樹々のささやき

自然とのふれあい、人との出逢い、身近なことに目をむけて、感動、感謝をこめて!

空を見ていた男

2013-05-15 | 日々の想い

このたび、東日本大震災の復興支援者が石巻を訪れることになり、お誘いを受けて参加することになった。

私は2年が過ぎてはじめての現地入りでしたが、東京の仲間は再々出かけておられていたようでした。

支援者の一人の方が、当時現地に行って、被災者の話を聞かれていた時、被災者の人が一生懸命に説明をしているのに、話し手の目も見ず、海も見ず、空を仰いだ儘だったと、言う話を聞いた。

その、空を見ていた人はこう言った。

「話を聞いて、どうしようもなく、涙がこぼれてきて、空を仰いでいたのだ」……と。

涙が止めなくながれるのを、上を向くことで誤魔化していたんだと。 現実を目の当たりにして、慰めの言葉も見つからなかったんだと。

しかし、いまこうした支援者仲間と現地の人が一つになり、交流でき、いつまでも繋がっていけるように、心に決めた。

東北の人の頑張りは、こちらまで元気をもらったように思う。

 

 


2年2か月が過ぎても

2013-05-15 | 日々の想い

東日本大震災が起きて2年2か月が過ぎました。

縁あって「荒波牡蠣」支援オーナーとして、はじめて石巻牡鹿半島の鹿立浜を訪れました。 仙石線はまだ不通の箇所があり、仙台から松島へ行き一泊。 松島を朝9時半に出発。 山を越え、海を右に左にと、望みながら、ひたすら、目的地に向かう。

バスの車窓からは、未だ山積みされた瓦礫の山。

そして、ちょうどあの日からの月命日にあたる11日。 海辺に設えられた、法要のための天幕。

再度、行方不明者を捜索する人たちの姿。

遠く離れた大阪では想像するだけで、いま目の当たりすると、改めて心からの復興とご冥福を祈らずにはいられなかった。

「荒波牡蠣」復興応援隊と名付けて、十数名が現地に入り、養殖場まで船を出していただいた。

    石森さんと支援者たち : 操縦は隼人君

   引き揚げ作業   若き牡蠣漁師 (まこと君)

 

   大きく育った牡蠣(1年物)

   外海の養殖で使われる「牡蠣浮きダル」

津波で1000個以上の「浮きダル」が流失。一個の単価が、16000円とか。

   頼もしい若人:石森隼人君・安倍まこと君たち

1年物の牡蠣と2年物の牡蠣の違いを石森祐治さんから教わった。 (違いがわかる女??になったよ) 

とにかく、おいしいの一言。 あまかったねぇ~!!  

    わかめの養殖場

   わかめの浮きダル

   わかめの養殖場

   

採りだてのわかめを熱湯にくぐらせて、ポン酢でいただく。 これまた珍味ですねぇ~。

    まだまだこれから……。(車窓より)

    基礎工事  

鹿立浜に建設される処理場の基礎工事がやっと! 秋にはここから出荷できることでしょう。  

まだまだ資金が足りません。 皆様のご支援をお願いします。 

     

   オーナー申込み先: ishimori@m-corp.co.jp

   寄金1口 10000円 (建設費5000円・牡蠣収穫時に5000円分の牡蠣が送られてきます)

             東京事務局   中野壱郎  斉藤みどり

             大阪サポーター     森  弘子   

 

 


京都! 今でしょう!! (その4)

2013-05-04 | 国内旅行

開山は平安時代末期の保延3年(1137)

当時は院政という特殊な体制で政治が行なわれており、世情も不安定な状況で、鳥羽上皇は国家安泰と共に自らの後世安楽を願われ、上皇の愛された鳥羽離宮の東殿に阿弥陀三尊を本尊とする仏刹をお建てになられたのが「安楽寿院」です。

 

 

 

「阿弥陀如来坐像」(平安時代・重要文化財)

まるく穏やかな相好、金箔で覆われた阿弥陀さまが静かに迎えてくださった。 (撮影禁止でした)

鳥羽法皇像:江戸時代に作られた木像。 平時は非公開。

鳥羽法皇御影・美福門院御影(皇后)・八条女院御影(皇女)の三幅一対の肖像画も展示。

  安楽寿院南陵は「近衛天皇陵」です。

近くには、「白河天皇陵」と「鳥羽天皇陵」がある。 (宮内庁管理で外からの参拝)

今日も楽しい出会いのそぞろ歩きでした。


京都! 今でしょう!! (その3)

2013-05-03 | 日々の想い

方除の大社と仰がれる「城南宮」は、王城の南に鎮まるお宮という名が示すように、平安遷都の折に、都の守護と国土の安泰を願って創建された。

応徳3年(1086)、白河上皇はここを院政の拠点と定め、城南離宮、鳥羽離宮、または鳥羽殿と称される広大な離宮を造営した。

 

 

 

             手を叩くと鯉もよってくる

 公開されているものは、撮影禁止です。 しっかりと自分の目で確かめて!!

神苑は源氏物語「花の庭」を巡って、四季折々が楽しめるようになっている。

「曲水の宴」も春と秋に催される。     一人ブラブラ気ままな一日でした。


思い出の地 伏見

2013-05-02 | 日々の想い

  

中学生時代(昭和26~28年)を過ごした学校。

「長建寺」と「御香宮」の特別文化財公開を見ての帰りに以前、通っていた「伏見中学校」へ寄り道した。

その頃の校長先生が数学の教科書の編集に当たられていて、我が校は『数学のモデルスクール』として、全国から視察によく来られていた。

推理作家で有名な『山村美紗』(旧姓・木村)先生は国語の先生で、のちに結婚された『山村巍先生』は数学の先生でした。 (職場結婚?) もっとも、美紗先生は1年生の受け持ちで3年生だった私は指導を受けることはなかったが、学校出たての初々しい先生だった。

学校の裏辺は疎水が流れ、酒蔵があり、映画の撮影現場としてよく利用されていた。

坂東妻三郎さんの遺作となってしまった『あばれ獅子』も、学校の裏の疎水べりで撮影されたことを覚えている。 当時、電柱は木製で、釘で木の小枝を打ち付けて、それが画面では立派な「木」に映っていた。 その橋も、今はコンクリートで欄干は金属製だった。

学校の図書室には、大先輩であり名俳優の『長谷川一夫』さんから贈られた「本」が、ずらりと並んでいた。 戦後10年にも満たない頃は、どんなに「読み物」に飢えていたか!

いろいろな思いに触れた一日になった。 一人歩きのブラブラ記。


京都! 今でしょう!! (その2)

2013-05-01 | 国内旅行

長建寺」を後に、「中書島駅」に戻り、一駅「桃山駅」まで電車に乗る。 中書島から、大手筋まで歩くのもよい。大手筋を桃山に向かって登る。  今回お目当ての「御香宮」がある。 

名水百選の一つ「御香水」が湧く、「御香宮神社」は徳川家康の命で建立した本殿(重要文化財)が公開。

本殿は五間社流造で屋根は檜皮葺、正面の頭貫木鼻や蟇股の彫刻が全て極彩色で飾っている。

正面の上部の蟇股には、左から「孔雀」・「授鶏」・「金鶏、銀鶏の交尾の姿」(これは安産の印とか、普通安産は”犬”とされているがここでは鶏)・「鷹が子供に餌をやっている姿」・「鳳凰」の五つ。

1994年に極彩色の壁面が復元され、今回は19年ぶりの公開。 

本殿の周りに高さ約3mの足場が設けられ、「鷹」・「鳳凰」・「麒麟」 蟇股の一つ一つの彫刻を見ることができる。

「麒」が雄(黄色)で、「麟」(水色)が雌だということをはじめて知った。

背面の板壁には五間全体にわたって柳と梅の絵が描かれている。その上の蟇股の絵は左から順に「万年青」・「芙蓉」・「紅葉」・「菖蒲」・「芍薬」が描かれている。

ほかに小堀遠州ゆかりの庭も。


京都! 今でしょう!! (その1)

2013-05-01 | 国内旅行

今年も恒例の「京都非公開文化財特別公開」が4月26日~5月6日まで、拝観できる。

今日は中学生時代を過ごした「伏見の地」に出かけた。 中書島の「長建寺」に先ず行く。

赤い塀がつづき、回り込むように行くと、「弁天様」が待って下さっている。

東光山 弁財天長建寺 = 真言宗醍醐派の寺 (若き空海の像もお祀りしてある)

本堂におわすご本尊は秘仏八臂弁財天坐像は12年ぶりの公開。 とぐろを巻く蛇の上に翁の面がのる宇賀神将像も。 残念ながら撮影禁止。 しっかりと目に焼き付けておきましょう。

不動明王の前には「護摩焚き」の場があり、信仰を集めている。

 

 


 

 

 

 

 

 


朔日餅ー5月

2013-05-01 | 日々の想い

新緑の五月、端午の節句。  鯉のぼりが大空を泳いでいます。

子供の成長を祝う端午の節句にかかせない「かしわ餅」。 柏の親葉は新葉が育つまで枯れ落ちず、代ゆずりをします。 それにあやかって、子供の成長と子々孫々の繁栄を祈るという縁起があります。

包装紙の「伊勢千代紙」も「菖蒲」があしらわれ、楽しませてくれています。