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モダニズムだけじゃない建築ブログ

’07関西建築紀行「激闘編」 其の2“引喩”

2007年04月28日 10時19分56秒 | 建築
 毛綱毅曠氏初期の建築「高槻日吉台教会」は高槻市の起伏ある住宅街に建つ。よって、写真のように傾斜地を削り平らにしたそう広くない敷地に計画されたのであるが、内部を見学させていただき、まず気付く点がある。それは、建具などの寸法が一般的なサイズより少々小さめなのだ。礼拝堂へ入る扉からして小さい。この建築の特徴でもある煙突のような螺旋階段も、登るには窮屈だ。小さな貸し出し文庫書庫への階段なので、子供にとっては問題無いかもしれないが。コルビュジエを見てきたから言う訳ではないが、モデュールが小さな建築と言える。
 しかし、それが良いのかもしれない。古いこの建築の金物などは、とても凝ったデザインをしている。小さなサイズの建築に付くそれらを見ていると、古いヨーロッパの建築をみているようだ。外観は外観で真っ白に塗られ、エーゲ海にあるような建物然としている。小さめのモデュールが心地よい建築だ。

 ただ施工精度は、かなり落ちる。竣工年を考えても、ちょっと悪いかなと思う。牧師様の話では、増築も何度かされたそうであるが、コンクリートの地肌や精度が粗い。各所のコーキングもちょっと閉口してしまう。現在の牧師様の2代前の牧師様が神戸大学の教授伝に毛綱氏を紹介してもらい、この建築が出来たそうだが、施工に際して、そんなに厳しい監理はされなかったのかなと思ってしまった。
 
 しかし形状は、その後の毛綱建築に繋がるものを十分に醸し出していて、一目見たら忘れられないインパクトを持っていた。ポストモダン建築の特徴でもある「引喩」に関して、渡辺豊和氏がその著書「文象先生のころ 毛綱モンちゃんのころ」で、この建築を蒸気機関車に喩えていた。自分も訪れるまでは、そうかなと思っていたのだが、実際に見た印象では機関車ではなく舟であった。「ああ、これは方舟かもしれない。」と。2つの大きな壁は、機関車の前部のようでもあるが、これは“箱”なのだと感じた。

 もう30年以上も大切に使われてきたこの教会を、今後も末永く使ってほしいと願う。内部の天井ボードに出来た大きなシミなどを見るとハラハラしてくるのは、ポストモダンファンの性か。

「高槻日吉台教会」
設計者:毛綱毅曠 竣工:1970年 高槻市日吉台2番町3-16 


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
見たい毛綱毅曠 (penkou)
2007-04-28 22:55:11
原広司の後は毛綱毅曠ですか。引喩という見方がユニークで見事ですね。僕は毛綱毅曠を見ていないのです。今度の北海道、故あってどうしても反住器を見せてもらいたいのですけど・・・
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分かりました。 (moro)
2007-04-28 23:30:25
何とか、毛綱氏のお母様にアポイントメントを取れれば良いのですが。しばしお待ち下さいませ。場所は分かっております。
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高槻市は・・・ (わこ)
2007-04-30 23:57:38
こんばんは。
実は彼が名古屋出身で小学生時代は高槻に住んでいたと
言ったことがあり、高槻市というとピンと来るものが
なく、元高槻市長であった江村氏と電車の終点ぐらい
しかイメージがありませんでした。
高槻市にこじんまりして立派な建築教会があるのは
知らず、いい勉強になりました。
高槻の小さな教会はちょうど私が生まれた年ですが、
彼に毛綱氏の教会があることを覚えていた記憶あるか
聞いてみますね。たぶんないかも?(汗)
高槻市に住んでいた頃は大阪万博にいつも通っていて、
スタンプ集めししたときのノートを見せてくれたことが
あり、40年も前に経験した彼の記録に驚嘆しました。
恐れながらド素人である故、毛綱氏を知らずmoroさんの情報で初めて知りました。
毛綱氏は宗教的な建築にはまっているようですが、
何か宗教的な信仰はしているのでしょうか?
キリスト教と言うより原始的な宗教イメージ印象を
受けました。
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高槻市 (moro)
2007-05-01 08:01:41
私は今回初めて高槻市を訪れました。この教会は道の複雑な住宅街にあります。しかもちょっとした丘陵地でしたのでますます複雑でした。
毛綱氏はポストモダン期には「宇宙」を常に考えてらっしゃったのでしょうね。それと「女体」ですかね。
今も生きてらっしゃったら、どのような変遷を辿ったのか見てみたかったですね。
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