谷沢健一のニューアマチュアリズム

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オール沼南ベースボールクラブ(その2)

2006-06-12 | YBC始動
 「オール沼南」はもちろん練習熱心なチームだから、グランド使用は頻繁である。それでも、YBCのために月曜日と金曜日は常時、それに加えて隔週水曜日を提供してくださるという。まさに、干天の慈雨である。柏日体高校といい、オール沼南ベースボールクラブといい、侠気(きょうき)の方々から救いの手がさしのべられるのは、ほんとうに嬉しい。柏の人たちから、まだ見捨てられていないようである。
 予てからの懸案であった平日練習が、制約があるものの、可能となったことは、YBCにとって大きな前進である。
 上記の経緯には、実は訳がある。誤解を招かないためにも、柏北高のような突然の訪問(これには反省している)ではなかったことを一言しておきたい。
 YBCを創設してまもなくであった、準備本部のコンピューターの調子が不具合の時、加藤副部長がホームページで「どなたか助けて欲しい」と乞うたところ、オール沼南の林氏が「いつでも手伝いますよ」とおっしゃってくれたのだった。野球の話にも及んだようで、私もネットでの交わりはあまり信用していなかったが、林氏とのキャッチボールがここまで進展するとは思わなかった。
 6月9日、根本マネを伴って、「オール沼南ベースボールクラブ」の田中宏理事長とお会いした。懇切にも柏駅まで出向いてくださった。全日本少年硬式野球連盟の常務理事でもある田中氏は、ヤングリーグに所属した経緯や約30年に及ぶクラブ運営の艱難辛苦(かんなんしんく)を話してくださった。
 リーグのパンフレットを手に、「子供たちのために何ができるのか」を常に考えておられるのに共感し、野球教室の開催のご要請には、即座に応諾した。私はYBCとオール沼南とは「提携関係」という形で協力し合い、無料野球教室や普段の指導・助言も行うことを約束した。田中氏はYBCの無償精神の先達(せんだつ)だったのである。

オール沼南ベースボールクラブ(その1)

2006-06-12 | YBC始動
 「オール沼南ベースボールクラブ」、柏市でおよそ30年の歴史を刻んでいる。全日本少年硬式野球連盟(中学生主体)のYoung League(ヤングリーグ)関東支部に所属する。
 少年たちの硬式野球は、当初「リトルリーグ」から始まった。特に有名なのは荒木大輔氏(現在西武ライオンズ投手コーチ)を生んだ「調布リトル」である。
 今では、リトルリーグで育った子供たちが、「シニアリーグ」へと階段を上っていく。そのシニアリーグも全国でいくつものリーグに分立している。例えば、その名のとおり首都圏中心の「シニアリーグ」「ポニーリーグ」「Uリーグ」、神奈川の「Kリーグ」、近畿圏の「ボーイズリーグ」、九州では「フレッシュリーグ」、札幌では「ミドルリーグ」等など。シニア(中1~3)の合計は1238チーム。因(ちな)みにリトル(小1~6)は、合計495チームである。これらは、全日本リトルシニア野球のホームページに紹介されているので、一度、見てほしい。
 6月1日、そのヤングリーグに所属する「オール沼南ベースボールクラブ」の林法明監督を訪ねた。目的は、「グランドの視察」と、できれば「土日以外のグランド使用の状況をお聞きして、お借りできないものか」に関してである。練習場所近くのコンビニにタクシーが到着すると、既に待機していたのか、小柄な作業着姿の方が声をかけてきた。「私の車にどうぞ」と言って走り出すと、狭い獣道(けものみち)のようなところに入って行き、「ここは私有地ですから30km以下なんですよ」と言ってるうちに、森林に囲まれたグランドが眼前に広がっていた。
 両翼90m、センターは120mには足りないが、低い柵やネットで囲われ、外野は芝や雑草が入り混じっていたが良く整備されていた。内野のグランドはやや堅い感じであったが、まさに、手作りのフィールドという雰囲気を醸し出していた。ネット裏から一塁側、三塁側にかけて、テントが4~5ヶ所張られており、親御さんたちが見守る光景が想像できた。また、テントに沿ってコンテナがいくつも立ち並んでいた。それに所謂(いわゆる)「鳥籠」(=打撃練習の場所)も設置されていた。右翼後方には、リトルの選手のグランドとして、ダイヤモンドが2面も用意されていた。

選手のレポート

2006-06-12 | YBC始動
 初の公式戦の敗戦は、同じ敗戦でも大敗だっただけに、選手にもスタッフにも浅からぬ衝撃を与えた。ある者は当面の目標を失い、YBCで野球を続けていくことに不安を感じはじめたようだった。また、ある者は、チームメイトを批判的な眼差しで見つめるようになった。しかし、大半の選手とスタッフは、恵まれているとは言えない練習環境の中で、練習のあり方をもっと改善し、技術の向上を強く願っていると私には思われた。
 YBCは創設して半年である。「YBC流」と称するやり方が、選手やスタッフに浸透して理解が生まれ、それが自然に実践されるまでは、さらに時間のかかることは覚悟の上だ、と言いたいのだが、やはり早い効果を待望する選手からじっくりと成果を期待する選手まで、かなりの温度差がある。
 そこで、5月27日の柏日体高での練習日に、選手たちに「私感をレポートしろ」と指示した。テーマは、「これまでのYBCの活動について~今後の目標~」である。選手たちの大部分が真面目に応えてくれた。
 提出されたレポートの内容は、概(おおむ)ね3つの観点に絞られていた。第一は、野球ができる喜びと感謝に溢れているもの。第二は、トップ・セカンドチームとサードチームには、技術と向上心にかなりの差があるから。完全に別個の練習をすべきだというもの。第三は、YBCの活動を強固にするためにスポンサーとなってくれる企業・団体を見つけるよう広報活動に力を入れるべきだというもの。
 いずれにしても、選手たちの声は、「勝ちたい・・」「もっと教えて欲しい」から「野球は楽しい」「僕は生まれ変わった」まで、率直で前向きの声がほとんどだった。このように選手たちが建設的な考えを抱いていることに、頼もしさを感じると同時に、その声にどう応えるか、大きな責任を負っていることを再認識した。
 しかし、残念なこともあった。チームメイトやスタッフを軽蔑するような発言を、不特定の人たちに向けて発言する者がいた。批判と侮蔑とは別個のものである。自らを省みることなくして、人を論(あげつら)うのは、何よりも自分自身を貶(おとし)めることになる。「野球の技術さえ磨けば良い」という者を、昔から「野球バカ」と世間の人々は蔑(さげす)んできたのである。