谷沢健一のニューアマチュアリズム

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2008年の初めに(その3)

2008-01-08 | YBC前進
 一昨年のことだ。NHKがYBCの取材に来た。担当のディレクターがじつに真摯に考える人で、「谷沢野球コミュ二ティ千葉」のイメージを把握しかねる、トップからサードチームまで存在する形態をどうとらえるか難しい、と言う。私は、プロ野球の1軍・2軍・3軍とはちがうのだ、選手たちの意識と現能力の差異による形態であり、私とコーチ陣はそれに対する「指導・教育」で応じる、という意味のことを述べたが、なかなか納得いかないようだった。
 その結果、番組のタイトルに、何と「大草野球」と名づけたいと言ってきた。私は反発した。「草野球の上に大だと。勘違いするな」という気持ちだったである。その時の私にとっては、硬式=野球、軟式=草野球というカテゴリーだったのである。2晩徹夜での編集の結果、番組は制作され放送されたが、その苦心は大変だったろう。だが、私にはあまり意に添う番組内容ではなかった。
 そして今年、スローガンはホームページに掲載したとおり「大草野球よ!・・・」である。(草野球=野球の基点と素朴にとらえ直すことにしたのだ)
 YBCの野球環境が整うことにこしたことはないが、何よりもまず今の環境が在ることに感謝することが第一なのだ。1月6日は陽光まぶしい暖かい日和に恵まれた。YBCの全体練習が始動した。練習前に上記の想いを掻い摘んで選手たちに話した。有望な新入団選手も増えてきて、ポジション争いも激しくなる。「遊びたい人楽しみたい人」が参加しやすいチームでありながら、YBCの戦力は成長している。ただ、選手たちに忘れてほしくないのは、「辛く思える練習が辛くなくなったときこそ、遊びと楽しさの深みを実感できる」ということだ。
 私も3月並という思わぬ暖かさに体の調子もよく、ついでに心も調子に乗って、日が落ちるまでトスを上げ続け、「武岡!いまの当たりを自分で分析してみろ!」「樫田!手応えの良かった打球はそのつど言ってみろ!」と若いエネルギーを受けとめた。「練習は嘘をつかない」のを、昨年彼らは体感したのだ。こういう選手が何人育っていくか、楽しみな1年である。

2008年の初めに(その2)

2008-01-08 | YBC前進
 今年のクラブチームの環境は、少なくとも千葉県では昨年よりも厳しいものになると私は思う。恵まれた環境の下で運営ができる少数のチームはさておき、選手不足と戦力低下に悩むチームが増加してくるだろう。たとえ部員が増えてもレベルの向上に直結するわけではない。その原因のひとつは独立リーグだ。
 独立リーグと拮抗する戦力のクラブチームは少なくない。おそらく各県のトップチームは、そう遜色はないだろう。しかし、独立リーグは、金額がいくらであれ、給料がでる。これが選手たちのプライドの支えになる。「野球をすることで稼ぎがある。プロである」という自尊心だ。この気持ちは他の人たちには理解しにくいものだろうが、「野球をすることで稼ぎ」を得てきた私にはわかる。(もともとプロ野球選手は、報酬の有無だけでなく金額の多少がプライドの支えになる。それは、自分の野球能力の評価そのものだからである。このあたりの心理の深部は、メディアもファンもあまり理解できていないように思える。)
 第二に、独立リーグのほうが練習環境が格段に良いと、クラブチームの選手たちは信じている。とくに、高校・大学の野球部で「野球漬け」の日々を送ってきた者には、クラブチームの練習環境はずいぶんと劣っている。環境の良い場を求める気持ちは、誰にでも理解できるだろう。この2つは、メジャー入りを願う日本人選手たちの大きな動機になっているはずだが、それはさておき、それが独立リーグとクラブチームの一部の選手との関係にも生じやすい。
 この4月から、四国九州・北信越の2つの独立リーグは、チーム数を各2球団合わせて4球団も増やすから、1チーム25人としても、100人の選手が必要になる。その中にはクラブチームの選手たちも当然多く入るだろう。昨秋の北信越リーグのトライアウトの結果をみると、千葉県のクラブチームの場合、市原と千葉熱血、そしてYBCの3チームからだけでも10名以上の選手が入団することになる。彼らの大半は、各チームのレギュラークラスだったはずだ。
 上記の2つの理由だけでなく、千葉県の場合は「クラブチームリーグ戦」のような大会もなく、公式戦の数が少なすぎて、モチベーションが高まらないことも、大きな理由になるだろう。
 いずれにしても、アマ野球界の底辺(というより太い根)を支えるクラブ野球にとって、当分は「(混沌とした)不確実性の時代」が続くはずである。この状況下で、私自身に求めるべきはクリエイティブであること・フレキシブルであること・アクティブであることだろう。つまり、創造・柔軟・行動である。そう思って無想・無心になることを期した。
 すると、原点に立つという想いが浮かび上がってきた。YBCの原点であり、底流であるのは「ムチャクチャ野球が好きだ」「この環境で成長したい」「誰もが楽しめる」「野球広場に行こうぜ」などである。そういうあるべきイメージが膨らんできた。

2008年の初めに(その1)

2008-01-08 | YBC前進
 暮れから1週間、名古屋に行って家族や友人たちと過ごしてきた。喪も明けていないので一般的な正月の習わしはできるだけ避け、めでたい気分を心から遠ざけるようにした。神社への参拝もできないので、1月1日のセレモニーは「父と母へ献杯するぞ」の言葉から始めた。
 遠ざけたつもりだったが、慎ましい御節料理がことのほかうまかった。30日に知人の農家で恒例の餅つきをしたのだが、その餅がとろけるような絶品に仕上がった雑煮、黒豆、酢ごぼう、ごまめ、なます、全てが手作りの我が家伝統の大阪風御節である。妻が私や家族の舌をせいいっぱい喜ばしてくれることは、亡き父母も許してくれるだろう。
 爺として孫たちの面倒を見ているときには一種の無心に回帰しているので、YBCのことは時時(じじ)忘却してしまう。しかし、「今年のスローガンを考えてくる」と副部長と約束をしたので、ジョギングにでかけた折に「思慮しながら走る」ことを何度か試みた。三が日を経過しても決定的なロゴスは現れず、いささか困った。ヒントはブログからであった。ブログの「この1年」を改めて読み直した時、年末にかかってきた電話が思い出された。
 昨年のクラブチーム座談会や湘南シーレックスとの対戦が当該チームに刺激を齎したのだろうか、伝統あるクラブチームの監督やマネージャーから電話が何本かあった。「3月の初めという時期に、うちの選手たちがプロのスピードを体験した御蔭で、その後の公式戦にすごく効果があった」「いい選手が入ってきたので、彼らに励みや動機づけを与えてやりたい」などの理由で、湘南シーレックスとの再戦を期待するという電話だった。
 私は「皆さんの意向は分かりました」と応えたものの、躊躇が心を占めた。というのは、昨年の対戦の結果から考えると、湘南シーレックスに迷惑をかけたのではないかという反省である。もちろん、そんなクレームはなかった。しかし、改めてクラブチームの現状と在り方について考えさせられたのである。