大和を歩く

大和憧憬病者が、奈良・大和路をひたすら歩いた日々の追憶

031 金剛山・・・金剛の頂きに立ちクシャミする

2010-11-19 08:06:56 | 葛城

葛城古道を歩いている間、西側は常に金剛山の巨大な山塊に守られている。そこに一度だけ登ったことがある。平坦な道を歩くことにはかなり長距離でも自信を持っている私だが、わずかな傾斜が加わるととたんにだらしなくなる。だから大和と河内を隔てる最高峰に登るには、ロープウエーを利用するしかない。そうやってとにかく、山頂に立つには立ったのである。春のお彼岸、標高1125㍍の頂は寒く、杉の葉に霧氷が凍りついていた。

大阪・天王寺で弁当を仕込み、富田林からバスに乗って「太平記の里」というのぼりで埋まった千早赤坂村に着く。大阪府で一つだけの村だという。ロープウエーで手軽に登るには、この河内側からしかない。河内と大和南部を隔てる葛城の山並みは、その位置の必然として古代史の重要な舞台となった。どれだけ多くの古代人の足跡が刻まれていることか。この日は珍しく、私には連れがいた。会社の同僚2氏で、山歩きは私より得意らしい。

この山塊全体が古くから霊山信仰の対象であったらしく、斉明紀にはすでに「竜に乗った人が生駒山へ飛び去った」という神仙譚が記録されている。後に役小角が活躍した修験の道場として、いまも神秘的な雰囲気を濃く残していると感じるのは私だけではないようだ。その証拠に多くの人を引きつけて止まない山だとか。とはいえ、シーズンオフなのだろうか、ハイカーの数はわずかで、ロープウエーも空いていた。

山頂駅に着くと、人々は思い思いの道を辿っていく。われわれは取りあえず「頂上へ」という道を選ぶことにした。杉、檜、ブナといった森が、鬱蒼と現れては次の森に変わっていく。ドドドドドン。低い大きな音が響いた。「キツツキかな」「まさか、あんな音でやられたら、どんな木だって倒されるぜ」という会話が終わらないうちに、頭の上が真っ赤なアカゲラ? がピョンピョン飛ぶように枝を渡っているのが見えた。たいしたものだ。

寺か神社か山小屋かわからないようなところに出た。江戸時代までは金剛山転法輪寺という、修験道の総本山だったところらしい。この寺の名前で、かつては葛城山の一峰だったこの山が「金剛山」と独立して呼ばれるようになったのだという。山頂ではないらしいのだが、ここがみんなの集合地のようで、小さな子供たちのグループやお年寄りのツアーなどで賑わっている。こんなに大勢登っていたのかと驚かされるほどの人の波だった。

シーズンオフどころか、すでに多くのハイカーが登っていたのだ。われわれがのんびりやって来ただけなのだ。広場に大きなパネルがあって、名札が埋めている。何と、100回以上の登頂者リストだという。最高は6000回! 全く世の中にはいろんな人がいる。

深山幽谷で自然と一体となり、人為を超えてみたいという、修験的欲求は私にも分からないではない。だから吉野の大峰奥駈などは強い興味を覚える。しかし何しろ登り坂には弱い。そのうえ蛇や毛虫にはからっきしというひ弱さである。入門は許されないと諦めている。
              
国見城跡という天然の展望台に出た。南北朝の昔、楠木の一党と北条がこの山でゲリラ戦を展開した城跡である。前日が五月中旬並みという陽気になったので、つい油断して軽装でやって来たが、この日は平年並みに戻ったものだから山頂はしっかり寒く、手を出していると痛くなるほどの冷気だ。(旅・1991.3.21)(記・2010.10.14)

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