花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

肚(はら)と腹│長與善郎著『東洋の道と美』

2016-10-07 | アート・文化


「つまり東洋では何よりも先づ「人」を見る。何の能があるかといふことは二の次に見る。人材の要請でだんだんさう云ってゐられなくなって、一應西洋流になるかと思はれるが、その「人」の中心とする所は即ち腹で、腹を精神的に云へば肚でもある。」
(『東洋の道と美』長與善郎著, p28 ,聖紀書房, 1943)

長與善郎著『東洋の道と美』、「布袋とヴィーナス」の章中の一節である。「布袋とヴィーナス」というのは、東洋と西洋、各々の文化伝統の相違を示すため隠喩である。西洋が「佛教で謂ふ所の色の最も人間によつて洗練されたる精華」であるヴィーナスで代表される、「美」の藝術をよしとするのに対し、筆者は東洋の隠喩として、太鼓腹を抱えて転寝する布袋を描いた、北宋の画家、李龍眠筆の「布袋睡眠圖」を挙げる。それは「何かも悟りぬいた人間の深い安眠」を見せる眠りであり、和らぎたのしむ「樂」の藝道に価値を置く審美道が東洋にあることを述べている。筆者が示唆する所をさらに明確にする為、長くなるが引用を続ける。


(李龍眠筆「布袋睡眠圖」/『東洋の道と美』収載)

「西洋にないかういふ道の狙ふ所は、必ずしも見た目の「美しいもの」を畫くことではない。もとより美しいことを避けるわけではないが、それよりも自分の精神の吐き出したがつてゐるものをぢかに吐露するところにある。ぶつける處にある。支那人はその精神のことを氣と云ふ。その吐き出されんとする「氣」の發する所が、畫家の人格の深い奥底に潜むものであればある程、その現はされた「氣」の觀者に愬へる迫力は力強く、餘韻津々たるものになる。氣韻は畫家の衷から迸り出て、觀者の心の衷に生動し、段々と鳴り響く。藝術の本領はその氣韻生動の如何にあり、現はされた表面外觀の美しいとか、綺麗でないとかいふ所にあるのではない。くどいようだが、肚とか腹藝とか日本でいふのも即ちこれで、換言すれば精神至上主義である。もちろん繪ばかりのことではない。唄を一つ唄ふにも、芝居の所作一つするにも、茶を一服立てるにも、字の一線を引くにも、一々現はれざる所はない。」(『東洋の道と美』, p36-37)

気韻生動は、斉の画家、謝赫が『古画品録』において画に六法有りと説いた中のひとつで、六法の一番初めに挙げられている。芥子園画伝にも記載があるが多少字句が異なる。生き生きとした生命力が漲るというのが気韻生動の意であるが、上記で語られた説明に尽きる。気韻生動の他に六法に含まれるのは、骨法用筆(輪郭などの主要な線の運びが的確である)、應物象形(形状を的確に写実する)、随類賦彩(色彩を的確に写実する)、経営位置(画面の構図を練り布置を行う)、傳移模写(古画の気韻を模写する)である。(『中国古代絵画理論解読』傳慧敏編、p12, 上海人民美術出版、2012)
『東洋の道と美』の筆者がここで強調するのは「肚」から吐き出す氣韻の重要性である。

「何も「肚ひとつで行け、頭も智慧も要らぬ」などと云ひはしない。布袋は智慧が餘つて智慧を忘れた男なのである。ただ近頃の言葉で知性といふような意味で、頭にばかり全力を集中したのでは、腰から下が宙に浮いて、ともすれば足は力から離れ、思想は概念的となり、肉體は頭熱足寒、神経衰弱となり勝である。人間いかに知性を誇っても、肚の空虚なことほど惨めなものはない。いはゆる頭寒足熱は人間の最も健康な状態で、覺めてゐてよく、又眠るにいい。布袋のやうにどこでも眠りたい所で眠れる。」(『東洋の道と美』, p33)

筆者は此処では明らかに白隠慧鶴禅師著『夜船閑話』を念頭に置いている。禅病に侵された若き白隠禅師に、白幽仙人は内観の法、軟酥の法をお授けになった。頭熱足寒は、『夜船閑話』で心火逆上、雙脚冰雪の底に浸すが如くと語られた上実下虚の病態に一致する。病める白隠禅師に対し、白幽仙人は、
「長く兩脚を展べ、強よく蹈みそろへ、一身の元氣をして臍輪、氣海、丹田腰脚、足心の間に充たしめ、時々に此觀を成すべし。」
「大凡生を養ふの道、上部は常に清涼ならん事を要し、下部は常に温煖ならん事を要せよ。」
(白隠禅師法語全集第四冊『夜船閑話』、芳澤勝弘訳注, 禅文化研究所, 2000)
と、養生の要諦をお語りになったのである。重心 (center of gravity) の高さは第二仙椎の前方、関元穴(下丹田)に一致する。本年6月の第67回日本東洋医学会総会の演題発表では、『夜船閑話』で示された丹田呼吸法が、不安障害を伴うめまい疾患における精神療法、自律神経訓練法かつ重心を下げた姿勢維持のための理学療法となりうることに触れた。『東洋の道と美』は最近御縁があって私のもとに来てくれた絶版の古書である。本書を拝読して今改めて、「肚」に注目する観点が本業の医学においても重要であることを痛感している。