23日に日ハム戦の後、ホークスの王監督は記者会見を開き、今季限りで監督を辞任することを発表した。
会見は王監督らしい誠意ある言葉で終始した。
「監督生命を懸けて…と話したことで、かえってプレッシャーをかけてしまった。それが、いまとなっては一番の反省点」
「グラウンドでユニホームを着て死んじゃってもいいな…という思いがあったが、手術してから体重も減ったし、足も自分の足ではないような思いをすることがあった」
「結果責任は当然ある。流れを変える大きな動きが必要と感じた。(チームが)生まれ変わり、本来の道筋に戻るためにも、監督交代が必要だと」
「プロ野球に入って50年。本当にいい人生を歩ませてもらった。心をときめかせて、やらせてもらったのは、幸せだった」
時々声を詰まらせ、目にはうっすら涙を浮かべていた。
王監督はダイエーホークスの1995年に監督に就任した。今季が14年目になる。
万年Bクラスのホークスを並々ならぬ苦労の末、常勝軍団に作り変えた。1999年に感動の初優勝、勢いに乗って日本一にまで上り詰める。その後も常に優勝を争い、九州をはじめ全国にフアンを増やして自他ともに許す日本一の人気球団に育て上げた。
ダイエーホークスからソフトバンクホークスに変わってからも常勝の名に恥じず、毎年優勝争いに加わってきたが、首位になりながらプレーオフに敗れる等でここ数年は優勝できない不運が続いた。制度の未熟もあったが、王監督は一切不満を洩らさず、栄冠の奪回を目指してチームを指揮した。
2006年胃がん手術で一時リタイヤーしたが不屈の精神で頑張り、2007年又現場復帰を果たす。 今年を集大成の年とし、監督生命をかけてスタートしたが、冒頭から故障者が続出。遂にシーズン中ベストオーダーを組む事ができなかった。自慢の投手陣もエースとクローザーが不在、という劣悪の条件、監督の体力も万全とは言えず、チームは満身創痍の状態にもかかわらず、8月中旬までは2位で首位を懸命に追っていた。
残念ながら9月にチームは失速、現在Bクラス(5位)に低迷、苦戦が続いている。
王監督は体力の限界と成績の結果責任から辞任したが、Bクラスのチームを常勝軍団に、そして日本一の人気球団に育て上げた輝ける功績はいささかも曇るものではない。数々のエキサイティングなゲームで我々は素晴らしい感動を与えて貰った。
王監督、有難う。 14年間本当にご苦労様でした。
身体を労わってゆっくりと静養して下さい。そしてこれからもホークスナインの成長と活躍を見守って下さい。
有難う 王監督。