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モダニズムだけじゃない建築ブログ

’09天・地・人 新潟建築探訪Part2 その11「憧れのイタリア軒」

2009年01月31日 22時43分29秒 | 建築
 現在はどうなのだろう。自分が新潟に居た時分には、「イタリア軒」と言えばステータスを感じるホテルであった。実際に入ったのは卒業式後の謝恩会の1回きりである。その別館の数奇屋建築「割烹蛍」も当然敷居が高い。ホテルの別館であるから、元旦から営業していて、ランチでもと思い玄関先のメニューを見たのだが、入るのを躊躇ってしまった。
 最近、江戸時代のものから現代のものまで、数奇屋建築を見る機会に恵まれている。この建築も、ちょと無理してでも見ておけば良かったか。

「ホテルイタリア軒別館・割烹蛍」
設計者:? 竣工:?年 新潟市中央区西堀通8-1577

’09天・地・人 新潟建築探訪Part2 その10「新潟の赤門」

2009年01月29日 21時29分36秒 | 建築
 「設計者は辰野金吾である。」というのは真っ赤な嘘である。新潟大学は医学部だけ旭町にあるので、この門を見たのは大学病院に友人が入院して以来だった。当時は気に留めていなかったのだが、現在は国の登録有形文化財となったこともあり、注目し撮影した。赤レンガと石のコントラストがまるで辰野式のようだ。

 現在の形はオリジナルとは若干であるが違う。門柱が更に外側に1本ずつ有ったのを写真で確認できる。その写真が門前のプレートに載せてあった。

 煉瓦積みの塀も含めての登録である。少々歪んできているので補修も必要になってくるだろう。

「新潟大学医学部赤門」
設計者:? 竣工:1914年 新潟市旭町通一番町757
国登録有形文化財

「いざ鎌倉!腰越強行突破」’08鎌倉・東京建築紀行 その19“あちこちで”

2009年01月28日 23時30分17秒 | 建築
 「旭川合同庁舎」、表参道の「日本看護協会」、「志賀高原ロマン美術館」、この「国立新美術館」にもガラスのコーンが用いられている。あんまりあちこちで使われているので少々使い過ぎかなとも思う。
 館内は大きく、これまで見た国内の美術館の中では最大級ではないかと思う。ミュージアムショップやレストランも充実している。

 この日、国立新美術館と「サントリー美術館」では、ピカソ展を開催していた。同じ東京都内で、しかもすぐ近くの美術館で似た企画を立てることに少々驚いたのだが、なんとこの春も国立新美術館と「国立西洋美術館」で「ルーブル美術館展」を企画している。展示内容としてはレンブラント、フェルメール、ルーベンスを展示する国立西洋美術館の方に魅力を感じてしまう。

「国立新美術館」
設計者:黒川紀章 竣工:2006年 東京都港区六本木7丁目22-2

’09天・地・人 新潟建築探訪Part2 その9「羨ましい」

2009年01月27日 23時05分36秒 | 建築
 札幌ドームと同様、2002年FIFAワールドカップの会場となった新潟スタジアムは、J1アルビレックス新潟のホームグランドである。当所は3万人収容という規模だったのが、ワールドカップで使用する為、4万人規模に設計変更された。勿論1月3日にサッカーの試合は開催されていなかったので入場は叶わなかったのだが、近くまで寄ってみるとさすがに大きい。

 J1へ上がったのはコンサドーレの方が先であったのだが、上がっては落ちの繰り返し。そこへ行くとアルビレックスはしっかりと定着していて羨ましい。ジュビロも落ちなかったし・・・。さて、今年は再びベルマーレとの激突である。

「新潟スタジアム・ビッグスワン」
設計者:日建設計 竣工:2001年 新潟市中央区清五郎68

「いざ鎌倉!腰越強行突破」’08鎌倉・東京建築紀行 その18“滑り込みアウト”

2009年01月26日 19時57分13秒 | DOCOMOMO
 閉館時間まであと僅か。焦る気持ちを抑えつつ「原美術館」へ向かったのだが・・・。結果は、「アウトー!」であった。トップの写真では既に見学を終えたお客さん達が館を後にしている。今回はエントランスやショップ、外部だけ見て終わりであった。
 以前ザハ・ハディドがインスタレーションを行った際も行きそびれた。なかなか見学の機会に恵まれない。

 縁が無いと言えば、ザハ・ハディドとも縁が無い。わざわざ名古屋まで講演会を聴きに行ったら来日取り止め。札幌にあった実質デビュー作は既に無く、代々木の移動美術館も行くことが出来なかった。

 縁の無い建築も、無理やりにでも見る!今年も頑張りたいと思う。

「原美術館/旧原邸」
設計者:渡辺仁 竣工:1938年 東京都品川区北品川4-7-25
DOCOMOMO JAPAN選定建築(当ブログ31件目)

「いざ鎌倉!腰越強行突破」’08鎌倉・東京建築紀行 番外編2“その涙は何だ!”

2009年01月25日 22時47分53秒 | Book
 住宅建築1989年12月号は、アトリエCOSMOS近作7題とタイトルの付いた号で、自分が高く高く舞い上がりpenkou師匠を驚かせた森次晃嗣さんのカフェ兼ライブハウス兼住宅「JOLI CHAPEAU」も紹介されている。

カフェ兼ライブハウス内に配されたこの建築の核となる8本の柱は、何と木の電柱であった。そのようなことも書かれている。あの空間での出来事が現実のものであったのか、まだ信じられないでいるのだが・・・。
 
 ところでこの雑誌に芝浦工大の畑先生の著書「エーゲ海・キクラデスの光と影」の広告が掲載されていた。

 さてこの雑誌が発売された当時、自分はまだ新潟大にいて芝浦工大生ではなかった。翌年、芝浦工大に入り、畑先生の授業でギリシアでの研究活動の話を伺い、次にギリシアで調査をされる際には自分も参加したいなあと思っていた。ところが畑先生は研究の対象をタイの山岳民族アカ族に変更されてギリシア調査は無くなってしまった。結局畑研究室も希望せず、別の教授に御指導していただいたのだが、今ならタイの山岳民族の方が興味が湧く。勿体無いことをした。

「いざ鎌倉!腰越強行突破」’08鎌倉・東京建築紀行 その17“量塊”

2009年01月24日 19時39分35秒 | 建築
 もはや「コンクリート打放し」は安藤建築の代名詞ではなく、「手法の1つ」という位置付けとなっている。安藤忠雄氏は鋼板、ガラス、木材など、これまでも様々な素材を用いてこられた。「21_21 DESIGN SIGHT」では鋼板が主役。「hhstyle.com/casa」もこの建築と同じく鋼板を用いている。フォートワース美術館などはガラスの建築だ。一部にはコンクリートの打放しを用いている建築は多いのだが。
 しかしながら、よく言われることであるが安藤建築らしさが失われないというのが凄い。どの建築からも“量塊感”を感じる。

 当日は新日曜美術館アートシーンでも詳しく放送されていた吉岡徳仁氏「Second Nature展」開催中であった。建築と展示企画もよく合っていると思う。

「21_21 DESIGN SIGHT」
設計者:安藤忠雄 竣工:2007年 東京都港区赤坂9-7-6

’09天・地・人 新潟建築探訪Part2 その8「きっかけ」

2009年01月22日 19時29分46秒 | 建築
 ゼネコンの浅沼組で現場所長をしている義弟が、まだ若かった頃担当した建築が、この「新潟勤労者総合福祉センター/新潟テルサ」である。自分が建築の仕事として現場監督を選んだのは、義弟の影響が大きかった。学生時代に現場見学させてもらい、義弟が職人さん達に指示をする姿がとても格好良く見えた。「これは男の仕事だ!」と感動したのである。いざ、なってみたら大変だった。大変ではない仕事などないとも思うが。
 義弟が主任時代に担当した建築だったと記憶している。当時も今も新潟市内の鳥屋野潟辺りは敷地にとても余裕がある。近くに大きな野球場を建設中であった。
 
「新潟勤労者総合福祉センター/新潟テルサ」
設計者:森京介 竣工:1994年 新潟県新潟市中央区鐘木185番地18

お蔵出し決定版 その26(2007年 1月 バチカン)

2009年01月21日 23時41分07秒 | Art
 ルーヴル美術館やエルミタージュ美術館にも作品が収蔵されている、アントニオ・カノーヴァの「ペルセウスとメドゥーサの首」は、バチカン美術館にて見ることが出来る。ミケランジェロやベルニーニとはまた違った、過度な作り込みの無い極自然な表現が良い。

 建築探訪と同様に彫刻を見て歩くのも好きだ。札幌や旭川など、北海道は彫刻を街中に沢山設置する都市も多い。今年も沢山見なければ。

「ペルセウスとメドゥーサの首」
作者:アントニオ・カノーヴァ 完成:1801年 バチカン美術館 

’09天・地・人 新潟建築探訪Part2 その7「新発田でも引用」

2009年01月20日 19時33分03秒 | 建築
 昨秋も訪れた「新発田藩足軽長屋」も正月にはうっすらと雪化粧をしていた。

この足軽長屋もモチーフの一つになっているのではないかという建築が「新発田市立図書館」である。前回訪れた際には、何と内井建築と知らずにたった1枚写真を撮っただけであった。そして今回は、例によって正月なので入館出来なかった。モチーフと言っても勿論外部の形態のことで、内部まで長屋ではないだろうが、とにかく入ってみないことには分からない。

 そんなわけで、昨秋この建築を知らずに通り過ぎてしまったことを後悔しているのだが、今回も帰札して又々判明した。今度は我が母校、新潟大学の「総合研究棟」が内井昭蔵建築設計事務所の仕事であると分かった。それも内井氏がお亡くなりになられた年の竣工であるから、遺作かそれに近いであろう。こちらは1枚の写真も無い。「懐かしいなあ。」などと思いながら、ぷらぷら五十嵐キャンパス内を歩いただけである。
 まだまだ甘い自分の建築探訪術に、不甲斐無い思いを募らせている次第だ。

「新発田市立図書館」
設計者:内井昭蔵 竣工:1983年 新潟県新発田市中央町4-11-27

お蔵出し決定版 その25(2008年 1月 スペイン・バルセロナ)

2009年01月19日 23時50分23秒 | 建築
 バルセロナ市内のあちこちでジョアン・ミロの作品を見ることが出来る。更に「ミロ美術館」もあって、本当に沢山のミロのアートを堪能できた。バルセロナ現代美術館同様こちらも白い建築であるが、設計者ホセ・ルイ・セルトは本当にコルビュジエのスタッフだった。
 正面から見ると特徴的な、牡牛の角のような形状が、ちょっと見ると「バウハウスアーカイブ」にも似ている。ミロの作品は外部にも展示してあり、全部を見ると結構歩く。屋上にも展示されていたが、街の景色も眺められて良かった。

「ミロ美術館」
設計者:ホセ・ルイ・ セルト 竣工:1975年 バルセロナ市内

お蔵出し決定版 その24(2008年 1月 スペイン・バルセロナ)

2009年01月18日 18時48分07秒 | 建築
 国内だけではなく、せっかく海外まで行って内部に入れないこともよくある。美術館、博物館は全世界的に月曜日を休館にすることが多い。1週間なりの渡航期間中どうしても1日は月曜日に当たってしまうわけで、入館を諦めなければならないことになる。そんなわけでリチャード・マイヤーの「バルセロナ現代美術館」内に入ることが出来なかった。

 現代のコルビュジエ建築継承者、白く四角い建築を設計するリチャード・マイヤーのこの美術館の見せ場の一つに、ガラスのカーテンウォール内に見えるスロープが挙げられるが、残念ながら入って歩くことは叶わなかった。展示スペースの配置、動線も気になるところだ。外部から見える展示スペースも少しだがあった。また訪れる機会はあるだろうか。

「バルセロナ現代美術館」
設計者:リチャード・マイヤー 竣工:1995年 バルセロナ市内

お蔵出し決定版 その23(2007年 9月 北九州市)

2009年01月17日 21時36分43秒 | 建築
 昨年末テレビ「美の巨人たち」で辰野金吾の回を見た。北九州市にある「西日本工業倶楽部/旧松本邸」を紹介するものだった。一昨年、「九州工業大学記念講堂」を訪ねた際、タクシーの運転手さんにこの建築を教えていただいた。本当ならば公開日にしか入場出来ないのだが、地元の運転手さんは慣れたように内部に車を乗り入れてしまった。よってこのように撮影できたわけである。

 前の記事の「鎌倉文学館」と同じ、ハーフティンバーの特徴的な建築だ。美の巨人たちで内部を細かく紹介していたが、辰野建築には珍しいアールヌーヴォーでデザインされたものである。これまで見てきた辰野建築からは想像し難い華麗な建築であった。

「西日本工業倶楽部/旧松本邸」
設計者:辰野金吾 竣工:1911年 北九州市戸畑区一枝1丁目4-33
国指定重要文化財

「いざ鎌倉!腰越強行突破」’08鎌倉・東京建築紀行 その16“いやみなまでの”

2009年01月16日 21時08分55秒 | 建築
 手入れの行き届いた庭の向こうには、きらきらと光る水面にクルーズ中のヨット。完璧な借景だ。これが小樽だとヨットではなく漁船か貨物船が行き交うところだろう。“加賀百万石”前田家の別邸であった「鎌倉文学館」はこれまた手入れの行き届いた洋館で、文学に関する博物館として訪問者を迎えてくれる。
 切妻瓦屋根と湿式の外壁というスパニッシュコロニアル様式、コントラストのはっきりした構造体の見えるハーフティンバーが特徴的な建築だ。庭面の多角形部分2階に設けられたバルコニーも見せ場だろう。他にもバルコニーが設けられており、いずれも眺めが良さそうだ。部屋内から眺める庭も最高である。

 本当は小樽にもヨットハーバーが有るし、素晴しい建築も沢山ある。文学にも縁のある土地なのだが、鎌倉は川端康成「山の音」、片や小樽は小林多喜二「蟹工船」。どうにも垢抜けない。この鎌倉文学館の厭味なまでに完璧なロケーションには、いやはや降参である。

「鎌倉文学館/旧前田侯爵家鎌倉別邸」
設計者:渡辺栄治 竣工:1936年 鎌倉市長谷1丁目5―3
国登録有形文化財

’09天・地・人 新潟建築探訪Part2 その6「開いてました」

2009年01月15日 18時12分28秒 | 建築
 この新発田藩の下屋敷「清水園」は、年末は休館であったが元日より営業されていた。よってしっかりと内部見学することが出来た。書院の襖も開いている。嬉しそうに書いているが、本当に嬉しかった。素晴しきかな「北方文化博物館」!

 この庭園には大きな池が在り、その周りを囲むようにトップ写真の書院や、いくつかの茶室が配されている。庭園は遠州流の茶人で幕府庭方であった縣宗知が作った。当日は沢山の鴨がのんびりと泳いでいた。
 この書院も、いくつかの茶室も、隣接する足軽長屋もうっすらと雪が残っていて良い雰囲気であった。

「清水園/旧新発田藩下屋敷庭園・書院」
建築者:? 竣工:1693年 新発田市大栄町7-9-32