Shirakuのモノローグ

矢坂芝楽の日々あれこれを綴ります

中山道をゆく7(柏原宿~関ヶ原宿)

2015-12-30 19:13:44 | 旅日記(県内)
久しぶりでございます。

この12月、何かと忙しなく過ごしてきましたが、今年も残すところ、あと2日となりました。

戯曲執筆において何となく苦しみ、打開策として何となく始めた地元を歩く旅、そこから発展していった旧街道を繋ぐ旅…
特に旧街道では、ひとつの目標であった県境越えを果たす事が出来、ある意味達成感をもって1年を終える事が出来ます。

今回は、まだ触れていなかった県境越えについて書かせて頂きます。
県境とは滋賀県と岐阜県、そう中山道でございます。

8月に米原の柏原宿まで辿り着いたのでありましたが、その先へ向かう事が出来たのは11月9日。

柏原駅を降り立ったのが午前11時過ぎ。そこから関ヶ原を目指して東へと向かい、県境まで着た時には正午となっておりました。

この辺りは「寝物語の里」と呼ばれ、興味深い史跡も残っておりましたが、やはり旧街道を歩いて県境を越える感動は何とも言えません。



たった1本の細い溝で区切られておりました。

そして、その感動と勢いのまま関ヶ原の今須宿へと。
そこでも多くの発見をし、やがて今須峠へと。



かつては難所と言われた今須峠も、今では鉄道が通り、整備もされ、難なく越える事が出来ます。
ただ、国道21号線では味わえない昔情緒はかなりございます。

今須峠を越えて集落に入ったところで更なる発見。
こちらには、“源義経”の母である“常盤御前“の墓がありました。



何という事か“源義経”は、僕が歴史に興味を持つ切っ掛けとなった人物でございます。
感慨深いものがございました。

そして関ヶ原へ。

関ヶ原と言えば天下分け目の関ヶ原でございますが、今年の春に”もう1つの天下分け目”と言われる「壬申の乱」を巡る旅をしておりました。
その時に、中々見つける事が出来なかった「自害峰の三本杉」。



旧街道を歩けば容易く辿り着けた事を知った事も、改めて歩く事の楽しさを感じる事が出来たわけでございます。

不破の関を過ぎ、関ヶ原宿を通って関ヶ原駅に着いた時には、午後2時半となっておりました。

これにて本年における中山道は終了。
武佐宿から関ヶ原宿まで繋げる事が出来ました。
来年は関ヶ原から脇往還を北へ向かいたいと思います。

更に来年の目標としては、武佐宿から東海道への合流。そして塩津街道から敦賀へと向かえれば。

という事で、今宵はここまでにしとうございます。

来年は東海道へ(土山・田村神社)

2015-12-20 00:00:38 | 旅日記(県内)
今年も残り僅かとなってまいりました。
何かやり残した事はないかと考えれば、それも多過ぎて困るほど日々が過ぎてゆくのは早いものでございます。

さて、先月の初め頃になりますが、甲賀市の土山にあります田村神社を訪れてまいりました。



厄除けの神社で知られており、祭神は平安時代初期の武人“坂上田村麻呂”でございます。
征夷大将軍でございます。

僕の好きな作家の一人高橋克彦氏が書いた「火怨」にも登場しており、その人を祀った神社という事でずっと気にはなっておったのですが、ようやく訪れる事が出来ました。

来てみて驚いたのが、その規模の大きさ。
そして本殿も美しく見事でございます。



紅葉の時期にはまだ若干早かったのですが、ところどころ木々も色づき始めておりました。



東海道沿い、土山宿にございます、この田村神社。

旧街道を繋ぐ旅を続けておりますが、中山道京都方面も武佐宿まで来ており、東海道合流まであと僅かでございます。
合流すれば、当然東海道も東へ向けて歩く事になりましょう。
来年あたり、この田村神社まで辿り着ければと思う今日この頃でございます。

何かと繋がりが…(小浜・小浜城)

2015-12-18 23:28:18 | 旅日記(県外)
寒い日が続いておりますが、来週はまた暖かくなりそうです。
この気候は一体どうなっとるんじゃ、と思いながらも、寒いのは嫌いです。雪も嫌いでございます。

さて、小浜での事も今回で最後。

旅先に古城があれば必ず立ち寄るのが矢坂芝楽でございます。
小浜にも江戸時代の小浜藩主酒井家の居城であった小浜城跡がございます。
小浜神社が隣接されておりますが、かつてより敷地面積もかなり狭くなり、今は石垣と天守台しか残っておりません。



元は関ヶ原の合戦で勝利した徳川家康側に付いた京極高次が、その恩賞によって若狭国主となり、小浜城築城に着手したわけでございますが、その後、国替えによって小浜藩主となった酒井忠勝が小浜城築城を引き継いだと伝わっております。



実はこの小浜…
何かと滋賀の湖北と湖東と繋がりが深いわけでございます。

酒井家の前の国主であった京極氏は、元は佐々木氏と称し、鎌倉時代から戦国時代まで近江守護を務めておりました。
特に“バサラ大名”の異名を持つ佐々木道誉は、かなり北近江では縁が深く、佐々木道誉は若狭国の守護も兼任しておりました。

また、京極高次の正室“初”は、戦国時代に北近江を支配した浅井長政の次女でございます。

そして京極高次の姉は、豊臣秀吉の側室でありました。

という事もございまして、歴史を振り返るにあたり、小浜と北近江は何かと繋がりがあるのでございます。

こうして旅を重ねていく度毎に、歴史の奥深さ、面白さを知っていく今日この頃でございます。

でかい!(小浜・こだま食堂)

2015-12-16 23:20:49 | 食事
暖かくなったり寒くなったりと全くもって不思議な毎日でございます。
それでもやはり冬。
そろそろ雪も降るのでございましょうか。

さて、話はまたもや小浜。
今回はランチについてでございます。

小浜と言えば若狭。若狭と言えば魚。
そう、魚なのでありますが、単純に魚料理を食べたのでは面白くはありません。
そこで話のネタにと訪れたのが、小浜港にあります「こだま食堂」。



そこの名物は、鯖街道にちなんだ”わらじ丼”。
ソースかつ丼なのでございますが、ただのソースかつ丼じゃあない。
とにかくでかい!



目の前に出されて開いた口が塞がらないというか、開いた口に入りません。

「こだま食堂」は、注文したメニューによってはご飯のおかわり自由。そこにカレーとシチューと味噌汁のバイキングも付いてきます。
僕の注文もそれでございました。

満席の状態で、殆どの人がわらじ丼を注文しておりましたが、やはりご飯をおかわりする方はあまりいませんでした。
ましてやカレーなど…
しかしながら、そこは僕であります。
ご飯は三杯、当然カレーもね。

ただ…

四杯目は若干恥ずかしくなり、余力を残しての退場と相成ったわけで…

まあ、若狭街道と鯖街道…
来年か再来年か…
街道を繋ぐ旅を続けていれば必ずや再び小浜を訪れる事になりましょう。
その時はまた、わらじ丼を。
それまでごきげんよう。

そして小浜の旅…
最後は小浜城跡でありますが、そちらは次回にすると致しまして、今宵はここまでにしとうございます。

長い!(小浜・三丁町)

2015-12-15 21:01:58 | 旅日記(県外)
昨日、東京から戻ってきたのでありますが、まだ東京ボケから醒めぬのでございます。
楽し過ぎて。

とは言いながらも、今回は小浜での話の続きをしとうございます。

空印寺、八幡神社を訪れた後に向かったのが古くからの町並みを今に残すかつての茶屋街「三丁町」。

NHK連続テレビ小説「ちりとてちん」の舞台にもなり、ロケ地でもありました。
が、僕自身は「ちりとてちん」はおろか、連続テレビ小説は殆ど見た事はないのですが…

今に残す…とは言いますが、一軒一軒かなり改修しておる様に感じ、古さで言えば彦根の城町や袋町あたりの方がそのまんま残っておる様に思います。
まあ、地元贔屓になりましょうが。

しかしながら、明治の初めに創業され、つい最近まで営業しておりました料亭「蓬嶋楼(ほうとうろう)」は、それこそかつてのまま残り、由緒ある物や珍品など興味深い物が建物の中に盛り沢山。



写真撮影もOK。
だったのですが…

とにもかくにも、案内してくれた方の話が尽きず、しかも一回一回が長い!
その怒涛の様に襲いかかる説明は、写真を撮る隙を全く与えない。
という事で、建物内の写真は撮れず…という次第でございました。

にしても…

昨年金沢の茶屋街を訪れた時も、江戸時代から残る料亭を見させて頂いたのですが、やはり一軒一軒趣が違うのでございます。
こちらはこちらで、また感動。

写真を撮っていない…と後ろ髪を引かれながらも、そろそろ昼時。
という事で三丁町を後にし、次に向かったのはランチの為に…
あの「わらじ丼」を食べなければと…

この続きは、また次回へと。

今宵はここまでにしとうございます。
では。