柳原キャンパス

美術と音楽について

柳原キャンパス第9回

2009-08-01 13:29:39 | 日記

ベルリオーズ作曲 歌曲集「夏の夜」作品7より「ばらの精」

 猛暑お見舞い申し上げます。寝苦しい夜は無理をせず、妖しげな夢幻の世界に旅するのも一興ではないでしょうか。今回も夏物シリーズ第2弾、その名もズバリ「夏の夜」から「ばらの精」をお届けします。

「夏の夜」は、フランスのロマン派詩人・テオフィル・ゴーティエ(1811‐1872)の詩集「死の喜劇」(1838刊)からの6篇に、ベルリオーズが曲をつけた歌曲集。当初は、メッゾ・ソプラノもしくはテノール独唱とピアノによるものでしたが、後に作曲者自身が管弦楽版を作りました。

 第2曲「ばらの精」は、少女の胸に零れたばらの精が、妖しく軽やかに語りかけるというお話。“私は、あなたがきのう舞踏会でつけていたばらの精。あなたは一晩中私を連れ歩き、そして私に死をもたらした。私の墓はあなたの胸の上”

 ベルリオーズは、ゴーティエの幻想的で妖気漂う詩に、美しくもロマンティックなメロディーをあてはめて、透明で色彩感溢れる管弦楽の響きの中に、夢幻の世界を現出しました。これはもしや、題材こそ違いますが、ロジェ・ヴァディム1960年の映画「血とバラ」の美意識の源かもしれません。

 曲はアダージョ・テンポの変則三部形式(ABA’)。試聴ポイントは、曲調が変化するBの部分。詩はこうなっています「あなたが追い払わぬかぎり、私は夜ごとにあなたの枕もとにやってきて踊るでしょう。でも、怖がることはないのよ。ミサも『深き淵より』も求めていないから。この軽やかな香りこそ私の魂。そして、私は天国からやってくるの」。漸次に色彩感が増す管弦楽に乗って、ときに囁くように、ときに諭すように、そして最後は強く大きく歌い上げる。ここでは真に多彩な表現力が求められます。でもやりすぎてはぶち壊し。そのバランスが実に難しい。そしてキイ・ワードは軽やかさと妖しさです。

 ノミネート・ディスクは10枚。ソプラノとメッゾ・ソプラノは半々ずつ。お国柄はフランス3人、黒人2人、スペイン、アメリカ、イギリス、ノルウェー、ブルガリアと多種多様。

 ジェシー・ノーマンは粘りすぎ。同じ黒人のバーバラ・ヘンドリクスは真面目すぎて妖しさがない。同じ意味でジャネット・ベイカーもパス。ジャニス・テイラー、アンネ・ゾフィー・フォン・オッター、ヴェセリーナ・カサロヴァ、ブリギッテ・バレエのメッゾ・ソプラノ組は重すぎて妖精の軽やかさがない。この曲に限っては、原曲がメッゾ用でもソプラノをとりたい。ソプラノのヴェロニク・ジーンは爽やかだがニュアンスに乏しい。ヴィクトリア・デ・ロス・アンヘレスは人間的過ぎる。残るはフランスの名歌手レジーヌ・クレスパンです。

 クレスパンの歌唱は「ばらの精」の理想の姿。まずは声質。透明で潤いもある、どちらかというと固めの声は、まるで“ばらの精”そのもの。そして歌い方。“Mais ne crains rien”(でも、怖がることはないのよ)の韻を、彼女ほどニュアンス豊かに踏んでいる人はいません。しかもそれが決して度を越えない。最も盛り上がる“Et j’arrive du paradis”(そして私は天国からやってくるの)の抑制の効いたフォルティシモも、絶妙のバランス。これぞ名人芸の極致です。加うるにアンセルメの指揮も抜群。手兵スイス・ロマンド管弦楽団と醸し出す、その薄く軽やかで色彩感あるフランス的響きは、まるで名画を見るような見事さです。(清教寺茜)

[究極のベスト盤]

レジーヌ・クレスパン(ソプラノ)
エルネスト・アンセルメ指揮:スイス・ロマンド管弦楽団63

[ノミネート一覧]

ロス・アンヘレス(S)/ミュンシュ:ボストン響56(モノ)
クレスパン(S)/アンセルメ:スイス・ロマンド管63
ベイカー(Ms)/バルビローリ:ニューフィルハーモニア管69
ノーマン(S)/デイヴィス:ロンドン響79
テイラー(Ms)/ボールト:ニーフィルハーモニア管
オッター(Ms)/レヴァイン:ベルリン・フィル91
ヘンドリクス(S)/デイヴィス:イギリス室内管94
カサロヴァ(Ms)/スタインバーグ:ORF響94
バレエ(Ms)/ヘルヴィヒ:シャンゼリゼ響95
ジーン(S)/ラングレー:リヨン国立歌劇場管01