カトリック山鹿教会

一緒に歩いてくださる方の出会い。
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菊池ー山鹿教会ー馬小屋の展示ークリスマス 2009年

2009年12月06日 | 宗教

菊池ー山鹿教会ー馬小屋の展示ークリスマス 2009年

2009年12月06日 | 宗教

菊池ー山鹿教会ー馬小屋の展示ー 4

2009年12月05日 | 宗教

菊池ー山鹿教会ー馬小屋の展示ー 3

2009年12月05日 | 宗教

菊池ー山鹿教会ー馬小屋の展示ー 2

2009年12月05日 | 宗教

菊池ー山鹿教会 -馬小屋の展示ー 1

2009年12月05日 | Weblog

山鹿教会 - 心の物語 -

2009年10月18日 | Weblog
ツバメ

冬がやってきて、ツバメはアフリカへ渡ったが、羽根が黒い鳥たちと違って自分だけが白いため、だれも一緒にいてくれようとはしなかった。
可哀想なツバメはいつも一人ぼっちで、とても淋しかった。
ある日のこと、大草原を空高く飛んでいたツバメは、たき火の燃え跡を見つけ、とても素晴らしいことを考えついた。
その灰の中を転げまわり始め、見る見るうちにツバメの羽根は黒くなった。
鳥たちは、今やツバメが自分たちと同じような姿になったのを見て、友達として歓迎するようになった。
やがて夏がやってきて、今では黒い羽根となったツバメはイタリアへ帰ったのだが、今度は黒いためにそこではだれも相手にしてくれなかった。
ある日のこと、小川で水浴びをしているとまた体が白にもどっているのに気づいた。それから、再び友達を見つけることができた。
アフリカにもどっても、イタリアに帰ったときと同じようにこの問題はきまってツバメを悩ませた。
アフリカでは灰の中を転げまわり、イタリアでは水浴びしなくてはならないことにうんざりしたツバメは、羽根の背中に黒い色を移植し、腹側は白い羽根のままにしてくれる有名な外科医のところへ行くことを決意した。
それからというもの、アフリカでもイタリアでも鳥たちはみなツバメを歓迎した。ツバメの体は今ではいつも白と黒とのふたつの色であったから。

宮本訳

山鹿教会。。。。。の夢を!!!

2009年10月06日 | Weblog

お盆 2009

2009年08月05日 | 宗教
天国に先立って兄弟たちを思い起こして。いつかお会いできる日に期待しながら!!最後のわかれの歌を歌い、心を励んでいます!!


主の扉を叩くとき!!!   

Quando bussero` alla tua porta 主の扉を叩くとき
avro` fatto tanta strada          私はあちこち歩きめぐってきて 
avro` piedi stanchi e nudi           裸足の足は疲れ果て
avro` mani biache e pure          手には何も持っていないでしょう
o mio Signore.                  おお、我が主よ

Quando bussero` alla tua porta 主の扉を叩くとき
avro` frutti da portare            働きの成果を携えて
avro` ceste di dolore             籠いっぱいの悲しみと
avro` grappoli d'amore            たわわの愛と
o mio Signore.  おお、我が主よ

Quando bussero` alla tua porta 主の扉を叩くとき
avro` amato tanta gente           多くの人々を愛して
avro` amici da ritrovare           再会を喜ぶ友となり
e nemici per cui pregare           敵意ある人のためには祈ります
o mio Signore, o mio Signore. おお、我が主よ!おお、我が主よ!!


山鹿教会 -心の物語ー

2009年07月13日 | Weblog
小さな花

そこは、ろくに草も生えない荒地。灰色の、冷たい岩場。そんな過酷なところに、ある日小さなバラ色の花が生まれた。その花はとても美しく、見る者を魅了せずにはおかないほどだったが、残念なことに、その花のすばらしさを見ることのできる者は誰もいなかった。そこには黒い影たちが住んでいるだけだった。
空は雲におおわれ、青い空を見ることはできなかった。影たちはお互いにささやき合った。
我らの、この暗い地に、どうしてこんなに色鮮やかな花が咲けたのだろう?
ひとりぼっちの小さな花は淋しかった。友だちが欲しくて、周りの影たちのように黒くなりたいと思うほどだった。
空の雲たちは、いつも花を見守っていたが、心配のあまり毎日涙をこぼし、その涙は止まない雨となって、その地に降り注いだ。ある日、雲のひとりが小さな花を助けたいと行動を起こし、旅に出た。旅の途中、出合った人たちに話し続けた。
暗い荒地で小さな美しい花を見つけました。その花を見ると、喜びで満たされ、賛美の歌を歌わずにはいられません。その花を見る人の心は希望にあふれ、夢は限りなく広がって、永遠の幸せへと続きます。しかし、誰もその花を見てあげないなら、小さな花は、ひとりぼっちのまま死んでしまうでしょう。
小さい雲の話をまともに聞こうとする者はいなかった。
 そんな暗いところに花など咲くはずがないではないか!
小さい雲はめげることなく懸命に話し続けたので、その声は太陽や月、星たちのところまで届いた。太陽は、その小さな花のことをもっとよく知りたいと思い、小さい雲を召し出した。雲は申し上げた。
 信じ難いことだとお思いかもしれませんが、本当のことなのです。いつも雲が垂れ込めていて、暗くやせた私共の地に、小さな美しい花が咲きました。でも、その花はひとりぼっちで、淋しくて、死んでしまいそうなのです。
太陽は言った。
 お前の言葉を信じよう。一緒にその花のところへ行こう。
太陽は風を呼び出すと、その力を借りて天空へと上り、小さい雲の案内でその地へ出発した。荒地を覆い隠していた雲たちは、太陽を見て、広々と道を開けた。太陽の光は荒地に照りわたり、灰色の岩場で小さな花は光り輝いた。その小さな花が太陽の光に会うのは初めてのことだった。また、太陽は、それまでこれほどに美しい花を見たことはなかった。月も星たちもはるばるとこの地へやって来た。 
その日から、この地に生まれた小さな花は、もうひとりぼっちではなくなった。たくさんの花々が周りに咲き、一緒に風に揺れている。日中は太陽がやさしく微笑みかけ、夜には月や星たちが小さな花のためにすばらしい夢を贈ったのだった。
(吉川 日本語文再構成)

山鹿教会 -心の物語ー

2009年06月26日 | Weblog
正体を隠したメシア                           

デ メロ神父 原作    牧山 日本語文再構成

ヒマラヤ山脈の荒寥とした山中の岩屋で、ひとりの優れた導師が、その日も静かに目を閉じて、瞑想にふけっていた。ふと目を開いたとき、思いもよらない訪問客が彼の前に座っていた。有名な修道院の院長だった。
導師は尋ねた。「このような所へ何を求めに来られたのか?」
修道院長は、いま彼が大変気掛かりで不安に思っていることを話し始めた。かつて彼の修道院は全西方世界で広く名前が知れ渡っていた。修道院のどの独房も若い志願者であふれ、礼拝堂にはいつも修道士達の歌声が響いていた。だが、残念なことに修道院にとって非常に苛酷な時代が訪れ、いまでは訪ねてくる人もなく、若い志願者も門を叩かなくなっていた。修道院の礼拝堂からは人影が消え、今や修道士の小さな集団が残っているだけだった。彼ら修道士達は今までと同じように黙々と自分の仕事を続けていたが、気分が晴れることはなかった。
いま修道院長が知りたいのは、まさにこのことだった。「どうして私の修道院はこのような状態になってしまったのか?」  
「それは、」と導師は静かに言った。「無知の罪ゆえに。」
「いったい何のことですか?」と修道院長は不安そうに尋ねた。
「あなたの修道院にいる修道士のひとりは、正体を隠したメシアである。あなた方全員がこの事実を知らない。」導師は穏やかな声で、確信をもってはっきりと答えた。そう言った後、再び目を閉じて、瞑想に入った。
修道院へ帰り着くまでの道中、修道院長の心は畏れおののき強く震えていた。
何ということだ! メシアが! 救い主御自身がこの地上に戻っておられるとは! しかも私の修道院におられるとは! いったいどうして今日まで気付くことが出来なかったのか! いったい誰なのだろうか? 食事係の兄弟か? 香部屋係の兄弟か? 会計係の兄弟か? もしかしたら、司祭職の兄弟か? いやいや、司祭ではない。彼には欠点が多すぎる、残念なことに。
しかし、あの岩屋の導師は、メシアは身分を隠しておられるとはっきり言われたではないか。数々の欠点は、正体を隠すための方策かもしれない。つまるところ修道院のどの修道士にもそれぞれ欠点がある。その彼らのなかのひとりがメシアとは!
修道院に戻ると修道院長は皆を集め、この旅で明らかになったことを包み隠さず彼らに告げた。 修道士達は驚き、まじまじとお互いを見つめ合った。
メシアがここに? 信じられない! この人だろうか? あっちのあの人だろうか? それとも別の? はっきりしていることはひとつ。 もしメシアが自分たちのなかで正体を隠しておられるのなら、自分たちには容易く見分けることなど出来るはずがないということ。
それから、修道士たちはお互いに、どの修道士に対しても、丁寧に礼儀正しく尊敬の念をもって接するようになった。兄弟と揉め事を起こしたときには、「もしかすると、この人がメシアかも!」 また、言い争いになった時には、「この人こそメシアかも!」という思いがすぐに心に浮かんだから。
このような日々の結果、修道院の雰囲気は次第に感動的で喜びに満ちたものに変わっていった。 すると、この修道会への入門許可を求め、多くの志願者が門を叩くようになり、修道院の礼拝堂には再び愛徳の精神に満たされた修道士たちの喜びの歌声が響きわたるようになった。

山鹿教会 -労働の実りー AIKO

2009年06月13日 | Weblog

山鹿教会 - 心の物語 ー

2009年05月23日 | Weblog
少年とアイス

アイスを今よりもっと安い値段で食べることのできたころのお話です。10歳の少年がひとりでバールにやって来て、小さなテーブルに座りました。ウェートレスが彼のところに水の入ったコップを運んできました。
「チョコレートパフェはいくらするの?」と少年はたずねました。
「50セントよ。」とウェートレスは答えました。
少年はポケットのお金を取り出して数え始めました。
「えーっと、アイスだけだったらいくらなの?」
ちょうどそのとき他にも待っているお客たちがいたので、ウェートレスは少しいらいらしてきました。
「35セント!」ウェートレスはつっけんどんに答えました。
すると男の子はもう一度お金を数えなおして言いました。
「じゃあ、アイスだけのをちょうだい!」
ウェートレスは彼のところにアイスと勘定書を運んできました。少年はアイスを食べ終わるとレジで勘定を支払い、店を出て行きました。ウェートレスはテーブルを片付けにもどって来て、お皿のすみに自分へのチップが15セント置かれているのを見ると涙が出そうになりました。
少年はウェートレスへのチップを取っておくために、自分が食べたかったチョコレートパフェを注文しなかったのでした。
(宮本 訳)

山鹿教会 - 心の物語 ー 

2009年05月11日 | Weblog
若い女性とビスケット

若い女性がひとり、大空港の待合室で自分が乗る便を待っていた。待ち時間がかなりあったので、時間つぶしに本を読むことにした。本を買うついでにビスケットも一包み買った。
静かな場所で読みたかったので、人の少ない貴賓室の席に座った。彼女が腰をおちつけた席の横の椅子にビスケットが載っており、そのむこうの席で男性が新聞を読んでいた。
彼女がビスケットを食べると、彼も1枚つまんで口にした。彼女は、ずいぶん失礼な人だと内心怒りを覚えたが、黙って本を読み続けた。何か痛烈なひとことを浴びせたいと思ったが、その勇気がなかったのだ。
彼女がビスケットを1枚取るごとに、彼も1枚食べ、それは最後の1枚になるまで続いた。彼女はいじわるく考えていた。 “このあと彼がどうするか、なんと言うか見ものだわ。” 
最後のビスケットを手にとった彼が、黙ってふたつに割ったとき、彼女はとうとう我慢ができなくなった。大きくため息をつくと、立ち上がり、読みかけの本と自分の持ち物をまとめて、その場所を離れた。
気分がすこし落着いてくるにつれ、もう他の人とのことで嫌な思いをしたくなかったので、通路沿いにある椅子に座ることにした。そこで、開いたまま持っていた本を閉じ、バッグにしまおうとしたそのとき、そのバッグの中にまだ開けていないビスケットの包みがあるのに気がついた。それは、ついさきほど男性といっしょに、競うように1枚づつ取って食べた、あのビスケットと同じものだった。そのビスケットの持ち主である彼は、怒らず、心を乱したそぶりも見せず、当然のように彼女と分け合ったのだった。
自分自身の勘違いに気づかないまま、自分はなんと恥ずかしいことをしたのだろう。“私は傷ついた”と一方的に思い込んで、怒りをあらわにした自分。それなのに彼はなんと立派だったことだろう。 彼女は、いまになって気がついたのだった。 
(吉川  文再構成)


天と地の接点は。。。。

2009年05月01日 | Weblog