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言葉の仕組みを暴きだす。ふるい言葉を葬り去り、あたらしい言葉を発見し、構成する。生涯の願いだ。

「正しい言葉」って? …4

2005-11-11 10:54:48 | 思想・哲学
'70年代の日本文化にも、ひとこと触れるときです。

こんな場合、気をつけないといけない点がありますね。何故って……。
おれの主張はですね。
 '50~'60年代を通して、日本文化に「トラウマ」が形成されてきたんじゃ?
 その「トラウマ」は、個人を「客観」が抹殺しようとする暴力性に由来した。

 '70年代?????????????

 '80年代に、その反動が顕著になった。
 反動は、「客観」にたいして「主観」を強調することだった。

 この傾向は、'90年代~'00年代の「セカイ系」へとダイレクトに繋がってきた。
まあ、こんな風にスケッチできます。

ですからハテナ・マークつきの'70年代を考えるとき、自分のシナリオ通りに考えてしまう危険があります。「客観」から「主観」へ、気持ちいいと感じる心理的な重点が変わっていく過渡期だった、と。ジグゾーパズルと同じ。そのゲームのピース一個ずつは、あらかじめ型がくり抜かれています。全体の絵柄だってメーカーがきっちり決めているわけ。いわゆる「自縛」っちゅうやつですわ。

でもやっぱり「力石徹」の告別式('70年3月24日)には、心理的な重点の移動を感じてしまいます。いまの「コミケ」と比べればよくわかります。「コミケ」でも、有名アニメやマンガのキャラが踊っているんですが。とはいえ、キャラそのものじゃない。そんなことをする同人誌やフィギュアがあれば盗作そのもの。「コミケ」で売られる同人誌や物体は、有名キャラを使ったパロディーなんですね。アニメAとアニメBのキャラをベッド上で絡ませるとか、セックス方向に走ったパロが多いかな? ここに拘束された方向性を感じなくもないですが。しかし、作家・出版社が描いた劇画の世界に従属したハマリ方じゃないです。

『あしたのジョー』のファンは悲しかったんだと思います。宿敵のライバル、「力石徹」があっての主人公ジョーだったのだと。「力石徹」を失ったことは、ジョー自身が生きる目的を失ってしまったことに等しい。そしてジョーの孤独な姿は、おれたちの終焉と同じだ。おれたちは「敵」を見失い、「味方」も見失い、あげく自分の「生」まで見失って、闇の中にひとりぼっちになってしまったんだからと。
彼らの多くは、「明日」からのジョーに自分を重ねて涙したことでしょう。永久に失われた「力石徹」に、青春の喪失を象徴させていたかも知れません。「失われた熱狂」の追悼式として、「力石徹」の告別式は盛大に執り行われる必要があったのではないでしょうか。

ところが彼らは囲い込まれた「羊」にすぎなかった。劇画のストーリーに没入した「羊」にすぎなかった。青春の思い出といえば、人それぞれ、いろいろあったはずです。なのに、作者と出版社に仕かけられた劇画のストーリー枠から一歩も外に出なかった。ストーリー枠を共有するほうが「楽しい」という、状況の圧力・強制があったでしょう。「力石徹」の死に涙すれば友だちやカノジョと話ができる、群れていられる。再び「仲間」を感じられる、というわけです。そのほうがカッコよかったかも知れません。「力石徹」の死に立ち会おうとした彼らは、皮肉にも「大きな物語」の支配に楽天的だった。劇画のストーリーは、失われたはずの青春物語を再生し仮想させるピンチヒッターだったのです。もちろん彼ら自身、虚構としての熱狂を拡大再生産したことでしょう。

劇画という外の物語に大きな支配力を与え、認め、没入する。この精神構造は、「客観」に身を売りわたす方法に習熟してきた者の末路を映し出してはいませんか? そういえば、いまだに解決のつかない大学入試の熾烈さは、自分の外にある「正しい」知識・論理・ルール=「客観」の習得にあるのでは? 一部の天才を除いて、個人をどれだけ形而上学的に組織できるか、そこに入試の熾烈さが存在しているのではないですか? '50~'60年代を生きた彼らは、生れ落ちたところが「大きな物語」だったとさえいえます。

その後、彼らの多くは企業に就職していったはずです。「力石徹」の告別式でイニシエーションを体験した者たちは、利益追求という企業の基本的な物語枠にスッポリ溶け込めたでしょう。精神的な基本構造は変える必要がなかったからです。いまだったら、彼らは何才になるのかな? '70年に20才なら、54~55才? そろそろ定年まじかの人たちです。筑紫哲也氏、糸井重里氏を代表とする団塊の世代。彼らこそが、いまの新自由主義的な日本の土台をつくりあげてきました。

「我々はあしたのジョーである」という言葉を残して、赤軍派の学生たちは飛び立っていきました(同年4月)。日本の「大きな物語」、身をすり寄せてきた「客観」セカイからの飛行。どこへ? まだ「力石徹」が生存してるかのように思えた北朝鮮に。彼ら赤軍派の学生たちなりに、敗北しつつあった自分たちの世界観を救おうと努力しました。失われていく幻想を錯覚で救おうとしたにせよ。

筑紫哲也氏、糸井重里氏を代表とする団塊の世代は、自分たちと彼らとは思想も心情も違うというでしょう。しかし、同じです。どこまでも彼らは「囲われた羊」でしかなかった点で。どれか既存の物語枠に基本的な疑いを持たず、いつもそこに身をすり寄せて生きてきた点で。
三島由紀夫の割腹自殺も、このセンから理解できそうです。彼の作品には、すみずみまで破綻のない物語枠を意識した、パラノイア的なものが多いように思われます。そこが箱庭的に面白いと受容され、また窮屈すぎるとも批評されたんじゃないかな? 自衛隊へのクーデター呼びかけは、辞世の句、死を覚悟して残した言葉だったんじゃないですか? 自分が理想とした日本物語枠の破産にたいする。

こうして彼らの精神構造は、日本の文化に巣くう大きな「トラウマ」を継承し、温存してきました。「トラウマ」は、しぶとく底流に生きながらえてきたんです。日本の文化には、やっぱり重たい傷跡だったんですね。もしかしたら、戦前・戦中・戦後も考察の対象になるかもですが、ここでは視野を広げません。

この憂鬱は、しかし来るべき'80年代に向けて着々と崩壊していった。沖縄返還協定('71)、自由主義世界と中国との接近('71)、ベトナム戦争終結('73)などは、55年体制(冷戦構造)の雪解けと世界平和を指さしているかのように見えたでしょう。ウーマン・リブの台頭('70)や映画産業の斜影化('71)、「コインロッカー・ベイビー」事件('72)、ロッキード事件発覚('76)などは、既存の権力構造=因習の崩壊を強く印象づけたでしょう。インスタント麺の発売('71)やジャンク・フード店の進出('72)は、日本の長い食生活を徐々に変えていったはずです。'73年、ベストセラーになった『日本沈没』(小松左京)は、その時代に生きてきた日本人の状況を語ってあまりあると思われます。根源的な地殻変動の到来を、だれもが期待し予感していたのでしょう。
「きつねうどんから おあげとったら何になると思う?」「ただの素うどん」――セオリーを捨てたような日進食品のCM('77)を楽しんだ日本人は、集団リンチ事件('72)まで引き起こした'60年代型の「大きな物語」人間=「客観」追求型人間から、すでに遠く離れていました。

「力石徹」の告別式('70)にイニシエーションを受けた人々は、事件や流行を強く感受しながら、「客観」人間を要請した文化状況からの脱出を目論んできたでしょう。それは成功しました。団地にまつわる「ピアノ殺人事件」や「ペット殺人事件」は、この成功を裏付けるエピソードです。そこではもう、集団生活における何らかの倫理規範(大きな物語、客観性)は霧散していたのですから。「客観」から「主観」への気持ちよさのシフト。'80年代「大量消費」社会の到来は、こうして怒涛のように準備されていきました。そしてこの道は、日本文化にしぶとく巣くっていた「トラウマ」を払拭するために、必要なコースだったと思うのです。

たとえばいま、宮台真司氏が方向転換を試み、北田暁大氏が2chに代表される現代思潮と格闘し、内田樹氏の言説が流行し、浅田彰氏×田中康夫氏の『憂国呆談』が読者の根強い支持を得ているのは、身をすり寄せるべき「大きな物語」「客観」を求めた'50~'60年代風の素振りの中ではありえません。といって、「主観」の戯れに身をまかせた'80年代の認識方法とも違っています。'00年代(21世紀)に至り、新しい日本文化が台頭しはじめているとは考えられませんか? 「客観」にも「主観」にも気持ちよさを求めない(求められない)、まったくモードの異なるモチベーションを孕んだ文化が。'70~'80年代の言説・文化を'60年代までのモダン文化・社会に対抗したポストモダンと呼ぶなら、ポスト・ポストモダンの文化と社会が始まろうとしていると考えられるのではないでしょうか。 《続》



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   leftyさんち;正しい言葉?
   ユリアさんち;『正しい言葉?』および『「正しい言葉」って?』へのコメントです。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ひょぉぉ (choko)
2005-11-13 14:32:27
わどさん こんにちは

最近もう、こちらのブログから目が離せないですヨ。

こんなにダイナミックな俯瞰、初めて味わいましたw

もー、圧倒されてます。



ただ、始めは「日本人のトラウマ」と

起点の記事がどう関係あるのか

わからなかったんですが、

昨今の「(正解はコレ的な)日本語ブーム」の

考察へと繋がっていくのかなぁ なんて憶測しております。

どうでしょか…
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タハハハッ (わど)
2005-11-19 19:08:55
美人軍団(若いほう)が読んでるとあっちゃ、

びびってしまいそうだよ。

「嘘つくな!」「誠意をもて!」「イイ加減は許さない!」

などと考えだして、金縛りになりそうだ(汗)。



>…へと繋がっていくのかなぁ なんて憶測



どこへ行くかは、わかってない(大汗)。
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