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"跡" を 辿って。

七北田駅・山ノ寺駅 跡 | 仙台鉄道

2015-05-20 17:00:00 | 鉄道跡・廃線


仙台鉄道 七北田駅 ( 仙台市泉区市名坂万吉前12 )



仙台鉄道 は 八乙女駅 を出ると、七北田川 を渡り、石留神社 東側から 宮城県警交通機動隊警ら隊旧運転免許センター( 運転免許試験場 ) 跡地 である 仙台市立市名坂小学校( 2004年 4月に七北田小学校 から分離して開校 )の 西側を通って、コーポ七北田 北側の 七北田駅 に到着する。



仙台鉄道の 駅前に必ずある タバコ屋 と同じく必ずあるのが 農協などの大きめの倉庫 だ。ここでは、一ノ蔵酒類販売(株)地酒のリエゾン 敷地内にある倉庫が、それであるように感じる。




七北田 の 村には 1601年 の 仙台開府 以後、宿場町 が置かれた。七北田宿 は、仙台輪中( 城下町 )から北へ下って ひとつ目の宿場町だ。 これら宿場が整備されることにより 奥州のメインストリート は、太白区郡山から 多賀城 へと通じるものでなく、旧国道4号線であるこの通りを指すようになる。


七北田駅 は、この宿場町の外れに設置された。 本陣 はじめ 旧家 の多いメインストリート沿いをもくもくと煙を上げて軽便が堂々通り過ぎる筈はない。駅では、木材などの上げ下ろしが行われたものか、確か近隣に材木問屋があった気がする。 因みに、七北田宿の次の宿場町は、富谷宿 その次は実話を元にした 映画『 殿、利息でござる。』 の舞台・吉岡宿 である。


今でこそ 仙台市営地下鉄南北線 泉中央駅 周辺は、仙台の副都心 であるかのような様相を呈しているが、軽便が通っていた頃は田畑のみしかない 七北田村 の 隣村との境目みたいな場所で、真っ直ぐな道路なんて殆ど無かった。 平地は田畑、少し高まりになっているところは民家で、それらを繋ぐ道はいわゆる 生活道路。くねくね、ご近所とのやりとりの都合や農作業の都合で、曲がりくねっている。 今でも、泉中央 地域の古来からある区画に入ってしまうと、予想もしない場所に連れて行かれ、出て来れなくなるので注意したい(笑)。


さて、泉中央駅 から西北、泉パークタウン街区の境、将監団地10丁目にある中堅進学校・宮城県泉高等学校 だが、昭和の時代、遠くからここに通う生徒は 七北田バス停 を利用した。仙台-古川(大崎市)間を運行する 急行バス も、ここに停車し、たくさんの学生や市民を運んだ。







仙台鉄道 山の寺駅 ( 仙台市泉区大沢2丁目1-4 )



ゆるやかに右カーブする現存道路はまさに 線路 跡、やがて国道 4号線と交わる。その後 蛇行を繰り返す様から暴れ川だったことが窺える 要害川 と幾度か交差して 山の寺 洞雲寺 入口に来ると、そこが 山の寺駅 だ。



ここには古くからバス停があった。「 山の寺向陽台 」、仙台-古川間を結ぶ急行バスも停車する要所的バス停だった。 利用者は決して多くないので何故ここに急行が停車するのか不思議に思っていたが、この駅があった 慣例 によるものだろうと納得がいった。



尚、山の寺 洞雲寺 は、日本三山寺( 滋賀大津の 石山寺、山形の 立石寺 )のひとつ。 1338年(暦応元年)開山、1518年(永正15)鋳造で 県内最古青銅鐘 がある。 1943年(昭和18)仙台鉄道 の排煙から山火事が発生し、寺院は 全焼、鉄筋コンクリートで再建されるも 2011年(平成23)3月11日に発生した 東日本大震災 の 揺れ により建物は 全壊 した。 現在は解体され更地となっており、周囲に点在した 岩谷窟 も 崩落の危険があって近寄れない状態という。



ページトップのストリートビューは、七北田駅を出た線路の、国道 4号線との合流地点。






▪️ 参考資料
〈 当時から利用されていた倉庫の残る七北田駅前 跡 〉
〈 七北田駅~山ノ寺駅 〉


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