フランス人観察記録

日本人から見て解ってきたフランス人の考え方、行動についての覚書

ムッシュ・モルガンとの突然のお別れ

2012年07月10日 | パリ9区

今日の午後、訃報が届き、まだ信じられない気持ちですが、

彼のことを、思い出しながら記すことで、少しでも今までの感謝の気持ちを表したいと思います。

 

こんなに早くお別れがこようとは、6月8日にボルドー駅で別れた時は、思いもよりませんでした。

18日に私が帰国した時に来たメールには「無事帰国していると思う。私の体調が悪く、ボルドーでは観光も一緒についていけなくてごめんなさい。

でもボルドー滞在は良かったであろうと信じている。そして私の姪の家族もあなたに会えて本当によかったと思っている。

また私は新しい治療を受けるが、それを三カ月受けたらきっと良くなると思う。

あの後、トゥールーズはどうだった?また連絡を楽しみにしている。」

これが最後のメールでした。

 

私はと言えば、取り急ぎ無事帰国の報告とお礼のメールをし、「また改めてゆっくりメールをするから。」と言ったまま次のメールは果たせませんでした。

27日には写真だけを送ったけれど、見てくれていただろうか。

 

ボルドーから帰った後も仕事をすると言っていて、彼のプロ意識を見た思いがしました。

それくらいパリで会った時もボルドー滞在中も体調が悪かったけれど、モンマルトルのシャンソニエ「ラパン・アジル」でピアノに向かうと違ったようです。

 

優しい人で、いつも帰国後お礼の花束を送ってくれていました。

そして色気のある人でもありました。

初めて来たときは、長年の恋人の話、そしてボルドー滞在中には若かりし頃の写真、当時の恋人の写真も見せてくれました。

今思うと、まるで自分の人生を私に示していたかのようにも思えます。

 

もう今年の九月、彼がうちに来ることはありません。

部屋ではいつも浴衣を着ていました。

朝早く起きてパソコンに向かって、日本語のレッスンの宿題をしていました。

 

でも彼は大切なものを残してくれました。

彼は生涯独身だったけれど、日本には彼のことを家族のように思っている友人がいます。

彼が日本でお世話になった友達は、真っ先にその知らせを私に伝えてくれました。スカイプを通じてレッスンをしていた昨年神戸で会った先生は「まだ月曜になると電話があるような気がする。」と受話器の向こうで泣かれました。

 

彼がいなくなっても私は彼が作ってくれた彼らとの縁を大事にしたいと思います。

 

この日本で今日、少なくとも何人かのあなたの友が訃報に涙し、突然のお別れを悲しんでいます。

 

アデュー、私の親愛なる友、どうか安らかにお眠りください。

http://www.youtube.com/watch?v=In9WKzAFQTY

 



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