここで暮らしていてもいいのでしょうか・・・?」

最近の外来では、時々このような質問をされる。
正直なところ、どうお答えすればいいのか、窮する。
本当の答えなんて、誰も知らないからだ。

今、確実にわかっていることは、広島・長崎・チェルノブイリでのデータだ。
これに基づいて、安全の基準が決められてきた。
緊急時と、復興期と、平常時と。

低線量だろうと、用心するに越したことはない。そんなことは、誰だってわかっている。

今、ここで生活しているわたしたちが一番困っているのは、
「用心のために即刻避難すべきだ」という論調なのだ。
将来高い確率でがんになるリスクを軽減すべきだ、という理由からだ。
でも、本当に「将来高い確率でがんになる」のだろうか?
原子力の科学者さんたちの理論は、たしかに理路整然としていて、
一見、反論の余地もないように感じるのだけれど、どうしても、違和感があるのだ。

人のからだは、軽いダメージであれば回復する力があるのだ。

それを考慮せず放射線の積算量を計算し、それが全てからだに影響を及ぼすという理論。
ここに、わたしは強い違和感を感じてしまう。

チェルノブイリの子ども達に甲状腺癌が多く発症したことも、引き合いに出される。
福島の子ども達にも(ほぼ確実に)同じことが起きるだろう、と・・・。

でも、これは、少し違う。

当時旧ソ連だったチェルノブイリでは、事故発生後約5年間の情報が、西側には伝わってないそうだ。
日本からの支援(山下教授達)が入ったのは、事故から5年後だった。
その間、子どもや住民達は、規制のかかっていない高濃度に汚染されたミルクや野菜などを食していたらしい。
そして、子どもに甲状腺ガンが増えたのは、この内部被曝によるものだとされている。
だから、福島原発事故後の対応とは、かなり異なるのだ。
上述のように、福島では事故後、かなり早い段階で、野菜や原乳の出荷に規制がかけられた。

このことを評して、ある講演会で長崎大学の山下教授が、
「チェルノブイリでの教訓が生きています」とおっしゃった。
今度はその発言を取り上げて、非難する人たちがいる。
わたしには、この発言のなにが問題なのか、今もってわからない。

たしかに、原発事故当時、至近距離にいたかもしれない子ども達・住民は、
被曝量がやや多いかもしれない。
また、計画避難地域になった飯舘村や川俣町の山木屋地区でも、同じ事かも知れない。
それでも、チェルノブイリの子ども達が受けたと推定される被曝量よりは、かなり少ないという。

もちろん、放射線への感受性は、年齢が低ければ高いのだが、それにも個人差がある。
大人であろうと、個人差があるのは同じだ。
だから、これから10年、20年、30年ぐらいの長期にわたり、
県民、特に子ども達の健康状態を、詳細に観察していく必要がある。これは当然のことだ。
それらに関わる具体的な費用は、国や自治体や東電にも援助していただかなくてはならない。
もし、万が一、何らかの健康被害があれば、責任を持って対処して欲しい。

今度は、そのことを取り上げ、「福島県民はモルモット扱いされている」と言われる。

いいかげんにしてくれ、と思う。

 医学的な内容で比べるのでは決してないのだが、
 今現在、日本中で論議されている「放射線への恐怖感」は、
 2年前に新型インフルエンザが流行した時のパニック状態と、ちょっと似ているように感じる。
 あの時も、毎日のように、どこそこの国では今日は何人死者がでた、とか、
 どこそこの県では何人の患者さんが報告、などのニュースで持ちきりだった。
 新型インフルエンザ感染=死亡するか、脳炎になるか、
 という不安感が、一人歩きしていたように思う。

けれども、このような非難、差別、遠くから(高いところから)の物言いは、
今後も数十年にわたって続くのだろう。
ここで生まれ、福島県民として生きていく子ども達は、
今後はこのような好奇のまなざしで見られることになるのかも知れない。
広島・長崎の方々が、長い間、「原爆」の風評被害のなかで生きてきたように。

福島の子ども達の成長だけではなく、いわれのない差別から守ること、
守るだけではなく、顔をあげて堂々と生きていけるように、支えること、
それがここで暮らすわたしたち大人の責務なのだと思う。