樹々のささやき

自然とのふれあい、人との出逢い、身近なことに目をむけて、感動、感謝をこめて!

百三十三観音霊場お砂踏み法要

2012-11-20 | 日々の想い

11月18日、観音様のご縁日の法要。

西国・新西国・東国・秩父の観音さまが建立、お祀りしてある霊場のお砂踏みの法要に今年も参加した。

紅葉がきれいな山々を眺めながら、観世音菩薩像の前で合掌し、心静かなひとときを過ごすことが出来た。

比叡の山々に読経が流れ、小雨も遠慮したのかお参りしている間は降って来なかった。

お参りを済ませて、足早に主人の待つお墓に向かった。 もう2年が過ぎた……。

墓石を拭き清め、花を供えて、持ってきたお供物をおいて、しばしの会話。 一方通行の……。

お参りを済ませ、坂道を下りる。 管理棟で「おふるまい」の昼食をいただく。暖かい粕汁とちらし寿司におみかんまでいただき、ゆっくりと、みんなとおしゃべりする。

お砂踏み法要に先立って、本堂で奉納者各家祈願法要、導師は比叡山延暦寺の「小林隆彰大僧正」。

講話は延暦寺大霊園園長の「今出川行雲大僧正」が、とても判りやすく、法話ではなく講話として宗教について話された。

日本の宗教は「悟りの宗教」であり、外国の宗教は「救いの宗教」だと話され、三毒(三種の煩悩)貪欲・瞋恚・愚痴。 四語無性心、「慈悲喜捨」。 五戒、不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不飲酒との講話をされた。

ありがたく、拝聴しました。 有意義な一日となりました。

 


黄色に色づく秋の日に

2012-11-17 | 日々の想い

近くにある緑陰道路のいちょうの木も黄色に色づき、はらはらと葉を散らし始めた。

この季節になると、思い出す人がいる。 21年も前になる……。 

もっとも、敬愛していた脚本家の「依田義賢先生」がはらはらと舞い散るいちょう並木の道を逝ってしまわれた。

まるで、映画のワンシーンを見るようだった。 日本映画界の名作の数多くの脚本を書かれた先生だった。

晩年の5年余り、先生の指導を受け、毎回講義のある日は心を弾ませて、教室に通ったものだった。

教室で学ぶものだけでなく、時には祇園・木屋町・先斗町と若い人を連れて繰り出すことも……。

そんなお誘いのお膳立てを任されるのは、私だった。 先生の意を察して……。

いろんな思い出をいっぱい私たちに残して、黄泉の国に旅立たれた。

先生、今年もいちょうは黄色に染まり、はらはらと葉を散らし始めましたよ。


万里の長城

2012-11-06 | 海外旅行

テレビで『万里の長城』で遭難したとのニュースが大々的に報道されていた。

えっ! 報道によると、大雪と強風のために歩行困難になったのが原因か? 何度も『万里の長城』を訪れていると、秘境と言われるところに、行ってみたい気持ちになることは否めない。 それだけ、魅力ある場所なのだ。

私が初めて訪れたのは、1990年の秋、「慕田峪」だった。 観光開放されたばかりで、とてもいい所だった。 その後、「八達嶺」へは何度も訪れた。登城口はいくつもあって、その都度、趣が違い感動したものだった。 訪れる季節にも、変化があっておもしろい。 厳寒の2月、頭には帽子、手袋、マフラー、ダウンコート、顔にはマスク、目だけが出ているという、本当に今でも当時の写真をみると、何と言う格好なのかと思ってしまう。それでも、強い風に煽られてみんなでくっ付いて、寒さをしのいだ……。 秋もよし、暑い夏もそれなりに……。

その他に「居庸関」にも行った。 このときは初夏で、緑のいっぱいの山々が迫っていた。 一番美しい場所だと、地元の人は自慢していた。

この時、一緒に行った人は体力に自信があり(ジム経営者で指導者)どんどんと登って行き、烽台をいくつも制覇して行った。 私は途中でギブアップ!! 来た道を引き返す。

しかし、その後がいけない。 出発時間が来ても、彼は戻って来なかった。 待てど暮らせど、帰って来ない。 仲間は心配しはじめたが、体力があるから、大丈夫だと無理に言い聞かせていたが、なかなか戻らない。 携帯も繋がらないし……。

どれだけの時間が過ぎたろうか?  彼が姿を現した。  彼曰く 「近道しようとして、道に迷った。 結局遠回りで下りて来た」と。  季節がよかったから、時間が昼間だったから、いろいろと思いを馳せている。

好きな秘境の「万里の長城」で、亡くなられた3人の人のご冥福をお祈りいたします。 同じ中国迷(中国ファン)として……。