ひまわりの種

毎日の診療や暮しの中で感じたことを、思いつくまま書いていきます。
不定期更新、ご容赦下さい。

錦秋はここにも・・

2010年11月18日 | 家族
今日は爽やかな晩秋のいいお天気でした。
めずらしく昼休みに少し余裕があったので、自宅に戻り、庭に出てみました。


桜の落ち葉が鮮やかに最期の彩りを芝生に添えています。


だいぶ大きくなった二代目コロ。
わたしを見つけて喜んで飛び跳ねるので、このポーズを撮るのに苦心しました。


これは、庭の隅に植えてあるナナカマド。
この木はとても硬くて、7回かまどにくべても燃えにくい、という意味から、
「ナナカマド」というのだそうです。
写真ではわかりにくいですが、深い赤!なのです。
このナナカマドは、ダムに水没した実家から持ってきたもの。
わたしが中学生の時に、父と遠縁のじいちゃんと一緒に山にハイキングに行った際に、
苦労して掘って持ち帰り、庭に根付かせたのです。
山を降りるときに激しい雷雨に遭い、3人でびしょ濡れになって帰ってきました。

そのじいちゃんはすでに鬼籍に入られましたが、
長いこと営林署に勤務し、山のことなら何でも知っていた生き字引のような方でした。
果樹園や田畑に出没する熊を仕留めたり、猟師の腕も相当なものだったようです。
お正月にはじいちゃんが仕留めたヤマドリの肉でお雑煮、というのが毎年のことでした。
いつか、もっと高い山に連れて行ってやるから、とじいちゃんは約束してくれましたが、
その後わたしは受験勉強などで山登りどころではなくなり、
そうしているうちにじいちゃんも年老いて現役を引退せざるを得なくなり、
約束はお互いに果たせないままでした。
このナナカマドの赤をみるたび、父とじいちゃんと3人で山へ行った日のことが思い出されます。

今、実家のあった村はダムの湖底になり、わたしは街に移住して、
ここも充分な田舎の風情はあるけれど、やっぱり実家のあった村にはかなわない。
子どもの頃には当たり前のように肌で感じ取っていた季節の移り変わりが、
今は、あ、もう秋なんだ、と、後から気付いたりする。
でも、もしかしたらこれって、わたし自身の感覚が鈍っていたのかも。

ちょっと気持ちを静めて、落ち着いて身の回りを見回せば、
庭先にだって季節はちゃんとめぐって来てるんですね。