1996年のジャパンカップの時、僕は小倉競馬場にいた。
当時勤務地が福岡だったため、博多で一人暮らしをしていた。
その年の秋のG1は、毎週のように会社の同僚と小倉競馬場の場外に出かけていた。
第1回の秋華賞が開催されたのもこの年で、勝ったファビラスラフインにはその頃から思い入れがあった。
ダビスタの影響もあっただろうが、血統構成に凝りだしたのもこの頃で、ファビラスの母がフランスの4000MのG1に勝利したことから、長い距離は歓迎と考えていた。
ファビラスラフインは春に1400MのG2NZT4歳ステークスを勝っていたせいか、短距離馬のように見られていた。
当時の4歳は今の3歳。
3歳牝馬ということもあってジャパンカップではあまり人気がなく、7番人気だった。
しかし、結果はシングスピールのハナ差2着。
馬連配当が50倍近くつき、2000円が10万円になった記憶がある。
その後もっと高い配当を獲ったこともあるのに、なぜかこの日の記憶はどの万馬券の記憶よりも鮮明だ。
ファビラスラフインという思い入れのある馬から獲ったせいかもしれないし、あのハナ差で悔しそうにしていた松永幹夫騎手のせいかもしれない。
今年はその松永幹夫が調教師となって、3歳牝馬レッドディザイアを出走させる。
今年のジャパンカップはレッドディザイアから外国馬に流してみようかな。
つーか若い女が好きなだけだったりして。
当時勤務地が福岡だったため、博多で一人暮らしをしていた。
その年の秋のG1は、毎週のように会社の同僚と小倉競馬場の場外に出かけていた。
第1回の秋華賞が開催されたのもこの年で、勝ったファビラスラフインにはその頃から思い入れがあった。
ダビスタの影響もあっただろうが、血統構成に凝りだしたのもこの頃で、ファビラスの母がフランスの4000MのG1に勝利したことから、長い距離は歓迎と考えていた。
ファビラスラフインは春に1400MのG2NZT4歳ステークスを勝っていたせいか、短距離馬のように見られていた。
当時の4歳は今の3歳。
3歳牝馬ということもあってジャパンカップではあまり人気がなく、7番人気だった。
しかし、結果はシングスピールのハナ差2着。
馬連配当が50倍近くつき、2000円が10万円になった記憶がある。
その後もっと高い配当を獲ったこともあるのに、なぜかこの日の記憶はどの万馬券の記憶よりも鮮明だ。
ファビラスラフインという思い入れのある馬から獲ったせいかもしれないし、あのハナ差で悔しそうにしていた松永幹夫騎手のせいかもしれない。
今年はその松永幹夫が調教師となって、3歳牝馬レッドディザイアを出走させる。
今年のジャパンカップはレッドディザイアから外国馬に流してみようかな。
つーか若い女が好きなだけだったりして。