ヤンマ探索記

トンボの観察記録です。

タイトルはヤンマですが、トンボなら何でも撮ります。
勿論、ヤンマが優先です。

昭和40年代前半の鉄道写真(80・中央西線電化の記録⑲)

2016-01-15 | 昭和40年代の鉄道(中央線他)

多治見・中津川間   補機奮闘

昭和43年3月1日、再び武並・恵那間で撮影。
中津川電化まで半年、気温が上がる前にD51を出来る限り撮っておきたかった。
DD51牽引の松本行普通で恵那10:28の到着、列車ダイヤに合わせて峠の両側を移動して上り勾配で待つ計画である。

建設中の別線の分岐点辺りまで行くと下り急行が坂を下ってきた。恵那の約1キロ手前からは腹付け線増区間になる。

キハ91系下り急行第2"しなの"、後尾から恵那方面を望む、左側は複線化に向け整地中


先に進んで恵那方面を振り返ると、左手に複線化に向けて建設中の別線の築堤が見える。
電化後、旧線は上り線で使用するためコンクリート架線柱が建てられていた。
下り急行と恵那で交換待ちの上り貨物列車が来るのは10時45分過ぎであり、これ以上先に行くと間に合わない。
貨物の編成が長大で、ここでは後補機を入れて撮ることができないが、仕方ない。

恵那市街地から2機のD51の素晴らしい煙が見え、ゆっくりゆっくり25‰を登って来た。



D51-495[中]牽引の上り貨物652レ






D51ー792[中]の後補機も負けない煙を吐いて押してきた


しばらく直線区間、25‰勾配は槙ヶ根トンネルの出口まで続く


いつもの下り貨物653レを武並側で撮るためには、ここから20分で峠の向こう側に行かねばならない。
線路距離は約2キロでもトンネル上を国道で越すとなるとかなり厳しい。補機の後を追って兎に角走った。

11時10分頃、竹藪沿いの線路脇に辿り着くと喘ぐようなD51が姿を見せて接近してくる。間に合った。
武並側は曲線が多いので空転を起こしやすい。極めて低速、風がないので真上に煙が上がった。

D51-826[中]牽引の下り貨物653レ






下り旅客が続いたが、フィルムが突然巻けなくなり泣く泣く見送った。フィルムを入替えてカメラ動作は回復。
このトラブルで恵那側に戻る気力が失せ、この頃から定期で重連運行されていた826レは下り勾配での撮影となった。

D51ー777[中]先頭の重連、上り松本発名古屋行826レ


この後は列車ダイヤに余裕があり、正午を跨いで再び恵那側に向かった。

キハ58系下り急行"赤倉" 後尾から


トンネル付近の曲線で12時半頃に来る2本目の上り貨物を待つ。ドラフト音が高まってD51が顔を見せた。



半戦時型煙室戸上部切欠きのD51ー851[中]牽引の上り貨物692レ


後補機のD51ー549[中]は煙の中


再び武並側に移動。13時過ぎ、目的地に向け歩く途中で下り旅客列車が来てしまった。

D51牽引の下り長野行829レ




この先はさすがに恵那側には行かず、上り貨物を見送って武並近くまで来た。下り急行に続行する下り貨物を待つ。

キハ58系下り急行第1"ちくま"


14時過ぎ、下り貨物列車が武並を通過して煙を吐き上げて25‰の築堤を登ってきた。

D51-265[中]下り貨物655レ




D51-528[中]の後補機


コンクリートポールが不満であったが、名残惜しい後姿は必ず撮っていた。



キハ58系上り急行第1"ちくま"


左側を見ると、新トンネルに向かう別線の工事が進行中であった。


1968.3 武並・恵那

D51牽引の上り中津川発名古屋行628レの到着


上り旅客と交換して14:52発車の下り旅客列車は逆光でお手上げ。

D51ー402[中]牽引の下り塩尻行831レの発車


帰りの列車待ちの間に上り貨物列車を撮影、武並15:38発DD51牽引の上り828レに乗って帰った。

D51ー266[中]牽引の上り貨物656レ 武並通過

1968.3 武並駅


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