新谷研究室

新谷研究室の教育・研究・社会活動及びそれにかかわる新谷個人の問題を考える。

卒業研究

2008年03月21日 09時40分05秒 | 教育・研究
近代日本の植民地博覧会
山路 勝彦
風響社

このアイテムの詳細を見る


昨日は月例研究会。年度末なので、卒論・修論講評会。昨日はたまたま、卒論2本。しかも21世紀Pのお二人。
議論はかなりおもしろかった。ディスカッションに参加して始めて自分の成長がある。そういうことだ。
H田さんの「子ども観」の研究はよく頑張ったな、と思う。で、僕がののさんの異論を封じ込みつつ?どうしても言いたかったのは○○観と言ったときの観を明らかにする方法だろう。この研究の場合、子ども観はBraceの子ども観なのか、CASNYの子ども観なのか、はたまた19世紀アメリカの子ども観なのか、貧しい移民の子どもについての子ども観なのか。それが定まらない。Braceの子ども観に絞ったところで、同じ問題が言える。子ども観と子ども論のちがいだ。子どもについて他者の批判を意識して書く子ども論というものがあるだろう。子ども論を書くとき人は何らかの方法論を駆使して理論を構築するだろう。一方、私生活でふっと見せてしまう子どもに対するまなざしに具現化する子ども観はちがうのではないか。
例えば子どもにはおとなと同じ権利がある、なんて言うのはひとつの論かもしれないが、思わず「ガキは黙っとけ!」と叫ぶときのは子ども観がもれたものだろう。この子ども観を導き出すのは難しい。難しいが引き出す方法はあるはずだ。
新制高校の問題は時代の過渡期であるが故にその時代に身を置いた歴史的感性が必要になる。(それは歴史研究なら何でも必要なんだが)そして重要なのは歴史的課題性だ。何が解決すべき問題であり、その問題を解決するために何をするのかという問題の立て方に馴れる必要がある。
で、僕の考え。新制高等学校の理念とは何だったのだろうか。それは旧制の中学校や高等女学校や実業学校とはちがったものであったはずだ。その理念を具体化するときの目標は希望者全員が享受できる教育であるべきだということ。高校三原則はそのための仕掛けだったが、京都という例外を除いて機能しなかった。しかし、新制高等学校は普及していった。ここに歴史が予定調和的に行かないところがある。
だからなぜ高校三原則について歴史的な検証をする必要があるのか、そういうところに問題を立てると現代の高校教育を見直す一助にもなろうというもの。
がんばって。

最新の画像もっと見る