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世界の覚書

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チベット問題:宗教の自由と政治の自由

2008年04月07日 | 政治
ON THE ROAD : Aoyama 's Daily Essay:緊急の、緊急の、大切なこと

青山さんの経由と紹介で天台宗別格本山圓教寺の執事長・大樹玄承氏がチベット問題に関して仏教者としてテレビでメッセージを発した。関西テレビなので、関東では見られない番組だが、テキストは既に起こされており、読める(「ぼやきくっくり:「ぶったま!」チベット問題 天台宗僧侶の勇気ある発言」より)
 今、私たち日本の仏教者の真価が問われています。チベットでの中国の武力行動によって、宗教の自由が失われることに心から悲しみと、止むに止まれぬ抗議を表明せずにはいられません。私たちはあくまでも宗教者、仏教者として、僧侶をはじめとするチベット人の苦しみを、もはや黙って見過ごすことができません。チベット仏教の宗教的伝統を、チベット人の自由な意思で守るということが、大切な基本です。
 皆さんは、日本の全国のお坊さんがどうしているのかとお思いでしょう。日本の各宗派、教団は日中国交回復のあと、中国各地でご縁のある寺院の復興に力を注いできました。私も中国の寺院の復興に携わりました。しかし、中国の寺院との交流は全て北京を通さずにはできません。ほとんど自由はなかった。これからもそうだと、全国のほとんどの僧侶は知っています。そして、日本の仏教教団がダライ・ラマ法王と交流することを、北京は不快に思うこともよく知られています。あくまでも、宗教の自由の問題こそ重大であると、私は考えています。
 しかし、チベットの事件以来、3週間以上が過ぎてなお、日本の仏教界に目立った行動は見られません。中国仏教界が大切な友人であるなら、どうして何も言わない、しないで良いのでしょうか。ダライ・ラマ法王を中心に仏教国としての歴史を重ねてきたチベットが、今、なくなろうとしています。私たちは宗教者、仏教者として、草の根から声を挙げていかなければなりません。しかし、私の所属する宗派が、中国の仏教界関係者から抗議を受けて、私はお叱りを受ける可能性が高いでしょう。
 このように申し上げるのは、私たちと行動を共にしましょうということではないのです。それぞれのご住職、檀信徒の皆さんが、これをきっかけに自ら考えていただきたいのです。オリンピックにあわせて、中国の交流のある寺院に参拝予定の僧侶もいらっしゃるでしょう。この情勢の中、中国でどんなお話をされるのでしょう。もしも宗教者として毅然とした態度で臨めないならば、私たちはこれから、信者さん、檀家さんにどのようなことを説いていけるのでしょうか。
 私たちにとってこれが宗教者、仏教者であるための最後の機会かもしれません。

書写山 圓教寺 執事長 大樹 玄承 
平成20年4月5日
あくまで宗教者として、仏教者としての生き方、良心の問題なので、例えば「生存権(生きる自由)」には言及していない(Don't kill Tibetan people.等)。そこまで踏み込まないのが非常に抑制的であり、それほど政治的でないなわけだが、そういう問題は他の立場の人が言えばいい事。ここで重要なのは、こういうメッセージを日本の宗教界が発する事。ブログ等で見る限り、これが唯一らしい。そう、「良心は、嘘をついてはいけない」。

チベットに関して言えるのは、「Don't kill Tibetan people」と、邪悪な植民地支配をしてきた中国共産党政府が撤退し、民族自決権が回復されることだ。チベットの伝統政権は祭政一致であり、ダライラマは亡命政権の元首である。宗教の自由と政治の自由は、ここでは不可分であり、その事を一番よく分かっているのは、まさに中共に他ならない。

ただし、ダライラマの主張は高度な自治であり、その意味では宗教の自由と政治の自由を分離する考え方なのだろう。

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