花、昆虫、風景など

日常感じる季節の諸々を、花、昆虫、風景などを通じてアップしていきたいと思います。

パイ 10

2009年01月31日 | Weblog
時間に経たないで欲しいと願っても、周囲の変化がきっちりその確実に過ぎることを教えてくれます。
12月には17時には真っ暗だったのに、もう17時半でも薄暗くなりました。
私たち生き物はその時間の長い短いは別にして、自然の変化を確実に感じながら日々を送っています。
確かに人として生きる為に忙しすぎ、微妙な自然の変化を楽しめない状況が作られているかも知れませんが、それって凄く残念なことですよね。
でも、例え微妙な変化は感じられなくても外気に触れる限り、春夏秋冬は確実に感じながら生きていると思います。

日本人にはこの四季と言われる気象上の変化が与えられており、諸外国で生活される方達とは又違った趣を感じることができます。
仰るように人生は長いです。
文学に興味をお持ちなら、こういった微妙な変化を文字で表すことがどのような手法で行われてきたかと言うことにも興味をお持ちのことと思います。
雨一つをとっても、雪一つをとっても、月一つをとっても色んな名前があります。
私たちが今体で感じている微妙な変化を、我々の先人は色々な言葉で置き換えてきたのです。
これって地域性、ひいては文化そのものに繋がります。
私は古典が好きで、書画骨董にも興味を持っています。
諸国を行脚した人の書き物には面白い物が多く、民俗学者の柳田国男や科学者の寺田寅彦にも興味を引かれています。
長い人生を楽しく過ごすには、兎に角何にでも興味を持つことが肝要だと思います。
好奇心が有れば、人には探求心が生まれます。
それが科学する心を育てます。
科学は何も化学や物理学ばかりではありません。
人がモデル化して解析できる物は全て科学として捉えられます。
ですから当然のことのように心理学や経済学、文学も科学です。

     

実はこれから後のコメントで書く予定でしたが、受験勉強の理科系、文化系という分類の仕方って実は非常に不自然だと私は思っているのです。
人が科学する心は何に対しても皆同じ筈です。
たまたまその対象が、目や耳や肌に直に見え感じる自然現象が基本であるか、人が作った表現の方法、制度や仕組み等の社会現象が基本であるかの違いに過ぎません。
ですから受験という一つの関門があるにせよ、その手法は両方学んでおくべきだと私は思っているのです。

     

さて、話は又大きく変わるかも知れませんが、再び粒子の組み合わせに戻りたいと思います。
同じ個数の粒子でもその並び方によって全く違った性質を持つことが確認されています。
例えば炭素ですが、ダイヤモンドやグラファイト、カーボンナノチューブと呼ばれる多様な性質を持つ構造、身近な所ではお茶炭や花炭、備長炭や竹炭などがあります。
これらの炭素原子構成物は極端な言い方をすれば、同じ炭素の数の組み合わせでありながら、その性格がまるで違うということになります。
空間と炭素の数を限り時間を無限大に取れば、同じ炭素で色々な性格の炭素原子構成物が出来ると言うことになります。

一つの炭素原子を中心にその移動に依る構成物の変化を見た時と、一塊の炭素原子を中心にその組み合わせの具合に依る変化を見た時では考え方は一寸違ってきますね。

化合物としてみてみると、同じ炭素でも有機原因のものと無機原因のものでは自ずと変化が出てきます。

要は無限の時間の中では空間が無限であれば無数の状況設定が出来ることを判って頂きたいのですが、これはある単一位相の時に限られると言うこともご理解頂きたいのです。
無限空間の90度の位相変換を考えると、又面白い考えが浮かんでくるのです