![]() | 尋常中学校の成立 |
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九州大学出版会 |
18日は体操部の新歓コンパであった。この数年、体操部の諸君は呑み会はスーツ姿である。定着してきたのでそれなりにおもしろい。今年の入部は今のところ6名。こんなものかもしれない。留学生の教育学部生がいた。2年生にも2名。そのうち一人は僕の教育学文献講読に出ている。もう一人も話しに来た。なかなかいい若者たちだ。
それなりにご機嫌でご帰還。休呆堂で翌日の準備をして午前様で自宅へ。
![]() | 電力会社を九つに割った男―民営化の鬼、松永安左ヱ門 (講談社文庫) |
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講談社 |
17日の「教育学文献講読」。本日は松永安左エ門だった。電力の鬼と呼ばれた男だ。担当は森脇君。講談を語るように実に楽しく説明してくれた。学びとは楽しくなくてはならない。そして自伝に書かれている以上のこともいっぱい調べてきた。だからおもしろくなっているのだ。松永もまた高橋是清同様に波乱万丈の人生を送っている。
何より愉快だったのは松永安左ヱ門が人生訓として語ることはみな自分がしなかったことばかりだということだ。自分でしてきたことを自慢する奴は多いが、自分のようにしてはいけないという教訓を遺したところにこの人の人間としての楽しさを感じた。
また、彼が慶應義塾に行きたいと言った時に親は「後を継げ」と反対したと言うこと。あの時代には学校に行くことは親の願いではなかったことは知っておかなくてはならない。それから彼が就職先を探している時に福沢諭吉は「うどん屋になれ」「風呂屋になれ」「呉服屋になれ」と本人の想定していないことばかり言ったそうな。そうした職業観というのもおもしろい。福沢はあらゆるビジネスチャンスを画策したかったのだろうが、松永安左ヱ門との思惑のずれが可笑しかった。
福沢桃介との関係も興味深い。実におかしなコンビなのだろう。そして、松永が「電力の鬼」で、福沢桃介が「電力王」と呼ばれる妙。
まあ、ご時世にあった人物の紹介でもあったし、福岡と縁のある人間であったこともいい収穫だったね。
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17日の「教育社会史」ゼミは「戦後の労働運動」だった。労働運動自体が今ではよくわからないものになっている。しかし、戦後発足した労働組合が憲法制定に先立ってその実質的な部分を実現、具体化していったことはこの憲法が労働運動が作り上げてきたものでもあることを示そうとしていた。それは興味深い指摘ではあった。いよいよ次回は『日教組10年史』に入る。史料をどう読んでいくのか、ということも課題である。
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5月10日の「教育社会史」ゼミは日本社会党の設立過程だった。なるほど戦前の東条嫌いの野合集団だったのか。というのが出自から分かる大衆政党日本社会党の体質だ。何しろ鳩山や河野一郎から声をかけられ、有馬や徳川に近づくなど、不可思議な面を持っていた。鳩山、河野、有馬というぼんぼんの社会運動における位地というのもなかなか興味深いものである。それと社会党にとってぬぐえないのが、戦前に於ける立ち位置と戦争協力という踏み絵だ。そして国体護持、天皇制賛美ということも彼らの根っこには流れていたことも忘れてはならない。戦後史の根っこにあるもの。これを模索してみようではないか。そうすると単純に君が代日の丸をめぐる確執は見直されねばならないだろう。
一つは日教組(もしかして革新派)の側から、もう一つは右翼の側から。
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5月10日の「教育学文献講読」は高橋是清であった。担当は白濱さん。白濱さんは高橋是清という人物に高校時代から関心を持っていたとあって、かなり濃密な発表であった。白濱さんは年表の他にその時期の内閣にかかわる資料も提示していたので、わかりやすくかつおもしろい発表だった。聞いているほうも止めどなく質問が出たし、いい勉強になったのではないかと思う。途中で僕のほうから口を挟んだりしたこととして、高橋是清が育った江戸時代の空気の中での家族と言うものについての意識と現在のそれのちがいがあるということ。そういう感覚は常にそれこそ意識する必要がある。彼には家族というものは記録しておかなくてはならない対象ではなかったのだ。
それと、高橋是清もまた我々には想像のつかない波瀾万丈の人生を送った人だ。まだ近代学校のない時代に「学び」を獲得した高橋是清が彼の「現代は教育中毒だ」と批判していたことは彼の生きてきた時代の変化というものがあり、それを汲み取ることも興味をそそる問題だ。
それにしても高橋是清は当時としては長生きをしたし、その長い人生をまるで二つか三つの人生を送るように充実して生きていたなあ、ということも知らされた。ここで人間の一生というものがどういう長さであるのかも擬似的だろうが感じてほしい。
毎週木曜が楽しみになる。これからの人は準備期間もいっぱいあるわけだから、もっともっとおもしろいことが出てくるはずかな。
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本日はいわゆる会議日である。朝から専攻会議、系会議、学部教授会、学府教務委員会と続いて夜の親交会まで続く。それはそれでいいのだが、本日はいろいろ自分にまつわる議題や問題が多く、メンタルに疲れる日ともなっている。仔細は述べるべきことでもないのでここには書かないが、研究院・学府制度のちょいとした落とし穴があったというわけだ。おそらく学部長が上手く処理してくれるだろうから安心はしている。
それはそれだが、本日は博士論文乙の受理、障害を持った受験生の扱いという2点が自分にかかわる問題であった。こういう問題は心理的にすとリスが高い。まあ、何れも野々村専攻長の手際のよい処理で円滑に進んだ。感謝申し上げる次第である。
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日赤看護大学の教育学の講義は今年は10人を切る少人数。
それはともかくテキスト第一章は人間。土戸敏彦御大の名文である。毎年このテキストを素材に人間について学生に語りかけているが、毎年ちがった議論になってしまうくらい僕は楽しみにしている。
今日の講義が終わったあと、居残っていた学生が「人間って何だろうか。答えが出ない。家で家族と話し合ったけど、わかんない。」
と言う。
で、しばらく補講。それなりに講義を真面目に受けとめている学生がいるというのは悪くない。
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7日の学校文化史では鈴木その子「公立小学校に於ける大正新教育―東京都滝野川尋常高等小学校の「綜合教育」―」を読んだ。
まあ、社会人のゼミだとはいえ、歴史の論文は歴史の論文として読んで欲しいというのが最初の感想である。このことは社会人学生にとってはかなり難しいことだ。日ごろの職務から思考と思考様式が離れないからだ。しかし、それをやらないと自分は進歩しないとし、高い授業料原って大学院に来ている意味もない。
それはさておき鈴木論文。着実に論文としてまとめているが、〈なにゆえに公立小学校と新教育なのか〉という課題意識がすっぽりと抜けている。〈公立学校であるが故に・・・〉というのは実におもしろい課題設定だと思うのだが、本人は気づいていないのかもしれない。
帰って昨夜から寝ながら読み返していた『鬼平犯科帳』に驚いた。「浮世の顔」(文庫版14巻)の舞台は滝野川村であった。