無知の知

ほたるぶくろの日記

秋になりました

2012-10-14 18:32:29 | 日記

今年はこのあたり彼岸花の開花が一週間ほど遅くおかしいことだと思っていましたら、キンモクセイも開花が遅れていることに気づきました。大体10月の10日あたりには甘い香りが漂うのですが、今年は昨日でもまだでした。つぼみは膨らんでいてそこはかとなく香っているのですがまだまだこれからです。やはり自然のリズムが崩れているのだなぁと感じます。

お掃除や洗濯をしながら季節が変わっていることを感じます。家の汚れの具合もお洗濯物の様子も季節で大分違います。汗をたくさんかくときはある程度の水を使いませんと汚れは落ちないものですが、今はもうそういうこともなくなりお洗濯は少し楽になりました。暑くて湿度が高いと水廻りの微生物も活発ですが、やっと今は落ち着いてきています。こちらも大分お掃除が楽になりつつあります。その一方で乾燥がすすんでいますのでホコリが気になるようになります。冬物もあわてて引っ張り出したり夏物をそろそろ片付け始めたりという作業もあります。

生活を維持する作業は直に季節を感じるもので面白いと思います。自然の営みを感じると言いますか、人間の側の変化も感じることができて奥が深いものです。家事を動く修行ということがよくわかります。修行=つらいことではなくてそこに真理や自然の奥深さを感じることができると言うことです。食事の内容も何が食べたい?と家族や自分に聞きますとやはりそこには季節の変わったことが感じられます。変化があるとは飽きなくて素敵なことです。だんだん鍋物も恋しくなってきました。野菜をたっぷり食べられるのでうれしい季節です。


iPS細胞作成技術について

2012-10-13 19:00:18 | 生命科学

やっと秋らしい日々になってきました。今週はiPS細胞関連の輝かしいニュースがあり再生医療の明るい未来を感じることができます。体細胞の全能性幹細胞型の初期化がどのようにおこるのかは未だに明らかとはいえない部分があるのですが、ともかく応用へむけて努力をしていくことがその解明にもつながっていくのではないかと思います。応用と基礎が協力し合う形で進んで行ければベストだと思います。

生命科学はとうとう個体のコピーを作製できるという倫理的に重大な局面まで来てしまいました。私はiPS細胞についてあまりここでは書いてきませんでした。この技術のもつ社会的影響の大きさを扱いきれないと考えていたからです。iPS細胞作成技術によってコピー個体が作成可能になったということはすでに多くのメディアの報道するところとなりました。今からは多くの方にこの技術の詳細を知って頂いて何がおこる可能性があるのかを把握して頂きたいと考えます。

iPS細胞作成技術のなにがすごいのかといいますと、これまでは無理だと考えられていた初期胚様の全能性幹細胞が皮膚などの体細胞からできるようになったということです。それまでは初期胚から分離して来るES細胞作成技術が全能性細胞作成の唯一の方法だったのです。これは材料としてヒトの初期胚が必要であり現存する個人のコピーを作ることは不可能でした。しかしiPS細胞作成技術はそれを可能にしたのです。iPS細胞は例えばあなたの皮膚の細胞から作製できます。そこからあなたのコピー人間を作製するにはまだいくつかの困難な工程がありますが、理論的には作成が可能です。

再生医療への応用を考えるとき、現存する個人の体細胞から全能性幹細胞を作製できるという点は大変重要になります。再生治療の必要な患者さん自身の細胞から治療用の細胞を作製できるからです。ES細胞では沢山の種類のバンクをつくり、そのなかから患者さんによく似た表面抗原をもつ細胞を選び出し使用するしかなかったのです。ただ緊急を要する場合にはiPS細胞の作成には何ヶ月もかかりますから間に合いません。そこで同様のiPS細胞バンクを作製する必要があります。

今現在はiPS細胞から各種臓器細胞を誘導し再生医療を加速するという明るい面が前面に出されています。しかし他方ではあなたのコピー人間ができるという側面もあるのだということを敢えて書いておこうと思います。すでに倫理的問題については専門の方々が検討していらっしゃると思いますが、いつの世にもそれをすり抜けて技術が用いられていきます。現実に動物レベルではコピー個体が誕生しています。現在の科学的理論上ヒトでも可能であるとしか言いようがありません。これからは厳重な監視が必要であると思います。

付け加えるならばたとえ遺伝子的に同一のコピー人間が作製されたとしても記憶を含めたその元の個人の人生全てがコピーされるのではありません。いわば年の離れた一卵性双生児の兄弟姉妹が誕生するということです。その新しく生まれたコピー人間は全く別の環境で別の人生を生きるわけです。

さらに付け加えるならばまだ未発見の重大なゲノムへの影響が残されている可能性があります。コピー人間特有の障害が見つかるかもしれません。マウスなどの小動物ではいまのところがんの発症率が高いという影響がありますが、霊長類ではもっと別の形で顕われる可能性があります。それが発見されれば倫理的な監視も法律上の規定のみという生温いものではなくなるでしょう。その決定的な影響をいっそのこと公開しないという手もありますね。究極の世界倫理的機密としてWHOのような機関が管理していければよいのかもしれません。

それにしてもあのちょっと情けない報道は残念ですね。あの方ももう見栄の重荷を下ろされて今後は地道な良心の人生を歩まれてほしいと思います。大分前に捏造論文のことを書きましたがそれよりは罪は軽いような気がします。税金から捻出された研究費で捏造論文を仕立てた方々のことこそを、もっときちんと追跡し報道するべきではないかと思います。


目から鱗が落ちた話し

2012-10-07 17:15:16 | 日記

子どもの教育に関することでつい先日はっとしたことがありました。最近10代の子どもたちが自分で人生を終わりにしてしまう事件が続いています。直接の関係はないものの私たち家族の近辺でもありました。子どもの学校や地区の教育委員会ではこれらの出来事への慌ただしい対応があります。小冊子を持って帰ってきたり、アンケートがあったり、臨時保護者会があったり。 

ただ報道やそのような学校の動きを見ながら非常に冷めた気持ちを持っている自分がいます。白々しい、という思い。

いじめのもっともよくあるパターンは

「グループを作って標的人物をいろいろな方法で排除すること」

しかしこれって現代日本のあらゆる年齢層、人間集団で行われていることだと思うのですが。

どの大人がどの口で「そんなことしちゃダメ」て言えるのか。 

とくにこの20年くらい私はこの集団行動パターンを非常に身近に経験し続けています。それ以前、1980年代くらいまではもっと個性や独自性、オリジナリティなどが重要視されたように思います。91年からしばらく私は日本にいなかったのですが、その後帰国して人々の表情の暗さにおどろきました。若い人々は総じて大人しく人々は他人をあれこれ評価したり逆に他人からの評価に常に気を配っていました。自分がどう考えるかよりも自分がどう見られているかに敏感になっていました。さらに個性を表すことを「わがまま」や「空気の読めない人」という表現でその個性を封じ込めたり非人間的な扱いをしているのを見聞きすることも多くなっていました。

さらに最近経済的にも逼迫してきたせいか社会はその傾向をますます強めているように思います。他人を心理的精神的に平気で追いつめる社会。その世の中の雰囲気を子どもたちはキャッチしているのでしょう。

こういう人間の潰し方というのはいつの世にもあるわけですが、もっぱら権力やお金に絡んだ特異な集団での出来事だと思っていました。ですから例えば職場でも幹部クラスや政治の世界などではこういうことが行われてきました。そういう戦いの世界なのですから皆さん覚悟を決めてその世界に生きるわけです。しかし今は家族内まで含め全ての人間社会にこのようなことが浸透してしまった。

確かに昔もそういうことはあったでしょう。小さなある村落で、ある家系で。しかしそれは大変非人間的な酷い話しとして伝えられたはずです。それが今は「当たり前」になってきているのです。これは社会全体の病理ではないかと思っています。

 

そんななか先日教育関係者の友人といじめの問題について少々意見の交換をしました。私が上記のようなことを話しますとその方は「やっぱり子どもをちゃんと教育することが重要」だと主張されました。子どもへのいじめの教育が今の社会では無理なのでは、という話しから始まったのですが「それでも大人を今から再教育はできないが子どもは教育できる」といわれました。

 

確かに。将来の社会は子どもによって作られる。何が人間社会にとって重要なことなのかをたとえ白々しく感じたとしても子どもに教えて行くことが唯一の根本的な解決法なのかもしれません。究極の偽善かもしれませんがあきらめず一生懸命やることが明日をつくるのでしょうね。


面白い発見

2012-10-06 20:37:09 | 日記

10月というのに暑い日が続く東京です。例年でしたらコーデュロイを引っ張り出す季節なのですが。

 ところで最近面白い現象に出会いました。いつも使うエレベーターの話しです。そこは数ヶ月に一度はどこかの階で工事などが行われるので片方のエレベーター内部はプラスチック製のダンボール様の板で養生されます。これまではいつも白というか透明の板で養生されてきました。そうしますと大体一日、二日しますとなにかちょっと固いものでその板に落書きがされるのでした。落書きは日に日に増え、一週間もしますとだいぶん賑やかなエレベーターになるのが常でした。

 ところが今回その養生用の板が黒になっておりました。ただ全部ではなく床と3面あるエレベーター内の壁の二面が黒で一面はこれまでと同じ白いものでした。最初そのエレベーターに乗り込むときになにやらフォーマルな雰囲気を感じ、ちょっと緊張したのを憶えています。そしてその後面白いことが起こりました。いつもですと二日もすれば落書きが大分あるのですが、今回は全くみられなかったのです。その後十日ほど経ちましたが未だに落書きは一つもありません。

 原因は養生の板の色だとしか思えません。色の心理的作用に改めて驚かされました。このエレベーターは大人も子どもも使うのですが年齢に関係なく作用したようです。黒はなにか人の心を抑制したり制限したりする作用があるのですね。

さて職場のいろいろも煮詰まってきています。今のところイロイロな可能性にむかって努力と静観の日々ですがどうなりますか。日々できることをたんたんとやっていきます。