山寺 恭平 ほのぼのブログ 信州上田

私、山寺 恭平の公式ブログです。アニメ研究活動の事から上田市の歴史、そして趣味活動などをブログにて更新しています

時代を刻む

2023年11月11日 | 恭平は語る「アニメ研究活動」について
皆さん、こんにちは。
山寺 恭平です。(__)
本日、11月11日土曜日の2度目のブログを配信させて頂きます。
昨日の夜、残念なニュースが入って来ました。
そのニュースとは、1992年から2005年まで。
テレビアニメ毎週金曜日にまた、土曜日に放送されている。
テレビ朝日の看板アニメと言っていい。
「ドラえもん」の登場人物の中で野比のび太の父親である。
野比のび助を長年演じてきた。
中庸助さんが、先月20日で。
93歳で亡くなったことを知りました。
大山版「ドラえもん」が終わって今年でもう10年以上が経過しましたが。
大山版に登場してきたキャラクターが年々高齢化に伴って亡くなっていくニュースを聞くと。
私の子供時代に慣れ親しんだキャストの方々の訃報を聞くと本当に残念にすぎません。
中さんが、演じた藤子アニメは、ドラえもん以外にも。
21エモンの主人公である、21エモンの父親も演じていました。
大山版「ドラえもん」の中で、中さんの一番印象に残っている映画は。
語りだせば、いくらでも語ることが出来ますが。
今日は、2作品をご紹介したいと思います。
その作品は、長年ドラえもん作品を観て行く中で。
このスタッフさんがいなかったら。
この短編映画は存在しなかったとも言える人物渡辺歩監督さんです。
渡辺さんが、監督を務めたドラえもんの短編映画で。
一番涙した作品は、「帰ってきたドラえもん」、「ぼくの生まれた日」が今でも私の心の中刻まれいます。
今日ご紹介した作品は、テレビアニメの中でもストーリーがありますが。
その中今日ご紹介したいのは、渡辺監督のドラえもん短編映画の3作品目である。
「ぼくの生まれた」のストーリで。
のび太が、夏休みに。
自分の誕生日を祝って欲しいと。
ママたちに、今日は何の日と聞くものの。
勉強しなさいと言われて、嫌気をさしたのび太自分生い立ちを知るため。
ドラえもんと共に、タイムマシーンに乗って過去に行きます。
過去に向かったのび太とドラえもんは。
自分の生まれた日の日の我が家で過去のパパと遭遇し。
病院へ向かい。
対面を果たします。
そして、対面して。
パパやママが、どれだけのび太を愛しているかを知って現代に戻っていきます。
そして、かつてのび太が生まれた病院があった場所は区画整理の為現代では立て壊されてしまい。
現代では、予定地なってしまいました。
そのことを知ったのび太再びタイムマシーンに乗って自分の生まれた日に戻り病院の外にあった大木の枝を一本おり。
過去の世界で病院近辺の野原に、枝を埋めて。
現代に戻り、のび太そのまま家出を続けて。
心配になった、パパやママがのび太を探しそして見つけて。
昔病院にあったはずの大木を見つけて。
のび太がパパとママに、「ぼく生まれてきてよかった?」と問いかけると。
パパやママは、揃ってよかったよといい。
「のび太、野比のび太」あなた名だよとママが言ったセリフや、パパのセリフあの時。
無性に涙止まらなかったことを思い出します。
ドラえもんの作品で、どの作品も。
数多くの思い出が心の中で残っていますが。
今回の訃報は、非常に残念ではありますが。
私たちに、いっぱい思い出を下さったことを絶対に忘れません。
本当に、中さん長い間本当にお疲れさまでした。
謹んで、お悔やみ申し上げます。
本当に長い間ありがとうございました。
本日の1句です。(__)
「赤子抱き 父母笑う その姿」
以上、山寺 恭平でした。(__)
明日も素敵な1日をお過ごし下さい。
それでは、又明日(__)
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