柳原キャンパス

美術と音楽について

柳原キャンパス第37回

2012-01-27 13:43:18 | 日記

ワーグナー作曲 楽劇「神々の黄昏」より「ブリュンヒルデの自己犠牲」 

 先日、テレビで「2011プロムス音楽祭」ラストナイト・コンサートの中継を見た。毎年イギリスで行われている世界最大級の音楽祭の最終日、ロイヤル・アルバート・ホールに集まる6000人もの聴衆がユニオンジャックを振り口笛を吹き鳴らす、これがクラシックのコンサートなのかと見紛うばかりの光景が繰り広げられる。そこで、ゲスト歌手として出演していたスーザン・バロック(ソプラノ)が「ブリュンヒルデの自己犠牲」を歌っていた。自己を犠牲にして世界を救済する、これぞ今の日本の政治家に一番に求めたい精神と思い、「柳原キャンパス」の新春第1弾に決めさせていただくことにした。手持ちソフトは、映像も合わせれば10タイトルにはなるだろう。

 

「ブリュンヒルデの自己犠牲」は、音楽史上の超大作、「ニーベルングの指環」の大詰めで女戦士ブリュンヒルデによって歌われる長大な歌である。純粋さゆえに殺された夫・ジークフリートを葬送し、摂理を逸した大神ヴォータンの居城ヴァルハルに火を放ち、呪われた指環をあるべきライン川に戻し、燃え盛る火の中に身を投じてゆくのである。

 作曲者リヒヤルト・ワーグナー(1813-1883)が「指環」の構想を始めたのは1848年。最初に書いた台本のタイトルは「ジークフリートの死」で、以下「若きジークフリート」、「ジークムントとジークリンデ」、「ラインの黄金の掠奪」と、台本は物語を遡り、1852年に完成。作曲は進行通りに書かれ、途中長い中断があったが、1874年、全曲が完成した。序夜「ラインの黄金」、第1夜「ワルキューレ」、第2夜「ジークフリート」、第3夜「神々の黄昏」という構成で、構想から実に26年の年月が流れていた。

 ワーグナーは、題材を欧州の神話や伝説から採っているが、まずはその原典を考察しておこう。

「ニーベルンゲンの歌」
 12-3世紀頃成立したゲルマンの英雄叙事詩で、ここからはジークフリートの生涯や指環伝説など、「指環」の中核を成す骨組みが採用されている。
主人公ジークフリートはネーデルランド王ジークムントと王妃ジークリントを両親に持ち、少年時代から王宮を出て各地に遠征、武勲を立てる。その戦利品には「名剣バルムンク」や「魔法の隠れ蓑」などがある。
成人したジークフリートは、ブルグント王グンターの妹クリームヒルトに求婚するが、一方で、グンターと彼が望むアイスランド女王ブリュンヒルトを結びつけてやる。このときジークフリートは「魔法の隠れ蓑」を用いて不正を働いたため、重臣ハーゲンに殺されてしまう。
 登場人物の名前、小道具、シチュエーションなど、「指環」のかなりの部分がこの英雄叙事詩から採られていることがわかる。ただし決定的に違うのは、ジークフリートとブリュンヒルデとの関係だ。
「エッダ」
 13世紀に編纂された北欧神話で、地底―地上―天上という世界の構造や、神々、巨人族、大蛇など、「ニーベルングの指環」の大枠や脇役がここから採られている。主神オーディンは大神ヴォータン、正妻フリックはフリッカ、美の神フレイアはフライアに変る。またここに書かれている「ラグナロク」という神々の終焉の件は「神々の黄昏」と同一概念であることは言うまでもない。
「オレステイア」三部作
 ギリシャの悲劇詩人アイスキュロス(BC525―456)の三部作。世代をまたぐ物語の骨子と上演形式が「指環」の構成に影響を与えたと考えられる。ワーグナーが4夜にわたると言わずに「『序夜』に続く3夜の劇」と言ったのは、アイスキュロスへのオマージュと思える。

 登場人物のほとんどが古来からの神話伝説に倣っているのに対し、ワーグナーが唯一別人格に設定したのがブリュンヒルデである。単なるグンターの結婚相手としてではなく、世界の宝・英雄ジークフリートのパートナーとして、さらに新しい世界秩序への先導者としての役割を担わせたのである。
 ブリュンヒルデは、自らの命を犠牲にすることで、夫の純粋さを証明し、呪われた指環を浄化し、堕落した神の城を焼き払い、地上に平和に満ちた世界を甦らせる。
「ブリュンヒルデの自己犠牲」は、彼女が最後に大見得を切る歌で、それは20分以上も続く。全てを飲み込み包み込み新しい秩序を作り出す。ワーグナー作劇の究極の見せ場だ。
 音楽もワーグナーの究極の到達点を示す。ブリュンヒルデの心の動きを克明に追い、時に物悲しく、時に寛容に、時に情愛に満ち、時に怒り、最後には決然と強固な意志を示す。そこでは、物語を有機的に結び付けてきた示導動機が集約する。「ブリュンヒルデ」-「剣」-「エルダ」-「槍」-「ワルキューレ」-「指環」-「ラインの乙女」-「ラインの流れ」-「ヴァルハル」―「神々の力」―「ジークフリート」-「神々の黄昏」という一連の流れの最終局面で、「愛の救済」のモチーフが慈愛を運び込む。ブリュンヒルデの愛が世界を救い新たな秩序を形成するのである。これぞワーグナーが到達した究極の境地! 感動の極みだ。

 ブリュンヒルデ歌手が持つべき資質とはなにか? それは、慈愛と強さという相反する要素をキャラクターとして内包していること、そして、揺れ動く様々な感情を自在に表現する能力を有していることである。しかも、ワーグナー芸術が辿り着いた究極の到達点において、その局面をたった一人で背負い演じるのであるから、同時に強靭な精神力が不可欠となる。これぞまさに選ばれたものだけが成しえる業。ヴィオレッタ歌いは数多あれどブリュンヒルデ歌手は限られる。
 キルステン・フラグスタート―アルトリッド・ヴァルナイ―ビルギット・ニルソンというバイロイト王道の歌手たちを別格とすれば、ジェシー・ノーマンやアン・エヴァンスのスケール感もグィネス・ジョーンズの気高さにも心惹かれはする。反して、デルネッシュとマイヤーは力不足、ベーレンスは不調だ。そんな中、近年ブリュンヒルデ歌手の条件をほぼ完全に満たす歌い手が現れていた。デボラ・ポラスキ(2004年リセウ大劇場ライブDVD)である。先述したブリュンヒルデが放つ様々な感情を誰よりも多様に表現し得ている。時に優しくときに力強い。しかも佇まいが気高く凛々しい。私は、ビルギット・ニルソンのあと、満足できるブリュンヒルデはもう現れないだろうと思っていた。ところがこのアメリカ人歌手は、強靭さでニルソンに迫り、繊細さでニルソンを凌ぐ。デボラ・ポラスキこそ現代の理想のブリュンヒルデである。(清教寺 茜)

 

[究極のベスト]001

 デボラ・ポラスキ(ソプラノ)
 ベルトランド・ビリー指揮:リセウ大歌劇場管弦楽団04

 



[ノミネート一覧]

 キルステン・フラグスタート/マッカーサー:サンフランシスコ歌劇場管35-40CD
 アストリッド・ヴァルナイ/カイルベルト:バイロイト祝祭管55CD
 ビルギット・ニルソン/ショルティ:ウィーン・フィル64CD
 ビルギット・ニルソン/ベーム:バイロイト祝祭管67CD
 ベルガ・デルネッシュ/カラヤン:ベルリン・フィル70CD
 グィネス・ジョーンズ/ブーレーズ:バイロイト祝祭管80DVD
 ジェシー・ノーマン/テンシュテット:ロンドン・フィル87CD
 ヒルデガルト・ベーレンス/サヴァリッシュ:バイエルン国立歌劇場管89DVD
 アン・エヴァンス/バレンボイム:バイロイト祝祭管91DVD
 ワルトラウト・マイヤー/マゼール:ベルリン・フィル97CD
 ルアナ・デヴォル/ツァグロゼフ:シュトゥットガルト州立管02DVD
 デボラ・ポラスキ/ビリー:リセウ大歌劇場管04DVD
 マーク・グリフィス(バリトン)



本の紹介/「戦国武将の時代折り紙」

2012-01-03 14:08:37 | 本と雑誌

「戦国武将の時代折り紙」かぶと、家紋と付き物、雅な器
浜田勇著/柳原デザイン室企画編集/日貿出版社刊33812269

 折り紙の本です。織田信長や徳川家康、豊臣秀吉、真田幸村など名立たる戦国武将9人の「かぶと」を折り図と解説で紹介。
 他に、武将の家紋と付き物、雅な器も掲載しています。
 戦国時代に想いを馳せながら、勇壮で豪華で華やかな折り紙の醍醐味を味わってみませんか。

 詳しくは左の書籍欄より検索ください。