山川草一郎ブログ

保守系無党派・山川草一郎の時事評論です。主に日本外交論、二大政党制論、メディア論などを扱ってます。

既存メディアの現状を考える(2) 記者クラブ神話 

2005年03月27日 | メディア論
既存の産業ジャーナリズムの在り方に対して、インターネットに限らず、世間で強い批判を浴びているのが「記者クラブ制度」だろう。ただ、そうした批判の中には事実誤認に基づくものや、誇張されたものが少なからず含まれている気がする。

メディアリテラシー(情報を主体的に読み解く能力)の発達に伴い、国民がメディアを批判的な目で見る習慣がついたことは歓迎すべきことだが、こと雑誌などに流布する「記者クラブ神話」に関しては、ほとんど無批判に受け入れられているのが現状のようだ。記者クラブの何が問題で、どこを変えるべきなのか、もう一度冷静に考え直してみたい。

◇誇張された「馴れ合い」

そもそも記者クラブ神話は、メディア企業を辞めた記者OBたちの昔話として始まった。最初は「俺達の頃は一日中、記者クラブでマージャン卓を囲んでたもんだ」といった他愛もない自慢話がほとんどだった。

取材もしないでゴロゴロしているように見せかけ、競合他社を油断させておきながら努力を積み重ね、ついに特ダネをモノにする。大きく出し抜いた日の朝は、何気ない顔でクラブに顔を出し「ゆうべ飲みすぎてサ」などと、そ知らぬ顔でライバル記者たちをからかう―。昔も今も「できる記者」の作法はそんなものだ。

昔から記者クラブの「馴れ合い」は見せかけだけだったのだが、記者OBらの昔話は、自嘲気味に誇張されているから、後の世代は真に受けてしまう。もちろん、長く日本の官庁は記者発表に消極的だったから、昼間の記者が今に比べてヒマだったのは事実だろう。

発表が少ないということは、記者にとっては幸せなことである。同じ事実でも、隠された事実を報じればニュースだが、発表されてしまえば、ただのプレスリリースになる。今から思えば「何故そんなことを隠すのか」というものまで昔の役所は隠していたから、記者の飯のタネは豊富だった。

◇不要になった記者クラブ

それに比べて今の記者は不幸だ。官庁が情報公開に前向きになったため、苦労して追ったニュースが書く前に発表されてしまう。発表されたらニュースではない。だから発表される前に、他社より少しでも早く書くことが「特ダネ」になってしまう。特ダネを掴むためには、官庁の然るべき立場の人物と懇意になる必要がある。取材先に「食い込む」ためだけの夜討ち朝駆け合戦が、こうして始まったのである。

こんな競争ははっきり言ってつまらない。つまらないから、嫌気が差して会社を辞める記者が出る。そのうち、会社を辞めた元記者たちから「記者クラブのせいで、今の新聞報道は発表モノばかりになってしまった」と嘆く者が現れる。記者クラブ神話の第2幕の始まりである。記者同士の馴れ合いに向けられていた記者クラブ批判の対象が、ここにきて記者と官庁との馴れ合いに向けられるようになったのだ。

官庁が積極的に情報公開するようになったことは、もちろん悪いことではない。むしろ市民にとっては歓迎すべきことなのだが、記者にとっては「飯のタネ」が減る一大事だ。記者クラブを拠点にして、役所内の情報を探して歩く必要性が薄れるから、この時点で記者クラブは解散すべきだった。「記者クラブがあるから発表モノが増えた」というのは順序が逆で、「発表が増えたのに、まだ記者クラブが残っている」ことが問題なのだ。

そう考えると、必ずしも最近の記者の質が落ちたとも言いきれない。昔は「特ダネ」だったようなネタが、同じ内容でも今は「発表モノ」に代わってしまっただけである。もちろん、今でも取材相手が隠したがる「マル秘」級の事実は存在するし、そうした情報をもし入手できれば本物のスクープだ。とは言え、そうした1級品のネタはそう多くない。だから今どきの記者たちは「いずれは発表されるネタ」を「発表前」に入手しようと日夜、身体にムチ打ち続けるのだ。

◇貿易障壁としての記者クラブ批判

記者クラブ批判の第3波は、海外からやってきた。日本がバブル景気に沸いた80年代後半から90年代初頭にかけて、世界第二の経済大国となった日本市場の取材を強化するため、外国の通信社や新聞社は東京支局を重視するようになった。

しかし、インターネットでプレスリリースが発表される今と異なり、当時は記者クラブにいなければ発表資料が入手できなかった時代。日米貿易摩擦の頃だから、キシャクラブは日本独自の貿易障壁として盛んに攻撃された。

急先鋒になったのはブルームバーグ社である。創立者マイケル・ブルームバーグ氏は、自身の伝記の日本での出版にあたり、前書きにこう書いている。

「日本の市場は私が知っている他の国々と同等に開放されています。ただひとつ、我が社が参入障壁にぶつかったのが、記者クラブというシステムでした。1990年に東京ニュース部門を開設した時点では、外国企業の記者クラブへの加盟が認められておらず、当社はそうした閉ざされた体制に立ち向かっていきました。その努力が報われて、現在では記者クラブの門戸は開かれています」(※)
(『メディア界に旋風を起こす男 ブルームバーグ』東洋経済,1997年)

彼らが求めたのは、記者クラブで配布される「プレスリリース」そのものだった。官公庁が定期的に出す経済指標や、企業がクラブに投げ込む決算などの業績資料が、経済専門通信社には重要な意味を持ったからだ。バブル景気に湧いていた当時、日本経済に関する情報は、世界に売れる「商品」だったのである。

ブルームバーグは日本の記者クラブと戦ったが、前掲の伝記によると、米国でも事情は似たようなものだった。たとえばワシントンDCの取材には、新聞・通信社の記者5人で構成する「報道記者に関する上下院常任委員会」による審査で「ジャーナリスト」と認定されなくてはならず、認定されないと政府発表の経済指標を入手できないばかりか、官僚からも取材拒否されてしまう有様だった。

ブルームバーグも「電子メディア」という媒体概念を同委員会メンバーに理解させることができず、何度となく門前払いを食ったが、最終的には、ニューヨークタイムズ紙にクレジット付き記事を掲載することで、通信社として認めさせたのだという。

◇米国の取材慣行

どんな社会でも、新規参入者には「既得権益」という高いハードルが待ち受けている。それは日本に限ったことではない。米国には「記者クラブ」という組織こそ存在しないが、様々な目に見えない障壁が、外国人や新参者の取材を困難にしている。

ワシントン特派員を経験した鈴木美勝氏の著書『小沢一郎はなぜTVで殴られたか』(文藝春秋,2000年)や石澤靖治『日米関係とマスメディア』(丸善,1994年)には、米政府高官が、影響力の大きい地元メディアを選別して、非公式のワーキングランチなどに招き、情報をリークしたり、オフレコを前提とした背景説明(ブリーフィング)を行っている事実が紹介されている。

それは、首相官邸や外務省で行われる定例の記者懇談と本質的に何ら変わらないし、権力側が恣意的に相手を選別できる分、日本の慣行よりも閉鎖的であるとさえ言える。

日本の政治取材の悪弊として批判されることの多い「番記者」制度にしても、米国にも似たような取材慣例が存在する。日本の首相番に当たる「大統領番」はホワイトハウス詰めの記者が担当し、大統領が外国訪問する際には、合衆国政府の用意した飛行機に同乗し、合衆国政府の用意したバスで一緒に移動する。文字通りのパッケージ取材である。

たとえば、日本の首相官邸に米国の大統領が来たとすれば、大統領専用車の車列に「大統領番」専用ワゴンがついてきて、大勢の記者が一斉に降りてくる。同行のホワイトハウス報道担当者が「はい、こっちに来てください」「取材は冒頭までですよ」などとツアー添乗員さんよろしく指示を出せば、記者もそれに従うといった具合だ。

日常の大統領取材も日本とさほど変わらない。筆者がワシントン取材経験のある記者から直接聞いた話では、クリントン政権時代の大統領番記者の日課は概ねこんな感じだ。

(1)番記者はA,B,Cなどの班に分かれていて、プール取材(代表取材)の輪番制になっている。どの班にもAP通信が入るよう工夫されているため、当番でない社も安心して任せられる仕組みになっている。
(2)ホワイトハウスから大統領の翌日の主な日程が電子メールで登録記者に配られる。
(3)指定された待ち合わせ場所に、当番の取材団が集まり、「大統領の一日」の取材が始まる。
(4)大統領が移動したり、何か発言すれば、その都度、取材団が取材メモを電子メールで各社に知らせる。

首相の後ろにくっついて歩き、質問をぶつける日本の首相番と、ほとんど変わらない日常が、そこにはある。一挙手一投足が注目される民主主義社会のリーダーには、このような「密着型」の取材体制は付き物なのだが、なぜか日本ではほとんど紹介されない。日本の政治取材の特殊性だけがことさら強調されているようだ。

◇雑誌メディアによる批判

記者クラブ批判の最大勢力は、週刊誌を中心とする雑誌メディアだろう。新聞・テレビの既成メディアと異なり、彼らは「速報性」を重視しない。したがってブルームバーグのように、当局のプレスリリースを必要とすることもない。それなのに雑誌メディアが記者クラブを批判するようになったのは、記者クラブの「閉鎖性」ゆえである。

閉鎖性こそは、記者クラブの抱える最も本質的な問題である。官公庁などの公的なスペースを、ほぼ無償で使う便宜を受けながら、大半の記者クラブは、外部からの新規加入申請に対して極めて消極的だ。加入を拒む理由は様々だが、「スペースが足りない」といった回答が多いといわれる。

しかし、10年前ならともかく、現在ではほとんどの官公庁が、記者会への発表や会見の案内をファクスか電子メールで行っている。発表資料自体もすぐにホームページに掲載される。一方、通信手段の発達によって、報道機関側も常に記者クラブに詰めている必要性は薄れつつある。携帯電話を持っていない記者はいないし、原稿だって持ち運び可能なノートパソコンを使えばいつでも、どこからでも送ることが可能だ。固定電話と記者ワープロがなければ仕事にならなかった時代は、とっくに過ぎ去ったのである。

このような状況で、「記者室のスペース」が問題になるはずがない。既成メディアが、雑誌など第三のメディアを排除する理由は他にあると考えるのが自然だ。それはやはり、「仲間内の自治組織に部外者を入れたくない」という本能的な心理によるものだろう。確かに多くの記者クラブは、加盟社が持ち回りで幹事業務を分担し、取材先との連絡・調整という煩雑な作業を行っている。

一方、雑誌メディア側は、そうした煩雑な作業に充てる人的余裕もないし、そもそもそこまでして記者クラブで得られる情報は、彼らにとって重要ではないのだ。畢竟、雑誌メディアの要望は「幹事業務はしないが、記者会見にだけ参加させてほしい」という、いささか虫の良い話になりがちである。そうした申し出に対し、新聞やテレビの記者たちは「勝手なことを言うな」と感情的に反応するというわけだ。

会見への参加を一方的に断られた雑誌記者たちは当然、面白くないから、記者クラブを牛耳る大手メディアを口を極めて批判することになる。「官公庁に無償で間借りしておきながら、部外者を排除するとは何様のつもりか」と。

そうした主張は実にもっともであり、一般国民にも受け入れられやすいものだ。だから「記者クラブの弊害」は広く国民に知れわたるようになり、既存メディアに対する今日の拭いがたい不信感を招いたのである。「大手メディアがひた隠す○×疑惑」といった見出しは、読者の関心を誘い、既成メディアを批判すれば雑誌の収益増に結び付くという構図も生まれた。

雑誌メディアによる記者クラブ批判は、「エリート記者から阻害された」という感情的な反発が大きな要素を占めていると思う。そもそも、日常的に取材先に張り付いている新聞・テレビと、あるテーマを継続的に掘り下げて書く雑誌とでは、記者クラブに求める目的が異なるのは自然なことだ。雑誌記者にとっては、日々大量に持ち込まれるプレスリリースには何の価値も魅力もなく、記者クラブとはただ、記者会見という要人取材の機会を保証された特権としか映らない。

しかし、記者クラブという組織は本来、共通の利害を持った報道機関がつくる任意団体なのだから、既存の記者クラブから入会を拒まれたなら、新たに別の記者クラブをつくればいいだけの話だ。新しい記者クラブを、官公庁や企業が古い記者クラブと同等に扱うかどうかは結局、彼ら次第だ。既存メディアの記者クラブは、背後の読者数を圧力にして、長い時間をかけ、官公庁などから取材の機会を少しずつ勝ち取って来たのだ。

一方で、既存の記者クラブの側にも、閉鎖的な体質を改善するよう求めたい。かつてのように記者クラブに属さないメディアが首相に単独取材する機会を制限するような行為は論外だ。それ以前に、すべての記者会見は、官公庁や企業の主宰とし、参加を求めるあらゆるメディアの記者に広く門戸を開放すべきだ。確かに主宰権を「取材される側」に渡すことは、会見を恣意的にキャンセルされ、結果として取材の機会を失う危険性があるだろう。

しかしながら、欧米の記者会見ではむしろ、そちらの方が主流であることも事実だ。既に米国ではホワイトハウスの定例会見にブログ記者の参加が認められるまでになっている。インターネットを通じた情報発信が活発化する中で、既存の「企業内ジャーナリスト」だけが記者会見を独占し続けるのは、もはや正常な姿とは言えなくなりつつある。

ブログなどの新たなメディアが影響力を強めれば、「取材される側」にとっても、既存メディアだけの記者クラブの重要性は相対的に低下するに違いない。一般国民の既存メディアに対する不信感が強ければ、なおさらだ。実際、社会の変化に敏感な政治家たちは、10年も前から既存メディアの背後にいる国民に、直接語りかける術を模索してきたのだ。

雑誌メディアを締め出しているうちは、しょせん「メディアとメディアの争い」である。しかし、インターネット時代に入ってもなおブログ記者を排除し続けるなら、それは国民大衆を敵に回すことを意味するだろう。何より「国民の知る権利」を盾にしてきた報道機関が、その国民から「知る権利」を奪うのは、自己矛盾ではないか。

「記者会見」という既得権を維持するためだけに、一体どれだけの信頼を失うことになるのか、既存メディアの関係者には真剣に考えてもらいたい。

◇癒着の温床

記者クラブが「権力との癒着の温床になっている」という批判は、閉鎖性に対するそれ以上に深刻な課題である。しかし、これについても少し掘り下げて考えると、そう簡単には答えの出ない問題のように思われてくる。

たとえば、捜査機関との関係で言えば、記者クラブはしばしば、よく権力側と対立している。最近では警察の匿名発表に対して、(是非は別として)記者クラブが実名公表を求めて詰め寄る場面が増えているし、何より、重要事件が発生すれば検察や警察にとって、捜査状況を逐一報道しようとする記者クラブは「邪魔者」以外の何者でもない。東京地検特捜部長が「ヤクザより悪い」とマスコミを批判したのも当然である。

捜査幹部への「夜討ち朝駆け」が癒着を生んでいるという指摘もあるだろうが、そこまでいくと記者クラブの問題というよりも日本の取材慣行の問題だ。記者クラブを廃止しても、取材相手と個人的な関係を築こうとする記者は消えないだろう。むしろ記者クラブがない方が、記者と当局者の非公式接触の重要性が増す可能性すらある。

権力との癒着が問題にされるのは、そうした事件取材よりも、政治取材に対しての方が多いのかも知れない。しかし、こちらはさらに厄介な問題を含んでいる。それは政治記者という職種の持つ特異性だ。

彼らの仕事は、事件記者のように「事実」を追及したり、「社会正義」を実現するのが目的ではない。政治家の世界に潜り込み「情報」を入手することを最大の使命とする政治記者にとって、「癒着」批判は耳を傾けるに値しないものだろう。

警察に「刑事警察」と「公安警察」があるとすれば、記者にも「事件記者」と「政治記者」という2つの種族が存在する。真正面から「事実」と「正義」を追い求める刑事が事件記者ならば、政治記者は敵の懐に飛び込んで「情報」を入手する潜入捜査官やスパイのような存在だ。

その職務の性質上、「取材活動」と「癒着」を外見から見分けるのは不可能に近い。永田町には「あの記者は、あの政治家とつながっている」といった類の噂があふれているが、名指しされた記者は決して弁明しない。

(政治家は政局に関しては当事者だが、たとえばイラク情勢については伝聞情報しか知らない。同じように警察幹部は事件捜査の当事者だが、事件そのものの当事者ではない。当事者から「情報」を取る政治取材の手法を、事件取材に応用しようとする最近の傾向が、様々な誤報の原因のような気がする。以上は余談)

森喜朗首相が「神の国」発言の釈明会見を行った際、首相官邸記者クラブのコピー機から、「質問ははぐらかし、予定時間で打ち切るように」などと記された首相あての指南書が見つかる「事件」があった。書いたのはNHKの記者とされ、国民の既存メディアに対する信頼を大きく損ねる結果となった。その波紋は、今だに尾を引いている。

「重大な背信行為」と非難されたこの記者の行為に対しても、しかしながら筆者は善悪の判断を下すことに躊躇する。首相という権力者に取り入ろうとする卑屈な行為ではあるが、スパイが敵の信頼をつなぎとめるためには、あり得る手段だからだ。ただし「証拠」を残すようなドジを踏んだ時点で、この記者は失格だが。

政治取材の世界では、「ダメ記者」と「デキル記者」の違いは紙一重だといわれる。原稿を一本も出さず、記者クラブにも顔を出さない記者が、1級品の特ダネをぶらさげて1カ月ぶりにひょっこり顔を出す。業界で「潜る」と呼ばれる、こうした潜入取材を美学とする政治記者は多い。潜っている期間は、ひたすら特定の政治家と行動をともにし、人脈を広げ、相手の重い口が開くのをじっと待つのである。

外から見れば「癒着」そのものの取材スタイルだが、それによって、もしかしたらヤミに葬られていたかも知れない「インサイド情報」を白日のもとにさらすことが出来るのなら、結果として「国民の知る権利」に寄与しているとは言えないだろうか。

この場合、政治家との交際は「手段」に過ぎない。まれに政治家と深い関係を維持すること自体を「目的」にしてしまう記者がいるが、これは国民を裏切る「二重スパイ」であり、政治記者としては失格だ。記者は辞めて秘書にでもなればいい。

ただし、潜入取材のプロセスで、その記者がスパイのままか、あるいは二重スパイに成り下がっているか、を見抜くのは容易ではない。要は、最後の最後の重要局面で、つかんだ事実を「書くか、書かないか」にかかっているのだろう。書かない記者は失格だし、書けなくなったら記者は辞めるべきだと思う。

◇「メディア批判」を読み分ける能力

このほか、官公庁など「取材を受ける側」が、外部からの問い合わせに対して「記者クラブを通して下さい」と門前払いし、これが雑誌メディアやフリージャーナリストからの記者クラブ批判の遠因になっているケースもあるようだ。日常的に取材を受ける立場の人達は、基本的に取材されることを迷惑だと思っているから、様々な理由を付けて断ろうとするものだ。クラブに属している記者が問い合わせれば、また別の理由を付けてゴネるのだろう。

失言の多い政治家が「勝手に取材を受けたら番記者の皆さんに怒られるから」とか言って逃げるのも同じだ。記者クラブへの責任転嫁を真に受けてしまう雑誌記者は少なくない。

記者クラブ制度には無駄が多く、官公庁の情報公開が進んだことや情報技術の進歩によって、その必要性は明らかに薄れている。だから、わたしは記者クラブは段階的に解消していくべきだと考える。その第一歩として、まずは記者会見を広く開放すべきだと思う。ただし、巷に流布する記者クラブ批判の中には、さまざまな誤解が含まれているのも事実だと思う。

たとえばインターネット上に溢れた記者クラブを問題視するコメントの数々の中に、「取材される立場」の人の声がどれだけ紛れ込んでいるかは事実上、判別不能だ。そうした人々は、日常的にマスコミから取材され、ときには厳しく批判されている立場だから、普段から快く思っていないのは当然のことである。

マスコミに対する日ごろの鬱憤を晴らすには、記者クラブ制度を誇張して「報道の役割を果たしていない」と非難するのが手っ取り早い。メディアリテラシーに目覚めたばかりのネットユーザーは、そうした「市民」の蓑に隠れた当局者のメディア批判を、一般市民からのクレームと見分けるだけの分別を身に付けているだろうか。(

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 ※)この点について、FiresideChatsさんの「記者クラブ制度を考える」は次のように指摘している。
 …「とはいえ、海外メディアに完全に扉が開かれたわけではありません。例えば、2000年に元英国航空のスチュワーデスのルーシー・ブラックマンさんが殺害された事件では、外国メディアには充分な情報は開示されませんでした」
 警察の記者会見が記者クラブの主催で行われている現状では、クラブ非加盟のメディアは会見から排除されてしまう。しかし事件会見の多くは突発的に予定が入ると思われ、非加盟社が会見に出席するために予め加盟申請しておくことは不可能だ。
 会見の主催権を警察に移管するのがベストだが、突発の事件に関する会見に限ってクラブ外メディアの出席(最低でもオブザーバー参加)も認めるぐらいなら明日からでも可能ではないか。もちろん、私は事件会見を含むあらゆる記者会見を発表主体側の主催とし、あらゆるメディアに開放すべき、という考え方だが。
 ただ、この件に関しては、説明を求める外国メディアに対して警察が「取材は記者会見でまとめて受ける」と答え、記者会見に出席しようとしたら今度は記者会が「非加盟社は参加できない」と排除したのだろうと想像される。本来は外国メディア側も団結して、警察に外国メディア向けの説明を別途要求するのが筋だが、記者会の側も突発事件の時ぐらいは融通を利かせるべきだった。「警察側が嫌がるだろう」といった妙な遠慮でもあるのだろうか。

 

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2 コメント

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こんにちは (高田昌幸)
2005-04-17 10:26:07
札幌の高田と申します。トラックバックありがとうございました。山川さんのエントリも大変参考になりました。



私自身は今の記者クラブは大いに疑問ですが、基本的には加入制限を撤廃(もしくは大幅緩和)することが先決だと思います。「職能団体」「圧力団体」としての機能はきちんと残すべきであろうと。それから、おそらくは、コトの本質はクラブそのものではなく、横並びでヨシとする各社幹部の心情にこそあるのではないかと感じています。



これからもどうぞよろしくお願いします。
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ありがとうございます (山川草一郎)
2005-04-19 11:42:58
高田さん、トラックバックとコメントをありがとうございます。記者クラブ問題の本質は「横並びでヨシとする各社幹部の心情」にあるとのご指摘は、頷けますね。もっと言えば「横並びでヨシ」というより「横並びでなければならない」という脅迫観念のようなものさえ感じます。他社の紙面に載っている話が自社にないと真っ青になる感覚。通信社の流した記事を使うのでなく、自前の記者にそっくりにリライトさせる感覚。結果として「どの新聞も似たような内容」と言われてしまう。1人が1紙しか読まない時代は終わります。全社が共同に加盟して、共通ダネは通信社に任せ、オリジナル記事をどんどんネット配信すべき時代かも知れません。そうなれば当然、記者クラブは閑散となり、やがて消滅するでしょう。
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